2015年05月25日

やはり最強の実践理論だった「チームの力」

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チームの力――構造構成主義による“新”組織論
著者 西條剛央(ちくま書房)780円+Tax

 ふんばろう東日本支援プロジェクトの元代表で、西條剛央さんの新著をご恵贈いただきました。
 小ブログでも私も末席を汚しているふんばろう東日本支援プロジェクトのことや西條さんの著書を紹介していますが、“ブレない”彼が伝えたいことがまとめられ、その考察と人間的な魅力にあらためて惹きつけられました。

 「チームの力」。このキーワードで検索すると組織マネジメントに類する論考が多数ありますが、組織とチームを明確に分けて論じた書籍は初めてだと思います。
 掲げた目標を達成させることを目的に活動する「チーム」が陥りやすい問題点や克服していくべき課題、そしてリーダーの立ち位置など、東日本大震災発生後から西条さんとともに支援活動に携わった私としては、すべて(構造構成主義に立脚した)西條さんの「シナリオ通り」だったと腑に落ちます。企業、行政、部活道、NPOなど、世の中には溢れんばかりにさまざまな「チーム」が存在し、そのリーダーが思うような成果が出せずに悩んでいる昨今、日本最大のボランティアチームを運営し、最大限のチカラを発揮させていくためのメカニズムが解き明かされた1冊です。

 個人的には第3章「ブレないチーム運営」が特に参考になりました。
 今だけ委員長が身を置く新聞産業はかなりの部分で“埋没コスト”に苛まれ、不都合な選択をしてしまう体質から抜け出せないでいます。本書はその現状に対する処方箋といっても過言ではありません。
 「埋没コストとは、これまでに積み重ねてきた実績や信頼、費やした時間や賃金といった回収不可能なコストのことだ。したがって、基本的には時間経過にともない埋没コストは増大していくことになる。この観点から見ると、戦争をやめられなかったのも、原発を止められないのも、方針転換することで、それまでに費やした多くのコストが回収不能になるためだとわかる」(本書から引用)
 では、その埋没コストをどう克服していくのか。本書では「方法の原理」(目的と状況、目指すべき未来を基点とした意思決定)という論点からそれを乗り越えていくポイントが分かりやすく記されています。

 「いいチーム」で仕事をすることは最大の幸せです。適切な「問い」を方法の原理に則って考え、「戦略」を立てていくリーダーシップ。やはり、素晴らしいリーダーに人が集い、学び、受け継いでいく良好な人的循環が広義でいえば世の中をよくするのだと本書から感じました。
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2015年03月30日

「伝える技法」 何を伝えたいか徹底して考え抜くこと

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伝える技法〜プロが教える苦手克服文章術〜
著者 高田昌幸(旬報社)1,620円

 高知新聞社の高田昌幸さんから献本いただきました。
 できるだけ早く小ブログでも紹介したかったのですが、怠け者の当方・・・いや、この本を読むとブログで発信する目的は?ターゲットは誰?という自問自答をよそに、なんで俺はブログをやっているの?ということをあらためて考えさせられました。

 表題の「伝える技法」とは何とも堅苦しい参考書のように映りますが、文章力をちょっと高めたいという方にはもってこいの内容で、とても分かりやすく中学生あたりから活用できると思います。そして、例文として引用されている新聞記事も高田さんらしい(怒られるかな)チョイスで、「こう表現を変えると」とグイグイ引き込んでくれます。
これから書こうとしている作文。
その目的は何でしょうか。
だれに向かって書くのでしょうか。
何のために書こうとしているのでしょうか。

小ブログを書き始めて10年目。まったく上達しない(それすら振り返って考えたことがない)文章力に嫌気がさしてきたところに、届けられたこの1冊。
ブログを書く前に「何を」伝えたいのか、しっかり考えてから発信していこうと思います。

posted by 今だけ委員長 at 18:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2015年02月10日

阪神淡路大震災から20年 復興の歩みで感じた新聞社の力強い矜持

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阪神・淡路大震災20年 報道記録(神戸新聞総合出版センター)1,800円

 神戸新聞社の友から、阪神・淡路大震災20年の報道記録と1995年1月17日の震災直後に発行された神戸新聞夕刊(復刻版)を贈っていただきました。あらためて震災の凄まじさと、地域社会のなかで新聞社が果たしてきた力強い矜持のようなものを感じながら読ませていただきました。

阪神淡路大震災記録集・復刻版.jpg 20年前の大震災を境に、神戸新聞社の方々もとても大変な思いをされたことと思います。そして、震災が発生した5時46分は新聞配達の最中で、配達中に犠牲になった方もいらっしゃいます。公益社団法人・日本新聞販売協会へ問い合わせたところ、当時の同協会近畿本部編集・発行の「日販協近畿報」(平成7年2月号)を提供していただきました。紙面を見ると亡くなられた新聞販売労働者は20人。負傷者32人。全焼した店舗が1店。全壊が74店、半壊が142店。資料では配達中に亡くなられた方だけの数字ではありませんが、多くの犠牲者が出てしまったことは悔やまれてなりません。
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 被災した生活者のために新聞社員は情報を集め、紙面をつくり、販売労働者は新聞を配り続けた。

 東日本大震災の時も宅配網を支えた配達スタッフの気持ちを「責任感」の表れと思っているのですが、給料を払っている側は(給料という権利を得ているのだから)「義務感」であろうと考えている方も少なくありません。視点のあて方の違いだと思いますが、機械化できない新聞配達は労働集約型産業なので、ある種の責任感(休んだ方もいらっしゃったので)が根っこにある方々によって支えられていると考えたいものです。

 まだまだ復興もままならないのに不謹慎かもしれませんが、東日本大震災から20年後(あと16年)って被災三県をはじめ、この国がどのような状況になっているのかと考えます。そして新聞産業も・・・。
 こんなことを思い浮かべながら、あすは47回目の月命日。もうすぐ東日本大震災から4年が経とうとしています。
posted by 今だけ委員長 at 01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2015年01月20日

「勝つための経営」は心地よいが、優れた企業基盤が功を奏した富士フイルム伝

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魂の経営
著者:古森 重隆(東洋経済新聞社)1,728円

写真フイルム市場が10分の1に縮小するという「本業消失」の危機を、奇跡と称される事業構造の転換で乗り越え「第二の創業」を成し遂げた富士フイルムホールディングス代表取締役会長兼CEOの古森重隆さんの著書を遅ればせながら読んだ(正確には同僚に勧められた)。

苦境に迫られた企業や産業の行く末は二通りに分かれると思う。一つは「本業回帰」とばかりに周囲の意見など聞かずに黙々とこれまで通りの手法を繰り返し、同業他社間で吸収合併を繰り返して延命を図るもの。もう一つはそれぞれの企業や組織の強みを生かしてほかの業態、もしくは類似した産業へ進出すること。
本書は、デジタルカメラの普及で本業の売り上げが大幅に縮小することを真正面からとらえて大規模なリストラを行い、それまで培ってきた技術力(企業資産)をほかの成長産業へ振り向け、企業買収(M&A)を行いながら経営の安定とブランディングの強化を図ったビジネス書。富士フイルムという国際的な大企業の経営者はもっとスマートな方だと想像していたが、昭和の企業戦士というイメージの古森さんの「勝つための経営」の思考はストレートで心地よい。
ただし、新規産業への参入は富士フイルムという大企業だから成しえたことだと「21世紀の資本」(トマ・ピケティ著)を読んだ後だからなおさら強く感じる。一般企業(メーカー)からすると努力だけでは事業構造の転換は不可能と思わざるをえないのが多数だろう。技術力向上への投資を怠らなかった富士フイルムの経営姿勢は、実はさまざまな「ものづくり」と相通じるものが多く、新規参入事業も「0」からスタートするのではなく既存の企業を買収して「50」からスタートする経営センスとそれを可能にする投資体力(財力)がある企業体と映る。そのような企業の地盤を作り上げてきた古森さんをはじめ、富士フイルムの経営陣は称賛されるべきだが、写真フィルム市場という寡占状態にあった産業の利を生かして企業資産を築いていった特異性もあると感じる。

で、新聞産業に照らし合わせてみると…。
デジタル対応に追われているというよりは、デジタル時代の収益構造を見いだせないだけで『情報』を取材し編集して正確(規範となる)な発信するという本業が縮小することはないだろう―と思う。しかし、流通部門(紙を届ける)でもって収益構造の大方を賄っている新聞社の経営は「部数減」に悩み、企業の強みを社外と連携することも難しい。もっと言うと新聞社が顧客情報を得たところで使い道さえ分からない(情報を金に換えるという)のに「日経がやっているから…」というレベルなので、今のところ「本業(原点)回帰」という精神論で引っ張る経営しかできないのも現実だと思う。ただし、新聞販売店の機能についてはまだまだ伸びしろがあると強く思っている。けれど、いろいろな軋轢(あつれき)があって現状では「原点回帰」しかできない。
 誰かの責任へ転嫁するのは簡単だけれど、そんなレベルの話ではなく時代の変革期なのだから耐えていかなければならないと感じている。古森さんが言われる「ビジネス五体論」を胸に抱いて。
posted by 今だけ委員長 at 06:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2014年08月05日

広島原爆の日から69年を迎え考えたいテーマ/「自由の国」の報道統制―大戦下の日系ジャーナリズム

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「自由の国」の報道統制―大戦下の日系ジャーナリズム―
著者:水野剛也(吉川弘文館)1,700円

 「世界の警察」として経済力を背景に20世紀から台頭してきた米国。常に他国間の戦争に乗り出す大義は「自由と民主主義」を守るため。でも、その大義名分は本当なのか?自国の軍事産業を活性化するために各国(同盟国)から資金を集めているだけではないのか―。そして、戦時下で起こる「大本営」に従わざるを得なかった(自己規制を強いる権力に屈したメディア)新聞経営―。この2つのテーマに真正面から向き合い、戦争と言論・報道の自由について第二次世界大戦下の米国で起こった(敵性外国人に対する言論統制)メディア規制の問題に真っ向から向き合い、その問題点を提起した水野剛也さん(東洋洋大学教授)の渾身の1冊です。

 大本営発表を流し続けた当時の日本のマスメディアへの非難も然ることながら、「戦争時に利用されるメディア」として時の権力に抗えなかった現実も(格好つけずに)理解できます。だから戦争は起こしちゃいけないと・・・。
 著者の彼の歯に衣着せない論考が戦時下の新聞の存在そのものの位置づけや記者の苦悩、新聞経営者の資質などを考えてみる題材になると思います。新聞社だけがジャーナリズム機能だとは思いませんが、戦争に加担してまで発行を続ける意味とは・・・。

 あす、広島に原子爆弾が投下されて69年目を迎えます。戦争が起きると最初に骨を抜かれるのが「報道機関」であって、生活者を(権力側に有利な)マインドコントロールをする有効な手段として利用されるのです。「現代のネット社会ではそんなことあり得ない」という方は中国でいま、何が行われているのか直視しましょう。ネット回線もすべて「国」に監視され、制御されるということを・・・。
posted by 今だけ委員長 at 01:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介

2014年04月30日

問題の本質を見定めれば解決策は見えてくる/思想がひらく未来へのロードマップ

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思想がひらく未来へのロードマップ 構造構成主義研究6
編著:西條剛央、京極 真、池田清彦(北大路書房)2,600+税

 私が所属しているボランティア団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の代表を務める西條剛央さん。彼と出会ってちょうど3年。この間、被災者へ向けるブレのない眼差しと「自身のリミッターを外せば何でもできる」という覚悟に共感し、ともに突っ走ってきました。そして、彼から多くのことを学んだ3年間でもありました。問題の本質を捉えて理論的にその改善策・解決法を提示するスピード感と考察力。彼の生まれ持った才能でもあると思うのですが、専門の「構造構成主義」にも興味(とても難しい)を持ちました。日本で最大級の震災復興ボランティア組織へと導いたリーダーの言葉は、どこの組織にでも当てはまるものだとあらためて感じるこの頃です。

 去る4月26日、西條さんの編著『思想がひらく未来へのロードマップ』の公刊を記念した「構造構成主義チャリティーシンポジウム」が都内で開催されました。
 今だけ委員長は参加できなかったのですが、西條さんがFacebookでシンポジウムの内容について発信されていたので、以下に引用します。

【構造構成主義シンポジウムで考えたこと:閉塞社会を打開する方程式とは?】
池田先生(シンポジストで、思想がひらく未来へのロードマップの編著者・池田清彦氏)相変わらず天才でした。参加された方は、おそらく多くの衝撃を受けたことでしょう(笑撃も)。

池田先生の「20年も経てばおれたち団塊世代は死んでいくから高齢化問題は解消していく」といのは目から鱗でした。

直接的な解決策ではないものの、その期間をどううまいことやりすごすかが重要だというようにポイントを掴み直せば、方法を考えることはできそうです。

一度できたシステムをいかに安楽死させるかが重要だ」と、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」についても言及しながら述べていて、これは本質を衝いていると感じました。

参加してくださった方も(環境省の若手)、それに言及しつつ、「システムの移行をどのように考えればよいか」というご質問をいただいたので、後半の対談はそれを軸に進めていきました。

そうして話しているうちに、自分の中で「時間」というキーワードが浮かんできました。

僕らは時間を止めて考える思考に染まりすぎているのかもしれない。

以下、対談の内容を踏まえながら、最後のほうに言及した結論部分を少しまとめてみたものです。
****
『思想がひらく未来へのロードマップ』で京極さん(編著者の京極真氏)が言っていたように、社会が流動性を持てないのも、既存のシステム(利権)にしがみつくのも、再就職が難しい社会だから。

原発が止まらないのも、それで食べている人は食べていけなくなるから。家族を路頭に迷わせるわけにはいかない、と原発の再稼働を目的にがんばることになる。

固定化されて流動性がない社会。

失敗が許されない社会。

成功の道から外れると戻れない社会。

だから競争が激しい研究分野では不正も横行する。

特に最新の機器がなければ研究できない分野は、研究費がもらえなければどんどん置いて行かれるという負のスパイラルになる、と池田先生。

ゆえに、不正をしなければ確実に負け組になりそうなったらもう逆転は不可能とわかっている人の中から、いちかばちかで不正をしてもばれないことに賭けるのが合理的、と考える人が出ても不思議ではない。

成功者はずっとアクセル全開で走り続けていなければ、という強迫観念にかられる。

一度、ひっくり返った亀はもとに戻れないから。



研究者でも非常勤で暮らしている人は、1ヶ月数万円という低賃金で働くことになる。どんなに人気の講義であってもそこから常勤にあがることはできない。上がたまっているから、下が入れない。

無責任な大学院政策の犠牲者は何十万人もいる。

他方、大学だって、博士号を持っていなくても、なんらかのルートで一度生涯身分が保障されるポジションになってしまえば、一人の受講生もいない人でも、論文を書かなくても、つまり教育も研究もしなくても学務もしなくても、犯罪をしない限りはクビにはならない。

法律も特定の人が儲かるよう補助金を支払える法律ばかりが何百本も純増していると池田先生。一度できると無くならない。一部の人の利権のためにずっと存在し続ける。



システムが恒久的であることがデフォルトのため、努力しなくてもお金が入り続ける人と、努力しても低賃金しかもらえない人に二分される。

格差は広がる一方。

そして、努力してももがいても報われない、という思いをした人の中には、次第にルサンチマンがたまっていき、社会で成功したひとを妬み、批判、攻撃するようになる。

今回のSTAP細胞問題において、これまで報われずに夢を諦めた研究者のためにも絶対に責任をとってもらう、といって執拗なまでの批判的検証をしていた人のブログをみたときに、そういうものがあるのかもしれないな、と感じた(よい悪いは別として)。

これが今僕らの社会を取り巻く「閉塞感」の正体ではないか。

成功しても失敗しても憂き目に遭う社会。



つまり、今社会で起きている数々の不合理は、無自覚に恒久的なシステムを構築してしまうことにより、流動性がなくなることから生まれているのではないか。

であれば、むしろ「システムを時限制にする」ことをデフォルトにすることで、この不条理の結果もたらされる閉塞感を打破できるのではないか。



なぜ非常勤の給料が低いかといえば、常勤職に払うお金がかかりすぎているため。

だから、会社も非常勤を基本とする。そうすれば非常勤の給料もあげることができる。そしたら非常勤だけでも食べていける。

そしたら、自分にあった会社、あった働き方を選んで、自分にあった生き方を作っていける。

大学の教員も、任期制を基本とすれば、まったく働かない人が増えていくことで、仕事のできる人に負荷が集中したり、若い優秀な人を採用できないということも減っていくはずだ。

池田先生がいうように、法律も時限制にする。継続するには2/3以上の賛成が必要といった厳しいハードルを設けて、クリアできなければ自然になくなるようにする。

補助金にしがみつく人を減らしていく。

組織も時限制にする。行政に新たな部署を作るときも、さしあたり3年で、というようにしておく。

組織がなくなっても、ちゃんと再就職ができるような流動性があれば、そして非常勤でも常勤との待遇に大きな差がなければ、そういうことも可能になるはず。



それでも、今、生涯保証されている人をそうじゃなくすることは大きな抵抗を生むため難しいかもしれない。

ところが、そういう人も時間が経てば,ところてん式に定年になり辞めていく。あるいは死んでいく(人間必ず死ぬので)。

いなくなった人の分の給料で、新たなに採用する人を任期制で採用していけば、時間が経つほど任期制の人が増えて、ついには任期制が基本、ということになる。



さらに、池田先生が「技術が社会を変える」といっていたように、SNS等の台頭により、伝達速度はあがっている。よいこともわるいこともどんどん伝わっていく。

行政の「右にならへ」の特性をうまく利用すれば、変革のスピードはさらにあがる。

たとえば、時限制を導入するモデルケース出てくることで、それのほうがいいね!と思うところが真似をして自己増殖的に増えていけば、オセロがひっくりかえっていくようにパタパタと変わっていくということもあるかもしれない。

<時限制の導入 × 自己増殖 × 時間経過 = 閉塞社会の打開>
この方程式は案外いけるのではないか?

