2007年05月25日

進む電子ペーパー開発 一方でこれ以上の情報過多に危険

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新聞の未来を展望する―電子ペーパーは救世主となれるか―
発行 財団法人新聞通信調査会 1,000

 何時この書評をアップしようかと考えていたのが、けさの新聞紙面でソニーが曲げた状態でも動画を表示することができるカラーの有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)ディスプレーの開発に成功したという記事が掲載。将来的には、紙のように丸めることができるディスプレーを想定しているとのことで、電子新聞の実用化に向けてまた一歩前進したと言えるかもしれない。この記事に関連して「電子ペーパー」の研究内容が記された本書を紹介する。

 本書にはIT(情報技術)社会が急速に広がり、若者たちの多くは紙の新聞から離れ、ネットからの情報入手へと向かっているー、独自の情報伝達手段を模索したり新しいビジネスモデルへの動きが顕在化しているー、新聞社や通信社が生き残るには媒体が紙であろうと電子であろうと本来は無関係ー、読む側のニーズを的確につかみ、どの媒体をいつの時点で選択できるかが重要・・・という観点から『電子ペーパー』について、(財)新聞通信調査会が研究した内容がまとめられている。

 執筆者は、面谷 信氏(東海大学工学部光・画像工学科教授)、水越 伸氏(東京大学大学院情報環境准教授)、村田昭夫氏(毎日新聞社広告営業センター次長)、佐藤和文氏(河北新報社メディア局次長兼ネット事業部長)、松澤雄一氏(神奈川新聞社デジタルメディア局長)、仲俣暁生氏(編集者、文筆家)、宇喜田義敬氏(テルモ株式会社研究開発センター副所長)、北林茂樹氏(ワーズギア株式会社マーケティング部長)、河野 徹氏(共同通信社中国語ニュース室長)、平井久志氏(共同通信社ソウル支局長)、湯川鶴章氏(時事通信社編集委員)の11名。

 電子ペーパー普及の可能性について、執筆者がさまざまな観点から論文をあげているがまだまだ実用化には多くのハードルがありそうだ。何時でも何処でも情報を収集できる・・・これ以上、情報を得なければならない社会環境にあるのだろうかという疑問もあるが、巻末のまとめとしての一説は無視できない。
新興勢力進出の想定を 既存新聞社が宅配制度の下で、販売店等の存続を前提として社の将来像を考えざるを得ない事情は当然である。ただし販売店というしがらみのない新興勢力が電子新聞を本気で始めたとき、宅配のための販売店システムを維持するのは既存勢力にとって、少なくともコスト競争という点での勝算がないのは明らかであろう。IT企業と呼ばれるような新興勢力が電子ペーパーを用い食卓や電車の中で読める新聞サービスを開始するようになったとき、既存新聞社はどうするのか。少なくとも、そうなってから対処を考えるのでよいのかどうかについて、今から考えておいた方がよいと思われる。
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2007年04月28日

新聞では書かない問題を機関紙で宣伝する

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機関紙と宣伝 4月号
著者 日本機関紙協会  510円(年間購読料6,920円)

 日本機関紙協会が発行する「機関紙と宣伝」4月号に310日に開かれたシンポジウム「国民投票案のカラクリーカネで変えられていいの」(日本マスコミ文化情報労組会議・日本ジャーナリスト会議・マスコミ関連九条の会・自由法曹団の共催)での講演内容が特集されています。その中で、弁護士の坂本修氏が国民投票法案の問題点を分かりやすく解説しているので、新聞紙面だけでは分かりづらいという方にはぜひお勧めします。

 国民投票法案は412日に衆議院の憲法調査特別委員会で、民主党提出修正案が否決され、与党提出修正案が与党の賛成多数で可決され、翌13日に衆議院本会議で可決。現在、参議院で議論されていますが、昨年5月に「国民投票法案」の与党案と民主党案が上程され、坂本氏はパネルディスカッションに参加した自民党の船田氏と民主党の枝野氏の話を聞いて驚いたそうです。
 「与党案と民主党案はよく似ていると言われるが、それはもっともです。これは内閣法制局の同じ人に作ってもらったからです」と平然と述べたそうです。坂本氏ら自由法曹団はかねてから国民投票法案には「改憲のための手続き法」として反対を表明でしたが、それが単なる手続法ではなく、中身がいかに危険であるかを国民に伝えなければと述べています。中でも有料コマーシャルの問題について言及。「有料コマーシャルの自由栄えて憲法滅ぶ」と言い、有料コマーシャルによって国民の意思が歪められ(マインドコントロールされ)、主権者国民が自分で決めるのだという憲法96条の根幹が危ぶまれる問題だと指摘。有料コマーシャルの野放し自由化には断固反対と述べています。

 そのシンポジウム(310日)の議論では不完全燃焼だった? 続きを読む
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2007年04月18日

20XX年「eプラットフォーム」によってネットとメディアの融合が加速する

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ネット時代 10年後、新聞とテレビはこうなる
著者 藤原 治(朝日新聞社)1,470

 元電通研の藤原治氏は20051010日の「新聞週間特集 読売メディア・フォーラム『新聞の新たなる挑戦』」(読売新聞主催)での講演で、「紙を前提としない新聞社の経営」を力強く語った。その講演後に書籍発行が企画され2007228日にこの本は発行されたそうだ。

 2011724日に移行されるテレビ地上波の完全デジタル化でネットとメディアの融合が加速する。20XX年、日本のメディアはすべてネット上の仮想空間「eプラットフォーム」に吸収され、新聞社は既存のビジネスモデル(「紙」部数と広告)というメディアでは生き残れず、ジャーナリズムというコンテンツ事業へと経営の舵を切らなければならないのか…。これまでの新聞経営の発想を揺るがすセンセーショナルな切り口は、ネット世代の若者には当然のことなのだろう。

 筆者はこれからの新聞産業はこうなると言い切る(じゃどうするのという回答は全くないが)。eプラットフォームによって従来の新聞はメディアの正確を放棄し、新しいメディアであるeプラットフォームの「ツール」化するのである。紙で見たければプリントアウトし手紙で見ればいいし、そうしなくてもパソコン上で見てもいいということになる。

 新聞は今後・・・

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2007年03月28日

普通の会社にならなければジャーナリズムとしての新聞業界の信頼回復はない

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新聞の時代錯誤−朽ちる第四権力−
著者 大塚将司(東洋経済)1,785円

 著者は2003年に日本経済新聞社の子会社「ティー・シー・ワークス」(TCW)で発生した巨額不正経理事件を暴き、株主総会で当時社長の鶴田卓彦氏の解任を提案(その後、日経元社長は特別背任と業務上横領行為で逮捕)したことで、同社から懲戒解雇されるが法廷闘争の末、解雇が撤回され復職したという経歴の持ち主。

 新聞社で起きた(特に朝日と日経)不祥事問題を解析し、自らの問題を隠蔽しようとするマスコミの対応ぶりを糾弾する。新聞記者が本来のジャーナリストの倫理に反する行動をとっていると指摘し「サラリーマン記者」と揶揄している。(引用)サラリーマン記者が社内で高い評価を得るためには@スクープを狙わないこと(他の記者に妬まれるから)A独自の思想や理想に基づく主張をしないこと(反論がおき読者とのトラブルの種になるから)で、誤報のリスクのあるスクープなど狙わずに、毎日、夜も寝ずに働く。実際にそうしなくともその素振りをすることがもっとも大事で、(記事を)抜かれたときに適切な事後処理をして、神妙な顔つきをしていればいい。上司もたいてい同じ処世術で現在の地位を得ているので「可愛い奴」ということになる。


 さらに著者は新聞業界の経営陣に羽仁五郎氏が国会で述べた一説を叩きつける「新聞の自由のためには、新聞の経営権と編集権、読者が真実を知る権利、この三つの権利が最も正しい関係に守られなければならない」と。
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2007年03月25日

新聞業界の問題は破綻したビジネスモデルにとりすがる守旧思想だ

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新聞社−破綻したビジネスモデル−
著者 河内 孝(新潮新書)735

 今月に入って多数出版されている(この書は320日発行)業界内部告発本?の中でも特にお勧めしたい一冊。
 著者は昨年まで毎日新聞社に勤務(常務取締役として)し、社長室や営業・総合メディアを担当した実務体験からくる「今後の業界再編への提言」などは、理想論ではなく“看板”より産業全体を守ろうと経営陣が舵取りをすれば可能な提案がいくつか示されてある。今だけ委員長が数年前から考えていたことと一致する点が多く実はビックリしている。

 第1章から2章は、新聞社の危機を部数至上主義からくる「押し紙」の問題や過剰な経費によって作られている虚妄の発行部数と新聞社経営の現実を厳しく指摘している。著者が指す数字は公式機関が発表している数字だが、実はABC協会や新聞折込会社作成している部数一覧などは微妙に違っており時系列で比較するとなぜか誤差が生じてしまう。すでに業界内部で隠蔽できる状況にはないことを表している。昨年、某新聞社の販売担当OBが書いた著書よりもかなり踏み込んで新聞販売のカラクリを「なぜそうなってしまうのか」の理由とともに実態に近い形でまとめられている。

 第3章は新聞社と放送局の関わりを歴史的にまとめ、2011年(地上デジタル放送完全移行)に起こるであろう「メディアの再編」で生じる問題点を指摘し、情報の寡占化に警笛を鳴らしている。 4章は「新聞の再生はあるのか」と題し、産経新聞の夕刊廃止(東京本社のみ)を決めた背景や新聞の価格政策、毎日・産経・中日の三社提携(その後、全国の地方紙に拡大)の意義を提起している。この一見理想論と受け止められがちな話なのだが、実は水面下で主たるセクションで動いている可能性は否めない。そんな予感を感じさせる、いや著者のみならず“看板”を守ることよりも産業を守ろうと考えている経営者なら無視できない提起だろう。 

最終章では

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2007年03月21日

地価の引き上げが新聞社を救った

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特命転勤−毎日新聞を救え!−
著者 吉原 勇(文芸春秋)1,575 

 毎日新聞社の「新旧分離」後、同社の大阪本社新社屋建設に伴う国有用地取得をめぐって、著者が経営企画室在任中に起こったさまざまな問題を克明に綴った1冊。新社屋の建て替えに際し出来るだけ地価を引き上げようと工作する話や政治家、財界人との関わりなどが実名で書かれてある。さらに記事のデータベース化については日本経済新聞との業務提携で行われたことや西山事件など当時の主だった出来事も記している。あとがきに「この本を告発書にはしたくなかった」とあるが、毎日新聞社の内情が伝わってくる。

 著者はこの本の中で発行部数の問題にも触れて「一口に販売部数といっても、新聞・雑誌の販売部数を考査している社団法人日本ABC協会が公表しているABC部数もあれば、新聞社から販売店に発送している『送り部数』。代金回収が行われている『発証部数』、読者に届けられている『実売部数』などいろいろあり、それも新聞社によって表現が異なっているから単純に比較するのは難しい。ただABCの部数では、毎日新聞と日本経済新聞ではかなりの差があるようになっているが、毎日が実際に代金を回収している部数は極秘の内部資料によると三百三十万部を切っていたから、日本経済新聞が上回っていることもあり得るかな、と私にはわかる」とも書かれている。また、著者の義弟が毎日新聞の販売店を営んでいた経緯から、同社の販売政策への不満や問題点などから「販売政策へのテコ入れ」をする必要性も訴えている。

 本書の中で、歌川令三氏の名前が多く登場しているが毎日新聞OBによるこの類の書籍が増えているのは何かを予感させる。
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2007年03月02日

実務と研究をもとに新聞広告の本質に迫る

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広告雑記
著者:森内豊四(自費出版)

 著者の森内氏は日本経済新聞社広告局、日経広告研究所を通じて広告の実務と研究の双方の経験をもとに、これまで発表した論文や寄稿などをまとめた自伝集。同氏は1998年から日本広告学会常任理事を務めている。

 昨年発行(11/15号、12/15号)された宣伝会議への寄稿「新聞広告が抱える現代的課題〜いまこそ、新聞は混迷するメディア状況の指南役を目指せ〜」を読んで、森内氏にとても興味を持ち何かしらの機会に話を聞かせてもらいたい思い連絡をさせていただいた。その際に「資料に」とお送りいただいたのがこの広告雑記であり、念願の講演は5月に実現する予定である。
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 広告雑記は宣伝会議への寄稿のもとになったもので、「広告実務と研究の違い」、「広告営業改革の方策」、「これからの新聞広告」などを中心に15の文章と補遺(あとがき)から構成されている。内容はいまの新聞広告の現状を正確かつ厳しく分析されている。

 

一部を引用すると

◎(広告研究の)若手研究者の関心は、いつの時代も新しいものに向かう。いま研究者の主たるテーマは完全にウェヴに移っている。「(テレビ)CMによるブランド構築」から「モバイル・メディアによるブランド構築の可能性」が論じられる時代である。精しいことは不明を羞じるしかないが、新しい広告空間の創出かネット上の商空間か判然としないアフリィエイト広告など、研究者はますます先端を目指す。新奇なものに目を奪われ、その効力の検証に熱中する若手研究者には、それが引き起こす副作用やデメリットに対する監視と防備の意識がない。広告も球団経営同様、ネット企業に丸投げすればうまくいく、と言わんばかりの言説がはびこっている。新聞広告は研究対象や研究課題の埒外におかれてしまった。なかにはマス広告の終焉を公言する者さえいるが、健気にも、そういう広告研究を支援しているのはメディアでは新聞である。

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2007年01月16日

OBの告発も… やはりブラックボックスの壁は厚い

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 新聞社販売局 担当員日誌  
著者 崎川洋光(日本評論社)1,575円  

 新聞販売の職場は「ブラックボックス」と言われている。それは新聞業界のタブーを一手に引き受けている部署が販売局に他ならないからだと言われている所以だ。しかし、近年はそのブラックボックスにも現役を退いた諸先輩の暴露本やウェブでの内部告発など業界内部の方々の手で開かれようとしている。  

元朝日新聞社の販売局の担当を歴任され、昨年退職(関連会社の役員の任を終えた)された著者が、これまで販売局員として公の場での挨拶(30章)を時系列にまとめ、販売問題の本質にチョイと触れた一冊。なぜ“チョイと”かといえば、もう100歩は踏み込んで書いてもらわないと何の役にも立たない一冊になってしまう(なってしまった)からだ。もうすでに業界人でなくとも新聞販売の構造的問題は知っているのだが・・・。残念ながら不完全燃焼の仕上がりになっているといわざるを得ない。

この業界の本質を変えようと思って発刊したのであれば、もっと踏み込んで真実を書くべきだし中途半端な業界擁護ではやはり業界内部の人間のマスターベーションで終わってしまうと思う。もう別の次元に販売問題は向かっているのに・・・非常に残念だ。  
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2006年12月22日

世界中で同時進行するインターネット時代の新聞の行方は?

