2026年03月22日

今年も「VIBES」へ寄稿しました!

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昨年に続き、ハーレーダビッドソンマガジン「VIBES」(vol.390)へ寄稿しました。
編集長のウメさんから連絡をいただいた翌日に書き上げ、画像も仲間から提供してもらいました。
*
「それでも道は続いている••••••」

東日本大震災から15年。

 津波の被害を受けた土地に暮らしていると、「区切り」なんて言葉は、アクセルを戻すタイミングを失ったまま走り続けているような感覚に近い。あの日の記憶は、エンジンの奥にこびりついたカーボンのように、消えることはない。それでも人は節目をつくり、過去を振り返り、次のステージへ向かおうとする。メディアが毎年のように震災を取り上げるのも、津波と原発事故の恐ろしさを風化させないための“メンテナンス”なのだろう。
 今年も編集部から寄稿依頼が届いた。正直、私よりもこのテーマにふさわしいバイカーは全国にいるはずだと思う。それでも、被災地に暮らす一人として、そしてこの地を走り続けてきた者として、いまの現場を伝えたいと思った。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で大きな被害を受けた東北では、防災集団移転や三陸沿岸道の建設、放射性物質の除去など、数え切れないほどの復興事業が進められてきた。この15年で被災地の風景は大きく変わった。福島から青森までをつなぐ三陸沿岸道路は全線開通し、道の駅も増え、東北の海沿いは“走りやすい道”へと姿を変えた。キャンプミーティングへ向かう途中、震災遺構に立ち寄ったバイカーも多いだろう。
 宮城県山元町の「TSUNAMI(ツナミ)ハーレー展示館」もその一つだ。錆びついたフレーム、ねじ曲がった金属。かつて道路を駆けていたハーレーが、津波の前ではこんなにも無力だったのかと、同じバイカーとして胸がざわつく。あれは、自然の力がどれほど容赦ないかを言葉以上に突きつけてくる“無言の証言者”だ。
 だが、遺構を残し続けることは簡単ではない。維持には金も人もかかる。震災を知らない世代が増えるほど、「残す意味」を問い直す声も出てくる。先日、児童と教員84人が犠牲となった旧大川小学校(石巻市)のシンポジウムに参加した。海水に浸かった校舎は、手を施さなければサビが進み、天井が落ちる危険があると専門家が報告していた。
 遺族の言葉で胸に刺さったのは、遺構とは“奇跡の生還”を語る場所ではないということだ。そこに刻まれているのは、無念のまま息絶えた人たちの存在そのものだ。ヒロシマの原爆ドームがそうであるように、悲劇を「なかったこと」にしないための最後の砦である。
 震災の語り継ぎは、どうしても“助かった話”に焦点が当たりがちだ。しかし、本当に伝えるべきは、助けられなかった現実、逃げ遅れた理由、判断の難しさ、そして自然災害の前では人間がいかに無力かという事実だと思う。そこに向き合わなければ、同じ悲劇は必ず繰り返される。バイクで言えば、転倒の原因を直視せずに走り続ければ、また同じコーナーで同じ転び方をするようなものだ。
 被災地を走ると、復興のスピードと、人の心のスピードが一致していないことに気づく。道路は整備され、街は新しくなった。しかし、そこに暮らす人の時間は、必ずしも同じ速度で進んでいるわけではない。失った家族を思い続ける人、故郷に戻れなかった人、語ることすらつらい人−−それぞれの“15年”がある。
 それでも、走るたびに思う。道は続いている。たとえ途中でエンストしても、またキックをかませばいい。動かなくなれば仲間が手を差し伸べてくれるはずだ。震災は終わった出来事ではないが、私たちの歩みもまた終わっていない。遺構を残すことも、語り継ぐことも、未来へ向けてアクセルを開ける行為だと信じている。
 これから私たちがすべきことは、経験をつなぎ、教訓をつなぎ、命をつなぐことだ。震災を知らない世代が増えるほど、私たちが見てきた現実を正しく伝える責任は重くなる。バイクで風を切りながら、あの日から続く道を走るたびに思う。忘れないことは、立ち止まることではなく、未来へ向けて走り続ける力になるのだと。
【プロフィール】
小関勝也
宮城県仙台市在住。58歳。‘02年式FLSTS所有。まぶだちアーリーの一員&三本塚BBQチーム所属。
posted by 今だけ委員長 at 20:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | ハーレーダビッドソン
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