という希望を見出せたシンポジウムでした。

こうした考え方に希望を見出せると感じた方は、ぜひシェアしていただければと思います。ブログ等で引用明記の上コピーしていただくことも歓迎です。なお、ここで論じた内容の基本的なことはチャリティー本『思想がひらく未来へのロードマップ』の鼎談で詳しく論じられています。
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2013年05月05日

メモは取らずとも忘れない被災者の言葉・・・

 
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三陸物語―被災地で生きる人びとの記録
著者 萩尾信也(毎日新聞社)1,500円


 毎日新聞の連載から愛読していたこともあって「待ちわびていた」発行でしたが、購入から1年半も部屋の隅に置いていてしまったことを後悔しつつ、このゴールデンウィーク期間に一気に読了しました。一気に・・・といっても翌朝はまぶたが腫れぼったいくらい涙を流しながら読ませていただきました。


 岩手県釜石市出身の著者のコミュニケーション力と「体験談を残す」という行動力に凄まじいものを感じました。これが新聞記者の真骨頂なのだと思います。そして、被災した取材対象者から「つぎ」をつなげていく長けた嗅覚・・・。釜石を中心にして生死を狭間をさまよい、肉親が犠牲となった12人の「記録」は映像など必要ないくらい釜石なまりで表現されている文字で十分に「あの時」の様子が目に浮かびます。


 先日、北海道新聞に勤める釜石出身の友人とこの「三陸物語」の話になり、その際、「萩尾さんは取材の時に一切メモを取らないそうだ」という話を聞きました。その友人も実家を津波で失い、父親も著者の取材を受けたとのこと。
 常識で考えれば取材した内容をメモするのは当たり前だし、記録しないと取材対象者との(言った・言わない)もめ事にもなりかねないわけです。
 でも、あの惨状で被害に遭われた方と向き合うのにメモや録音は必要なかったのではないか、発せられることばの(方言まで)一言をメモなどしなくとも心に刻み込みながら取材をされたのではないかと思うのです。


 「生と死の記録―続・南三陸物語」も昨年6月末に発行され、まだ自室の机上に積み重なったままになっていますが、「早く続編も読まなければ」とカウンターパンチを食った気持ちです。ぜひ厚手のタオルを脇に置きながらご一読ください。

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2013年04月12日

私たちの仕事は現場にある/「東日本大震災 希望の種をまく人びと」

 久しぶりのブログ更新です。
 今だけ委員長こと、小関は社内の人事異動でこれまで11年間在籍した統括部門から、現場部門(五橋支店)へ異動となりました。勤務先は同じ建屋の2階から1階に変わるだけなのですが、今月4日から気持ちのスイッチを切り替えました。過去に同支店で4年間の勤務経験があるものの、仕組みは変わらずとも読者の要望に応えるための細かな作業や配達エリアの統合などの変貌ぶりに「10年ひと昔・・・」を実感しています。一方、配達スタッフも15年前にお世話になった方々が多くいらっしゃって、信頼おける仲間と共にこの1週間は朝刊作業(3:30からの勤務)に携わりながら徐々に現場感覚を取り戻しています。
 これからも小ブログは更新してまいりますが、「現場のいま」をさらに具体的に発信していこうと思っていますので、引き続きご愛顧ください。

 * * *
 河北新報社社屋(仙台市青葉区五橋)にて販売店や新聞社販売部の代表メンバーらによる会合のあった3月19日、同社編集委員の寺島英弥さんとエレベーターでバッタリお会いしました。寺島さんは「シビックジャーナリズム」を提唱し、常に『現場』に足を運ぶ新聞記者。このブログを始めた2005年に都内で開かれた地方紙勤務の若手たちによる「ローカルメディアネットワーク」のキックオフミーティングの講師として登壇された時がはじめての出会いで、それ以降いろいろとお世話になっている方です。


 「あら、小関さん久しぶり」。
 寺島さんの優しい瞳に吸い込まれつつ、5分程度お互いの近況を話しました。(当方が)4月から現場勤務となり、これまで自分がやりたいと思ってきた編販一体の紙面づくりや販促へチャレンジしてみたいことなどを話すと「そうですか。小関さんは現場にいる方がいい。私も常に現場で動き回っています。私たちの仕事はそれが当たり前の姿なのですよ」というアドバイスをいただきました。そして、「あ、そうそう」と言いながら、カバンの中から1冊の本を取り出し「これ、読んでみてください」と手渡された本がこちらです。


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東日本大震災 希望の種をまく人びと
著者 寺島英弥(明石書店)1800円)

 寺島さんのブログ「Café Vita」(余震の中で新聞を作る)は今月1日の更新で91話。本書はこのブログや河北新報の特集「ふんばる」に登場する被災地の方々の葛藤や困難の中、ひたむきに立ち上がっていく姿を丹念に伝えています。
 東日本大震災から1年たった際に発刊された「
悲から生をつむぐ」で書かれている被災地に住む人びとの状況から、本書には“笑顔”というキーワードも増えてきたような気もします。2冊合わせて読んでいただくと、「ふんばる」、「寄り添い支える」という言葉の意味がすっと気持ちの中に入ってくると思います。ぜひご一読を!

東日本大震災 希望の種をまく人びと
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD-%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%81%AE%E7%A8%AE%E3%82%92%E3%81%BE%E3%81%8F%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8-%E5%AF%BA%E5%B3%B6-%E8%8B%B1%E5%BC%A5/dp/475033765X/ref=pd_sim_b_2

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2013年03月08日

伝統メディアを真摯に検証〜3・11とメディア

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3・11とメデイア
著者:山田健太(トランスビュー)2,000円


 東日本大震災からもうすぐ2年。
 福島第一原発事故や学校管理下で74名もの犠牲者を出した大川小学校(石巻市)などの問題を含め、「伝統メディア」と言われる新聞、テレビなどのマスメディアが検証報道を行っています。昨年の同時期とはまた違った角度で真実を解明していただきたいものです。

 本日発売(先月末に著者の山田健太さんから謹呈いただきました)となる本書は、その「伝統メディア」と「新興メディア」(ソーシャルおよびポータルメディア)が先の大震災から2年間で果たした役割と課題が丹念な取材によって検証されています。
 原発再稼働を機に毎週末、首相官邸行われる反原発デモを新聞各紙がどのように報じたのか―紙面の比較をしながらそれぞれの新聞社のスタンスを明快に断じる一方、政府発表に依存しすぎて本来の調査報道が初期段階では全く機能せず、誤ったイメージを読者や視聴者へ伝えた(思考停止ジャーナリズム)ことで信頼を損ねたと提起されています。
 そして、「伝統メディア」が担うジャーナリズムの問題。著者も相当のジレンマを抱きながら本書を書きあげたのだろうと察します。「もっと伝統メデイアがふんばらないと…。プレスとしての役割、記者魂はなくなってしまったのか」と、喉元まで出かかっているようにも読み取れます。これが伝統メディアを真摯に批評し、検証するスタンスなのだと思いながら読ませていただきました。


 これはメディア関係者だけでなく、多くの方に読んでもらいたいと思います。伝統メディアが抱える課題を理解すると読み方、視聴のスタンスも変わり、それぞれのリテラシーが高まってくる。そういう国民全体の知の底上げのようなものが必要な時代になってきてるのだと感じています。

▽「3・11とメディア」山田健太著(Amazonより)
* * *
 「3・11とメディア」を読んだあと、定期購読している「新聞研究」(2013年3月号・日本新聞協会発行)を眺めていたら、「おっ」と思わせる手記に出くわしました。
 それは、朝日新聞東京本社社会部に所属する仲村和代さんが同誌の「記者読本2013 先輩記者から」特集(この春新聞社へ入社する方へ7人の先輩記者がアドバイス)へ寄稿されたもので、「メディアの原点に立ち返る」という題名のものです。新聞社員のソーシャルメディアとの距離感を通じて、メディアの原点を再認識したという内容のもので本音″で書かれているなぁ…と。以下に一部引用します。


「当時、取材に行くと、『朝日新聞の記者が来ました―』とツイートされ、何となく困ったなぁと思いつつもその理由を説明できず、もやもやすることがよくあった。今から思えば、困ることなんて何もない。でも、他社との競争が基準になる仕事を続けているうち、『先に書かれたら困る』、『手の内を知られそう』という感覚が身についてしまっていたのだと思う」


「取材をするのは、『新聞を作るため』ではない。情報を求める人のところに、いち早く届けるためだ。かつてはその手段が新聞しかなかったから、新聞紙面を充実させることに全力を注いできた、でも今は、ネットを通じ、もっと素早く発信することができる」


「(震災後に同社社会部もツイッターアカウントを取得し)ツイッターの活用が始まった。給水所の場所、避難生活で役立つ知識、デマの打ち消し。情報の信ぴょう性を一つ一つ確認し、発信した。反響は大きく、フォロワーは驚くほどの勢いで増えた。記事の書き方を考えるいい機会にもなった。例えば、これまでは『○○市の何か所で給水』と書いていたが、そんな情報は実際には役に立たない。『それじゃ意味ないし』。即座に返ってくる反応に、反省させられることも多かった」


「大事なのは、小手先のコミュニケーションにたけることでも、その場限りの人気を集めることでもない。何のために取材するのか。誰のために記事を書くのか。当たり前のことを考えながら、向き合っていくことなのではないだろうか。誰もがメディアとなって発信できる時代、報道機関にしかできない取材とは何かを考えるヒントが、そこにはあるように思う」


 後輩たちへのメッセージなのですが、自分へ言い聞かせているようにも感じます。新聞社という独特な職場(ある意味閉鎖的かも)で経験を重ねると、仲村さんのように感じていても組織内の暗黙のルールや立場によって実践できなくなってしまうのかなぁと思います。このような感想を書くと新聞社のデスクの皆さんから「販売店の労働者が何も知らないクセに…」と罵声が飛んできそうですが、諦めずに言い続けて行きまーす。
 仲村さんのような気概を持った方が書く記事を、新聞を読者のもとへ届けたい―こう思うのです。
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2013年02月27日

言論の自由という「当たり前」を奪われないために

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言論の自由−拡大するメディアと縮むジャーナリズム−
著者:山田健太(ミネルヴァ書房)2,800円

 「マスゴミ」という単語が一般的に言われるようになって、マスメディアへの風当たりが強くなってきたのはいつ頃からでしょうか―。インターネットの普及によって多くの生活者が自ら情報発信をできるようになってきたネット社会。これまで情報発信(加えて世論誘導)をいわば独占してきたマスメディアを凌駕するまでに成長(ユーザー数が増加)していますが、言論の自由の拡大によって本来のジャーナリズム機能まで縮小に向かうよなことがあってはいけません。


 著者の山田健太さんとは、彼が新聞協会職員時代からお世話になっている尊敬する大先輩。これまで彼が執筆した書籍や論文を読みあさってきましたが、本書は風当たりが強くなっているマスメディアがこれまで担ってきた社会の中での役割(表現の自由、プレスへの特権を認めた法制度など)について検証し、「これからどうしていくべきか」の論考(専門的な用語も多いです)がまとめられています。

 著者は、序章の中でネット社会の到来によって他愛もない問題でもネット上で匿名の人たちが群がって、特定の企業や人をやっつける(炎上させる)風潮が横行して過度の潔癖症に向かう社会的な潮流があると指摘。それらによって言論活動への規制を容認する世論が拡大し、法規制が強化されて気が付いたら言論の自由さえも危ぶまれる事態になりかねないと警鐘します。
 その背景(空気)について、著者は以下の4つの側面から「当たり前」がほころび始めていると分析。@社会の安心・安全を守るためには、多少の自由の犠牲はやむを得ないという意識が急速に強まっているA情報があまりにもたくさん溢れ、世の中に流れている情報を一人ひとりが整理してきちんと受け止める力が弱くなっているB自分の意見と違うものを認めず、人と違ったことをしたり、言ったりすることを忌み嫌う風潮の広がりC情報の送り手である新聞や雑誌、放送局などのマスメディアの記者・編集者の劣化―。


 現代では当たり前のように受け止められている「言論(活動)の自由」ですが、戦時下ではその自由すら奪われてきた歴史なのです。お隣の中国ではこうして自由にブログで発信することも国家権力がその内容を検閲しているため不自由な状況にあるのです。
 「当たり前」を権力側に取り上げられないために、プレス機能を守るという社会での位置づけがポイントになると感じます。そのためにはプレス側が今のままではいけないと気付くことなのかな…。片側で、生活者それぞれがリテラシィー力を高めていくこととプロの記者・編集者の育成も重要になってくると思います。ともに教育の問題なのかもしれませんね。

 そのヒントがたくさん盛り込まれている本書は、特にメディア関係者にはお薦めしたい1冊です。
▽言論の自由―拡大するメディアと縮むジャーナリズム(Amazonより)

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2013年02月26日

企業は人なり 社内政争に明け暮れる企業から顧客は離れていく

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個を動かす 新浪剛史、ローソン作り直しの10年
著者:池田信太朗(日経BP社)1,575円

 最近、テレビを見る時間がめっきり減っているのですが唯一、録画してまで見ているテレビ番組があります。経済界などのトップランナーたちを紹介する「カンブリア宮殿」(テレビ東京)。その道を究めた出演者の「言葉の重み」(社長の金言)に共感しつつ、自分が立っている現場の現実との大きな違いを噛みしめながら見ています。

 先日、フェイスブックでシェアされたBLOGOSというサイトから「日本企業の病理がよくわかる良書『個を動かす 新浪剛史 ローソン作り直しの10年』」という書評(ブログ)にたどり着きました。
 「これは、以前にカンブリア宮殿で放送されたローソン社長・新浪剛史さんの組織改革論が描かれているのでは」―と、書評を読み進めてみると、膝を打つことばかりの内容でした。「購入してみよう」と思わせる上手な書評に乗せられ(笑)amazonで購入後、ひと晩で読み終えました。私のような若輩者がどうこう述べるより、以下の書評をご覧ください。

▽日本企業の病理がよくわかる良書『個を動かす 新浪剛史 ローソン作り直しの10年』(BLOGOSより)
http://lite.blogos.com/article/56825/


 新聞産業も新聞社をローソン本部、販売店をフランチャイズ店という図式に当てはめるとオモシロく読めて、ともに閉鎖的な業界であることが理解できます。
 ローソンは全国から集まる優秀な方々がポスト獲得のために仕事ではなく、自分が出世するためのパフォーマンスに注力しているというのです。新聞産業でも素晴らしい編集能力を持っていらっしゃる方と経営感覚を持ち合わせた方とではその役割が本来違うものの、ほとんどの新聞社では編集出身の方が要職に就くような仕組みになっています。社内の権力争い―パフォーマンスに長け、社内政治(根回し)を巧みに操りながらポストを得るために力を注いでいる方々を横目で見ると、げんなりしてしまいます。このあたりが日本企業の病理なのかもしれません。
 この本で指摘している通り「現場を知らない上の人たちが机上の空論で戦略を練り、現場を知らない間接部門が自分たちの予算や権限維持のために、社内政争に明け暮れた結果、出されたどうしようもない商品や戦略を、現場に押しつけ、結果売れず、でもその売れない原因を現場の気合や根性のなさと糾弾し、少ない利益を役に立たないろくでなしの上の人間や、間接部門の連中だけが吸い上げ、余計、現場は疲弊し、客がどんどん離れていくという悪循環を招いている」となってしまうわけです。