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朝日総研リポート AIR21 (198)
発行:朝日新聞ジャーナリスト学校(朝日新聞社)600円
 
 朝日新聞が毎月発行しているリポート集。新聞のみならずジャーナリズム関連や広告分野まで幅広く最新の総合研究の内容が資料とともに記されている書籍。※一般書店では販売していないので年間契約を申し込む。
 
 この本を手にした目的は「新聞はどう読まれているのか?−web2.0時代の新聞媒体力−」について朝日新聞ジャーナリスト学校メディア研究班の荒田茂夫氏と佐藤日出夫氏の論文を読もうと思ったからなのだが、清華大学大学院生の研究論文も相当な読み応えのあるものだった。
 中国のマスコミのデジタル化が予想以上に進んでいることを伝え、インターネット時代の新聞広告とデジタル放送の新たなビジネスモデルの2本が掲載されている。同大学博士課程の何威(フー・ウェイ)さんは「中国新聞業界のデジタル化戦略」と題し、具体的なビジネスモデルを提案している。
 中国のインターネット利用者は1億人を超えたが、その65%がニュースの閲覧を主な目的としておりネットでニュースを知ることが人々の習慣になっているという。これは新聞にとっての危機ではあるが「ニュースの生産者・提供者」である新聞業界が市場の変化に対応し、優位な立場を利用してネット事業に乗り出さないのだ折るかと疑問を投げかける。
 
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2006年12月05日

5カ月で消えた「みんなの滋賀新聞」の従業員組合が残した足跡…

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五カ月で消えた新聞−「みんなの滋賀新聞」記録と検証
著者:新聞労連近畿地連・みんなの滋賀新聞労働組合(フジイ企画)
 
2006年11月26日に開催された第2回定期大会を持って労働組合を解散した「みんなの滋賀新聞労働組合」の記録をつづった組合の記録。
 
2003年9月1日に地元経済界の出資で設立された「みんなで作る新聞社」は、県紙のない滋賀県で市民を巻き込んだ新聞が発刊するということで、業界内はもとよりセンセーショナルなニュースとして注目された。しかし、新聞経営については素人集団ということも影響し、通信社からの配信を受けず、新聞協会にも加盟できないという向かい風が強い中で創刊を迎える。印刷や販売店による宅配をすべてアウトソーシングをし2005年4月29日の創刊号発刊から、わずか40日足らずの6月8日には社長から突然の休刊宣言が出されるという状況下で、6月12日に従業員十数人で「みんなの滋賀新聞労働組合」を結成。9月17日の休刊以降も労働委員会への残業代未払い分の斡旋や組合員の再就職支援など労働組合は12月一杯まで奔走した記録が記録されている。
 
残念ながら「みんなの滋賀新聞」は休刊、労働組合も解散したものの闘いの記録は新聞労働運動の中に刻まれるだろう。 
 
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2006年08月12日

今年で21年 御巣鷹山の惨劇を忘れてはならない

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沈まぬ太陽(全5巻)
著者 山崎 豊子(新潮社)1巻と5巻1,600円、2巻3巻4巻1,700円

 


 日航ジャンボ機墜落事故から、今日で21年目。1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航ジャンボ旅客機が墜落し、520名もの命を奪った事故を従業員の立場、被害にあった家族、そして労働組合の役割、航空会社の組織を描いたルポルタージュ。


 主人公の恩地元は労働組合の委員長に就任し、空の安全と従業員の労働条件改善に取り組むまっとうな組合運動をしているのだが、時代は生産性向上にばかり向かっていく。会社は労働組合を敵視し、組合の分断工作に動き出す。恩地執行部を「アカ」と呼び、不当な海外勤務が命じられる。まぎれもない不当労働行為に対して、恩地と家族は耐え忍ぶが・・・ 現代の流刑という書評が適当なのかもしれないが、人間とは、組織とは いろいろ考えさせられた1冊。


 日航ジャンボ機墜落事故を取り上げた書籍もけっこう出版されているが、競争社会が生み出した経費削減の悪影響が一番現われたのが航空会社だという視点で描かれている。経費削減が人命をも危険にさらすということを役人や世の経営者には、あらためて考え直してもらいたい。
 クライマーズハイと並んで「自分自身」に置き換えて考えさせられる長編です。

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2006年08月02日

原子力爆弾の悲劇 二度と戦争を起こしてはならない

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新聞労働者の8月6日「消えたペン」

著者:中国新聞労働組合(汐文社)1,500

 

 194586日、広島に原子力爆弾が投下され多くの命が失われた。その中で新聞労働者も多くの命を落とした。中国新聞労働組合の調査によると新聞および通信社で働く126名が亡くなったとされる。

 中国新聞労働組合が原爆で亡くなった新聞労働者の人生を知ることで、不戦の思いをあらためて確認しようと73の遺族に取材をし、当時の様子を後世に伝えようと発行された一冊。

 

 戦時中の新聞は大本営発表をそのまま報道し、国民に大きな惨禍をもたらした過ちを深く反省し、二度と戦争のためにペンやカメラを持たず輪転機を回さないと誓った。敗戦から61年経ったいま、新聞のスタンスはどうだろう?

 広島に投下された原子力爆弾の悲劇。戦争による唯一の被爆国として平和を訴えなければならない責務をあらためて感じる。

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2006年07月16日

労働組合の役割とは何か? 書く側と書かれる側を内部から検証!

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岩城ゴルフ場問題・虫けらの魂
内側からの報告―報道の姿をめぐって―
編集・発行:秋田魁新報労働組合 350円

 1987年10月、秋田魁新報社出身の市川雅由氏が岩城ゴルフ場(秋田魁新報の関連会社)の改修工事をめぐる新聞社と行政の癒着を告発した小説「虫けらの魂」を、同社労働組合が自社の報道姿勢を検証した報告書。
 「同社首脳が県に強引に予算化させ、本来ゴルフ場が施工しなければならない工事を県単独事業として行わせた」という市川氏の告発によって、全国紙が相次いで同社と県側との癒着を報道する中、組合員がこの事態にどう対処してきたのか…その葛藤を労組役員が記している。

 同社経営陣の責任は免れないが、「新聞社を叩く」ことに固執した同業者が、事実を大きく捻じ曲げて報道したことにも言及。ノンフィクションライター佐野眞一氏に対しても「虫けらの寄生虫」と称して反論をしている。また事実を歪曲して報道するメディアに対して、あらためて自分たちの報道姿勢はどうだったのか―自戒と反省の弁も込められている。

 多くの新聞社(特に地方紙)はその地域の文化・スポーツの振興を経営の理念としている。しかし、新聞社として行政側との距離感はキチンと保たなければならないのだが、地域振興の名のもとにこうしたケースが生じるケースは表面化しないだけで結構あるのではないだろうか。
 新聞社の収入は購読料収入と広告収入で成り立っているが、広告内容に虚偽の疑いがあっても売上を伸ばすためにチェック機能が甘くなることもあるだろう。行政側からの発注も増えている。社会保険庁がアイドルを使って「一般向け国債の販売促進」をPRしているが、国債の元本保証について危機的状況にあると囁かれている最中、税金を使った全面広告の発注をどう捉えているのだろう。

 新聞の生命線である「信頼」を新聞人が忘れてしまっては、読者離れに拍車がかかるのは当然のことだろう。

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2006年07月12日

インターネット新聞と私塾が、日本の変革と再生を招くか

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羊たちはもう沈黙しない!
著者:浅井 隆+戦略経営研究所21(第二海援隊)1,200円

 元毎日新聞社に勤務していた著者が今年6月20日に発行した新刊。これまで経済学(特に国家財政など)についての執筆が多く幾冊か読ませていただいたが、今回は著者がこの国(国民)のために「インターネット新聞」と「私塾」の立ち上げについて宣誓をし、「なぜ」いまこのよういな取り組みが必要なのかを綴っている。

 著者は国家財政の破綻をいち早く別の著書でも指摘しているが、日本は1千兆円もの莫大な借金を抱えており、第二次世界大戦の敗戦時と同じ水準であり日本のGDPの2倍になっている。なぜ、借金が膨れ上がったのか?理由は簡単で、いまは「30兆円枠」に抑えようとしている国債ですが、これまで発行した国債の償還(返済)期限は毎年来るのです。でも払えない。そこで別枠で返済額を払うために別枠の国債を発行しているのです。それが「借換債」と呼ばれるもので、国民に国債の発行と称して借りた金を返せないから別の手形を切る。現金ではないにせよ国の借金は自転車操業のように膨れ上がっているのです。著者は2006年度の借換債発行額は新規国債発行の3.6倍の108兆2600億円であると述べています。日銀の量的緩和政策の解除に伴い、金利があがれば国の借金も膨らんでいくだけなのです。

 このような問題を覆ってしまっている官僚と自分さえ良ければいいと言う政治家の犯罪的行為と相まって「真実を伝えないマスコミの責任も大きい」と著者は指摘しています。新聞であれば部数至上主義、テレビであれば視聴率至上主義がそれぞれの業界の問題点であり、ホリエモンや村上ファンドのような「ルールさえ守れば何をしてもよい」といった拝金主義がこの国を歪めていると語っています。そこで真のマスコミを創りあげるために韓国の「オーマイニュース」の現状を報告、市民記者になろうと呼びかけています。また日本古来の武士道的な気質が失われていると説き、「松下村塾」のような幕末に人材を輩出した私塾を立ち上げようと結んでいます。

 日本を再生するためのプロジェクト。今後の動きに注目したいと思います。

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2006年07月07日

販売正常化が実現すれば、おのずと紙面も正常化される

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拡 材 −ある新聞拡販団″体験記―
著者:堀本和博・片上晴彦(泰流社)1,200円

 1982年発行のこの書籍は、当時「世界日報」に勤める著者2人がスポーツ新聞の広告に掲載されている新聞拡張団″に潜入し、カード料(読者と契約した契約書の売買によって生じる手数料)のからくりや、拡材の使われ方など、新聞拡張団の内情を綴ったルポルタージュ。今でこそビール券や商品券の類が当たり前になってきているが、当時はライオン無リントップ、資生堂バスボン・シャンプーセット、アラレちゃんの絵入りコップセット…など、かなりリアルに紹介されている。
 読売と朝日とでカード料や拡材のレベルの違いなど克明に記されてある。大分体を張った取材をしたのだろうと思う。にわか拡張員で感じたことが、自分で自分の首を絞めている新聞業界と一番損をしているのは長期購読者という結論を述べている。

 第2部「発行本社の責任と問題」では、新聞が特殊指定を受けた背景や社団法人日本ABC協会が発足した経緯なども詳しく書かれている。
かつて新聞業界が、自らの販売の無法ぶりに自浄能力なしとして、公取委に駆け込んで法制化してもらったという経緯をこう述べている。
 東京からスタートした読売新聞が大阪に進出し「大阪読売新聞」として発刊されたのは、1952年のことである。その進出は、1週間の間、大阪の150万世帯に無料投げ込みをすることではじまった。次に、1カ月130円という当時としては、超破格値の売込みを展開したのである。新聞業界は、この読売の拳に胆をつぶしたのである。さらに「大阪読売新聞」は1955年9月には、総額2億円の愛読者くじをはじめた。そのうえ「少年少女新聞」も無料で付録に付けたのである。このため新聞各社は、ついに大阪読売を独占禁止法違反で提訴することになったのである。もちろん、それまでも新聞販売業会は、激しい販売競争下にあった。そのため地方紙の間では、新聞を特殊指定商品にして乱売に歯止めをかけよう―という動きもあった。だが、大新聞はこれを「資本主義の原則である自由競争を抑圧するもの」と退けてきた。しかし、読売の拳にもうなりふり構っていられなかった。大阪読売の事件によって日本新聞協会の理事会は、法的措置も止むを得ないと決議した。これを受けて公取委が、1955年「新聞業における特定の不公正な取引方法」を指定し告示したのである。
「公取委が特殊指定の枠をはめ、介入し始めたのは、新聞業界として恥ずかしいことだ」と当時をふり返って、元毎日新聞社販売局長の古池国雄氏は言う。新聞は、このときから販売手段として読者にお金や物を渡したり、無代紙を提供することを禁じられたハズである。だが、それは、どこまでもハズでしかなかったのである。なくなるハズの新聞の「不当販売」は、公取委が特殊指定に指定し、告示しても効き目はいっこうになかったからである。
 その後の新聞販売の遍歴や、1977年と1985年に新聞各社から発せられた「正常化宣言」のからくり(値上げ前の緩和策ではないかと指摘)などが記されている。ABC協会についても「押し紙」問題なども踏まえてかなり突っ込んだ問題点を提起している。
 新聞社が広告量をきめるときの目安は、一にも二にも発行部数である。この発行部数の統計をとって発表しているのが、1952年に発足した社団法人・日本ABC協会(新聞雑誌部数交査機構)である。部数は、ABCレポートとして定期的にまとめられている。「2兆円を超える広告産業にあって、広告媒体の量や質が不確かであるのはおかしなこと」というわけで、広告媒体の「量」にあたる発行部数をしっかり把握しよう、というものだった。1961年かたは、交査制が敷かれ、発行本社、各販売店にABC協会の職員が出向き、帳簿なども調べるようになった。だが、交査制から20年たった今、ABC協会のあり方にも、いろいろな疑問が投げかけられている。1982年4月には、衆議院の社会労働委員会で公明党の草川昭三議員が、ABCレポートの発表部数の公益性を問いただした。これに対して通産省の江崎格サービス産業室長は、発表されている部数は、各家庭に配達された新聞部数の合計ではなく「発行本社が販売店に売り渡した部数の統計である」と明言した。この質疑では、「押し紙」の実態までには触れなかったものの「(ABC)レポートが誤解を与えないよう昨年5月に指導した。競争をあおらないよう今後も指導していく」(江崎氏)ということになったのである。ABC協会のあり方については、業界内部でもいろいろな問題が出ている。