 近年、いろいろな会社で財務部門の権限が大きくなっていると聞きます。これは国政においてもそうなのですが、予算の采配を握っている部門の発言力が増して、なかなか実績があがらない営業部門(生産部門)は元気がなくなっている―というのです。
 入社間もない営業部門の従業員へ「厳しい経営内容を知れ」とばかりに(儲かっているときは公表しないのに)低迷する経営指標をかざし続けた結果、どうなっていくのだろうかとよく考えます。既存のサービスを取りやめ、支出を削ることに“働きがい”を感じてしまっては顧客に見放されていくだけです。
 経営者の仕事と従業員の仕事は違います。“削ることで身を守る”との発想を持った従業員ばかりになってしまっては、企業の病理はより悪化するだけだと思います。「企業は人なり」。顧客を向いた仕事を最優先に考えられる人材育成がこれからの企業活動には大切だと思います。

▽コンビニ業界2位からの反撃〜地方フランチャイズを再生させろ!〜(2007年9月17日放送)
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20070917.html

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2012年11月10日

東北六県の新聞販売店の被災状況報告集/2011.3.11新聞と新聞販売店は、そしてこれから〜

2011.3.11 東日本大震災―その時新聞と新聞販売店はどう動いたのか、
被災地の復旧にあわせ、
新聞と新聞販売店はどういう役割を果たしたのか、
読者からの声にどう応えたのか、
何が足りなかったのかなどを総括した。
参加者が東北六県の新聞販売店の被害状況をあらためて確認し、学び合うことで、事実や想いを後世に伝え、次の大災害に備えたい。
あわせて東北六県及び全国の新聞販売店に反省や教訓を発信した。
(「2011.3.11 新聞と新聞販売店は、そしてこれから〜」より)

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東日本大震災新聞販売シンポジウム(講演録)
発行 東日本大震災新聞販売シンポジウム実行委員会

 東日本大震災新聞販売シンポジウム実行委員会が監修・発行した「2011.3.11 新聞と新聞販売店は、そしてこれから〜」を読ませていただきました。当方のような下っぺにはこんな立派な冊子はいただけないので閲覧させていただいたのですが、今年7月24日に仙台市内のホテルで開催されたシンポジウムでの講演録や業界内部では超〜お偉い方々のあいさつが掲載されていました。
 このようなシンポジウムは内部だけでの発表会にするのではなく、一般の生活者の方々にも参加・公開した方がダーティーなイメージを持たれがちな新聞販売店のよいPRになると思うのですが…。内部資料にしておくにはもったいない資料集です。


 あすは、東日本大震災から1年8ヵ月目の月命日。ほとんどの新聞社が新聞休刊日(翌12日の新聞発行がお休み)で、11日に被災各地で行われるイベントや特集の発信は翌々日となります。
 「先の震災を風化させてはならない」という言葉を発せられる被災された方が、まだまだ多くいらっしゃるのですがその言葉を取り上げる(取材する)マスメディアの側にいる人たちの感覚によって、被災地で避難生活されている方々が発する言葉の浸透が上下するものです。被災地の、被災された方の声を代弁する人や組織が本当に被災された方に寄り添っているのかどうかが問われてきているのだと思います。
* * *

共 同 宣 言

 2011年3月11日午後2時46分。
 この日、この時刻を境に東北を、日本を取り巻く環境は一変しました。東日本大震災は全国で約1万6千人の命を奪い、1年4カ月がたった今も約3万人が行方不明のままです。家族や仲間、生まれ育った地域や家…。一生懸命築いてきた人間の営みが、一瞬にして奪われました。東京電力福島第一原発の事故は、多くの人の暮らしを壊しました。悲しみ、悔しさ、やり場のない怒りから、東北の人々はいつ開放されるのでしょうか。
 大震災翌日、凸凹になった道路を通って新聞を積んだトラックはやってきました。「みんな情報が欲しいはず」と避難所から駆け付けてくれた従業員・配達員がたくさんいました。記者が危険にさらされながら書いた記事を、わたしたちも命がけで届けました。
 「ねむれずに過ごしていたときに、ポストに新聞が入る音を聞いて涙が出ました」。そんな感謝の声を、読者からたくさんいただきました。「新聞屋をやってきてよかった」と心から思えた瞬間です。大きな誇りともいえます。
 感謝の声を寄せてくださった人々の多くは、まだまだ苦難の中に身を置かざるを得ません。大震災以降、東北において新聞は水道や電気と同じライフラインとしての重要な役割を担っています。東北復興のため、東北の人間がこの地に暮らしていて良かったと再び思える日を迎えるため、系統を超えて新聞販売界が一丸となって取り組むことをここに宣言いたします。


 2012年7月24日  東日本大震災新聞販売シンポジウム

 
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2012年10月27日

情報発信者と受け手のリテラシー… 東日本大震災時の情報格差の検証


災害弱者と情報弱者.jpg
災害弱者と情報弱者―3・11後、何が見過ごされたのか―
共著:丸山紀一郎・田中幹人・標葉隆馬 (筑摩選書)1,500円


 東日本大震災から1年が経過した今春あたりから、防災・減災の取り組みが一層クローズアップされていくなかで、緊急時の情報発信のあり方と受け手のリテラシーの問題について検証する論文が多く出されています。そのすべてを読むことは時間的および金銭的に難しいのですが、知人がまとめたものを検索しアマゾンで購入しています。

 災害弱者と情報弱者…このタイトルを見る限りでは、どうしての高齢者のことをイメージしてしまうのですが、内容は3つに区分され、@災害弱者をキーワードに震災前から存在していた社会の脆弱性が、実際の被害の度合いにつながり、復興へと向かう過程の中でも引き続き影を落とす可能性を指摘A情報格差を焦点にメディアの論評、洪水のような情報に対して情報とどう向き合い、信頼できるメディアとは何かを論考B「情報の多様性」「横並び報道」をもとに福島第一原発事故を受けてマスメディアが作り上げてきた論調―などを膨大な資料とともにまとめられています。


 筆者の一人である丸山紀一郎さんは、昨年5月に宮城県入りし(当時は早稲田大学院生)、新聞社や販売店、そして仙台市内や石巻市の避難所などをアテンドさせていただいた方で、ワンコイン応援メッセージにも何度か協力してくれた知己です。特に丸山さんが書かれた第3章をじっくり読ませていただきました。「丸山さんよく踏み込んで書かれていますね!」
▽震災がもたらした「新聞産業の復興」への動き(今だけ委員長ブログ 2011/5/1)
http://minihanroblog.seesaa.net/article/198765190.html
* * *
 もうひとつのネタとして、株式会社ペーパーメディア研究所の青山一郎さんから情報提供をいただいた「被災地における新聞販売店を活用した地域情報提供モデルの検討」という論文を最近読みました。
 山田健太さん(専修大文学部准教授)、千錫烈さん(東京大学院教育学部研究員)、植村八潮さん(専修大文学部講師)、野口武悟さん(盛岡大文学部准教授)の4名による共著で、この論文は昨年11月に開催された「第13回図書館総合展」の企画で「東日本大震災に向き合うとき」で発表されたものをまとめたものです。この論文は無料でダウンロードできるのでありがたいのです。
▽被災地における新聞販売店を活用した地域情報提供モデルの検討(JAIRO・専修大学学会)
http://jairo.nii.ac.jp/0181/00002102

 内容については、私のような販売労働者が語るのも僭越なのですが、「机上のはなし」という印象が強く、「新聞社の方々からしか取材してないんじゃないの?」という空論的かつ理想的な論考に止まっていると感じます。販売現場はもっと“泥くさい”もの。ドジョウになりきれなかった野田首相と同じく、新聞社(官僚)と読者(有権者)の間を多くのジレンマを抱えながら存在しているのです。

 「新聞販売店はこうあるべきだ」という期待に感謝しながら、「ではその体制を敷くにはどんな障害をクリアしていかなければならないのか」とのジレンマをとたたかいながら、先人たちは大きな荷物を残したまま、「定年」という期限で去っていくのです。なかなか理想通りにはいかないものです。

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2012年10月10日

文書を読み解く力のある方がチョイスした2012の地方紙記事

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日本の現場 地方紙で読む2012
共著 高田昌幸、花田達朗、清水真(旬報社)2,500円

 日本の現場―。前回の2011版に引き続き、地方紙記者のまなざしを感じ、地域の読者へ発信したいこと、考えてもらいたいことがギュッと詰まった記事(コンテンツ)が42本収録されています。
 ネットでは配信されていない記事(特集)がこのような冊子となってオモテに出ることで、その記事が主張する問題提起がうかがえてイイものです。記事をチョイスした編集者は「どんだけ記事を読んでいるのだろう」と思うのですが、人が書く文章の先にあるものを読み解く力がなければ、このようなすんごい記事のチョイスは出来ないわけで…。お仕事とはいえ、頭が下がります。


 ぜひ、各地方の「現場」で丹念に取材をしながら問題を提起してくれる新聞記者が書いた2012年の記事を読んでもらいたいと思います。


※高田昌幸さん(高知新聞社)から謹呈いただきました。高田さんどうもありがとうございました。
注文はこちらから↓
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4-%E5%9C%B0%E6%96%B9%E7%B4%99%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%82%802012-%E8%8A%B1%E7%94%B0%E9%81%94%E6%9C%97/dp/4845112795

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2012年08月29日

書き、記録し続けること…地方紙記者はこうありたい


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悲から生をつむぐ
著者 寺島英弥(講談社)1500円

 「この本…読んでみたけど、とってもいいね」。
 11年連れ添った相方が「ポツリ」とひと言。「そういえば寺島さんが書かれた『悲から生をつむぐ』をブログで紹介することを忘れてた」ということで、発行から半年近く経ってしまいましたが紹介させていただきます。

 著者の寺島英弥さんは、小ブログでも何度か紹介をさせていただきましたが、「シビックジャーナリズムの挑戦」など著書もある河北新報社・編集委員の方です。東日本大震災以降、被災地で復興に尽力する人を取り上げた連載「ふんばる」や「余震の中で新聞を作る」というブログで紙面では収容しきれないさまざまな情報を発信されています。この連載やブログのファンは多く、今だけ委員長も被災地で活動していると「河北新報の『ふんばる』っていう連載イイネ!」と声をかけられることもあるくらいです。

 本書は寺島さんが自分の足で被災地を回り、取材を通じて出会った被災者、避難者との「これから」について丁寧に書かれています。寺島さんは「あとがき」にこう記しています。「その場にとどまり、当事者と同じ時間を生きる。それが地方紙記者の仕事の本質なのです。解決すべき問題も、それを考える道筋も、必要とされる支援も、新たに生きる場づくりとしての復興も、いま最も苦しい渦中にある人々こそが、その答えと力(他人をも勇気づける)を持っています」と。


 じつは、今だけ委員長の相方は1年半経った今でも津波被害を受けたエリアへ行くことができないでいます。まだ現実を受け入れることができなのだと思います。無理をして足を運ぶ必要もないし、毎週のように沿岸部へ向かう旦那に対して文句も言わずに送り出してくれるだけで満足なのですが、この本を読んで少し気持ちが変わったというのです。そんな気持ちにさせてくれる、地元にいるからこそ見えてくることがいっぱい詰まった1冊です。
 新聞紙面でも本書のように取材の経過まで掲載されればいいなぁと思う反面、限りある紙面スペースへの掲載はこういう地道な取材活動を凝縮したもの―と感じ取れます。ぜひご一読を!

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2012年07月02日

被災した地域に、現場に特化した作り手、配り手、読者の息遣いを感じる1冊

 三陸河北新報.jpeg
ともに生きた 伝えた/地域紙『石巻かほく』の1年
著者 三陸河北新報社(早稲田大学出版部)1200円

 日刊「石巻かほく」を発行する三陸河北新報社は、河北新報社の関連会社として1980年1月に設立されました。宮城県沿岸部の漁業情報などで(特に気仙沼エリアで)高いシェアを誇る三陸新報と対抗するため、沿岸部の情報に特化した紙面づくりで河北新報とセット販売(月額100円)されている4頁建ての地域紙です。
 河北新報社には河北出版センターという関連会社があるので、自社物のほとんどは河北出版センターから発行されるのですが、本書は早稲田大学ブックレット<「震災後」に考えるプロジェクト>から出版されています。その理由は同社社長の西川善久さんが早稲田出身というご縁で同大学出版部から発行されたとのこと。


がんばろう石巻 看板.jpg アマゾンで思わず買ってしまったのですが、毎ページごとに掲載されている写真(モノクロなのが残念)もさることながら、「現場の声」がこれまでの震災関連本より充実していて、読み応えのある内容でした。特に販売店の当時の現状がつづられた第3章「読者に届ける」では、思わず「そうだよなぁ」と膝を打つ場面も…。
 石巻での新聞事情をブックレット形式とはいえ、作り手、配り手、読者の息遣いが感じられる1冊です。

石巻かほく縮刷版.jpg 今春に「石巻かほく」の読者へ無料で配られた縮刷版「『3.11』を忘れない」も好評でした。昨年3/14〜4/10日までの紙面は圧巻です。そして、最終面には「私たちが地元のニュースをお届けしています」と石巻、東松島市、女川町の販売店名と電話番号を記しているあたりが心憎い。地域紙ならではの王道を感じます。 
※縮刷版「『3.11』を忘れない」は非売品です。

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2012年06月19日

3.11大震災時のメディア産業の内側を伝える/文化通信特別縮刷版

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その時メディア産業は―東日本大震災(文化通信 特別縮刷版)
発行:文化通信社(1000円)

 新聞のみならず、それぞれの産業に特化した情報を伝える業界紙。
 昨年の震災以降、被害に見舞われたそれぞれの産業をどのように報じたのか、記者の目線が試されたのではないかと感じてていました。産業界とつかず離れず、お手盛り記事が多いといわれる業界紙(睨まれるとその逆も)にあって、新聞業界の内情を報じるのもこれまた難しいわけです。しかし、被災地の状況を伝え続けた新聞社、配達し続けた販売店を内側から報じた業界紙も新聞産業のアーカイブ機能としてとても参考になります。

 文化通信特別縮刷版は2011年3月21日付から6月6日までの紙面から、(新聞、出版分野の)メディア産業の動向を伝える記事がピックアップされています。電子データで保存しておきたい気もしますが、やはり「紙」で持っておきたい1冊です。
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2012年04月23日

組織の人間だからわかるだろう… ジャーナリズムの譲れないもの

 
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真 実
 ―新聞が警察に跪いた日―
著者 高田昌幸(柏書房)1,900円

 以前にも小ブログで書きましたが、著者の高田昌幸さんと初めてお会いしたのは2004年初夏。当時、日本新聞労働組合連合主催の産業研究会で知り合った若手労組員たちが「SNS(mixi)を使った情報交換を」と、立ち上げたコミュニティ「ローカルメディアネットワーク」のオフサイトミーティングでの会場でした。高田さんの講演(そのほか湯川鶴章さん寺島秀弥さんも講師として参加)を聞き、その夜の懇親会で「学生時代は新聞奨学生として販売店へ勤務していた」という話から、いろいろとご相談をさせていただくようになりました。

 本書は、北海道新聞(道警裏金取材班)が北海道警察の裏金疑惑を暴き、その一連の取材に対して新聞協会賞などを受賞。その後、新聞報道とは別に著書「警察幹部を逮捕せよ!」(旬報社)、「追及・北海道警『裏金』疑惑」(講談社)の4カ所の記述に対して道警の元総務部長である佐々木友善氏が、名誉棄損で高田さん、佐藤一さん、道新、出版社を訴え、昨年6月の最高裁への上告棄却による結審を迎えるまでの間で繰り広げられた「組織の命を受けた人たちの動き」が描かれています。高田さんいわく「僕の目線」で書いた総括本とのことですが、虚飾なくこの問題の真実がまとめられています。
 文中に時折登場する「高田君、あなたも組織の人間ならわかるだろう」という会社上層部のもの言いは、権力監視をする新聞社(そう願っていますが)という組織をダメにしていくのだと思います。そこで抗えるかどうか―。いまの新聞社に働く方々を見ていると「抗う要件」をも個別バラバラになっているように感じます。組織の人間だから“わかる人たち”が組織の中枢に君臨する新聞社って、どうなのかなぁと…。いろいろな考えを巡らせながら、飛ばし読みができない1冊でした。

▽高知へ行ってきました
高知新聞社.jpg 「南海トラフ(浅い海溝)で起こる巨大地震で34メートルの津波が予測されているのに会社の準備が遅れている」。
 高知新聞労働組合(中屋守委員長)と新聞労連四国地連(村川信佐委員長)の共催による「震災学習会」が20日、高知新聞社会議室で開催されました。会場には約70名の組合員や編集局長などの役職者も参加されました。
 岩手日報大船渡支局の鹿糠(かぬか)敏和さんと小関勝也がそれぞれ60分ずつ東日本大震災での経験をもとにした留意点などを報告しました。小関は「新聞販売現場から見た東日本大震災の課題」と「震災時の初動」というテーマで、「有事の際の新聞社と販売店の関係(販売店経営のサポート態勢)」「配達スタッフの使命感に感謝」「配達エリアの安全が確認されないうちは人を送り出さない」などの話をさせていただきました。また、高知労組の計らいで、ボランティア活動支援のためのリストバンド(1個300円)の販売も行っていただき、持ち込んだ100個すべてを完売していただきました。


▽「やりたいことはたくさんある」 高田さんとの再会
 学習会の後、1時間程度時間が空いたので、4月から高知新聞社へ中途入社された高田昌幸さんを訪ねました。「いまは試用期間中なので」といつもと変わらぬ笑顔で対応してくれた高田さん。近況を報告しながら、地元紙、本記とサイド記事、新聞デザイン、新聞産業問題、福島第一原発―などのキーワードでいろいろな話をさせていただきました。

 これまでも多くの知人が新聞社を辞め、活躍している人たちも少なくありません。その方々は口をそろえて「新聞社は肥大化する組織にがんじがらめになって何もできないよ」と言います。でも、新聞社(新聞産業)を何でもチャレンジできるような組織に変えていくことも大事。外圧でもって変革を求めるよりも内側から変えていく人たちの方がカッコいいと思っているので、高田さんの再就職に「いいね!」です。

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2012年03月07日

個人をつぶす構図がマスメディアには存在しているのかも…

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メディアの罠
共著 青木 理、神保哲生、高田昌幸(産学社)1,500円


 フリージャーナリストとして活躍する三人が日本のマスメディアの危機的現状について語った1冊です。これは新聞人にぜひ読んでもらいたい。ネット上や一部の論者(ときにOBの妙な暴露本)が一方的に発する表層的かつ感情的なメディア批判とは違って、「公共財」としての新聞(メディア)の責務が論じられています。

 第一部の「崩壊するメディア」、第二部には「福島原発事故と報道」で構成されていて、各氏の問題意識は「それぞれの新聞社でこのような問題意識はされているのだろうか…」と真正面からの問いかけであり、期待でもあるように感じます。
 246頁におよぶ対談は圧巻です。「新聞社あっての記者」、記者クラブ発表(行政・大企業)を1字の間違いもなく紙面に載せることに追われる日々に嫌気をさしている若い記者に対して、新聞社という組織では教えられることのないOJTが詰まった応援メッセージとしてお勧めです。

 青木氏の言葉が印象的だったので一部引用します。
 「これまでは試験管の中でぬるま湯につかり、安逸を貧ってきた大手メディアが経営的な危機に瀕した時、その内部で既得権益にぬくぬくとしていた連中は、懸命にその権益と自らの組織を守ろうとする。すると、真っ先に切り捨てられるのは、いわゆる真っ当なジャーナリズムj機能ではないでしょうか。調査報道だったりとか、地味だけれど大切な人権や平和問題に関する取材・報道とか・・・」

 読者や情報の受け手は、「新聞社あっての記者」から「記者のチカラ」に注目する時代へと向かっているのだから、新聞社の労働条件にあぐらをかき、社内政治に精を出すエネルギーを持て余している余裕があるのなら、もっと読者に向き合ってもらいたいと願うばかりです。
http://sangakusha.jp/ISBN978-4-7825-7000-5.html

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2012年01月28日

まだまだ伝えていないことがある/@Fukushima私たちの望むものは


@Fukushima 私たちの望むものは.jpg
@Fukushima 私たちの望むものは
著者 高田昌幸ほか6人(産学社)1,700円

 東日本大震災は大津波という自然災害をもたらし、岩手、宮城、福島の沿岸部で生活していた方の命と生活を奪いました。先人たちの言い伝えを遵守して高台に居住する世帯はその難を逃れましたが、約50年しかない原子力発電の歴史では、津波の被害を受けてメルトダウンするとは想定外のことだったのかもしれません。
 でも、事故は起きてしまいました。津波の被害はなく家屋も残っているというのにわが家へ帰れない…。放射能という目に見えない魔物は人体にどう影響するのか・・・。


 本書は福島第一原発の事故に際し、怒り、戸惑い、悩み、諦め、そして希望を抱きながら過ごしている34人へ取材し(取材者は高田さんを含む7人)、「福島の声」をまとめたものです。
 「農林・観光の現場から」、「子どもと母親」、「首長たち」、「警笛は鳴らしたが」、「伝える悩み」、「動けぬ人々」、「再出発、しかし」、「信じるもの」の8部構成で、それぞれの章とも新聞記者的なストーリーを先に決めて、物語のように構成された文書ではない地元の人たちの本音がまとめられています。個人的には「伝える悩み」の章で福島民報社の記者・柳沼光さん(32歳)の「バランス」がスッと入ってきました。「地元の声を丹念に拾って、丹念に書いていくしかないんです。書かなければ、世の中に対してはゼロです。書かなければ、その声は埋もれていきます。だから書きます」と結ばれた記事は、必見です。


 先日、福島県浪江町から避難してきた方が集う「仙台でなみえを語ろう交流会」へ参加してきました。浪江町は津波被害により178名の町民が犠牲となり、6名が行方不明のまま。町の人口21,168人のうち7,040人が福島県外へ避難しています。
 私は所属するボランティアプロジェクト(ふんばろう東日本支援プロジェクト)として冬物家電支援の受付をさせていただいたのですが、申し込んでいただいた方々から話をうかがいながら思ったことは、「なかなか自分に置き換えて考えることができない状況にあるな」ということです。各メディアでは「除染が進み…」とか「早く帰りたい住民の声」などと書かれてありますが、住民の方は「戻れる状況にあるのか、正確な情報がほしいし、それを国がしっかり担保してもらわないと…」と語っていました。
 交流会の最後に、さっと手を挙げた女性は「住民同士の交流会よりも国会議員などに住民の意見を直接訴える機会を設けてもらいたいし、マスコミにもっと現実を取り上げてもらいたい」と声を荒げました。避難者の気持ちはちゃんと理解されていないのか―と痛いくらいに胸に響く言葉でした。


 よく米軍基地問題のことを「沖縄のこと」と他人事のようにいう人がいますが、沖縄県は日本国であって、沖縄で起きているのではなく日本で起きている問題なのです。福島第一原発事故のことも他人事ではありません。避難者に寄り添いながら現実を伝え、そして風化させることのないようにマスメディアにはしっかり報じてもらいたいと思います。

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2011年11月26日

東北地方の新聞労働者が執筆/東北地連50周年記念誌「未来へ」

 東北地連50周年記念詩「未来へ」.jpg
東北地連結成50周年記念誌「未来へ」
発行:新聞労連東北地連

 私たち新聞労働者の役割と責任も重い。発行本社へ正常化を直接訴え続けられるのは労組しかいない。社会の公器を標榜しながら、その一方で不当販売を繰り広げている業界に将来はないし、真のジャーナリズムが成り立つわけもない。「知らない。わからない。関係がない」ではいられない。私たち新聞産業の未来がかかっているのだ―(デーリー東北新聞社・深川公夫さんの寄稿より)

 日本新聞労働組合連合(東海林智委員長 略称:新聞労連)の地方組織、新聞労連東北地方連合が結成50周年(2010年)を機に発行した記念誌。「週休2日制問題」、「ベア凍結春闘」、「印刷工場別会社問題」など、東北地連に加盟する労組が経験した問題を当時の組合役員10人が寄稿しています。どの寄稿も執筆者の顔を思い出しながら「懐かしい」と思える年齢になった私も「年表」作成のお手伝いをさせていただきました。
 約200頁の大半が新聞産業関連の出来事をまとめた年表(1945年8月〜2010年5月)ですが、このように東北の新聞産業に特化する60余年の歴史をまとめた資料はほかにはないと思います。発行責任者の高橋一己さん(東奥日報労組)のご苦労が感じられます。


 冒頭に引用した、「販売正常化運動『無関心ではいられない』」は、ぜひ若手のそして編集職場の方にはぜひ目を通していただきたい寄稿です。執筆された深川さんは1992年に東北地連販売正常化委員長を務められた方。仕事のスーパーマーケットと言われる新聞社では、特に編集部門などでは販売正常化問題がいまだに理解されない方が多いものです。そのような現状に警笛を鳴らされた内容でまとめられています。
もう少し引用すると、


販売正常化は複雑な問題が絡み合い、分かりづらい面が多々ある。ここで私たちが正常化しなければならないものが、実は3つあることをあらためて確認したい。
 1つは大型景品など「拡材」の正常化だ。正常化イコール拡材のイメージがあるが、景品表示法改正により新聞価格の6か月の8%を超えない拡材であれば使用できる6・8ルールで、ひと昔前と比べればだいぶ沈静化してきた。しかし冒頭で述べたように一部地域ではいまだに出回っている。また「無代紙」も拡材と同じ性質で、やめなければならない。
 2つ目は「部数」。いまや業界で最も難しい問題か。企業の法令順守が強化されなければならない時代、部数の透明化が求められている。いわゆる「押し紙」「積み紙」を無くすことは、無駄をなくし環境に配慮することにもつながるだろう。
 3つ目は「売り方」の正常化。悪質な拡張団の一掃が必要だ。大手紙が中心の拡張団とはいえ、読者に直接向きあうセールスが悪質であれば大手も地方紙も同じで、新聞そのもののイメージを悪くし、読者の信頼を失うだけだ。(引用終わり)

 ぜひ興味のある方は読んでいただきたい…と言っても、加入組合員向けの記念誌なので入手できないのか。うぅーんもったいない。全頁PDFにして希望者へ販売してもよいと思うのですが。

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2011年11月08日

新聞産業の下流部門にいる私は思った『この記者が書いた記事を多くの人に読んでもらわねばと…』

 河北新~1.BMP
河北新報のいちばん長い日
河北新報社著(文藝春秋)1,400円

 東日本大震災からもうすぐ8カ月が経とうとしています。先々週発売されたこの本をめくり、言わずもがな新聞という産業は多くの人が携わっているのだなぁ二度読み返してつくづく感じました。そして、それぞれの部門の人たちが「新聞を発行し、読者へ届ける」ということをあきらめてしまった時点で、新聞としての役割は果たせないという怖さもあるのだと。

 今回の震災では、とても悲しくつらい思いもしましたが、新聞が届けられることを待っている人たちの期待に応えられた―という意味では、多くの新聞販売労働者が自信を持ったのではないかと思うのです。震災翌日、街灯ひとつともることのない暗がりを家族の安否も確認できないまま、新聞配達をしてくれた人たちの責任感は並大抵ではありません。専業従業員ならともかく、アルバイトの方のほとんどが休まずに配達をしてくれたという事実を、この本でもしっかりと伝えています。

 「(道路陥没などで)配達先の安全確認をしないうちに配達作業をさせた」、「福島第一原発の放射能漏れ(メルトダウン)の3日後の雨天時に配達を休止させなかった」という非難もしっかり受け止めた上で、有事の際の新聞発行については、いまでも悩むことが多いものです。「あの時の判断は正しかったのだろうか」と。
 日々、いろいろなことを反省しながら、それを忘れようとボランティア活動にハマっている自分もいるのですが、震災後のある出来事から新聞産業のアンカー役として“ふんばろう”と思ったことがあります。以前にも小ブログでも書いたのですが紹介します。
 地震直後に若手の記者が販売店へ来て「すみませんバイク貸してください」と言い残して猛スピードで立ち去って行きました。察するに津波の被害を受けた沿岸部へ取材に行ったのでしょう。ラジオでは「名取市の沿岸部には200以上の死体が…」と想像を絶する情報が流れてくる。まだ非常線が張られる前に沿岸部へ向かって大丈夫なのだろうかと心配しながら夜を明かしたことを記憶しています。そして翌朝、彼は泥だらけになったバイクを返しにきました。その表情はこわばっていて、とても見ていらるものではありませんでした。その時、思ったのです。この記者が書いた記事を多くの人に読んでもらわねば…と。

 以下に11月7日付け河北新報の書評のコーナーに掲載された同誌の書評を引用します。

 東日本大震災で自ら被災しながらも新聞を出し続けた東北ブロック紙、河北新報(本社・仙台)。2011年度新聞協会賞を受賞した一連の震災報道の舞台裏を記した迫真のドキュメントである。
 その日、交通網や電話回線はマヒし、紙面制作システムは破綻した。津波で支局が流され、販売店からは多数の犠牲者が出た。ガソリン、水、紙、食料。取材から紙面制作、配達までに要するすべてが足らない。
 それでも当日の号外を出した。停電でテレビもインターネットも使えない避難所の被災者は差し出された新聞に殺到した。
 全編を通じて心揺さぶられたのは、それぞれの持ち場で自分の仕事を全うしようとする人間の姿だ。
小学校の屋上で助けを求める人々を空撮した写真部員は、ただシャッターを押すだけの自分を責めた。津波にのまれかけた総局長は寒さに震える手で原稿を書いた。総務・営業部員らは社員のためにおにぎりを作り、販売所は新聞を読者に届けようと奔走した。
 ギリギリの状況で最後まで手放さなかったのは、事実を記録し伝える使命、そして被災者に寄り添う精神だった。こんな場面がある。
 県が推定した「万単位の死者」。見出しに被災者を突き刺す「死者」の2文字が使えるか。整理部員は迷いつつ「犠牲」に置き換えた。紙面作りは全国紙と一線を画した。
 原発が爆発した福島から一度は社命で退避した現地記者は煩悶(はんもん)した。残った住民もいるのに「地元を見捨てたも同じだ」。福島帰還がかなった後も傷は消えていない。
 現場の証言、手記、社員アンケート、企画記事、読者の声などを織り交ぜた本書は、震災史に刻んだ貴重な記録だ。同時に極限の困難に直面した地元紙が描き得た誇り高い自画像でもある。
 情報のデジタル化が進む中で、地域に根付く地元紙の底力と可能性を示す一書だ。評・片岡義博(ライター)
▽「河北新報のいちばん長い日」のご注文はコチラ↓
http://www.senpan.co.jp/shop/product.php?id=179
※宮城県外へのお届けは送料300円かかります。amazonでは送料無料ですが、ぜひ地元の新聞販売店からのご購入をお願いします。

11/8追記:さっそくご注文をいただきました!どうもありがとうございます。
・片平健次さん(京都府)
・三ッ野潤也さん(石川県)

11/9追記:購入するきっかけ「今だけ委員長のブログを見て…」どうもありがとうございます。
・小石 克さん(佐賀県)
・山崎文義さん(宮城県)

11/10追記:職場で取りまとめていただきナント10冊の注文。ありがとうございました。
・琴岡康二さん(東京都)

11/18追記:支援物資も大量に送っていただいた中国新聞深津北販売所さまからこれまた大量の書籍・DVDをご注文いただきました。
・吾川茂喜さん(広島県)

12/12追記:元新聞労連委員長の嵯峨さんにも3冊ご注文をいただきました。嵯峨さんにはワンコイン応援メッセージにもご協力いただいてます。
・嵯峨仁朗さん(北海道)




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2011年10月16日

調査報道を支えるのは「志」、「志」を支えるのは上層部の強い意志だ

  権力vs調査報道.jpg
権力VS.調査報道
編著 高田昌幸・小黒純(旬報社)2,100円

 元北海道新聞記者で道警裏金問題を追及した高田昌幸さんから、ページをめくるのがワクワクする著書を謹呈いただきました。睡魔に襲われることなく、久しぶりに一気に読めた一冊です。

 まえがきには、「本書は権力監視型調査報道の取材プロセスを明らかにし、共通項や問題点を探りだすことが狙いである」として、リクルート報道で政治権力に斬りこんだ山本博(元朝日新聞記者)、地位協定関連文書のスクープにより外交機密をえぐり出した前泊博盛(前琉球新報論説委員・沖縄国際大学教授)、高知県闇融資問題で地方権力に挑んだ佐光隆明(元高知新聞社会部長・朝日新聞特別報道センター長)、特捜検事による証拠改ざんで捜査当局の闇を暴いた板橋洋佳(元下野新聞記者・朝日新聞記者)の4氏への取材(インタビュー)で構成されています。
 最近の新聞記事やテレビなどとは違い、シナリオのない取材は“しつこい”と思うくらい徹底されていて、新聞記者の取材ってこういうものなのか(高田さんがそのような取材をしてきたのだと思いますが)と、4氏の“次の言葉”をワクワクしながら読み進められます。
 特に、調査報道の金字塔と言われるリクルート報道(山本氏への取材)では、一連のリクルートコスモス社の未公開株の賄賂をめぐって3-4人の記者が警察の捜査打ち切り後も丹念に取材し、大物政治家の不正を暴いていく報じ方は読んでいてグッとくるものがあります。さらに山本氏は、「調査報道は3つの要素がないと成り立たない」とし、第一にそのニュースが社会的に深い意味を持っているか、第二にそのニュースに国民の幅広い共感が得られるか、第三にそのニュースによってどんな効果がもたらされるか―と断言します。
 熟練記者からすると「そんなことあたり前だ」と返ってきそうですが、発表ものが紙面の多くを占めている現状からすると“もっと調査報道に徹して権力側にうごめく闇を暴いてもらいたい”と思っている読者は少なくないはず。その声にもっと応えるよう期待したいと思います。