 また、新聞販売労働者の販売正常化を目指した労働運動も紹介されている。1982年3月22日に東京神田にある総評会館で開かれた「第1回新聞正常化集会」を主催した、全国新聞販売労働組合連絡協議会(全販労)の取り組みや組織化が難しい新聞販売店の事情についても報告されている。
 販売店が共販制の時代にあった全販連という新聞販売組合は、独自の力を持っていた。発行本社と対等に渡り合って手数料の値上げを勝ち取ったこともある。今でこそ新聞購読料の値上げは、発行本社の編集、販売経費の増大をもとに、その値上げ幅が算出され、販売店の手数料などは二の次だが、1948年には販売店独自の手数料値上げに成功している。
 現在は発行本社による専売店政策の下で、とにかく生き抜くために資金のある店が拡材戦争への道を突っ走って行く構図だ。読者も「モノを持ってこなければ契約しない」と紙面内容ではなく、拡材の質量を求めるのが当たり前になっている。もはや洗剤は新聞販売店が持ってくるものという文化になりつつある。でも、それは新聞業界がこれまで行ってきたことのツケなのだ。再生のために何とかしなければならないのだが・・・
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2006年07月03日

マスコミ再生の鍵は「参加型ジャーナリズム」にある

ブログがジャーナリズムを変える.jpg
ブログがジャーナリズムを変える
著者:湯川鶴章(NTT出版)1,700円

 時事通信の湯川さんが、共著「ネットは新聞を殺すのか」(NTT出版)の続編として出版した一冊。自ら運営するブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」をまとめたような形で編集されており、「ネットは新聞を殺すのかblog」の読者である私にとって、湯川さんが伝えたいことをネットユーザー以外の人にも読んでもらいたいという思いを込めて発行されたのだろうと思う。

 内容は3部構成で、第1部「新聞と通信の融合を大胆予測」、第2部「参加型ジャーナリズムの時代がやってきた」、第3部「ネットにやられてたまるか」となっており、ジャーナリズムにおける新聞・ネット(市民)の関係を広範囲、かつ新聞記者が感じ得ない視点で書かれている。

 新聞労連関係の集会で、これまで2度ほど湯川さんの講演を聞いたことがあるが、湯川さんの問題提起に対して参加者からの質問は「ネットメディアが新聞社の経営を圧迫させている。ネット時代における新聞社のビジネスモデルは?」、「新聞が生き残っていくためにはどうすればよいのか?」という内容のものが多かったように記憶している。この本を読むとネット時代に“新聞”がどうこう言う前に「ジャーナリズムとして新聞の役割を果たせよ」とのメッセージが伝わってくる。「事実」を伝えることだけではなく、議論の過程までもブログの世界は提供してくれる。この業界に居る者としては、これからのジャーナリズムのあり方、そして新聞の役割をじっくり考えさせられた。
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2006年06月27日

新聞はなんと人間に似ていることか

明。新聞ものがたり.jpg
明治新聞ものがたり
著者:片山隆康(大阪経済法科大学出版部)1,545円

 新聞の歴史を辿ると、日本で「ニュース」が『商品』になったのは江戸時代初期からだということが分かる。「瓦版」と呼ばれた木版刷りの粗末な印刷物を売り子が街角で鐘を鳴らし“サワリ“を読み上げながら通行人に呼び掛けたことから「読売り瓦版」、「読売り」、「呼び売り」などと言われたようだ。この語源が現在の読売新聞のルーツなのかは不明だが、商品を陳列するだけでなく拡販する行為は現在の新聞拡張の走りなのだろう。
 慶応から明治元年にかけて鳥羽伏見の衝突など混乱を迎える中、噂話だけが駆け巡っていた時期に新聞は大歓迎されるのだが、官軍寄りの主張をする新聞は新政府軍によって言論統制の対象となる。それこそ新聞の大本営加担は明治初期にも起こり、それから幾度も繰り返されるのだ。その中で「官許」を得た新聞が東京、大阪、京都を中心に各地で芽吹く。「横浜毎日新聞」(1870年12月創刊)、「新聞雑誌」(1871年5月)、「東京日日新聞」(1872年2月)、「郵便報知新聞」(1982年6月)。横浜毎日は神奈川県知事の井関盛止良が音頭を取り地元の人に発行させた。東京日日は娯楽小説作家の篠野伝平ら3人が資金を募って創刊にこぎ着ける。その後、政党機関紙化した大新聞は軒並みよろめくことになる。東京日日に至っては一貫した漸進主義、天皇主権論を唱え、政府の代弁者と見られたことにある。読者は目減り、朝日新聞が殴りこみをかけてきたなどから経営難が訪れる。1886年12月には発行人の福地源一郎の名前が紙面から消えるのだが、新聞経営者は経営難に見舞われたとき、主義に殉じて新聞を道連れにするか、主義に目をつぶって売れる新聞に変えるか、そのいずれかの選択に迫られるがどっちも嫌だとなると経営を明け渡すしかない。福地は自分の信念を貫いた言論人だったのかもしれないが、信念に生きようとする新聞経営者は「前垂れをつけなくては新聞経営は成り立たない」という流れが、平成の現在でもルール無視の乱売やワイドショー的な報道姿勢というように商業化していると言える。

 この本は著者が毎日新聞社を1980年に退社し、大阪経済法科大学の客員教授の時代に書いたもので、37の文献を引用または参考にして書いてあるので明治の新聞(新聞社経営)の移り変わりが分かりやすく書いてある。あとがきにはこう記してある。「新聞はなんと人間に似ていることか」新聞史を振り返ってみてつくづくそう思う。時には感動を誘うまでに気高く理性的であった。時にはその言動は溜息を催すほどまでに動物的であった。雄々しく権威や時流に逆らったかと思うと、いじましく人気や評判を気にし、生きるために節を屈したことさえあった―。
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2006年06月14日

中国のみならず、新聞は革命を企てる指導者の言論活動から端を発する

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中国新聞史の源流
著者 孔健(批評社)2,400円

 中国四千年の歴史の中で、あの広大な土地でどのような情報伝達が行われたのか興味のあるところである。中国における新聞の歴史を調べようと読んでみたが、中国新聞史の源流というよりは辛亥革命(1911年〜1912年)での孫文などの「中国ブルジョア革命派」の活動などを主に記してある書という印象。

 中国で最初に発刊された月刊誌は『東西洋考毎月統紀伝』で、主宰者はイギリス人のグラッツラフであった。1833年、広東で発刊され、のちにシンガポールへ移り、4年間を経て1837年に停刊する。最初の週刊誌は『中外新報』で1858年香港で発刊された。この新聞は、週刊英字紙「┿品鵝ハシイロウホウ)」の中国語版で、イギリス人のA・ショートリードが主宰し、1876年2月1日には日刊紙となった。最初の日刊紙『昭文新報』が艾小梅(エーショウメイ)により発刊されたのは、1873年、漢口においてだったという。

 あとがきには、著者が上智大学大学院新聞学科に提出した修士論文であって、原題は「辛亥革命前後の中国新聞」だという。中国新聞史のルーツを探るという趣旨ではなかったので、呼んでいて間抜けをした感は否めない。孔子の75代の子孫である孔健(著者)は他にも「儲けることにきれい汚いはない」(講談社)、「日本人と中国人どちらが残酷で狡猾か」(徳間書店)などの著書があるが、個人的には中国人と日本人のイデオロギー的な部分を誘導する論調が強すぎるという感じがする。
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2006年05月29日

見えづらい新聞の評価基準

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ネーダー機関 米国新聞へ挑戦する −読者による新聞改革−
著者 ラルフ・ネーダー(訳者)酒井 幸雄(学書房出版)1,300円

 アメリカ消費運動の旗手ラルフ・ネーダーとディビット・ボリヤーがネーダー機関を動員して“新聞の虚像”を赤裸々なものにし、これまで、どこからも試みられることがなかった「読者による新聞改革運動」を提唱した書籍。アメリカの新聞経営者に「新聞王国への挑戦状」として書かれたものを日本版にまとめたものである。

 アメリカ新聞産業の実態への批判、新聞権力への挑戦をその責任体制まで追及した構成になっているが、日本人は何となくアメリカの新聞を「正義の象徴」であるかのような神話化されたイメージ持っている。それはベトナム戦争機密文書の報道やニクソン元大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件に代表されるワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙のブランド力にも影響されているのだろう。しかし、一握りの新聞がそうだからといってアメリカの新聞が絶対正義の新聞であるかどうかは別な問題だと著者は指摘し、その多くは大衆の側に立った言論機関としてよりも、利潤追求を第一とする巨大な特権的産業へと変貌していると警笛を鳴らす。日本の憲法にもあるがアメリカの憲法修正第一条には「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止する法律、また言論および出版の自由を制限し、または人民の平穏な集会をし、また苦痛事の救済に関し政府に対して請願をする権利を侵す法律を制定することはできない」(日本語に分かりにくい)とあるが、「新聞の自由」がすべての政府権力の行使から保障されるや、この“自由”が盾になり、資本主義の道を急進したほかの産業と同じような利潤追求を第一とする特権産業へ向かわせるのだと説く。日本でも新聞のみならず米国化に向かっていることは言うまでもない。

 アメリカと日本の新聞産業を比較した場合、資本、経営、販売、編集などの点で、かなり異なった体質であるが、共に「新聞の自由」の中で、強力な第四権力としての聖域を確保し、君臨していることは否定できない事実である。しかし、権力というものは、それを監視するものがなければ腐敗するのが常である、民主国家における三権分立制は、権力の集中による力の乱用を阻止し、その均衡をはかる英知から出発している。日本の新聞にはイギリスやドイツのような「まともな報道評議会」なるものはなく、自主規制に委ねられているのも問題であろう。
 新聞に対する読者の評価やその手法については、一つは購読部数の増減として表れるものなのだが、紙面内容ではなく高額な景品や無代紙などオマケにした販売過当競争が横行しているため、読者が紙面の優越を判断した結果が表沙汰になることは極めて難しい。もう一つは読者からの紙面に対する意見の受け皿がなく、双方向性がないために「市民と記者の感覚のズレ」は拡がるばかりである。

 訳者があとがきの中でこう記している「新聞の使命を云々をするまでもなく、新聞が言論機関の中枢として期待される任務は重く、大きい。それはまた、読者の信頼という裏づけがなければ果たしえない使命でもある。そのためには、新聞自信が過去の無謬性の主張、聖域意識を一擲し、新聞の自由が社会的責任に裏付けられた点を自覚、開かれた新聞の建設的提言には謙虚に対応すべきであろう」。

 この書籍が発刊された1982年から「何も変わっていない」のは新聞産業だけなのかもしれない。
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2006年05月11日

なかなか改善しない新聞販売店の労務事情

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新聞販売の労務管理(改訂4版)知っておきたい労務の知識
編著:日本新聞協会 販売委員会・販売労務専門部会  定価500円

 今日、職場で配られました。新聞協会が発刊する労務管理のマニュアルの改訂版です。
 「取っ替え、引っ替え」責任者(店主サン)が代わる新聞販売店において、キチンと労務管理(衛生管理者などの資格を持った)を身につけた方が、その任に就くとは限らないので必要なマニュアルなんです。このマニュアルに記されている通りに労務管理をしていれば、働く側も気持ちよく働けるのですがねぇ。第1章から8章まで当たり前のことが書いてあるのですが、零細な販売店では「到底無理」。専売店であれば、その新聞社が協同組合のような受け皿を作ってやらなければ、健康管理や職場環境、外国人の就労の手続きなどは無理です。労働基準法もなかなか守られていないのが実情ですから…。

 ページを開いたら、目次の前に新聞協会販売委員会の飯田真也委員長の名前で「改訂4版の刊行にあたって」という挨拶文が掲載されています。

 新聞特殊指定の見直しが議論されている折、もし特殊指定が撤廃されれば、戸別配達網が崩壊し、国民の「知る権利」が損なわれるのではないか、との懸念の声が多方面で聞かれます。新聞が基幹メディアとして今後も発展を続けていくためには、維持していくことが必須の条件であることは、言うまでもありません。そして、この戸別配達制度を支えているのは、新聞販売所で働く人々です。戸別宅配制度に影響を及ぼすような外からの動きに、き然と立ち向かうとともに、われわれの努力で日ごろから、新聞販売所の労務改善に積極的に取り組み、新聞を支える基盤整備をさらに進めていかなければなりません。
 新聞協会販売委員会は、その一環として…


まさに特殊指定一色…。
「戸別配達網に影響を及ぼすような外からの動きに、き然と立ち向かうとともに…」
うぅーん、マインドコントロール?
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2006年04月30日

新聞は、自らを糺せるか。

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乱気流(上・下)
著者:高杉 良(講談社)1,700円(上・下巻とも)

 日本経済新聞社の社内に噴出する問題点、バブル経済からその崩壊までの「失われた10年」を著者が丹念に取材を重ね、巨大化した新聞産業に一石を投じた小説。

 主人公の倉本和繁を介して、1988年から2004年までの日本経済の流れが分かりやすく記されている。リクルート事件やイトマン事件、山一證券等の経営破たん、大銀行の合併劇、竹中平蔵の影響力…。そして巨大新聞社長の汚職が判明し…。
 新聞業界では正論を唱える人間が「異端児」扱いされてしまう変わった世界。横柄な取材方法の実情や偉ぶる新聞記者、各新聞社間での「抜いた、抜かれた」にエネルギーを注ぎ、新聞協会賞を勲章とする体質など、新聞業界の裏側が主人公の視点を介して伝わってくる。

 かなりの長編だが、それぞれの出来事について掲載された新聞記事も引用されているので「当時を振り返る」テキストとしても十分活用できる一冊だ。

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2006年03月22日

合理化に精を出した結果、読者を失った地方紙

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マスコミ黒書
著者:日本ジャーナリスト会議(労働旬報社)480円