 本書で紹介されている4氏が取り組んだ調査報道は、社会的にも大きな関心があった「大スクープ」と称されますが、地道に取材を重ねている全国紙、地方紙の記者もたくさんいます。高田さんがすごいのは「日本の現場・地方紙で読む」を発行し、日の目は浴びないけれども、ふんばっている記事(記者)も丹念に取り上げているところにある…。そのような高田さんの思いを感じながら読ませていただきました。

▽日本の現場・地方紙で読む
地方紙の存在を改めて市民に知ってもらうために世に送りだされた一冊!
http://minihanroblog.seesaa.net/article/160868372.html
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2011年09月23日

ラーメンがのびるまで週刊誌を読んだ/復興の書店

coverpage.jpg きのうの昼食時、勤務先の近くのとあるラーメン店で手にした週刊ポスト
 「どれどれ、袋とじの小向美奈子のエッチ写真でも…」とページをめくっていたら、「本に生かされた人々の記録 復興の書店(稲泉連)」という連載に目がとまりました。

復興の書店.jpg パラパラめくると河北新報社(河北出版センター)が発行した報道写真集「3・11大震災 巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録」(1000円)が紹介されていました。6ページもの内容で、ほぼ実名で書かれているルポルタージュ。
 「おぉ〜すごいな、週刊誌でも真面目な写真集を取り上げるのか…」と思いながら、記録する使命感・義母を背負った中国人妻・みな泣きながら取材した―という小見出しにつられて読みはじめると、三陸新報が紙面で連載(22回)した「巨震・激流 その時記者は…」にその多くのスペースが割かれていました。これを読んだら三陸新報の写真集「巨震・激流」を買わずにいられないと感じるほど。そうこうしている間にラーメンが「汁なし」に変わっていたことは言うまでもありませんw

 震災から半年。被災地の多くの人たちは「忘れたい」と思っています。でも、この東日本大震災を被災地以外の人たちは「忘れないでほしい」と願っています。やはり体験者が書き残したり、語り継いでもらいたい…。忘れちゃいけないんですよ。

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2011年08月10日

新聞が大好きだから「いま」では満足しない

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ジャーナリズムの行方
著者 山田健太(2310円)三省堂

 個人的にも大変お世話なっている山田健太さん(専修大学准教授)が「ジャーナリズムの行方」を10日に発行されました。出版元の株式会社三省堂の飛鳥勝幸さんから謹呈いただき、ちょっと早めに読ませていただきました。

 近年、オールドメディア(マス4媒体)が衰退し、ネットメディアの躍進にばかりスポットが当てられていますが、山田さんは「僕は新聞・雑誌。書籍。テレビ・ラジオが好きだ。否、大好きだ。だからこそ、けっして『いま』の誌紙面や番組で満足はしない」と注文を付けたうえで、自由で多様なメディア活動を邪魔する輩を追い払うことが自身がやるべき使命だとも語っています。
 大学で言論法やジャーナリズム論の教鞭をふるうかたわら、新聞協会の職員時代から携わってこられた新聞を中心としたマスメディアのあり方や期待がぎっしり詰まった1冊です。50歳を過ぎた山田さん自身の中間総括だと思いながら読ませていただきましたが、現役を退いてから勝手なことを書くOBよりも現役時代に矢面に立つ(問題点を提起する)覚悟で出版されたことに意義があるのです。

※購入はコチラから↓
http://amzn.to/nW4PoV

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2011年06月09日

新聞をつくる側、売る側の舞台裏も伝えてもらいたいものです

新聞研究719号.jpg 「宮城県南三陸町にある志津川支局は、局舎が津波で跡形もなく流された」
 日本新聞協会が発行する月刊誌「新聞研究」最新号(719号)の特集は、「東日本大震災と報道」(第1回)。被災地の新聞社として河北新報社編集局長のレポート「膨大な被災者の今を伝え続ける」が掲載されています。

 地震の後、取材現場がどのような状況だったのか、読者はもとより販売店従業員もあまり聞く機会がありません。今回のレポートを読んで記者の方々の「必死の思い」が伝わってきました。特に志津川支局の記者は撮影した津波の惨劇を紙面に載せようと、息子さんの手を引き南三陸町から仙台市の本社まで5時間もかけて歩いたというのです。編集局長は震災以降、「私たちは、志津川支局の記者に代表される、記者一人一人の被災現場での取材、思い、を形にする新聞づくりを始めた」と語っています。

 ぜひ、売り手の方(販売や広告)にも読んでもらいたいと思いつつ、新聞研究ではなかなか取り上げられることのない売り手側が経験した東日本大震災のレポートも取り上げてもらいたいと感じました。


河北新報署名記事の推移.jpg 震災の前震で紙面を見比べると、一番の変化は署名記事が大幅に増えたことです。(生活文化、スポーツ面を除き)震災前には多くても4本程度だったものが(面担デスクにもよると思います)、13日の20本を皮切りに、14日17本、15日13本、16日9本、17日8本、18日11本と増えました。5月末日現在でも震災前と比較しても3倍以上に増えていると解されます。河北新報社編集委員・寺島英弥さんのブログ「余震の中で新聞を作る」も含め、「被災者(読者)へ寄り添う記事」が読者から好感を得ていると、販売側にいるとそう感じます。
 現地で取材をする記者は地域の話題を取材するだけではなく、被災者やボランティアと深いかかわりを持たなければ得られない話題を拾いあげていま様子が強くうかがえます。時にはつらい現実を突きつけてもくれます。だからこそ、読み手に臨場感が伝わり、沿岸部の被災者に対して「自分に何ができるのか」を考えさせてくれるのでしょう。

 頁数こそ全国紙の半分までしか戻っていない状況ですが、紙面は震災前よりも「記者一人一人の現場での思い」がカタチになり、その記事に読者が呼応して“震災への関心”が薄れない要因であると強く感じています。
 本来の新聞づくり。いくら「拡材」を積んでも紙面(商品)の内容に勝るものはない―。あらためてその思いを強くしました。

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2011年04月06日

報道写真集「3・11大震災 巨大津波…」の購入にご協力ください

 「3・11東日本大震災」から26日目のきょう4月6日は、「新聞をヨム日」。春の新聞週間が始まり全国各地で試読紙の街頭配布など各地でさまざまなキャンペーンが行われるはずでした。

HAPPY新聞7.jpg 今だけ委員長も仕事で400世帯超のマンション内で試読紙配布の段取りを管理組合とつめていた矢先に「ドッカーン」ときてしまい、その取り組みもキャンセルせざるをえませんでした。とても残念ですが仕方ありません。
 配布する予定だった「HAPPY新聞7」(日本新聞協会発行・タブ12頁)も手つかずのままですが、せっかくなのでどこかに配りたいなぁと考えています。最終面の江口洋介さんのインタ記事も結構読み応えありますね。


 家屋の倒半壊や退去命令が出されたマンションの住民が避難所生活を余儀なくされていることもあって、販売店にも「一時避難のため購読休止」の連絡が鳴りやまず、配達部数が相当減少しています。折込チラシも「自粛ムード(ACのテレビCMなど)」に影響されているのか、3月11日以前に戻るまでは相当の時間が掛ると思われます。

 一方、とてもありがたい動きもあります。先日仙台を訪れた神戸新聞DS労組の方の口添えなのでしょう、震災以降、神戸市在住の方からの新聞(郵送)の申し込みが15件も寄せられています。そのほか、沖縄県に住んでいる方からも購読申し込みが来ているというのです。「被災地の情報が必要」という方もいらっしゃると思いますが、被災地で発行を続ける新聞社への支援を新聞購読という形で表してくれる方も少なくないと感じています。とてもありがたいことです。
* * *
1301536276_m[1].jpg 当ブログでは「広告を載せるとアクセス数を稼ぐことが目的化しているように捉えられるので注意を」というある方の指摘を受け、アフィリエイト広告などを一切組み込まずにこの5年間運営してきました。しかし、今回の震災による二次的な被害として新聞社及び販売店の経営危機があげられます。津波の被害を受けた沿岸部の販売店の存続問題も深刻ですが、新聞社と多くの販売店の経営が元の状態に戻れるのかどうか不安が拭いきれません。もちろん「戻す」ために全力をあげるわけですが、労働者の雇用についても不安定な状況にさらされることも想定されます。
 何とか1円でも多く収入をあげたいという思いから、当ブログへ所属販売店の「書籍販売」のリンクを張ることとしました。販売するのは、報道写真集「3・11大震災 巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録」(税込価格1000円)。A4判128ページ、4月9日発行。

 ぜひ、多くの皆さまに購入いただきますようお願いします。

▽注文はこちらのサイトから↓
http://www.senpan.co.jp/shop/product.php?id=168

【お知らせ】
4月12日から河北仙販HPからの注文が復旧しました。
上記アドレスからご注文ください。

【お詫び】
上記サイトからの注文ができない状況になっています。ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。不具合の原因や上記サイトでの注文受付を削除したことについては、同じ社内でありながら全く連絡を受けていますというお恥ずかしい状況です。まだまだ顧客を向いた仕事をしていないと反省しております。ご勘弁を…。

引き続き、今だけ委員長サイトからの注文を以下のメールから受け付けています。引き続き、よろしくお願いします。

koseki.k@gmail.com


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2011年01月14日

週刊誌の広告、テレビ欄、マンガ、死亡記事の順によく読まれるのが「新聞」

現代語裏辞典.jpg
現代語裏辞典
著者 筒井康隆(文藝春秋)2,415円

 断筆宣言をしたりその後解除したり俳優業もこなす変人の筒井康隆さんが、変人らしく現代語を斜め後ろから(かなりエロく)パロッた現代風刺(?)。文藝春秋の「オール讀物」や月刊誌「遊歩人」に連載されたものを再編集したもので、昨年7月30日に発行されました。
東洋大准教授の水野さんから「こそっ」と教えてもらい、図書館に予約をして3カ月待ちでやっと読め(なぞり)ました。他人事だと笑えるのですが、新聞に関係ある用語の解説は「グサリ」とくるものがほとんど。唸りながらも笑ってしまうところが筒井さんのワザなのでしょう。

 新聞に関係するものを引用しますが、「今だけ委員長がこう言っている」なんて受け取らないでくださいね。たまには笑いネタもいいじゃないですか。
* * *
あさひ【朝日】まだ出ていないうちにくる新聞。
きじ【記事】わずかの事実に多くの誤りと推測を付加した自動的な報道文。
きしゃかいけん【記者会見】一挙に取材者と対面して時間の無駄を省く方法だが、それでもまだ単独インタヴューを望まれる。
きしゃだん【記者団】答えてもらえないことがわかっていながら質問しなければならない気の毒な集団。
ぎぜん【偽善】マスコミの振りかざす正義。
けいさいし【掲載紙】たいていは数日後に送ってくる。過ちは訂正できない。
げんろん【言論】権力、財力、腕力のない者の武器。ただしマスコミの言論のみは暴力となり得る。
こうこく【広告】あると邪魔だがないと寂しい。
ごほう【誤報】訂正記事は常に小さい。
じけんきしゃ【事件記者】事件を起こす記者。
じつりょくしゃ【実力者】マスコミに悪口を書かれているうちは真の実力者ではない。
ジャーナリスト【journalist】真実を非文学的に追及する人。
しゃかいがく【社会学】新聞記者志望のものが学ぶが、役には立たない。
しゃかいめん【社会面】子供の頃はマンガを読み、青年時代は三面記事を読み、老年になると死亡欄を読む。
しゃせつ【社説】これが社員全員の意見であると嘘をついている記事。
じゅうぐんきしゃ【従軍記者】@ピュリッツァー賞への第一歩。A死んでも良いと社に思われている記者。
しゅざい【取材】救いの神と歓迎されたり、情報乞食と罵倒されたりする仕事。
しんぶん【新聞】週刊誌の広告、テレビ欄、マンガ、死亡記事の順によく読まれる。
そくほう【速報】誤報が多い。
ぞくほう【続報】速報の誤報をさりげなく訂正する報道。
ダイレクトメール【direct mail】ゴミ箱に直行するメール。
ちょうかん【朝刊】これを読んでから寝る人もいる。
ちょうちんきじ【提灯記事】記者自らファンであるタレントのことを書いた記事。
とくだね【特種】野心で眼がギラギラさせている記者には絶対に転がり込まない。
はいかん【廃刊】編集者の志が高かったため。
びだん【美談】悲惨な記事がない時の埋め草。
ひょうげん【表現】自由であると皆が言い、自由でないことは皆が知っている。
マスコミ【mass communication】タレコミ、追込み、ツッコミ、聞込み、思い込み、早呑み込みの媒体。
よみうりしんぶん【読売新聞】中央公論新社の親会社。ナベツネ新聞。
りんてんき【輪転機】敵はバケツ一杯の砂。
ろんせついいん【論説委員】新聞記者の終着点。

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2011年01月04日

販売労働者サワダオサムの遺稿集となってはいるが…

  底辺から新聞を撃つ.jpg
底辺から新聞を撃つ―小説・毎日新聞不正経理事件他―
著者 サワダ オサム(いちい書房)1,800円+税


 2011年元日、年賀状に交じって届いたメール便。送り主は沢田治さんで開封してみると「底辺から…」と題された1冊の本がセンスよい装丁に包まれて届けられました。
「サワダ通信」の読者に贈呈します。カンパなど気遣いなされぬように願います
 沢田さんらしいひと言が添えられてありました。

 昨年5月15日号で休止した個人誌「壁」。そのなかにも「続・新聞幻想論」が連載されていたので、「封印してあることをいつか書く時がくるかもしれんなぁ」と語っていたことを思い出しながら、またそれが沢田さんの元気の源なのだと勝手な解釈をして頁をめくりました。
 300頁にわたる本文には1986年当時に毎日新聞社販売局で起きた不正経理事件を小説仕立てして描かれてあります。小説というからにはフィクションも含まれているのかと勘繰ってしまうものですが、これまで18年来の沢田さんとの付き合いから「嘘をつくと必ず喧嘩に負ける」と言ってはばからなかった負けず嫌いの澤田さんのことだから、事実に基づいて(人名は変えてありますが)書かれたものと思います。
 昔は「販売担当になると家1軒建つ」とか言われ、販売店に対する補助金などを裏金にして私腹を肥やした人が少なくないと先輩方から聞かされたものです。いまはそんな余裕もずさんな体質も改まったようですが…。その意味では当時、どこの新聞社(販売局)でも内包していたずさんな経理処理の問題であっただけに沢田さんは外部に対してではなく、新聞社内部へ向けて「値上げ反対」などのたたかうネタとして使っていたのだろうと想像します。

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ッセイ集には22作品がエントリーされていて、新聞販売を題材にした幅広い著作の一文が引用されているので、業界外の人たち(作家)が見た“新聞販売現場”が臨場感たっぷりに記されていて読み応えがあります。
 そのほか、押し紙裁判での資料(陳述書)などが収められているので、新聞販売問題の資料としての価値もあると思います。あとがきには「遺稿集である」と書かれてありますが、もう2〜3冊は大丈夫でしょう。


 新聞販売問題を語るのはとても勇気のあることだと心底から思います。業界内部にいると「この業界を去る」と決意をした人か、すでに業界を去ったOBしか真実を語ることはありません。この不条理をため込みながら口をつぐみ会社員として生き抜く新聞社員、金の亡者と化す販売店主、そして団結もできない労働者…。
 沢田さんの不屈の精神を感じながら、新聞への信頼は紙面だけではなく売り方も、そして販売店との取引関係も正常でなければ真の信頼は得られないのだとあらためて思いました。「モラルハザード」の意味を噛みしめながら、自分で責任を持てる範囲で行動していこうと思います。

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2010年11月28日

新聞の販売正常化は、玉ねぎの皮をむくのと同じ

  新聞この仁義なき戦い.jpg
新聞この仁義なき戦い〈朝毎読泥沼の販売戦略〉
著者 内藤国夫(大陸書房)980円


 古本屋で見つけた本書。28年前の初版とはいえ1,500円の価格は少々割高。新聞販売問題を取り上げた書籍はその手の人たち(新聞関係者)しか買わないので、あまり流通していないのだろうと思いつつ購入しました。
 著者は元毎日新聞記者の内藤国夫氏。退社後は「創価学会の野望」などいわゆるタブーなネタを題材に評論、著述活動をしたジャーナリストで、1999年6月9日に食道がんで亡くなられています。


 これまで発行された新聞販売問題に関する書籍は、総論的な問題提起については新聞社販売系OBが自らの責任を棚上げして一方的に書き連ねるものと、新聞販売労働者もしくはフリージャーナリストが新聞再生への提起はそっちのけで「新聞没落」を自らの正義と錯覚して書かれているものとに分かれるように思います。
 本書は新聞社内部の構造を知る著者が、販売店や拡張団の従業員として働き(潜伏取材)、実際に販売問題の争点や内部のからくりを丹念に取材し「新聞はこうあるべきだ」という理想論ではなく、冷静な分析による問題提起がされています。著者の指摘として「発行本社と販売店との間の正常化、さらに販売店と読者の間の正常化の二段階があり、発行本社と販売店との間の正常化は、本社首脳の決意次第で早期実施も可能だが、販売店と読者の間の正常化は至難である」、「販売乱戦を正常化したら、なるほど、紙面がこんなにもよくなるものか、と読者がはっきり納得できるかたちで、紙面づくりにこそ貴重なカネを投じてほしいものである」とも記述しています。


 日本新聞協会加盟社が最初の販売正常化共同宣言(1977年)をするも治まることのなかった朝読拡販戦争(当時は「拡材VS無代紙」と称され大型拡材を使う読売に対して無代紙で長期契約を取る朝日と揶揄された)、新聞公正取引協議会での議論や当時の同協議会委員長を務めた丸山巌氏(読売新聞社専務取締役販売担当)と古屋哲夫氏(朝日新聞社常務取締役販売担当)へのインタビューとともに収録されています。
 販売正常化を具現化するために読売の丸山氏がぶち上げた「増減管理センター」構想は、実現されなかったものの一考の価値はありそうです(著者は毎日新聞社の反対で消滅したと解説している)。


増減管理センター案(本書より引用)
■第一案 第三者が間に入り発行本社と販売店の部数を店の自由意思決定を受け確定する。また各店―調査をする。
■第二案 一年間は調査事務局を作る。拡材など急になくならないだろうから監視機能をもたせる。ただ、部数を確定する作業は行わない。(時限立法)
■第三案 支部協に部数増減センター的機能を付与する。発行本社からの部数報告を受け、一、二案同様に調査を行う。
 要は第三者が入るかどうか、部数確定を発行本社がするのか、第三者を通じてするのかがポイント。
■共集制 配達は各系統ごとに行うが、集金を一つの事務所で各系統全てを行う。中央区月島、足立区小台、大田区羽田は今も実施されている。押し紙・無代紙をなくす方法として考案された。

 新聞の販売正常化は、玉ねぎの皮をむくのと同じだと先輩たちが話していました。いくらむいてもきりがなく、むいているうちに中身がなくなってしまう―と皮肉ったもの。
 新聞業界は(流通部門で)商品の価値を自ら下げてきたのですから、正常化は孫さんのいう「光の道」よりも厳しい「いばらの道」であることは販売関係者であれば誰もが理解するところ。昨年10月から新聞公正取引協議会主導による関西地区での販売正常化の取り組みも「販売店と読者の間の正常化」でしかありません。結局は押し紙を販売店へ送りつけることで新聞社の経営が成り立っている以上、本当の販売正常化などあり得ません。「いばらの道」を避けて通ることしかできないのが新聞業界に勤める人たちの本質なのかもしれません。

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2010年08月28日

地方紙の存在を改めて市民に知ってもらうために世に送りだされた一冊!

  日本の現場.jpg
日本の現場(地方紙で読む)
編者 高田昌幸・清水真(旬報社)2,625円


 600頁を超す分厚い本なのにサクッと読み終えました。やはり新聞記事というものはよく要点が整理され、文章にムダがありません。取材した記者の原稿はもっと膨大であっただろうに、整理部門の手に掛ると新聞紙面という限られたスペースの中で、読者の側に立って読みやすく記事をまとめてくれるのでしょう。小ブログのようなダラダラとまとまりのない文章とは違い、やはり“プロの技”なのだと感じました。


 本書は2008年末から09年11月の約1年間に地方紙(30社)の記者が取材し、紙面に連載(トピックス)された記事を、北海道新聞社の高田昌幸と清水真の両氏が数百本の記事からピックアップしたものが納められています。その数52本。
 編者の高田氏は「はじめに」のなかで、「同じ地方紙で働く多くの方々に対しては、ある意味、非常に不遜な行為だったのかもしれず、最後まで、居心地の悪さは消えなかった」と書かれています。「ここに収容されなかった記事の中にも、優れた内容のものは、それこそ無数にある」とは当然のことで、高田氏と清水氏の主観でピックアップ(いわばより多くの人たちに読んでもらいたいと思った記事)されたものだから「読む価値がある」と感じる方も少なくないと思います。「あの高田さんが選んだ新聞記事ならば…」と。


 どの記事も「地方には地方の問題が存在し、地方の目線で社会(地域コミュニティ)へ問題提起(コミット)していく」という地方紙記者のスタンスが鮮明であることに気づきます。ほとんどが署名記事なので旧知の記者も3人ほどいらっしゃいました。


 共著者の清水氏が「地方紙の存在証明」という論文を寄稿しています。清水氏が地方紙記者との会談の場で感じたことが「自分の書いた記事を他の地域の人に読んでもらえたら」という思いを強く持っていることだといいます。清水氏は「インターネット上で読めるニュースは、とても短く本数も限られていると同時に、実は地方紙からの配信は少ないことがわかる。日本の新聞社はインターネットから遠ざかっている」と指摘。部数減や広告減で厳しい経営にさらされている新聞社が、技術的(課金など)にインターネットを活用できる環境を構築するのは別な場で議論しなければならないとしながらも、取材報道の観点から、地方紙が果たすべき役割を問い直す必要があると言及しています。
 清水氏とは4年ほど前に立教大で開いたローカル・メディア・ネットワーク主催のセミナーでお世話になったことがあるのですが、やはり新聞を愛している方なのだとあらためて感じました。


 毎日発行される新聞。そしてその新聞を構成している記事(最近はコンテンツなどといわれていますが)は、時風を見極めながら「紙」にパッケージ化されて定期購読者へ届けられます。それがインターネットでひっきりなしに記事だけが洪水のように流れるようになると、感動して元気が沸いたり、人生を大きく左右するような記事との出会いが逆に少なくなっていくように思います。
 この本が訴えているように新聞は日々の事象を伝えることばかりではなく、記者が伝えたいこと、伝えなければならないことを地域住民の目線で問題提起がされているはず。それは行き着くところ、住みよい街づくりへのコミュニケーションツールとしての役割も新聞は担っていると思うのです。


※高田昌幸さん(著者)から謹呈していただきました。感謝!

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2010年06月28日

出版文化を守ることは出版社のビジネスモデルを維持させることではない

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電子書籍の衝撃

著者 佐々木俊尚(ディスカヴァー携書)1,100円


 「ソーシャルメディア時代」を背景に、音楽に続いて本も「セルフパブリッシングの時代」へ突入する。
 アマゾンのキンドルやアップルのアイパッドのような電子書籍を手軽に購入、読むことができるデバイスの登場に、大騒ぎをしている出版業界をはじめとする「紙」業界ですが、著者はそのようなレベルの話に止まりません。音楽産業のデジタル化の流れを検証しながら、ネット社会がもたらした「誰でも発信できる」ことについてもきちんとおさらいをしてくれます。これまで「売れる本」を過剰な宣伝・広告費を投じて作り上げてきた出版社に対して、コンテンツの価値観はマスメディア(大手広告会社)の影響によるものではなくなり、消費者自身が判断しかつ興味のあるコミュニティを中心にコンテンツの売り買いがなされ、作者(著者)へ適正な対価が支払われる仕組みが出来上がってきたと。


 「本を読む」「本を買う」「本を書く」という行為そのものが、ネット社会、アイパッドなどの電子書籍を購入しやすい環境を提供するデバイスの登場によってどのように変わっていくのかが具体的に示されています。そしてプラットフォーム牛耳ろうとアマゾン、アップル、グーグルなどの大手IT企業の覇権争いについても要点を押さえてくれています。


 新聞業界の内側にいる人はどう読むのかなぁ。「一覧性に欠ける」「デバイスを買い替えるコスト高」「いちいちダウンロードする手間」などの理由で、やはり「紙」に分があると思っている人が大半でしょう。確かにいまの新聞購読層は中高年世代が主流なので、「紙」をベースにビジネスを展開せざるを得ないというのはその通りなのですが、アイパッドを使ってみて電子新聞もけっこうイケると感じています。広告面をタッチするとそのクライアントのサイトへ飛ぶというレベルではなく、記事を翻訳して英語や中国語に変換できたり、記事をタッチすると音声サービスついていたり、記事を書いた記者が飛び出したり、記事中の単語とウィキペディアが連動していたり…。こんなサービスが提供される日も近いのでしょう。これは使ってみないとわからないと思います。


 電子書籍の台頭で出版文化が危うい状況にさらされる―という意見もあるようですが、出版文化を守ることは出版社のビジネスモデルを維持させることではないと思います。新聞の場合はちょっと違うと思いますが。
 音楽が抜きんでた新たなデジタル生態系が書籍にまで広がってきたという捉え方ではなく、モノの売り買い、そして発信する行為自体がフラット化されていくことが理解できる1冊です。紙メディアの中にいる人にぜひ読んでもらいたいものです。

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2010年05月07日

数字は嘘をつかないが、その数字に嘘があっては無駄な分析に終わる…

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データブック 日本の新聞 2010
日本新聞協会 500円

 「日本新聞協会のサイトを見れば把握できるのに…」と思いながら、ついつい手元に置きたくなるデータブック。1999年度版から購入しはじめたので11冊目となりました。新聞社に勤めている方は「会社が買ってくれる」ものを仕事に活用していると思いますが、私のような新聞販売店に身をおくものは個人で購入して(あまり仕事には役立ちませんが)いろいろなデータを参照しています。


 2009年10月現在の新聞総発行部数は、50,352,831部で前年比1,138,578の減少。1世帯当たりの部数(普及率)は1部を割った2008年からさらに減り、0.95部。広告収入もさることながら販売収入も厳しい状況が続き、今後値上げをしなければ、販売収入が前年を上回ることは極めて困難な時代にあるのは間違いありません。
 データブックが強調するのは「新聞の戸別宅配率」。「日刊紙全体の94.7%が戸別配達によって読者へ定時に届けられ購読収入を得ている」ということのアピールだと受け止められます。だから「これまでのビジネスモデルを崩すことはできない」ということなのかもしれませんが、それはそれとして、生活者のニーズを無視して“これまで”にしがみつくと誰からも見放される危険もあると感じます。多くの新聞経営陣も「戸別宅配を守ることが…」というフレーズをよく使いますね。


 戸別宅配網は新聞業界が培ってきた「地域インフラ」のひとつ。生活者の情報摂取のあり方が変化してきているなか、そのインフラを多様に活用して収益をあげることを考えた方がよいと、ずっと言い続けているのですが(能力不足で)無視され続けているのが現状です。


 販売店従業員(販売店数)の数は2009年で404,865人。部数に準じて前年比では12,304人減っているものの、40万人を超す人たちが新聞産業の底辺を支えているのはスゴイことだとあらためて思います。逆な言い方をすれば、この40万の方々も読者であるということです。

 時勢を読む―。数字の動きを見ていると意外なものが発見できます。でもその前提となる公称部数に偽りがあっては虚構の解析で終わってしまいますが…。

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2010年04月30日

当事者の発信を助け、つながる「個」のメディアへ

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放送メディア研究 7
編集 日本放送協会放送文化研究所(丸善)1,800円


 本誌はNHK放送文化研究所が2003年から、「放送」を軸にさまざまなメディア環境の変化とその課題を毎年まとめたもので、今年3月10日発行分で7号(7年目)となるそうです。
 じつは当方、本誌の存在を知らなかったのですが、寺島英弥さん(河北新報社)から頂戴して「さずがはNHK。幅の広いメディア論を考察している方々を人選し、それぞれの論文をまとめているなぁ」という印象を持ちました。


 今号のテーマは「都市、地域、メディアの関係性を再考する」というもの。本文から引用すると、


 「地域再生」や「地域主権」「都市と地方の格差是正」などがキャッチフレーズとして叫ばれる中で、地域メディア(地域放送、地方紙、コミュニティメディア等)の存在意義、可能性がさまざまな形で問われている。しかし、そもそも地域とは何か、地方とは何なのか。急激に進んだ都市化と人々のライフスタイルの変化の中、その輪郭や実態は曖昧化・不明瞭化し続けている。本特集は、地方自治論、郊外論、社会関係資本論など諸分野の新しい知見をも踏まえながら、情報化、グローバル化が進む中で今も変貌を続ける都市と地方、そしてメディアの関係性を捉え直し、今後の「地域情報」「地域メディア」「地域放送」のあり方、可能性、課題を考察することを意図している。

 8人の識者へのインタ記事と論文、座談会で構成されていますが、メディアという大きなくくりの中で、新聞産業にも相通じるところは少なくありません。

 地域メディアの可能性への視軸として、前出の寺島さんが「地域で生きるジャーナリスト像とは」と題した論文を発表しています。
 新聞人は「つながるジャーナリズム」を、地方紙の役割は「地域支援NPO」を目指すこと。寺島さんの論考は地域で生活する人々のために存在するのが新聞であり、マスメディアの役割との視点でまとめられています。河北新報社の生活文化部で取り組んだ「雇用不安問題にNPOと協働」、「自死遺族の運動、全国に広がる」を通じて、シビック・ジャーナリズムを実践していく記者と当事者との関係は、その記事を読んだ私にとって「ひざを打つ」ことばかり。「情報リテラシー」をしっかり根付かせるためにも、書き手の側がどういう思いで発信したのかを掘り下げて解説してほしいと感じました。限られた紙面スペースですべてを伝えきることは難しいのかもしれませんが、「である調」の書き方だと特に「伝え手」の気持ちが伝わりづらいものです。

 さらに、昨年から取り組んでいる「SWITCH‐ONプロジェクト」にも触れ、これまでの軍隊方式に慣らされてきた新聞人と新聞(この表現は今だけ委員長の勝手な解釈)を変えるための「記者教育」の重要性とその活動が広がっていることへ期待を寄せています。寺島さんは論文のまとめとして、「地域の発信の主体とつながる担い手づくりへの提案」という8つの提言をされています。

1. 役割:記者には専門家としてのライセンスはない。購読料の有無に関わらず,地域に暮らす人々から,その個々の表現する権利,知る権利の実現を託され,あるいは手助けをする仕事と考える。それゆえ記者は,声あるところへ行き,当事者の語るもの(ナラティブ)を聴き,自ら調べ,声を地域や社会に「つなぐ」役割を有する。新聞を常に,多様な当事者に開かれた場とすることに努める。

2. 姿勢:権力をチェックし問題や不正を明らかにすることも,見えない存在であった当事者の声を地域につなぐことも,「草の根デモクラシーを強める」というジャーナリズムの仕事の同じ働きである。大切なのは,正義の強者となることではない。地域,社会には多様な人の声,多元的な価値観があり,記者の見方はその一つに過ぎないという事実,そして地域の人々から負託を受ける記者として何を質問すべきかという原点を,常に省みる姿勢である。

3. 倫理:記者の倫理は,市民としての(一個の人としての)倫理に同じ。市民にできなくて,記者にできることは,すべて特権である。市民のジャーナリストは何の特権をもたない。読者から負託された仕事という観点から,日常の「特権」を一つひとつ洗い直し,仕事の実現に必要で公正なものか,改めるべきものかを洗い直さなくてはならない。

4. 客観性:客観性とは,離れてながめることではない。記者は,被取材者に対し「わからない他者」であるとの自覚から出発する。発表やネットなどに流通する情報に頼らず,当事者の語るものから出発し,事実の多角的な調査と,執筆にあたってはあらゆる確認を行う。その過程における記者と当事者の議論,報道後の読者の評価と批判,当事者を交えた検証などを通した協働作業によって,客客観性は鍛え上げられる。