 1968年初版発行。サブタイトルが「マスコミの黒い現実を告発する」とあるように戦後から60年安保までの日本のマスコミが伝えてきた真実とは何か?を検証する告発本。国民の知らないところで真実の情報が消されている様を古在由重(哲学者)、城戸又一(大学教授)、塩田庄兵衛(大学教授)の3氏を中心として、新聞、放送、出版などマスコミ全般に渡るマスコミ労働者の苦悩と歴史とそのメカニズムに触れながら、商業化したジャーナリズムの本質を追求している。

 「真実の報道を通じて新聞を全国民のものとする努力は、いま新聞労働者の日常の活動とならなければならない。新聞を通じて戦争の危機を防ぎ、平和と民主主義を守り、国民の生活向上のために現在の新聞労働者が果たすべき責任は重大であり、われわれに対する国民の期待は極めて強い。われわれは新聞を独占資本が国民を収奪する道具としていることに抵抗しなければならない。われわれは日常報道するどんなに小さな記事、写真もそのまま国民生活につながるものであることを自覚しているが、いまやこの自覚を行動に移さなければならない。記者編集者の一人一人から、工場・発送の一人一人まですべての新聞労働者が『真実の報道を通じて新聞を国民のものにする闘い』に意識的また組織的に取り組まねばならない」。新聞労連が1955年に開催した第6回定期大会の運動方針である。また、1957年10月には「新聞を国民のものにするたたかい」をスローガンに第1回新聞研究集会が開かれている。報道の民主化には労働組合が大きく関わってきた。利益追求のために真実を捻じ曲げる経営側と闘ってきたからこそ、読者に支持をされ「紙面の信頼」を得てきたーと続く。

 販売問題にも触れている。1950年新聞販売網の「自由競争」が再開される。日本の独占資本は全国的な規模の大新聞の復活を必要としていた。大全国紙はそれまでの共販制をとっていた販売制度をやめて、専売制の復活を強行して流通過程の支配に乗り出した。この中で、用紙統制と共販制に依存していた新興紙の大部分は大資本に吸収されるか、崩壊させられるかしていった。そのため、新聞の販売拡張競争はすさまじい激しさをみせた。販売地域の“縄張り”をめぐって販売店がヤクザの出入りもどきの争いを各地に展開した。販売拡張員は新規購読者の開拓、他紙購読者の横取りのために、人権を無視した勧誘競争を強いられた。
 販売拡張競争は新聞産業の高度成長の中で、その後さらに醜悪化している。1959年春の大手3社の北海道進出時は気狂いじみた事態が発生し「北海道進出では1部1万円の拡張経費を使った」(読売新聞・務台専務)

 大全国紙の独占強化の中で、地方紙は地域独占資本と結びつきながら市場防御に専心している。そして何よりも中央紙による侵略に戦々恐々としながら、地場資本との橋渡しをする”政界人”に貢いでいる。また記事の多くを通信社の配信記事にあおぎながら合理化を進めている。合理化に精を出しすぎたため、取材能力を失って、その見返りに読者を失っている例も少なくない―と分析している。

 現在、見直しが検討されている特殊指定の問題は、このような過去の実態があって制定されたもの。規制がなければ「大資本に飲み込まれる」ということは歴史が実証している。
 資本主義経済が立ち行かなくなってきている昨今、0.4%の人間が70%の金を掴む構図にさらに拍車をかけるのが米国主導の規制緩和政策であることに間違いは無い。その中で、新聞の規制緩和は単に情報伝達方法のあり方などという視点ではなく、言論機関の縮小という観点で議論しなければならないと思う。
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2006年03月19日

「推進」中日新聞経営側と闘い抜いた東京新聞労働組合の歴史

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年々歳々五月の空の如く―東京新聞争議の十年―
著者:東京新聞労働組合(民衆社)980円

 第二次世界大戦敗戦後、言論統制を強いられてきた新聞社にも民主化が訪れ、労働組合が旗揚げられた。しかし、その後、レッドパージ、60年安保闘争などにより新聞労働組合の運動も経営側による弱体化工作を受け、しだいに企業内労働組合活動へとその道を辿っていく。
 しかし、その中でも東京新聞労働組合は中日新聞社による弾圧に屈せず、闘い抜いた東京新聞労組の歴史書

 1963年11月20日の東京新聞社は臨時株主総会を開き中日新聞社との業務提携が承認される。そこから中日新聞社の経営陣と東京新聞に勤める組合員との熾烈な闘いが繰り広げられる。中日から来た鈴木充副社長は組合敵視の労務政策を展開し、分派育成工作(第二組合立ち上げに協力)、スト対策で暴力団まで駆り出しロックアウトを強行、機動隊の導入など…組合への弾圧は非常極まりない。

 その後、東京新聞労組を脱退しない従業員に対して、昇給昇格などの差別や配置転換が行われる。そのすべてにおいて粘り強く闘った組合側に労働委員会も裁判所も組合勝利の判決を下したが、中日新聞社に営業譲渡をされた時点で500名いた組合員は無法な組合攻撃によって124名にまで減少せざるをえない想像を絶する闘いであったのだ。

 東京新聞労働組合は、今もなお中日新聞社側と争議を抱えている。今後もその闘いの歴史は、機関紙「推進」に残されていくだろう。

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2006年03月10日

ブログは新聞を殺すのか

 書籍というより週刊誌の紹介を!
 勤める会社で取り扱っている「ニューズウイーク(日本版)」を定期購読しているのですが、昨日届いた3・15号の特集は「ブログは新聞を殺すのか」。時事通信の湯川さんが書いた「ネットは新聞を殺すのか」のパクリ?と興味津々ページをめくってみました。
   紙.jpg      裏面.jpg
 ネットの急速な進化が名門ニューヨークタイムズをも存亡の危機に。激動の最前線アメリカからニューメディアの未来について「ブログは新聞を殺すのか」、「紙のニュースが燃え尽きる日」、「市民メディアの夜明けが来る」の3部構成で報告されています。
 新聞の王座を脅かすブログと巨大ポータル。アメリカの日刊紙の発行部数は80年代からその落ち込みに歯止めがかからず廃刊する地方紙も多いーとデータをもとに分析。「EPIC2014」の説明も掲載されています。
「ニュースの価値判断が新聞の未来を左右する」と新聞の可能性について触れている箇所を引用します。

「新聞には関心の異なる多くの読者の欲求に応えなくてはならないというハンディもある。テーマごとに細かく分かれているニュースサイトやブログには、そうした悩みはない。自分の興味ある分野のニュースだけ表示したり、電子メールで送ってもらうようにすることも簡単だ。だたし、すべての読者がそれを求めているかどうかはわからない。自分が知りたいことより、他の人々が何を知っているかを知りたいからではないか。新聞の未来は、紙のままであれ電子化するのであれ、そうしたニュースの価値を判断するメディアとしての存在意義をどれだけ認めてもらえるかにかかっている」

「読み手同士の無限の対話を可能にするブログは、民主主義に欠かせない自由な議論を促すという点で、新聞にとってこれまでで最も手ごわいライバルかもしれない。逆に主観的な意見にこそ価値があるブログの普及は、客観性を武器とする新聞の必要性を読者に再認識してもらうチャンスかもしれない」

 日本とアメリカでは歴史も文化も習慣性も違いますが、ネットの普及と新聞離れをアメリカ事情と同じに扱ってはいけないと思います。宅配網にあぐらをかいて「読者から離れていった」日本の新聞。復活をかけて紙面内容の工夫、販売の正常化に早急に取り組むべきだと思います。
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2006年02月27日

反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機を回さない」ことを誓おう

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知識人・言論弾圧の記録
著者 黒田 秀俊(白石書店)1,500円

 日中戦争から太平洋戦争までの「態勢の右傾向化と知識人への弾圧、言論統制」について、日本のジャーナリズムの反省と現在の平和憲法下における言論の自由の大切さを訴える1冊。1976年の発行。
 桐生悠々の論説に対する弾圧や「世界文化」の中井正一新村猛、真下信一、ねず・まさし、久野収、和田洋一らの検挙などの経緯が書かれている。軍に対する批判は統帥権の干犯になり、いっさい「問答無用」であった。昭和に入って言論、報道の自由に対する制限が拡大していく。

 新聞も結果的に大本営発表を垂れ流し、戦争を賛美したとのだが、戦時中は軍部や官僚がナチスばりの統制を真似て新聞を政府の手に取り上げようとの企てに抗している。1940年には「新聞一元会社案」を持ち出してくる。内容は@現存新聞社の社屋、土地、機会など、一切の有体財産を営業成績その他の総合評価によって新聞共同会社に帰属A新聞は共同会社より有体財産を借り受け、会社の任命する社員によって新聞を発行するB通信はドイツのDNBにならい、すべて同盟通信社より提供する―というもの。これには朝日、毎日、読売が猛反発し、政府も軍も撤回する。

 新聞社も新聞用紙の配給確保のため、翌1941年に社団法人日本新聞連盟(田中会長)を発足させ、政府から情報局長など要職に迎える。連盟の事業は@言論報道の統制に関して政府に対する協力A新聞の編集ならびに経営の改善に関する調査B新聞用紙その他資材の割当調整―を掲げている。各新聞者の入・退会は自由であったが、資材の割当に影響するため全国の新聞は否応なく加盟させられる。用紙を含む資材の配給と共販制度、広告統制は大新聞にとっては少なからぬ犠牲であったが、地方紙にとっては大きな恩恵だった。理由は、自由競争が続けば用紙はもとより新聞発行資材の欠乏によって地方紙は発行不能に陥ったかもしれないし、共販制度により大新聞の地方侵略を阻止し、広告統制も地方紙の収入を一応安定させたからだ。

 つぎに政府が出してきたのが「一県一紙制と新聞一元会社案」である。狙いは全国新聞統制会社の設立にあったとしている。連盟の理事会では地方紙6社はいずれも賛成。中央紙では報知と国民が賛成だったが、朝日、毎日、読売は反対を表明した。理事会はまとまるわけもなく打ち切り。小委員会で具体案を作成することになるが、新聞社側を完全にシャットアウトされる。読売の正力氏が「これが通れば新聞の自由はなくなる」と最も抵抗したといわれている。しかし、その政府の共同会社案も反対した三紙が廃止に持ち込んだのだ。ただし、理事会では以下の田中会長裁定した案を無条件で承認。政府もそれを採択(新聞事業令の公布)することになる。@新聞社はすべての法人組織とし、その株式または出資は社内従業員の保有に限定するA新聞経営には適正利潤を認め、その配当は一般国策会社並みとするB新聞発行はすべて許可主義とし、その首脳者には一定の適確条件を設けるとともに、他の営利事業との兼業を許さないC社団法人日本新聞連盟を強化して統制機関とし、官庁権限もそれに委譲して新聞の統制整理を助長するD別に新聞共同株式会社を設立し、統制機関運営上の財政処理機関とするE新聞を国家の公器たらしめるとともに、その個性と特色を尊重し、その創意と経験を活用せしめ、用紙その他の資材供給に便宜を与え、租税公課の負担につき特別優遇を与えるF以上の実行にあたっては法令制定の要あるもの少なからず、政府のしかるべき措置を期待する―著者は三紙が足並みをそろえて抵抗したことの成果と記している。

 1942年には内閣の告示で全国104の日刊紙が新聞会会員として指定され、2月5日に日本新聞会は発足する。新聞共同会社案に代わって出現した日本新聞会は中央も地方も大多数の新聞が“好まぬ相手との合同を強いられ、題号を変え、組織をあらためて”再出発しなければならなかった。東京では「報知」が「読売」に、「国民」が「都」に、「日刊工業」が「中外商業」に合併され、「読売報知」、「東京新聞」、「日本産業経済新聞」に看板を塗りかえた。大阪は「大阪時事」と群小新聞を統合した「夕刊大阪」が合併して「大阪新聞」に、同じく業界紙を統合した「日本工業」が「産業経済」と改題した。名古屋では、多年競合しあっていた「新愛知」と「名古屋新聞」が合併して「中部日本新聞」となり、「福岡日日」と「九州日報」が一緒になって「西日本新聞」、「北海タイムス」以下北海道の全新聞が統合されて「北海道新聞」となり、各府県とも、すべて一県一紙に整理された。この結果、それまで104あった新聞社の数は54社になった。これを強行したのが特高警察と新聞会であったと…著者の解説は続く。

 戦時中の言論統制の歴史をみると新聞もさまざまな弾圧を受けながらも闘ってきた。しかし、権力には立ち向かえなかったのだろう。反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機は回さない」ことを新聞人は誓うべきだ。
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2006年02月11日

批判というものは、傷を負う覚悟でないとできない

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新聞が衰退するとき
著者 黒田 清(文芸春秋)1,000円

 故黒田清氏が、1987年1月10日付けで読売新聞社を退社した同年8月に発刊された。「黒田ジャーナル」を創設し、戦争や差別社会に反対する視線でミニコミ紙を発行するなど草の根ジャーナリストとして活動を続け、2000年7月23日に永眠するまで「記者魂」を貫いた。
 その著者が、読売新聞(マスコミ)を去って、「マスコミ生活35年間の卒業論文」のつもりで書いたという1冊。

 読売新聞社に記者として在籍した35年間、黒田氏率いる「黒田軍団」の実績は凄まじいものだ。しかし、ナベツネは黒田氏を「目の上のたんこぶ」と取材現場から追いやった。当時、中曽根首相とべったりの読売新聞東京本社。同じ読売でも大阪本社の「黒田軍団」が政府を叩きや警察を叩く“まともな”紙面展開が気に入らなかったのだろう。
 黒田氏は「読者を大事にする新聞社とは、新聞記者の一人ひとりを大切にする新聞社なのである」と述べ、新聞社では記者の方が社長より“偉い”のだと言い切る。そんな黒田氏が読売新聞社を去る理由はナベツネとの確執に違いない。黒田氏は続ける「記者を大事にできない組織、社長の意見以外の意見が言えない組織は、社会をよくするために存在する新聞社ではなく、活字で埋まった新聞を発行している会社にすぎない。またそういう会社で働くものは、新聞記者ではなく、新聞社の社員であるにすぎない」と。読売新聞に「新聞が衰退するとき」を感じて、船(大新聞社)が沈没する前に逃げ出すネズミのようにマスコミから去った―とあとがきに記しているが、やはりジャーナリズムは大組織においては抹殺されてしまうのだろうか。

 黒田氏とは13年ほど前に仙台で開催されたマスコミフォーラムへ講師として来ていただいた時に話をしたことがある。夜の飲み会にも付き合ってもらった。こちらは販売労働者なので、読売新聞の不正常販売について質問すると、「社内でも水増し部数について、みんな黙認しよる。言えば(正そうとすれば)飛ばされる。読売はそんな会社や!」と大きな声で話してくれたことを今でも忘れない。
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2006年02月09日

売れる見出し? 新聞紙面は勢いじゃないのだ

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「虚報」の構造
著者 真神 博(文芸春秋)1,300円

 新聞はなぜミスリードをするのか?
 昨年は、大分虚偽報道が相次いだ。おおよそ記者の処分で、その捏造記事(虚報)をご破算にする新聞社なのだが、その根底にある「いいや書いてしまおう」という発想は何故?生まれるのだろうか。

 なだしおー第一富士丸衝突事件や戸塚ヨットスクールの集団リンチ事件では、虚偽の証言を鵜呑みにした新聞記者の実態と真実追求を怠った新聞社の取材体制の足りなさを指摘。ベトナムの二重体児(ベトちゃん・ドクちゃん)を救え!というマスコミのキャンペーンを実は政治家が利用していたことなどを追及。さらに、強盗を追走して逆に刺殺された大学生の報道をめぐって、実は「死因はいくつもの病院をたらい回しにされたことによる出血多量によるもの」であることが判明。事件を美談化するマスコミの報道姿勢を検証している。

 この書籍は17年前に書かれたものだが、その当時から「抜いた・抜かれた」という速報的な紙面競争と、より売れる紙面(見出し)、読者に感動を与えられる紙面を勝手な思い込みで書いた記者の穿った発想は続いている。
 やはり、新聞が読者から離れていったのだろう…
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2006年01月27日

もう知らぬふりできない 新聞のブラックボックス

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新聞があぶない
著者 黒藪 哲哉(花伝社)1,785円

 以前、所属する労働組合の講演会にも参加していただいた著者が、新聞業界内のブラックボックスとして存在する「押し紙」問題など実態とその“からくり”について書き記された「今月20日に出版されたばかり」の新刊だ。

 新聞社の経営構造やABC部数の問題、さらに新聞社と販売店の契約内容(片務契約)などルポルタージュらしく徹底した現場取材にもとづいた数字的な根拠が伺える。また、日本新聞販売協会の政府工作にもメスを入れ、日販協内にある政治連盟の動きなども報告されている。
 このような問題は長きに渡り新聞業界内に蔓延る問題だが、この問題については、ほとんどの新聞人が目をそらすのだ。自らの問題を追求そして改善できずに「何がジャーナリズムだ」という感情がこみ上げてくる。真のジャーナリストは組織内(新聞社)には居られないのだろうか…。

 著者は私論はこうだ。最近の新聞が右傾化している原因は、新聞経営者の「自らの新聞社経営の失策」が大きく影響しているからだ―と。

 読者がいない新聞=「押し紙」が、日刊紙の総発行部数の3割に達し、読売新聞と同じ1千万部となったのだ。
 新聞人はもう知らぬふりできない
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2006年01月25日

ライブドアはリクルートのように復活できるか

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リクルートという奇跡
著者 藤原 和博(文春文庫)514円

 ライブドアへの強制捜査、ホリエモンの逮捕社長辞任… 
ライブドアの株価操作、粉飾決算など一連の事件に関する報道は少々加熱しすぎだと感じる。以前、辺見庸さんの講演を聴いたときに「マスコミは事実よりも真実を伝える役割がある」という言葉が印象的だったことを思い出す。事件の真実は「人の心は金で買える」というマネーゲーム?でのし上がった若手IT企業家ホリエモンに対する「手法」だけが事件の真実なのだろうか…。

 というわけで、以前にも経営陣の不始末で企業が大打撃を喰らった事件があった。国会議員をも巻き込んだリクルート事件。著者は25年間リクルートの社員として、会社の盛衰を見てきた。幾度かの危機を乗り越えながら再生したリクルートは、リクルート事件、リクルートコスモスの大赤字、ダイエーによる吸収などを乗り越えてきた。そのような試練にもめげずに自力再生できたのは、リクルートマンシップという従業員のエネルギーだといっても過言ではない。それもリクルートはアルバイトが企業を動かしているというのだから普通の縦割り組織に甘んじている体質は持ち合わせていないのだ。常にフレッシュな職場環境が仕事のペースを高め、そして速めているのだという。最強の営業力にはうなづける。

 リクルート社も常に最先端のビジネスシーンに登場してくるが、やはり働く従業員のモチベーションが企業活動を支えているから成り立っているのだ。ワンマン経営者の力だけでは、一時大きく成長するかも知れないが、長くは続かないのである。
 ライブドアの従業員も会社の危機によって、不安定な生活を余儀なくされるかも知れない。しかし、リクルートの従業員ようなモチベーションがあれば危機は乗り越えられる。ライブドアの再生を期待したい。
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2006年01月19日

借金大国ニッポン すべてがご破算にされる日は近い

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最後の2年
著者 浅井 隆(第二海援隊)1,400円

 日本の財政はすでに破綻している。著者は叫ぶ「日本の借金構造は100年経っても返せない」と。
 2005年に発行されたこの本の題名「最後の2年」の意味は、2007年から国家破産時代が到来する前に財産を海外(外貨)へ移しておくことを指南している。そして、その裏づけが理論的にしるされているのだ。
 このような現状をなぜマスコミ(特に新聞は)が報じないのか?大きな疑問だが、戻るあてのない国債の全面広告を掲載する新聞社が「国債は危険である」とは言えないのだろう。その状況を知らないお年寄りなどは「国が発行しているものだから」と言われるがままに国債を買わされている。酷いものだ。
 先日の新聞各紙に「個人向け国債販売が7兆円超す(2005年度は過去最高)」という見出しで、昨年度の個人向け国債の販売額が過去最高であったことが報じられている。前年度より6.6%増え、7兆円を超えたそうだ。そして、著者の指摘と相反する内容が紙面に掲載されており「(国債販売が過去最高になった背景は)相対的に利回りが高い安全な資産として人気が高まっているためで、満期を迎えた郵便局の定額貯金資金なども流入しているもようだ。国債の残高に占める個人の保有割合は05年度末には4%を超える見通しで、10%程度が主流の欧米に近づきつつある」と大手紙のみならず、通信社を経由して地方紙も大々的に報じているのだ。果たしてマスコミ(新聞)と著者の主張とどちらが正しいのか?

 すでにトヨタやキャノンは本社を外国に移す計画を立てており、個人資産も海外へと流れている様を報告している。さらにインフレ時代への突入により「徳政令」(いわゆる預金封鎖)が起きる可能性を示唆している。著者は早くとも2010年から2012年(IMFが乗り込んできた場合は2015年から2020年だという)の間にハイパーインフレが引き起こり、大混乱を招くと述べている。
 米国の状況についても詳細に報告されており、日本との関係(どちらかが破綻すると連鎖する)についても記されている。
 
 このような借金大国に至った責任は誰が取り、そのツケは誰が払うのだろうか…
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2006年01月11日

商品が売れるのは営業マンの力ではない

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やっぱり変だよ日本の営業
著者 宋文州(日経BP企画)1,500円

 これまで、さまざまなビジネス書を読んできたが、「右肩上がり」の時代に登場してきたビジネス書とは全く異なった視点で「売り上げの減を営業マンのせい」にしている経営者の考えを改めさせる指南書。
 戦後の日本の高度成長は、休まず勤労に励んだ製造業労働者の功績が大きい。その後、家電製品などを中心に需要の拡大とともに企業の営業活動が定着してきた。トップ営業マンの「美談」や成功事例を真似し、「頑張れば何とかなる」といった精神論が営業マンに浸透し続けてきた。いやそれが当たり前であり、常識だと教えられてきたのだ。経営者も市場や消費者動向と向き合わず、営業マンの努力による「目標達成」が経営を支えていると信じてきた。しかし、世界でも、日本でもセールスの力に頼って成長し続けた企業はない。

著者の言葉からこれまでの営業(精神論)とこれからの営業を感じる一説を紹介する。
●結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな結果が生まれるでしょうか。
 まず、社員は本当の情報をあげなくなります。どうせ結果が悪いと怒られるだけですから、あげても意味がありません。
 次に、管理職は怠慢になります。根性を入れてやれば何とかなると思い込み、戦法・戦術の研究を怠り、効率悪化を放置します。
 最後に、経営者は傲慢になります。モノが売れるかどうかは営業マンのやる気次第だと信じ込んで、自社の事業や製品の社会的意味を問わなくなり、顧客の気持ちを無視してしまいます。
 また、結果にしか興味がない営業管理をしていると、どんな企業になるでしょうか。
 まず社員は、モチベーションが下がるでしょう。会社側は戦略、事業と仕組みについて努力しないのに、社員には犠牲を強いるからです。
 次に人材が育ちません。精神論信者が増え、管理職は権威と権限にしがみつき、井の中の蛙になるからです。
 最後に、経営者は裸の王様になります。過去の成功を人格やカリスマ性に結びつけ、その威厳を振りかざして組織を追い立て、営業現場や顧客の中で起きている小さな変化を読み取ろうとしなくなるからです。
●売り上げは「天時、地利、人和」(孫子の兵法)の総合結果です。決して営業マンの努力だけではありません。
 ビジネスで言えば、時代の流れに沿っているかどうかです。時代に合わない商品はいくら頑張って売っても淘汰される時間を先伸ばしにしているだけであり、しょせん消えてしまいます。
 戦いに勝つために次に重要なのは「地」の利です。これはビジネスでいえばマーケティングです。ビジネスの「地」はもはや目に見える地理的な「地」ではなく、商品の存在価値を示すマーケットにおける位置の「地」です。時代に合うビジネスであっても皆が狙っているので、自社の身の丈に合うかどうかも研究せず、手当たり次第にやってしまうと必ず戦いに敗れてしまいます。
 三番目に重要なのは、人の「和」です。この人の和を「組織力」「団結力」と解釈したがる人は多いのですが、実は「和」にはもっと広い意味が含まれています。「和」には「集中」と「共有」という意味もあります。したがって、今の社会環境下では「理念の共有」と「情報の共有」と解釈すべきでしょう。
 つまり、時代に沿ったビジネスを行い、市場での位置を明確に打ち出し、全社レベルの理念共有と情報共有を実現している企業こそが勝つ企業です。
 勝つための条件を無視し、負けた理由を営業だけに求める経営は怠慢であり、営業の本質を知らないのです。営業とは「天時、地利、人和」の集大成であり、企業活動そのものです。営業は営業部門だけの仕事であると思う企業は、本当の営業活動をしていません。それで成り立ってきた企業は、営業の要らない時代を生き抜いてきた企業か、営業の要らない商品を作ってきた企業です。
●営業の本質は「売る」ことではなく「知る」ことにあります。「今、何が起きているか」、「何を提供売れば顧客が得をするか」を知ることが営業の本質です。

著者は訴える。
・われわれはもっと売らないことの重要性を認識すべきです。
・われわれはもっと撤退することの重要性を認識すべきです。
・われわれはもっと売り上げから利益にシフトすべきです。

そして、
・押し売りは日本の経済を蝕んできた。
・過剰サービスの偽善は、営業の効率を悪くしてきた。
・モノ作りへの過剰意識は、日本企業の営業力を弱くしてきた。
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2006年01月09日

時の流れに身を任せていて本当に…良いのですか?

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子会社は叫ぶ
著者 島本 滋子(筑摩書房)1,800円

 ノンフィクションライターである著者が、グローバリズムの名のもとに進められる規制緩和・構造改革・企業再編成をキーワードに、強引な改革の裏側ですべてのしわ寄せが「子会社」にあてがわれている実態を提起したルポルタージュ作品。「市場原理」=「人間の使い捨て」がまかり通る日本社会へ警笛を鳴らした1冊。

 厚生労働大臣の諮問機関が「低コスト体質への転換」を提言し、それを受けた航空会社が「持続的な低コスト体制の実現」を子会社に求めた。親会社の要請を受けた子会社は、孫請けへの業務委託打ち切り、労働者は時間給のアルバイトに置き換えられた。いま、雇用政策の基調となっている規制緩和路線。その先駆けとなった航空業界では「人間の使い捨て」と「安全の切り下げ」が同時進行している実態を暴いている。

 1993年、自民党単独政権が崩壊し、細川連立政権が誕生した。「生活者大国の実現」を掲げた政権は構造改革に着手し、その改革は2001年に生まれた小泉政権に受け継がれている。しかし、改革の美名を一種の目くらましとして、着々と作られてきたものがある。それは「柔軟な労働市場」と呼ばれるものである。柔軟とは何のことなのか?雇用の流動化とは、働く人が流れ動くこと。それを経営の立場から見れば「硬直した規制に縛られることなく、自由に人を選び、自由に人を捨てられる市場」すなわち「柔軟な労働市場」とはこういうことだ。このような政策が雇用の安心を確保すると位置づけたのが、1998年当時の小渕首相の諮問機関「経済戦略会議」であり、議長は元アサヒビール社長の樋口廣太郎氏だ。この答申を皮切りに「労働者派遣法」「職業安定法」の緩和、持ち株会社を作りやすくした「産業再生法」も成立、翌年には「国際会計基準」も導入された。まさしく米国の後追いである。
 このような雇用形態の柔軟化は、労働組合の組織率をも引き下げる結果となる。通産省の通商調査室の「Q&Aグローバル経済と日本の針路」には、「労働組合の組織率が下がれば、経済は繁栄する」と明記してあるのだ。著者は「労働組合の存在意義は『賃上げ』よりむしろ、雇用労働者が多数を占める社会で『言論の自由』を守ることにあると思っている。会社に逆らえば簡単にクビを切られる。生活のためには理不尽があっても黙っていなければならない。そういう日常生活を強いられる人が増えて行けば、本当にこの日本で『言論の自由が脅かされる』のではないか」と警笛を鳴らす。