5. 署名:記者は,地域のさまざまな当事者の「生きた言葉」の伝え手である。記者自身も,「生きた言葉」を共有する書き手でなくてはならない。調べ,書いた者の責任と読者の信頼を担保するとともに,記事を通して記者を知り,発信の手助けを望む新たな当事者との出会い,つながりをつくるために署名は必要である。また署名を通して,新聞が記者の多様な意見を重んじ,開かれた場であることを示すことは,市民や専門家ら地域の書き手の発掘,参加にもつながる。

6. 責任:責任(responsibility)とは,向き合う相手の発する問いを受け止め,応答する(response)ことに始まる。記者は,読者からの負託に応える仕事であり,読者の疑問や批判,意見に応えることも仕事である。報道被害の取り返しのつかなさを常に自覚し,誤りの是正,当事者を交えた検証にも直ちに対応する。

7. 評価:報道への評価は,読者によって行われるべきもの。それを受け止める窓口となり,問題点を調べ,責任を持って編集の現場に改善を促す権限のある部署を設ける必要がある。それによって,新聞と読者の双方向のつながり,信頼を確かなものとできる。米国の新聞におけるオンブズマン,パブリック・エディターなどの仕事が範となる。

8. 教育:一人ひとりの記者が以上のような「つながるジャーナリズム」を実践するためにも,新聞は,それに必要な教育の仕組みを整える。記者たちが小さな成功と失敗を学び,異なる現場での実践と課題を知り,共有する議論の場を設ける。また大学や他のメディアなどとも連携し,自らの仕事と経験を見つめ直し,新聞のジャーナリズムを別の視点から議論し,協働を学べるような多様な人々との交流の場をつくる。


 このほか、ブログ「ガ島通信」を運営している藤代裕之さんや東海大学専任教授の水島久光さんの論文も興味深く拝見しました。ぜひご一読を。

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2010年03月03日

無購読者に新聞研究「記者読本」を読んでもらいたい

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新聞研究(704)記者読本2010
社団法人日本新聞協会(840円)

 「無購読者にはこれを読んでもらいたい」そう思いました。
 毎年、新聞研究の3月号は「記者読本」と称して、4月から新聞社で働く新入社員へのメッセージ集で構成されています。
 「記者となる君へ」というキーワードでベテラン記者からのメッセージや先輩記者からの体験談などは、「こういう先輩のもとで働くのはオモシロイだろうなぁ…キツそうだけど」と勝手に回想してしまいます。
 筆者の先輩方のなかには、磯野彰彦さん(毎日)や具志堅学さん(沖タイ)などお世話になった方の寄稿もあって、大変興味深く読みました。なかでも高知新聞の山岡さんの文章はとても印象深く、強面の編集局長(実は心優しのでしょう)のイメージが伝わってきます。新聞はこういう人たちが作っているのだ―と思いながら新聞を手にすると、また一味違った「新聞の読み方」ができると思います。

 「新聞は読まない」なんていう方には、今号を読んでもらってから「どうです。新聞読みたくなりませんか?」と口説いてみたいですね。


 「記者読本」と銘打っているわけですから、記者職の先輩方の記憶が多いのは当然ですが、新聞協会の販売と広告の両委員長からも営業職場の現状が綴られています。
 もちろん販売労働者ですから販売委員長の飯田真也さん(朝日)の寄稿から読みました。表題は「経営安定の努力続ける」。不正常販売の問題点を指摘し、「今後は販売店間の業務提携も進み、戸別配達も合理化されてさらなる経費削減につながる」との見解を示しています。さらに、「新聞の報道・言論は公平で正確でなければならない。そのために欠かせない経営の安定を図り、一人でも多くの方に読んでいただくために我々『販売人』は全力を挙げる」と結んでいます。
 これまで、販売委員長が不正常な販売の実態を示しながら改善に取り組むといった内容を表記するのは、はじめてではないかと思います。さらに、経営を守るために販売はさまざまな合理化(経費削減)に取り組むという書き方も。昨年同月発行の新聞研究を引っ張り出して、当時の販売委員長(船瀬さん・日経)の寄稿を見てみたら、「報道の自由支える個別宅配網」という表題で、「新聞事業の根幹は日々読者の元へ届ける戸別宅配網である。世界に冠たる日本の個別宅配網を維持、強化する必要がある」と書かれてありました。
 そうそう、これまでは宅配網の維持を前面に出して書かれていたのです。ところが、飯田さんになってからいろいろと変わってきた。経営を守るために販売は合理化(正常化)に取り組むと…。

 改革派の飯田さんを応援したいと思う一方で、無謀な合理化には断固反対です。配達従業員もまた地域の読者であり、業界構造の根底にある発行本社と販売店の取引関係を適正化することが優先されるべきだと思っています。


 話は脱線しますが、新聞研究を発行する日本新聞協会に勤めていた阿部裕行さん(事務局次長兼経営業務部長)が、地元の多摩市長選(4月4日告示、同11日投開票)へ立候補するため、2月に退職したという話を今日伺いました。少々びっくりしましたが、「あの方ならば」という気持ちです。
 阿部さんには新聞労連の役員時代に春闘要請行動の段取りや、産業政策研究会メンバーと協会職員の方々とのディスカッションの場を設けていただくなど、大変お世話になりました。新聞というキーワードでのつながりはなくなるのかもしれませんが、多摩市民のためにご奮闘されることを願っています。

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2010年02月15日

とうとう断末魔… 

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週刊東洋経済2/20「新聞・テレビ断末魔 再生か破滅か」
東洋経済新報社(690円)

 輪転機で刷られる新聞がどこか懐かしいような雰囲気を漂わせるセピア色の表紙。注視書きには「かつて高速輪転機は速報のための武器だった。が、今では重たい負の遺産へと変質しつつある」と…

 週刊東洋経済が新聞(テレビ)業界を1年1カ月ぶりに特集した今号は、前回の「テレビ・新聞陥落」以降、延べ53頁の特集に目を通して「この1年間でいろいろな動きがあったなぁ」と思わずうなずきながら、新聞産業で起こった出来事をしっかり取材してあるなぁという印象を持ちました。前回の特集は「立ち読みレベル」(ゴメンナサイ)と評させていただきましたが、今号はしっかりしてます。

 WSJジャパンの北尾吉孝代表やクロスオーナーシップを問題視した原口一博総務相のインタ記事は、もうひと突っ込みを入れてほしかった気もしますが読んでおくべき、クリス・アンダーソンの「無料経済で新聞経営は大きく変わる」はイマイチという感じでしょうか。
 ほとんどの記事が見開き2ページの読み切りで、係数資料も豊富でわかりやすい。さらに、全国紙だけを取り上げるのではなく、「地方紙のサバイバル戦略」として7つの新聞社の取り組みを紹介するなど、「これは業界人も読んでおいたほうがよいのでは?」と思う記事が盛りだくさんですね。
 あとは、相変わらず日本経済新聞を持ち上げる感じが伝わってきますが、日経が3月からサービスを開始する日経新聞電子版の全容が明かされています。昨年末で日経を退社された坪田知己さん(日経デジタルコア所長)も「日経電子版の成功条件」を寄稿されています。

 「再生か破滅か」とおどおどしい副題に、「こんなもの!」と強がって見せても、隠密に購入している新聞経営者も少なくないと思います。意外と内部にいる人は自分たちの産業がどの方向へ動こうとしているのか理解していない人が多いように感じます。周りの意見を聞かずに“自分が決めるのだ”と思っている人の方が大多数でしょうから…。でもこれって“読者の声を聞かない”ことの裏返しなのだということをもう一度考えてみてはどうでしょうか。

東洋経済中吊り.jpg

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2010年01月11日

メディア・コングロマリットから「メディア・インテグレーター」へ

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次に来るメディアは何か
著者 河内 孝(ちくま新書)740円

 昨年秋ごろから、新聞没落系の新刊(ネットでは記者クラブ問題など盛り上がっていますが…)が出ていなかったのですが、先週発売された河内孝さんの「次に来るメディアは何か」を読みました。

 河内さん自身、慶応大のメディア・コミュニケーション研究所で「メディア産業論」の講座を持っていることから、学生に対して講義した「メディア融合現象」の2年間の講義録というか、河内さんが「マイコミ・ジャーナル」などのネットメディアで寄稿した論文の“まとめ”という感じを受けました。


 第1章では、米国のメディア産業に精通されている河内さんが米国の新聞事情とジャーナリズムを保護するための米議会やNPOの動き、そしてグーグルの戦略がまとめられています。第2章の「化石のような日本メディア界」では、新聞については「新聞社―破綻したビジネスモデル」以上の考察はありませんでしたが、放送業界の分析やFCC(連邦通信委員会)ICT(情報通信技術)の解説はとてもわかりやすいものです。そして、第3章で「次に来るメディア」の結論を導いています。
 河内さんが主張する次のメディアは「メディア・インテグレーター」。横文字は汎用性が広いのですが、いわゆる無数のネットメディアをコンシェルする「個メディア」がキーポイント。この辺りの話は、坪田さん(日経メディアラボ所長)も言及しています。メディア・コングロマリットとして、「フジ・メディア・ホールディングス」(日枝会長への取材も掲載)の将来展望についても詳しく分析されています。

 そして、この書のキモは河内さんの2012年メディアの「再編政図(予測)」です。


1.日本のメディア界は、4大メジャーと2つのユニークな独立グループによる6グループに集約されていく

2.4大メジャーとは、NHK、フジ・メディア・ホールディングス、読売新聞・日本テレビグループ、朝日新聞・テレビ朝日グループ

3.独立のメディア・グループが2つ生まれる。経済情報の総合化を目指す日本経済新聞グループと、ジャーニーズ事務所、エイベックス、吉本興業連合によるコンテンツ制作と番組販売のメディア・グループ「JAY」(ジャニーズ・エイベックス・吉本)

4.通信キャリアとの組み合わせは、KDDIが朝日グループに、ドコモはフジ・メディア・ホールディングスに、ソフトバンクは読売グループと一体化する可能性が高い

5.日本経済新聞グループは、経済情報に特化した情報プロバイダーとして独立した企業経営体を維持する

6.産経新聞社は、時事通信社と合体し、フジ・メディア・ホールディングスのグループ子会社となる

 これまでは、「そんなの現実性がない」と一刀両断を食らう予測だったのかもしれませんが、この時代、どれも「あり得ないことではない」と思います。

 河内さんが07年冬にコロンビア大学院へ短期滞在中に同大学院ビジネススクールのエリ・ノーム教授が研究する「メディア・コングロマリットの生成とその功罪」が随所に引用されていますが、1944年生まれの河内さんが07年に米国の大学へ講義を受けにいく…すごい。

 新聞産業の今後というより、放送やケータイキャリアを含めた日本のメディア産業の行く末を、米国で起こっている状況に照らし合わせ、かつ政権交代によって流れが変わるかもしれない情報通信法(通信と放送の融合)の動きに当てはめて解説されています。

 「見たくない現実からは目をそらしたい」という新聞経営者へぜひ薦めたい一冊です。

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2009年12月26日

強烈な見出しに反比例する内容の薄さ…

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ZAITEN(2010年2月号)
財界展望新社(630円)


 「メディアを越えた大再編開始」/「テレビ」「新聞」生存への最終章―

 見出しだけを読むとインパクトがありそうですが、「これで特集か」と首をかしげる内容の薄さでした。新聞に関連するものは、元毎日新聞常務の河内孝さんの論文(メディア再編)とフリージャーナリストの小川裕夫氏によるレポート(記者クラブ制度)のみ。編集者の論もなく、(週刊誌的な)巨大マスコミと対峙するという気合も伝わってきません。

 もう、見出しだけでは興味を引くこともないくらい、オールドメディアの厳しい状況は広く理解されていますから、切り口を考えないと逆に「痛い」という感じです。
 “予言者”副島隆彦氏のインタ記事があったので購入しましたが…
残念。

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2009年12月22日

対談「旧メディアの運命」上杉隆×真山仁

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週刊ダイヤモンド 新年合併特大号
780円

 年の瀬になると、新聞はもとより各メディアで今年の回顧録や来年の展望などの特集が組まれます。関心ごとは日本経済の行く末なのですが、参考になる経済誌系は新聞のように読み比べることが(経済的にも)なかなかできないので、今年も週刊ダイヤモンドに掲載されている識者の意見を参考にいろいろ考えたいと思います。

 なぜ、週刊ダイヤモンドかというと、新聞社の経営問題を題材にした小説「ザ・メディア 新聞社買収」(著者:真山仁氏)が同誌に連載されているから。連載はすでに70回。正直こんなに長編になるとは思いませんでした。すでに週刊ダイヤモンドには5万円超つぎ込んだことになります。
 真山氏には新聞労連の産業政策研究会のインタビューにも協力していただいたし、新聞業界の問題点を的確に書かれてあるので「単行本になるまで待てない」と思って愛読しています。


旧メディアの運命 上杉隆×真山仁.JPG さて、その週刊ダイヤモンド「2010総予測」には、「旧メディアの運命」として、真山仁氏と上杉隆氏の対談が掲載されています。
 リードには「2009年は新聞社が内包する危機が顕在化した1年だった。部数と広告収入が減少し、新聞社が販売店に架空の部数を押し付ける“押し紙”も批判された。激動のメディアの行く末を人気小説かとジャーナリストに聞いた」とあり、▽閉鎖的な記者クラブ▽経営と編集が分離していない▽混乱期の今がチャンス―という構成で、「新聞業界の問題点と展望」を4ページに渡って掲載されています。

 「押し紙」のところは突っ込みが甘いなぁと感じつつ、行政刷新会議の事業仕分けで「記者クラブ」もその対象になっていたことをはじめて知りました。大規模な国際会議やJICA関連で記者への便宜供与が合計100億円以上もあって、それらを仕分けられたというもの。紙面ではいっさい取り上げられてないと思います。

 この手の週刊誌特集に飽き飽きしている業界の方も、これまでのような「新聞没落」系の内容ではないのでぜひご一読を。

追記:ダイヤモンドオンラインに対談記事の全文がアップされています(1/19)。
http://diamond.jp/series/dw_special/10070/

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2009年12月14日

ニコ動サービス開始から3年 これからどう進化するのか

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ニコニコ動画が未来を作る
著者 佐々木俊尚(アスキー新書)900円

 ニコニコ動画のサービスが開始されてからちょうど3年(2006年12月12日スタート)。ニコ動の愛称で親しまれ、ユーザーが投稿した動画(たまにライブ中継もあり)にコメントが書き込めるこのサービス。「2ちゃんねるのような書き込みのテンプレートが動画に変わっただけで、なにが面白いのか」と首をひねる諸兄も多いと思いますが、1425万人が会員登録するウェブサービスに興味を持たないことのほうが首を傾げたくなるのですが…。

 今だけ委員長はニコ動のヘビーユーザーではないけれど、たまにチェックしています。今年7月まで座長を務めていた新聞労連の産業政策研究会のメンバーが、ニコ動を運営するドワンゴ(ニワンゴ)の会長  川上量生さんへ取材(第二期報告書へインタビュー内容を掲載)させていただいたり、東証一部上場企業でありながら何かよくわからない会社だったり…。ニコ動のサービス自体は赤字が続いているのに、サービスを続けている理由などを知りたいと思い購入しました。考えてみれば佐々木さんの本はほとんど買ってるなぁ。

 読み進めると、302ページ中、ニコ動の話が登場してくるのが第5章からの73ページ分だけで、最初から228ページまでは、株式会社ドワンゴの成り立ちと、川上会長とともにオンラインゲームやケータイ着メロサービスに携わった“廃人・奇人・天才”のサクセスストーリーで構成されています。
 でも読み終えると、こういう人たちがドワンゴに集まり、ニコ動のようなサービスが出来上がった背景が理解できます。オモシロイ。

 ニコ動がこれからどのような進化を遂げるのか。とても興味あるところです。技術屋集団を束ねる経営手腕についても学ぶところが多いのですが、オモシロイものをさらにおもしろくする自由な発想とスピード(技術開発)がドワンゴの強みなのですね。

▽「ニコニコ動画を日本のインフラにする」--夏野氏がニコニコ動画に参画した理由
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20377210,00.htm
▽赤字ドワンゴの行方 夏野氏が語る「ニコ動」の黒字化計画
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20091119/210172/
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2009年12月08日

手探りですが、ツイッターでつぶやいてます

140文字が世界を変える.jpg
ツイッタ― 140文字が世界を変える
著者 コグレマサト+いしたにまさし(マイコミ新書)819円

 流行のツイッター。もう遅いか…
 今年6月の全世界ユーザー数が4450万人で、どんどん伸びているようですねぇ。
http://jp.techcrunch.com/archives/20090803twitter-reaches-445-million-people-worldwide-in-june-comscore/
 今だけ委員長も6月に登録だけして、放置しっぱなしだったのですが、先月後半からぼちぼちつぶやいています。
 kose_k  です。
興味のある方は、ぜひフォローしてください。