 会社分割制度(商法改正により2001年4月施行)にも触れ、それぞれの事業部門を「子会社」として切り離すことが簡単になる同制度は、「持ち株会社解禁」とセットになっており、いずれ企業に働く人達は「持ち株会社」に支配され「子会社の社員」になってもおかしくないのだ。いまのIT企業の株の買収劇そのものである。
 「子会社へ転籍」というのが新聞社でも起こっている。印刷部門を別会社化してその労働者を転籍させるというものだ。いま、下野新聞社(栃木県)が組合への合意も得ずに今年4月から別会社で印刷を始めるという。下野新聞労組は闘争体制に入り、裁判所への申し立てなどを行っている。
 転籍とは現在勤めている会社をいったん退職して別の会社へ籍を移すことだ。これまでは民法の規定で「本人の同意」が必要だったが、このような規制緩和、会社分割などでは、社員を転籍させることも自由自在になってしまった。だから、労働組合の役割が重要であり、労使で交わす労働協約が誰のためにあるのかを再認識する必要がある。「時の流れ…」に便乗して運動を縮小してしまっては、政府(官僚)の思うつぼなのだ。

 金子勝氏(慶応義塾大教授)と著者との対談で、いま日本の政府(官僚)が米国主導の下に進めている規制緩和の政策に一石を投じている。
「市場原理主義はリベラルでしょうか?民主主義とは多元的な価値を認めることです。しかし、市場原理主義は『効率』という単一の価値しか認めない。その意味ではむしろファシズムに通じるものさえあるかもしれない。いまの政策を続ければ、社会不安が起きて、日本は治安さえ不安な社会になりかねない。僕が本当に危機を感じているのは、大恐慌は結局、戦争でしか突破できなかったんです。いま、似た種類のことが起きているのかもしれない、スローモーションで…」
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2005年12月26日

無限の可能性を秘める新聞販売店

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ニューメディア時代に新聞販売店の明日はあるか?
著者 佐野 進(プレスセンター社)3,000円

 毎日新聞の販売店を経営する著者が1983年に発行した「新聞の将来」、「販売店が取り組んでおくべきこと」などの指南書。
 当時は「ニューメディア時代の到来」との言葉が流行し、新聞の個別宅配という情報伝達手段が電波やケーブルを使って読者に送られるシステムへの脅威が業界内外で大きな話題になった。文字多重放送、各家庭へのファックス普及、キャプテンシステムやCATVなど電波と有線(エレクトロニクス媒体)による「情報の速報性」への脅威だったのだろう。しかし、現代では速報性だけではなく、ネット(ブログ)による情報検索や双方向性などネットメディアからの影響は新聞の役割自体にまで及んでいる。

 販売正常化の問題も販売店の経営者らしく「なぜ正常化が出来ないのか」が詳しく書いてある。「部数の過当競争を続けていれば、新聞販売店の明日はない」と断言し、1964年4月に告示された「特殊指定」に関連して、業界に正常な販売競争(正常な競争とは価格や景品ではない)を公取委が求めた背景なども詳しく記されている。
 著者は「無限の可能性を秘める販売店」を実践していくのは「自分たち販売労働者だ」と述べ、発行本社から自立できないことを発行本社のせいや取引関係のせい、社会的地位のせいにするなと檄を飛ばす。「新聞販売業界を変えたい」という情熱に満ちた話は自分と重なり感銘する。販売店従業員の労働条件や社会的地位の向上に取り組み、優秀な人材確保をして行かなければならないと述べている。また、この時代に販売店が持つ顧客情報(データベース)の活用や、宅配事業へ進出すべき―などの指南は的確であり、20年経った現在に生かされている。

 時代は「ユビキタス社会」。新聞の役割はきちんと継続させながら、媒体が多様化する時代に新聞産業の将来を販売店労働者も「誰かのせい」にせず、行動していかなければならない。販売店の機能が「宝の持ち腐れ」とならないように・・・。
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2005年12月22日

再販制度の本質とその背景を見極める必要がある

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出版再販−書籍・雑誌・新聞の将来は?−
著者 伊従 寛(講談社)2,000円

 1995年から繰り広げられた出版物再販制度の議論に対して、公正取引委員会の委員として議論に加わっていた著者が、再販制度に関するさまざまな報告書や各国の出版再販制の現状などを詳しく解説している。
 一般商品を「物質文明」の所産という定義のもと、出版物は人間の独創的で多様な「精神文化」の担い手であるという違いを「消費者利益」の見地から『出版物再販制は必要』との理論で構築されている。

 著作物の再販制度が議論される背景には、日米構造問題協議(SII)で、日米間で独禁法への強化に合意したことが発端だ。1990年6月にまとめられた最終報告書の内容は@10年間に430兆円の公共投資を国民にはかるA高価な土地問題を解決するB流通での自由競争を促進するC独占禁止法を強化するなど。アメリカ側の措置としては@財政赤字削減A過度の規制の緩和B長期的に企業経営を促進するC輸出規制の緩和など―。要は日米の貿易赤字解消のためにアメリカが日本の市場経済に乗り出してくるのに困難な規制を取り払うことが目的であって、アメリカ型利益追求の競争社会を導入しようとする目論見なのだ。政府も「消費者の利益」やら「日本的市場の開放」を国民に煽り、価格破壊という言葉が流行った反面、失業率の増加や労働賃金の減少などが大問題となったのだ。

 1995年に公取委の「政府規制等と競争政策に関する研究会」(座長=鶴田俊正専修大学教授)の下部機関である「再販制度問題検討小委員会」(座長=金子晃慶応大学教授)が中間報告を公表したことから業界内外でさまざまな議論が交わされた。新聞については、中間報告書の第5部で「国民生活にとって欠かせない情報を購読者に対して、毎日、迅速に、しかも同一紙・全国同一価格という形で広く販売されること、すなわち戸別配達と関連があるとの指摘もなされている」として、新聞の再反制容認の理由に挙げられたものの、戸別配達が再反制なしに維持できないものではないとの議論が浮上。理由としては戸別配達制度は広告収入や部数を拡大していく上で有効であって、再販制がなくとも戸別宅配制度が消滅することはありえないとし、一部の専売店の経営が困難になっても複合店で対処できる。また増紙のために過大な販売経費を掛けている実態の中で、宅配維持のための支出はしていないとした。しかし、著者はこの内容を「現実的ではない」と批判。再販制度は同一紙の価格競争を持ち込むことなどで、販売店の労力が増し、他の販売店とも価格競争が起こり、経営が不安定になるのは必至迅速かつ確実な宅配制度は崩壊すると明言している。

【資料集】規制緩和小委員会が打ち出した規制緩和の意見。
『新聞レベルの維持』
●販売店レベルでの値下げ競争が行われることが、直接に、発行本社の経営悪化とはつながらない●発行本社レベルの価格競争が質の低下につながるというのは市場メカニズムを否定することであり、カルテルを容認することとなる●不当廉売は、それ自体で取り締まればよく、他の産業と区別する必然性はない
『選択肢』
●再販制度は流通段階でのブランド内競争を制限しており販売店間でブランド内競争が行われることとなっても、それがすぐに新聞社の倒産にはつながらない●そもそも、競争が即、寡占化をもたらすということは、市場メカニズムを否定することになる
『戸別配達制度』
●戸別配達制度を含めた流通制度も、消費者の選択に任せればよい●国民は戸別配達制度だけを支持しているわけではない●むしろ、戸別宅配と表裏一体となった厳格なテリトリー制のために、鉄道駅以外での販売が行われにくく、月単位でのセット販売が事実上強制されることになり、消費者の自由な選択が著しく阻害されている点を重視すべき●特に、首都圏においては、首都圏新聞即売委員会が中心となってまとめた即売網領に基づき、事実上コンビニでは一般日刊新聞は販売されていない●テレビ等、他のメディアの著しい発達、情報化の進展、多くのマスメディアが厳しい競争にさらされているなかで、新聞だけを不可欠な情報媒体として再販で保護し、聖域視する必然性はない
『再販の弊害』
●新聞業界では、価格設定が同調的に行われるなど、新聞発行本社間の価格競争が必ずしも十分とは言い難く、一般消費者の利益を損なっている●再販制度や告示で新聞販売店が購買者を値引きによって勧誘することができないことにより、新聞発行本社・販売店による過大な販売促進費支出や、過大な景品付販売等、非効率な取引慣行が生じている

 内容を精査すると“現実離れをしている発想”としか言いようがなく、机上の論議では限界がある。このような発想のもとに新聞特殊指定の見直し議論がされるとしたら、一番の弱者である販売店の従業員にしわ寄せが来るのだ。著者のあとがきには、「新聞の景品付販売など多くの改善すべき問題が残されていますが、これらは再販制の問題とは別に解決すべき問題」と結んでいる。
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2005年12月20日

ブログによって既存のマスメディア(幻想ジャーナリズム)が「炎上」される日も近い?

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ブログ・ジャーナリズム
著者 湯川鶴章・高田昌幸・藤代裕之(野良舎)1,500円

 自分もブログを始めて4カ月。著者の3名とも1回ないし2回お会いをして、話を伺ったり、酒を酌み交わしたが、この本を読んで更にそれぞれの考えの奥深さを感じた。
 第1部は「ブログ・ジャーナリズムの可能性」について、湯川氏がコーディネートして高田氏、藤代氏との対談がまとめられている。互いの考え(主張)がハッキリと記されており、対談でありがちな「妙なまとめ方」をしていないのが良い。興味本位や流行に乗って始めた初歩的ブロガー(自分も含めて)にはお勧めをしたい。
 第2部は「ブログと情報」と称し、ブロガー4氏による討論を掲載。マスメディアに対する意見やブログの役割・課題を提起しながら、「やっていて面白いことが一番」と締めくくられている。
 第3部は高田氏のブログ「ニュースの現場で考えること」の2004年12月27日〜2005年8月17日までのエントリーを掲載。巻末には著者3氏の「お勧めブログ」も載っている。一つひとつ開いてみると、それぞれのブロガーの考えが同じ目線で伝わってくる。「ブログ」発信はネット上なのだけれども「同じ目線」を読者が求めているのは間違いない。
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2005年12月17日

人生は山を乗り越えるたびに「信念を貫くか」、「立場を守るか」に立たされる

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クライマーズ・ハイ
著者 横山 秀夫(文芸春秋)1,650円

 今日、NHK総合で「クラーマーズ・ハイ」(主演は佐藤浩市)のドラマが前編・後編に渡って放送された。一昨年に出版された書籍を購入して、感じたとおりにドラマも争点を捉えており、久しぶりにじっくり観れたテレビドラマだった。

 書籍の内容については、1985年に起きた御巣鷹山日航機墜落事故をめぐって、地元紙の上毛新聞社に勤める新聞記者(悠木)と主人公を通じて新聞社の体質、親子・友人との絆が描かれた「勇気をもらえる」一冊。
 新聞社内の問題点もしっかり指摘されており、ジャーナリズムと新聞社経営、編集と販売という組織内での個人の葛藤が書かれている。
クライマーズ・ハイ=人生はさまざまな過去を持ち、それを乗り越えるためにまた山を登る。極限を通り過ぎると陶酔の境地を迎えまた更なる山を目指す。

 悠木デスクがスクープ記事の掲載(取材)による新聞の降版時間をめぐって、販売局長が「発行が遅れると販売店が迷惑をする」と一刀両断するシーンがある。
 その新聞(発行責任者)が読者に対して責任を持つならば販売店(宅配)は如何様にでも対応しなければならないと自分は思っている。なかなか新聞の役割や地域・読者への使命感のようなものは販売店まで浸透しづらいが、昨年起きた新潟中越地震の時に新潟日報の販売店が自分たちも被災しながら「新聞を配り続けた」という使命感を持てたーという話を聞いた。日本では新聞は配達されてひとつの商品になる。それぞれの新聞に携わる従業員が「誰のために」取材し、新聞を届けるのかという意識を共有している新聞社になりたいものだ。
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2005年12月10日

新聞を真によくするには、社会との協力が必要

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社会と新聞
著者 美土路 昌一(朝日新聞社)非売品

 朝日常識講座の第3巻として、1929年に発行された。明治から昭和初期までの新聞の価値、役割などが新聞関係法規(新聞紙法)などと照らし合わせながら、公共機関としての新聞が社会への貢献とその弊害を読者とともに「新聞研究」をするという観点で書かれている。
第1章は、社会的存在価値(報道の批判と供給・現代文化と新聞・新聞と国際関係・新聞と言論自由)。第2章は、新聞の反社会的影響(新聞の誤報記事・新聞の反道徳的方面・新聞の営利化問題)。第3章は、新聞記事の拘束(法律による拘束・日本新聞紙法の欠陥・軍事検閲と新聞・言論弾圧の三大国・新聞の自発的理論化・経営上の理論化)と綴られている。
 第1章の書き出しは「新聞のこの社会における存在の意義はこれを学問的に説明するよりも、まず実際問題として新聞がこの社会から消滅した場合を考えて見れば、それが何よりも一番直裁に総てを説明する」。また、第2章の「新聞の営利化問題」では、新聞社の営利化、商売本意の堕落ということは、他の反社会的影響とともに喧しく論議される新聞の一項目となっている。新聞は社会の木鐸といい、警世の機関というのは当たらぬ。その経営を度外視した新聞は現在においては、それが何かの団体あるいは組合または他の大組織の期間新聞でない限り、存立することは不可能である。然しながら、新聞を以って全然商品なりというのも又当たらぬ。いうまでもなく、その新聞紙の性質が公共的の機関であり社会文化と密接重大なる影響を考えるときにおいて、全然これを以って他の産業、商品と同一視することは極めて無謀な言であり、又最も危険な解釈である。然らば、新聞の営業化、商品化と云う事は如何なることになるであろう。実際現在において新聞紙の営利化と云うことは争われぬ事実である。今日の新聞事業は、昔のそれに比して実に隔世の感がある。前にも屡々述べた如くその新聞の報道戦は、社会の複雑を加わるにつれて、次代にその範囲を広むると同時に、その活動の機関は日に日に整頓し拡大するのは当然である。而して、激甚なる競争の結果は連日のニュース報道にして他紙に遅れるような場合ありとすれば、何人も最早やその新聞を手にせざるに至ったのはいうまでもない」。
 朝日新聞発行らしく、無代紙や赤紙などには触れず「報道における他紙との競争」に軸をおいた提起に止まっている。

 当時の書籍は「ルビ文字」が入っていても書き写すだけでも難しい。
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2005年12月08日

日曜夕刊廃止運動の歴史「小休符があるからいい音楽ができる」

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日曜夕刊がなくなった日
著者 田沢 新吉(講談社出版)1,500円

 現在のような情報産業が発展していない時期、新聞は市民への情報伝達に欠かせないものだった。現在は日曜・祝日、そして年末年始にかけて休刊になる夕刊だが、日刊紙の夕刊は1965年頃までは日曜日も発行され、販売店従業員はそれこそ362日(当時の夕刊休刊日は元旦、こどもの日、秋分の日の3日間)朝も昼も新聞の配達をしていた。
 新聞販売店を経営する高橋政次郎氏は、東京新聞販売同業組合の組合長(第22代目)に就任後、「次の世代の人たちのために」という方針を掲げ、週休制を求めて、全逓信労働組合の中央執行委員長宝樹文雄氏(当時は郵政も日曜配達廃止運動を展開していた)に協力を仰ぐ。新聞販売店のいわば経営者と労働組合が手を取り合い、日曜夕刊廃止運動を展開した。
 日曜夕刊廃止については、新聞販売店従業員の葛藤もあった。「新聞というのは社会の公器。休まないところに新聞の意義があり、われわれは一般社会人とは違って特殊な仕事をしているという“誇り”を持って頑張らなければいけない」と言い聞かせて、当時の新聞奨学生なども学業との両立を寝る時間を割きながら配達業務に従事していた。しかし、時代は高度経済成長に後押しされ、週休制が浸透、日曜日には「本日休業」という札をぶらさげる商店が当たり前になってきた。そこで週休制を一挙に実現することは難しいから、せめて日曜日の夕刊ぐらいは休刊にして欲しいという運動が、東京組合から各地の新聞販売店へと拡大して行った。新聞協会や新聞社への要請行動の始まりである。
 運動は大きく発展したのだが、読売新聞の当時業務局長だった務台氏は「読売新聞は絶対に日曜夕刊は廃止しない。理由はいろいろあるが、要するに夕刊を休めば新聞の使命遂行に支障をきたすからだ。読者にサービスを怠ったり、不便をかけることは社会の公器として通用しない。日曜夕刊を休まなければ、労基法に違反したり人道上の問題などというのは、私からいわせれば、むしろ逆で、代配によって週休制を完全に行うようにすることの方が、より大切なことだと思う」と表明している。全国紙では朝日新聞が1965年1月からとりあえず月2回(第1、第3日曜日)の夕刊を休刊し、休刊した分の増頁は当面行わないという社告を出した。この年から北海道、中日、西日本、東京も2月から隔週日曜夕刊の廃止を発表。信濃毎日、北日本、京都は1月から日曜夕刊全廃を決定する。同年4月からは新聞協会加盟社の40社が追随し日曜夕刊問題が決着したのである。読売新聞も「新聞業界全体のために大悟一番、2月から日曜夕刊を全廃」したのは言うまでもない。
 各社の社告を見ると「雨の日も風の日も、新聞配達に従事する新聞少年や新聞販売店従業員に必要な休養を与えるために実施したものです…」という理由を掲げた。これまでの購読料改定の際も「販売店従業員のため云々」という決まり文句を新聞社は掲げるが、この日曜夕刊問題を起点にして、すべてにおいて「販売店のために」というフレーズが使われるようになったと感じる。
 最後の章では10年間続いた日曜夕刊問題の総括が記され、なぜ10年もの歳月を費やしたかの理由に@各新聞社の増紙競争A個々の新聞社の社内事情B新聞販売店の団結不足C運動の進め方の抽劣さ―をあげている。新聞販売店従業員が「人間らしい生活を勝ち取ろう」と訴えた運動の歴史を後世につないで行かなければならない。

 
 ところでいま、新聞離れに拍車が掛かっている中で、特に夕刊を購読しない世帯が増え続けている。紙面の内容だけではなく習慣性の問題だと感じる。その意味では日曜日の夕刊の復活も全く無視できないと感じている。販売店の休みは休刊日の問題ではなく、若干のゆとりある人員確保が叶えば週休2日も実現できるのである。
 


 

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2005年12月07日

大本営時代を経験した先輩ジャーナリストの指南書

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ジャーナリズム入門
著者 日本ジャーナリスト連盟(銀杏書房)160円

 1948年発行。当時のジャーナリスト連盟に加入する12名の著書をまとめた構成になっている。
 序章のジャーナリズムへの志向について、美作太郎氏(日本評論者編集局長)が寄稿し「ジャーナリズムに心を寄せる人々が、言論出版の自由という合言葉に共鳴し、民主主義の原則をこの世界で生かそうとすることは当然なことです。しかし、この場合の「自由」と「民主主義」とが、すべての当事者に勝手に無拘束にしゃべらせることを意味するのだとしたら、それは危険な形式的な理解というものでしょう。現に巣鴨にいる戦犯者たちは言論出版の自由を有つていませんが、これは日本の民主主義の現実の建て前から見て当然なことなのです」と延べ、「公正な中立という美しい口実に酔いながら自ら民主主義者を気取ることが出来ます」と提起し、「歴史と社会とに闘する、しっかりとした世界観の體得が、新しいジャーナリストのための不可欠な条件である」とまとめている。

 新聞編、出版・放送・ニュース映画編、各国の新聞編、労働組合の章にまとめられ、若き輩に先輩としての助言が詳しく綴られている。

 新聞をつくる目的では、「今日のわが国の時代に新聞が広く社会現象を断片的に報道するということは全然意味がない。第一に社会現象を細大もさらず新聞に載せうるものでないからそこには自ら取捨選択がある。今日何をして何を探るかが問題である一般的にいえば国民を民主的に啓蒙し国民生活を民主的再建の方向に導き国民大衆を一日も早く民主革命感性の方向に紙面は整理されねばならぬ(中略)深刻な問題は今日の国民の死活を制する問題であるのに興味本位の生活と離れたニュースの方に果たして国民は興味を感ずるであろうか。もし興味本位のニュースしか読者の関心がないとしたらそれは新聞が国民にとって切実な問題を提供していないからではなかろうか。ここに大衆の関心に追従し読者の眼を掩う新聞と大衆の関心を高め自らの生活と国の運命の打開とのために国民大衆の感情を沸き立たせその眼を開かしめる新聞の違いがある。今日の日本が未曾有の危機に立っているとしたらこういう立場の新聞もよろしいああいう立場の新聞もあってもいいという悠長なことは断じて許されない」と続く。

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2005年12月06日

新聞の力、影響力は表裏一体! 現代ではどうか?

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新聞と大衆
著者 キンズリー・マーティン(岩波書店)350円

 1955年初版。著者はケンブリッジ大学卒業後、1927年から1931年までマンチェスター・ガーディアンの編集人に加わり、その後ニュー・ステーツマン&ネーションの主筆に就任。
 各章とも思想的な論調で記されており、「大衆に対する新聞としての役割」を第1章「自由とは」、第2章「独占への傾向」、第3章「大衆が求めるもの」、第4章「新聞の力の限界」、第5章「無知と宣伝」、第6章「公共の仕事」、第7章「一つの世界の世論」で構成されている。
 「新聞の力の限界」の章で、印象深い1行があった。『新聞の力とは真相をかくすことである』人々が注意深く選び出されたニュースだけを読んで、真相を全部知らされたものと思い込むものなのだ。だから新聞は絶えず議論を重ねて間違いのないジャーナリズムを確立しなければならないのだ。
 「新聞の自由」は、長期にわたる困難な戦いで勝ち取られた民主主義の根本原則である。その自由とはニュースを無検閲で発表する権利、名誉毀損法の制約内で、政府または他の何びとの干渉も受けずに論評し、批判を加える得る権利を意味する。この権利は本来編集長により主張されるものである。編集長はニュースの真実性について、記者の批判と論評の公正さに関して責任を持つことを、大衆に知って貰わねばならぬからである。この自由は、真実とは公然さと探求することによってはじめて発見され、また政府は世論の監督下に置かねば、その権力を濫用し、そして良識ある世論は正しい情報を基礎にして、はじめて形成される、という論拠の上に立っている。

 古本屋で買われたこの本。要所に赤ペンでラインが引かれ、最終ページには東京大学経済学部の学生の名が記してある。
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2005年12月05日

新聞が大衆から必要と重んじられていた時代と現代とのギャップ

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新聞
著者 千葉 雄次郎(有斐閣)260円

 1955年初版発行の有斐閣ライブラリーシリーズ(正確には、らいぶらりい・しりいず)。
発行当時、新聞は現代社会に生きるための必需品であった時代、日常の出来事について知識の大部分は新聞によって与えられ、その知識にもとづいて日常の業務を行ったり、政治的な判断を下したりしている…というはしがきから始まる新聞の歴史を綴った1冊。
 第1話は、新聞の自由の歴史。「新聞の自由は、世界中の国の憲法で保障されている」までに至った世界各国で新聞が果たした歴史が書かれている。第2話は、新聞の与えるもの。報道的機能、誘導的機能、娯楽的機能に触れている。第3話は、新聞をつくるもの。新聞社の体質、新聞記者の役割について。第4話は、新聞を利用するもの。国際政治の操作を検証し戦争時の報道体制、通信社、外電のあり方。また、新聞と世論として政治宣伝、経済利潤、権力と民衆に踏む込み「新聞の中立性」を求めている。第5章は、新聞を読むもの。如何に新聞が読まれているかについて、情報を欲する民衆が情報を得るばかりではなく新聞に込められた期待が感じられる。それだけ新聞は生活に密着していたし、新聞社もまた読者を向いていたのだろう。

 販売問題にも第3章に「行きすぎの販売競争」で触れており、その一文を引用する。
 新聞の紙面で競争するのはまだよい。販売競争が嵩じると、付録をつけたり、景品をつけたりの競争となる。これはちょっと考えてみてもわかるように、非常に金を食う。この経費は新聞をつくるための編集費とは別に、販売の経費として計上されている。新聞は外国からたくさんの電報を打ったり、記者が自動車や飛行機で方々へ出かけたり、大変な金がかかるだろうと読者は考えるが、新聞に景品や付録をつけたり、販売店を督励して、是が非でも新聞を売ろうとする努力のために費やされる金の方が、多い場合もある。しかし、この経費は、もともと、それによって読者をふやし利益を多くする目的のものだから、そのような大きな経費をつかっても効果がなければ、新聞社としては無意味である。ところが、各新聞者の販売競争がはげしくなると、採算を度外視した競争までがおこなわれる。しかし、そういう無茶な、また無意味な競争は、なが続きするわけはないから、付録や景品競争は、それをつけてまで競争しても、新聞社の利益にならないとすれば、読者がそれを欲すると否とに拘らずやめてしまう。先ごろ東京の各新聞が申し合わせてそのような販売競争を打ち切り、読者にそのことを声明したビラを新聞に折り込んで配ったのを思い出す人もあろう。
 新聞も資本主義下の営利事業であるから、その生産品たる新聞を売り込むための努力がおこなわれるのは、企業として当然のことである。しかし、売ることだけが新聞発行の目的ではない。新聞にたずさわる人々は、社会の公器であることは知っているから、売ることだけが新聞の目的だとはいわない。販売という言葉すらさけて普及という言葉をつかっている新聞社すらある。いい新聞を「普及」することによって、新聞が利益することは当然みとめられてよい。しかし、新聞社がただもうけるためだけに、つくった新聞をむりやり「普及」されては、社会は新聞によって毒されるといわねばならない。


 過去の反省が全く生かされていないのが新聞社の販売競争意識。付録つき、景品つきの販売はもうすでに新聞販売の文化となっている。この状態で「特殊指定を維持」と主張できるのか大いに疑問である。
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2005年12月02日

マスコミに働いている方には絶対お勧めの一冊

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ご臨終メディア−質問しないマスコミと一人で考えない日本人−
著者 森 達也・森巣 博(集英社新書)680円

 ドキュメンタリー作家の森氏とオーストラリア在住で作家の森巣氏の対談形式で、今のマスコミ(放送、新聞)に働くものの「軸」がずれていることを分かりやすく、そしてオモシロくまとめられている。大手メディア関係者の賃金は高すぎて一般人の視線を忘れてると指摘し、2ちゃんねるで議論を戦わせている方々の視点の方が断然真相を追究していることが多いと説く。
 質問しないメディア、見せないメディア、懲罰機関化するメディアときて、善意の行方はどこに向かう…。今のメディア自身も善意を体現しようとして、そこに正義という言葉を入れ替えて、麻痺している状態…。社会全体の善意による暴走の構造は拍車がかかるばかりと指摘する。
 そしてメディアは卑しい仕事だと結び、マスコミ人は自分がくだらない、虫けらみたいな人間だというところから出発をしたほうが良い。正義であったり、公共の福祉であったり、知る権利、表現の自由とかを持ち出すから錯覚に陥ってしまう。もう一度原点に返って、メディアのほとんどの仕事が人の不幸をあげつらうことであり、聞かれたくないようなことまで取材をしなくちゃならない。その結果、常に誰かを傷つけることで成立している。ただし、そのことに対する後ろめたさは無くすべきではない―。

 再販制度や特殊指定も新聞社に与えられた特権。その特権が与えられたことと引き換えに「ジャーナリズム機能」が委ねられたのだろうと考えさせられた。『軸』は…大切だ。
 久しぶりに一気に読めた本でした。
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2005年11月20日

経営破綻は労働組合の責任だ!と愚痴った新聞経営者

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新聞千一夜
著者 小林 啓善(東京ライフ社)250円

 これもかなり古く、1957年11月発行の一冊。千葉新聞社の経営者であった著者が、全国紙と地方紙との条件的比較をしながら販売内容や記者の資質までも中央と地方とを比べる論調で書かれている。
 しかし、ある意味で本当の新聞販売の実態などは記されておらず、読者向け(ある意味新聞協会の発表)のキレイごとが綴られている。経営者同士の「傷の舐めあい」とも捉えられる。

 著者は千葉新聞社が廃刊になった時の社長を務めており「千葉新聞社が廃刊に追い込まれた理由は、労働組合がストライキを起こし新聞発行が妨げられ会社が潰れた」とおもむろに書いている。1955年、当時は全国紙の専売店へ地方紙が配達・販売を委託していた時代に千葉新聞は朝日、毎日、読売の3社から「千葉新聞の不買の決議」をされ、専売店を急造せざるを得なかった。そのためには当然資金もかかり、労働者の賃金の遅払いなどで組合が激怒。経営側も人員の整理などを敢行し、労使関係は悪化の一途を辿り、ついには休刊へと進む。著者はストを指導した人物として、当時の新聞労連副委員長であった水口謙一氏(西日本新聞出身)を敵視し、「千葉県民から県民の新聞を奪った英雄」と痛烈に批判している。

 千葉新聞社の破綻後、千葉日報社として生まれ変わるが、労働運動の華々しき運動の歴史を考察するには、まだまだ労使双方の言い分を聞かなければまとまらない。
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2005年11月19日

新聞と新聞労働者の歴史は凄まじい

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新聞太平記
著者 赤沼 三郎(雄鶏社)百六十円

 1950年発行の大正末期(関東大震災)から昭和(戦中戦後)にかけての新聞界の裏表史。特に新聞社の覇権争い等を詳しく掲載されており、販売問題や記者クラブ、新聞労働組合の結成まで当時の様子が克明に記されている。「読売赤色騒動」(敗戦後の社内の共産主義傾向について)では当時の過激な労働運動(暴力スト)や廃刊まで決意する読売労組の闘いが印象深い。
 新聞販売については、明治時代から「押し紙、積み紙、赤紙」の共通単語が存在し、乱売合戦の歴史は新聞が誕生してからずっと続いているものだ。当時は景品ではなく値引きが主流である。大正末期から進められた「販売店の専売制」が定着化するまでは、新聞社より販売店の方が力を有し、有力販売店が団結をして新聞を非売することもありえた。関東大震災後、打撃を受けた当時の報知新聞、時事新報等に対する、大阪系紙の攻勢は凄まじく「販売店に金をばら撒き在京紙の配達を止める工作」まで行っている。戦後はプロ野球などの興行で一躍新聞産業が肥大化していく様も詳しく書かれている。
 記者クラブについては「不思議な存在」と称し、戦中の大本営発表の温床を指摘、クラブ員即ちメッセンジャーボーイと結んでいる。
 戦後、すべての産業部門に先んじて新聞労働組合は結成された。印刷部門より報道部門の労働者が活発に活動を展開している。当時の組合が求めた民主化運動は、旧幹部の追放や自主的な紙面づくり。共産党色が強かった「新聞単一」の三役は聽潯克巳中央執行委員長(朝日)、鈴木東民副委員長(読売)、牧野純夫書記長(毎日)で構成。しかし、赤色支配は成功せず、読売の脱退を皮切りに労働戦線問題は離合集散を重ね、1950年6月に共産党幹部などの追放、赤色支配から手を切って、日本新聞労働組合連合が結成される。新聞労連結成当時は過去の苦い経験から個人加入を排した連合組織であった。結成当時の三役は三浦武雄委員長(読売)、長谷川直美副委員長(朝日)、竹中英太郎副委員長(山梨日日)、大谷恭市副委員長(島根)、岩本秀次書記長(毎日)。加盟組合は15労組、組合員数10,950名だった。
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2005年11月13日

新聞社の販売政策は販売店からの搾取構造が根底にある

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崩壊期に立つ巨大新聞
著者 渡辺 渉(山崎書房)480円

 1973年発行の新聞記者による内部告発本。今から30年前、世の中は高度成長を続ける日本において、新聞の紙面広告が大きく伸びた時代である。第1章は「爆発する新聞への不満」として、読者の新聞への不満が書かれている、内容は新聞に対する意識調査の資料をあげて信頼低下の理由を「広告が多すぎる」点と「広告の内容が信用できない」という不満が蔓延していると分析されている。本来の新聞の使命であるジャーナリズムが、広告主の影響で「ペンが曲がる」のではないかと指摘された時代だったことが伺える。当然この頃から、新聞社の収入構造が販売収入と広告収入の逆転という形で変わっていった。

 続けて、「国民をあざむく記事」のいろいろと題し、本田技研(ホンダ自動車)の欠陥車問題、サリドマイド児をめぐる報道、アリナミンに見る新聞の黒い実態、でっち上げ記事−などなど。当時の様子が伺える。

 新聞の恥部―販売政策のからくりの章では、「販売正常化」が出来ない新聞社の体質。狐と狸の化かし合いをやっているようなものだと程度の低い新聞社の販売政策に苦言を呈している。さらに、販売店を食い物にする販売政策。新聞販売を過当競争に追い込む原因は新聞社の販売政策そのものととし、巨大新聞社が専売制を敷いた背景も克明に記されている。割当部数、しょい紙、積み紙を赤字ギリギリになるまで販売店に押し付ける政策は、安い労働力で経費を浮かせなければならず、必然的に新聞少年を無保証のまま雇用する状況を生み出していく。使えなくなったり、異を唱える店主に対しては「改廃権」を行使し、切り捨てる。そのような販売政策を押し付ける新聞社に「言論の自由」などない。ここでも読者からいずれ見放されるとも記されてある。

 この本にも書かれているが、当時、労基法を守っている販売店は全体の3%程度だという。30年かけて最低限の労働条件をクリアできる販売店が10倍に増えたが、今も約70%は週休も取得できないほどの劣悪な労働条件なのだ。

 新聞奨学生の問題についても触れ、労働組合的な組織が出来たのは勤労学生たちの活動からだと述べている。全臨労(全国臨時労働組合)は全国的な拡がりを見せ、配達を放棄する動きも起こり始めたという。当時の奨学生の労働力は首都圏では何と90%。全国平均でも50%の占めていたのだから、一斉にストライキが起これば全国の新聞がストップするまでに拡がったのだが…。しかし、新聞社の搾取の構造を正すまでには行かなかった。

 著者は「半封建的な組織に乗る販売制度、低賃金と過剰労働を基盤とする戸別配達、販売店を不合理な過当競争に追い込む紙の半強制的な割当制、低利潤と低賃金をつくり出すための補助金政策…、それらを革命的に改革することは、今の新聞社にはなし得る事ではない。そして、それがなし得ない限り、販売店の格差は解消されないし、したがって労務問題の根本的解決もあり得ない」と訴える。

 現状と何も変わっていない販売店の実態。巨大新聞社に追従する業界構造がある限り改善への道は程遠い。
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2005年11月09日

新聞社の虚報はなぜ起こるのか…

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「新聞」のウラの裏がわかる本
著者 久留米 郁(ぴいぷる社)1,140円

 特ダネと誤報・虚報は紙一重=一流紙記者が明かす新聞づくりの舞台裏…まずはじめに一流紙記者ってずいぶん偉そうに…と思いながら読み始めたが、内容はすんなり読めて一流紙記者は朝日の方だとすぐに判明。
 虚報の検証では朝日新聞のサンゴ損傷・捏造事件(1990年4月20日付朝日新聞夕刊)が14ページに渡って、カメラマン(朝日新聞社員)が犯した捏造行為の始終が詳しく報告、読者からの投書や社内の動きなどが詳細に記されている。また、かつて毎日新聞で起こった「西山事件」にも触れ、その問題点を厳しく指摘している。
 記事づくりの楽屋裏の章では、記者の取材活動の原点をサツ(警察)回りとして、「夜討ち朝駆け」をして事件の裏を取らず、警察の「発表もの」だけを書いていればすむ、サラリーマン記者の増加に警告する。また、記者クラブについても閉鎖性を指摘、発表記事に頼りすぎ記者クラブに入れる特権ある一部の記者によるニュースの独占には見直す必要があると述べながら、新聞社間のチェック機能(競争意識)の必要性については否定しない。
 さらに新聞記者の特徴を分析。政治部記者の権威主義、事件で勝負する社会部記者、情報化時代のエース経済部記者、外信部記者は語学力が基本、学芸部記者は専門職、なんでも屋の地方部記者、論説委員と編集委員の違いーなど新聞社の仕組みが分かりやすく述べられている。
 新聞アラカルトの章では、全国の新聞社の特徴なども評論的に書かれている。また「新聞販売競争は仁義なき戦い」として、新聞配達員の労働条件の低さや悪質勧誘によって読者からのイメージを新聞社自らが作っていることなども綴られている。著者も販売問題については「おかしい」と指摘しながらも手を付けられなかったのは残念だ!

 今年に入って朝日新聞や埼玉新聞の虚報問題が起こったが、記者の資質だけでは済まない新聞社の内部事情がチョットだけ理解できる一冊だ。
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2005年11月04日

メディアのワンマン経営者とブロガーの違いとは!

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新聞が消えた!
著者:谷口明生(風媒社)1,400円

 1986年12月31日付けの朝刊発行を最後に、愛媛県の日刊新愛媛新聞が消えた。日刊新愛媛新聞は25万部という四国最大の部数を誇りながらも、カリスマ性の強い経営者(社主:坪内寿夫氏)の編集権介入による異常な紙面づくりで紙面は私物化され、それが前代未聞の行政権力による「取材拒否」を誘発、最後は非常な企業の理論によって「廃刊」となるまでを同社で26年間同新聞社で新聞づくりに従事してきた著者が手記としてまとめた一冊。
 1976年、高知新聞社資本の「新愛媛新聞」は、経営不振から坪内寿夫氏を頂点とする「来島グループ」の傘下に組み入れられ、「日刊新愛媛新聞」と社名、題号を変更。なりふり構わぬ部数拡張へと進む。来島グループの拡張作戦は凄まじいもので、販売店ではなくグループ会社の社員がノルマの部数を達成させるため休日出勤は当たり前だったという。「部数は力なり」四国最大の部数を誇ると坪井氏の気に入らない財界人や知事を対象に誹謗中傷、過剰な個人攻撃が紙面で展開される。ワンマン経営がゆえに紙面に異を唱えるものは首を切られ、社内では坪内崇拝者しか生きて行けぬ状況になった。不安に陥った社員は労働組合を再建するも時既に遅しである。最後は日債銀の思うがままに廃刊に追いやられてしまう様が、生々しく描かれている。

 新聞社の役割とは何か?ジャーナリズムの役割を担っていると自負するならば、ワンマン経営をチェックするのがジャーナリストを自負する社員の責任であり、労働組合の役割である。働く人間がジャーナリズムの精神を忘れてしまったら、その新聞社は同新聞社のような結末を迎えるのだと思う。いくら部数が増えようと読者の心まで権力でねじ伏せることは出来ない。

 ブログでさまざまな情報を発信するブロガーも絶えず主張性のバランスをチェックをしてくれる機能を持たせなければジャーナリストとは言えない。だから新聞社への期待は大きいのだ。
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2005年10月29日

斎藤茂男さんの追悼集。13年前に一度だけ話を聞かせてもらいました。

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斎藤茂男−ジャーナリズムの可能性−
著者 内橋克人・筑紫哲也・原寿雄(共同通信社)2,000円

日本のジャーナリズムと若手記者の育成に寄与した斎藤茂男さんが亡くなったのは1999年5月28日。享年71歳だった。
共同通信の記者時代から事件の本質を追及する視点に冴え、取材現場から数々の問題点を取り正した。労働組合にも深く関わり委員長に就任、「お任せ組合員と請け負い執行部は返上しよう」と職場での議論に時間を費やした。また、ジャーナリスト会議でも活躍する傍らで、「斎藤学校」と称された職場の若い記者たちの相談相手として、骨身を惜しまず語り合ったという。
晩年は主に地下鉄サリン事件、オウム真理教に関連した報道番組(TBS)などに出演し、TBSの「放送と人権特別委員会」委員にも就任した。

斎藤さんの人柄が綴られたこの書には著者の3人以外にも多くの方が出筆している。瀬戸内寂聴さん、吉永春子さん、鎌田慧さん、横川和夫さん、樋口恵子さん、岩切信さん、落合恵子さん、村上雅通さん、魚住昭さん、江川紹子さん、小林武さんなど。
味のある気骨なジャーナリストの背中は偉大だとあらためて思わされる。

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2005年10月28日

ジャーナリズムの維持と新聞社経営のバランス

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理想の新聞
著者 ウィッカム・スティード(みすず書房)2,700円

イギリスの「ザ・タイム」紙の元編集長が、イギリスにおける新聞の自由についての論考を記した1冊。国家における新聞の役割や活字の意味など新聞の役割に触れながら、部数と広告に関する経営的な問題にも言及。商業ジャーナリズムへの危機と新聞社内の問題点にも触れている。
そこで、理想の新聞とは?@ニュース取材に最大限の努力を払うA印刷に値する全てのニュースを可能な限り提供するB国民とともにあるが民族主義とは違う。リベラルではあるが自由党的ではない。平和を希求するが平和主義とは違う。社会的構造そのものを建設的に改良する任務をあらゆる国民とともに遂行するーそれが成し得るために赤字にならないように広告収入を確保できるか、販売部数を確保出来るかーと結ばれている。

高い志は新聞経営者にとっても必要不可欠だが、実際に資本力に押しつぶされる新聞社も少なくない。また、営利目的としての新聞社が、本来のジャーナリズム機能を失った(そのような体質に陥った)職場を去る労働者も多い。

理想と現実は常に付きまとう。
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2005年10月27日

日本の大新聞社の問題点は世界的にも注目されている?

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日本の新聞報道
著者 林ヶ谷 太郎(池田書店)1,200円

アメリカに長く住み、国際関係論を専門にしている著者が、アメリカからの提言と題し、日本の新聞社の問題点を幅広く指摘している。日本人の無気力さが大新聞社のおごりを助長し、読者を甘く見ているから誤報や捏造記事が生まれると説く。

さらに注目したのは、カリフォルニア大学の教授である著者が「ナベカマ拡張団と新聞販売店の存続」の項で販売現場の実態を詳細に書いている。拡張団の販売行為は、新聞社がやるべき販売行為ではないと一喝。拡張団の仕組みや発行本社の販売局が裏で糸を引いている(拡張団の直接雇用は発行本社)と指摘する。また、世界最大部数を誇る読売新聞は販売店に対して信賞必罰主義に徹した「販売の神様 務台」の功績と皮肉っている。日本の新聞が巨大化した理由のひとつに宅配制度があり、その制度が崩れれば日本の新聞の危機を迎えるとアメリカから発信するところはすごい。最後の結びでは「新聞が巨大部数を維持する大企業であるところに日本の新聞の問題点がある」というのが筆者の持論だ。納得。
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