 さて、ツイッターを始めるにあたり、「RT」とか「流行のトピック」(この辺は初歩的なこと)とか、基礎的な使い方をを知ろうと本書を購入したのですが、「まずやってみよう!」という内容でした。
 ツイッターの可能性は計りしれず、これからさらにユーザーが増えれば、よりリアルなメディアとしてSNSやブログよりも企業の販促ツールとしても活用できる可能性があるとか…。敷居が低く誰でもつぶやける(書き込める)手軽さはよいのですが、まだ実感としてつかめていません。いまはシコシコとつぶやいて行こうと思います。

 ぜんぜん本の紹介になってないなぁ…。
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「多対一」のマイメディア時代が到来する

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2030年メディアのかたち

著者 坪田知己(講談社)1000円



 結論を先に言うと、将来「メディアは逆転する」のです。デジタルメディアは、その可能性を秘めています。明らかに、現在のマスメディアの延長にデジタルの世界はありえません。根本からメディアのあり方を考え直さなければなりません。(本書「はじめに」より)


 2030年のメディア産業がどう変化しているのか…。もしかするとこの答えは誰も持ち合わせていないし、「こうなる」と言い切る人は逆に怪しまれるかもしれません。しかし2030年は間違いなくやってくるし、自分は60歳チョイになっている。マスメディア(とても広義的ですが)に身を置いている人たちも、これまでと同じような状況が続くとも思っていないし、特に新聞のようなプリントメディアの行く末がどうなるのか悩み、もがくばかり…。本当は自分たちで何かしらの手立てを打たなければならないのに、定年ギリの人たちは前例踏襲路線を変える気もなく、人件費抑制でしか企業延命の手立てを持ち合わせていない。将来のマスメディアに向けて何をしていかなければならないのか。

 坪田さんは予言者ではないので、本書では「マスメディア産業がこうなる」という書き方はされていませんが、2030年には究極のメディアが具現化し、「多対一のメディア」いわゆる「マイメディア」の時代が到来すると予見します。そしてそのニーズに対応し、知的生産レベルを日本国民が高めていくための「知性増幅装置」としてメディアが必要だとしています。うぅーんなかなか難しい。それは坪田さんの思考回路に私がついていけないだけなのですが…。

 本書はメディアの歴史もしっかりひも解かれていて、大学の講義を受けているように読み進められます。そしてメディアの信頼とは何か、プロとは何か、△型ジャーナリズムによるコミュニケーションへと坪田さんが実践していること、こうあるべきという“メディアのかたち”が詰まった本です。


 坪田さんには東京在住中にいろいろとお世話になりました。mixiコミュニティーで意見を交わしていたら「一度こちらに来なさい」との言葉に、図々しくうかがって豊富な資料を提供してもらったり、今後の新聞産業のあり方などをご教示いただきました。2度目にうかがった時には新聞労連の産業政策研究会のインタビュー(第1期報告書へ収録)に応じてもらうなど、いろいろと面倒を見ていただきました。
アンビエント・ファインダビリティ.jpg
 バイクにまたがり雑誌に漫画も書いている(今はどうかな?)坪田さんに“読め”と薦められた「
アンビエント・ファインダビリティ(Peter Morville著)」とも何かしらつながっていると感じながら読み終えました。

参考:WEB日誌(河北新報KOLNETより) http://blog.kahoku.co.jp/web/archives/2009/12/post_234.html

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2009年11月09日

新聞研究700号特集「新聞の明日」を考える

 日本新聞協会が毎月1日に発行する「新聞研究」が、11月1日付発行分でちょうど700号。誌面では「700号特集 新聞の明日」として、7名の方からの寄稿と記者教育担当者による座談会が収録されており、新聞の必要性やジャーナリズム活動への期待など、いつもの紙面よりボリュームのある内容となっています。

 なかでも中馬清福さん(現在は信濃毎日新聞社主筆)の寄稿「『可能性への期待』を捨てるな」と、岡谷義則さん(中国新聞社専務取締役)の「厳しい経営環境にこそ必要な志」は興味深く、新聞人と読者の埋まらない距離感の本質と、新聞社が内包する「問題提起をしても変われない組織」を提起されています。

 中馬さんは記者の目線を下げることと、それでも難解な新聞記事に「わかってもらう」という補助エンジンが必要だとし、信濃毎日新聞社が取り組んでいる「Waの会」で寄せられた「(政治記事で)記事がかゆいところを書いてくれず、どの政党・候補者がベターか、中途半端であいまいな紙面が余計わかりづらくしている」との読者の意見から、「ニセの」客観報道は限界にきていると述べています。
 メディアリテラシィーの問題やシビックジャーナリズム(単語としての表記はありませんが)の必要性を強く感じるものです。2003年に岩波新書から発行された「新聞は生き残れるか」(当時、中馬さんは朝日新聞社勤務)の改訂版として拝読させていただきました。

 岡谷義則さんは、1995年に日本新聞協会が立ち上げた「近未来の新聞像研究会」のメンバーとして、報告書「デジタル情報時代 新聞の挑戦―ジャーナリズムは生き残れるか」をまとめられた方で、同報告書(発行は1998年)に記した新聞経営への5つの提言と、新聞づくりの現場が抱えている課題について提起されています。
 岡谷さんは、デジタル情報時代への新聞の挑戦は、経営面からみると有効なビジネスモデルを描き切れていないとし、新聞社同士で連携できる事業領域に取り組み、コストカットを図ることが“さし当って”苦境に立たされている新聞産業の打開策だと述べています。


 すでに11年前にまとめられた報告書「デジタル情報時代 新聞の挑戦…」を読み返すと、▽新聞ジャーナリズムの再構築▽デジタル情報革命への挑戦▽販売・広告・流通部門の改革▽内部体制の強化▽新聞界における共通利益の拡大―の5つを骨格として、具体的な改善実行案まで踏み込んであるのですが、今日の新聞経営が抱える課題と概ね変わっていません。特に「販売・広告・流通部門の改革」の項では@販売の正常化は、今度こそ絶対に実現させなければならない。これは21世紀の新聞経営の根幹にかかわる課題であるANIE活動など新聞業界全体の取り組みで無購読者層への働きかけを強め、新聞離れの壁を打ち破るべきだB新聞社自身は21世紀の新聞販売店像を具体的に提起し、流通システムの変革に向けて一歩踏み出すべきだC低成長下の多メディア時代に合っては広告主の媒体選別は一段と厳しさを増す。広告主の理解しやすいデータや取引システムなどの整備、新聞ならではの企画広告の開拓を積極的に進め、新聞の信頼と、それぞれの媒体特性を武器に、新聞広告の復権を目指すべきだ―と、今もってなかなか成果が表れない(さまざまな取り組みがされていることは理解しつつ)課題ばかりです。

 ルノーから日産自動車再建のために経営者として迎えられたカルロス・ゴーン氏は「すでに社内には、問題点解決策が検討され、すでに出揃っている。後は、実行するだけだ」と就任時に語ったそうですが、新聞産業は問題点や課題は10年以上前から提起されているのに、実行力が伴っていないと言わざるをえません。
 やはり「人」の問題としか結論はないようです。

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2009年11月04日

ネット社会は従来からある産業基盤を破壊したに過ぎない

ネットビジネスの終わり.jpg
ネットビジネスの終わり
著者 山本一郎(PHP研究所)1,000円

 行き過ぎた市場原理主義的な自由競争はある程度是正されるべきであり、報道の質を担保するだけの健全な情報産業の市場を作り上げないことには、真の意味での情報社会は到来しないだろう
(ココが著者の本質ならイイのだけれど)

 「切り込み隊長BLOG」を運営する著者の近著「情報革命バブル崩壊」からも何となく、「この人は新聞の応援団なのか?」という感じを受けたのですが、「適切な情報の源泉は必要」という立ち位置からネットビジネスにかき回されてきた社会がもたらしたものは何かを鋭く解説した1冊です。結論に至るまでの前置きがかなり理屈っぽいので、かなり飛ばし読みしましたが「なるほど」と思えるものも少なくありません。

 文中でオッと思ったか所を引用します。


 情報革命といわれ、誰もが居ながらにして便利で現代的な社会生活を送る技術革新でバラ色の未来図を楽観的に描いていたネット業界も、結果を見れば社会のフラット化どころか、適切な競争戦略や規制のなかった分、より露骨な資本の理論に揉まれ、従来の業界以上に強者と弱者が熾烈な分裂を遂げるという悲惨な実情だけがあらわになったと言える。誰もが自由に情報にアクセスでき、解放された社会の実現と言えば聞こえはいいのだが、実際には黒字化の経営努力の乏しいベンチャー企業が豊富な市場から資金調達余力で既存ビジネスのダンピングを繰り返し、従来からある産業基盤を緩やかに破壊してきたにすぎない。・・・高いコストをかけて正確な報道を行う通信社や新聞社は、巨大な市場の波に翻弄され、文字どおりの経済的な弱者、敗者として組み敷かれた。本来なら、国民の知る権利を保障するという社会的に価値のある事業であったとしても、実質的には著作権による庇護もなく、再販制度や記者クラブといった、古くからの業界の慣習に依存して収益を確保してきたビジネスモデルが命取りとなりつつある。


 新聞社のような従来型ビジネスを堅持するグループは、ネットで自由競争をしている環境に自ら入り込み、プレイヤーとして頑張ろうと考えてはならない。・・・むしろ、新聞社などの既存の情報産業が新興ネット関連企業と根本的にまったく違う分野での影響力を事業維持のために行使すべきである。経営の合理化はしっかり進めたうえで、官公庁や政府に対して強く働きかけ、国民の知る権利と報道内容の質的向上を目指すための新たな枠組みを構築することである。



 いま、米国の新聞社などはネットに配信するコンテンツの有料化に懸命ですが、ネット社会から紙ベースへ戻ることは考えられないので、ネット新興企業の競争に巻き込まれるべきではないとする著者の主張は理解しつつ、ではネット社会の中で報道内容(取材体制)の質的向上を図りながら原資をどうやって確保していくのかという“もうひと言”がほしかったと思います。欲張りかなぁ…。
 確かにこれからの情報産業、マスメディア産業、新聞産業の方向性を断言する人のほうが怪しいのですが、必ず消化不良になってしまいます。まずいろいろなことを顧客ベースで考えていくしかありません。


 ユーチューブが赤字でもやっていけるのは「グーグルのおもちゃだからやっていける」と断言する著者の言葉をしり目に、産経新聞がユーチューブに公式チャンネル(Sankei News Channelを開設しました。


 ネットバブル再来に投資する産経か?それとも読者と一緒に年老いていくしかないオールドメディアか?じゃんけん後出しよろしく、何もしないでいることのほうがイイのかなぁ…イヤ、ダメだダメだ。
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2009年10月30日

現代では想像がつかない高校生のたたかい  サワダオサムの3部作完成

 夜の群像.jpg
夜の群像
著者 サワダオサム(クマノ出版)


 「紙面にヌード写真集の全面広告を入れるとは…新聞は終わりや!」
 1991年冬、都内の神田パンセを会場に開かれた、全国新聞販売労働組合協議会(略称:全販労)の定期大会(その後、全販労の定期大会は開催されていない)。壇上で宮沢りえのヘアヌード写真集「サンタフェ」の全面広告が掲載された朝日新聞を掲げ、舌鋒鋭く関西弁でまくしたてるオールバックのオッチャン・・・サワダオサム氏との初めての出会いでした。


 その年の4月に新聞販売会社へ入社した私は、わけ分からぬ間に企業内労働組合の執行部へ推薦されました。先輩たちの熱い議論に耳を傾け、新聞販売労働運動の歴史や新聞産業構造のひずみなどに興味を持ち始めたころ、はじめての組合出張(全販労定期大会)でサワダ節を聞き、カルチャーショックを受けたことが、これまでの自分の歩き方に少なからず影響していると勝手に思っています。


 脳梗塞で倒れるまでは、年に1度くらいのペースで仙台に来られ、業界情勢の話をさせていただきました。酒は飲まずともカラオケが大好きで、体力有り余る若手の組合員と深夜まで付き合ってくれました。逆に、滋賀の自宅まで押し掛けたり、昨年11月に開かれたの「わが上林暁出版記念パーティー」にも参加させていただきました。
 2000年には私が所属する労働組合が日本新聞労働組合連合への加盟を決議したとき(私は当時書記長)、「新聞労連では販売問題には切り込めない」と、絶縁宣言を叩きつけられたこともありました。親子ほど年の離れたサワダ氏は、つねに本気で接してくれたのだと感慨を深く…。そして「夜の群像」を読んであらためてそう思い返しました。

 私との交流は18年続いているのですが、それまでのサワダ氏はどのような人生を送ってきたのか。この「夜の群像」を読むと、同氏が文学に詳しく、労働運動家としての基礎が備わったのかが理解できます。定時制高校時代の2年間の動静、サワダ氏こと田川三郎(本文では田中三郎が主人公)を取り巻く組織と女性たち…。現代では考えられない高校生のたたかいは歴史に残しておく必要があると思います。

 
 あとがき(エピローグ)には、これまでの人生の総括として、「新聞幻想論」と「わが上林暁」の3部作を書き終えたとありましたが、サワダ氏はこれで活動をやめるタマではありません。いま脈々と次なるテーマを探していることでしょう。

 「親しい友人へ贈る」とされた限定版であるため、多くの方の目に触れることがないのは残念です。素晴らしい自分史を進呈いただき感謝します。


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2009年10月29日

シビックジャーナリズムの実践によって達成される目的を考えたい プラス【告知】スイッチオン仙台シンポ

シビックジャーナリズムの挑戦.jpg
シビックジャーナリズムの挑戦
著者 寺島英弥(日本評論社)1,890円

 ちょうどこの本が出された2004年は、自身にとってウェブ関連の動きに興味を持つようになったり、mixiやグリーに登録したり、このブログを始めるきっかけになった年でした。そうそう「EPIC2014」のショートムービーにカルチャーショックを受けたのもこの年だったような気がします。
 その前年に時事通信社の湯川鶴章さんが「ネットは新聞を殺すのか」を出版し、新聞産業のビジネスモデルに危機感を抱く方々との交流が広がりました。新聞労連が開催した産研集会で出会った「ガ島通信」の藤代さんや「猫手企画@新聞屋」の小石さん、ローカルメディアネットワーク(mixi内)を立ち上げた畠山さんなどとの出会いもちょうどこの頃。新聞特殊指定撤廃問題で揺れていた当時の新聞労連委員長は「ニュース・ワーカー2」を運営する美浦克教さんでした。

 米国の新聞社が展開していた「情報をタダで配信しアクセス数を稼ぐ広告型ビジネスモデル」に舵を切りつつあった新聞産業の方向性を検証し、読者の「紙」離れや紙面広告とのカニバリゼーションなどについて、(私は話について行くのが精一杯でしたが…)夜な夜な議論したものです。マーケティングの本を読みだしたのもこの頃で、商品化された新聞紙面に意見などできる立場にない販売労働者が「生活者の声」を編集側に伝えないと生活必要財として新聞は生き残れなくなるのではないかと強く感じたものでした。これまでは「新聞産業を歪めているのは、押し紙問題に派生する構造的な問題だ!」としか言わなかった輩だったのに…。


 前置きが長くなりましたが、これまでの新聞ビジネスモデルの危機がささやかれた時に、シビックジャーナリズム(パブリックジャーナリズム)の必要性を紹介したのが寺島さんです。寺島さんは河北新報社の現役記者で、2002年8月から7カ月間フルブライト奨学生(ジャーナリストプログラム)として米国で過ごし、米国の地方紙の20%が実践しているシビックジャーナリズムの事例を紹介しています。それぞれのテーマを独自の取材をもとに構成、解説されているので、「これから重要となるジャーナリズムの方向性」が、私のような初心者でもわかりやすく読めます。

 読んでから5年たった今思うことは、「何のために」シビックジャーナリズムを実践する必要があるのかという視点です。新聞を核に地域社会のまとまりを高めようという運動、市民(生活者)の側を向いた紙面づくりによって達成されるものとは何か。こと最近の新聞人の議論は、新聞社の財務状況が潤うことばかりに傾注しすぎているような気がします。
 ジャーナリズム活動は個々人がその精神と能力を持っていれば果たされるのかもしれませんが、マスメディアのような組織的ジャーナリズム活動はその企業の経営が成り立たなければ、人員削減はもとより取材体制の縮小など活動の維持は難しくなってくるものです。個人が発信できるメディアツールは増えてきたものの、既存のマスメディアの「チカラ」をあえて手放す必要はない。そのマスメディアに働く方々がジャーナリストたる精神を取り戻し、能力を研磨することが必要なのではないかと思っています。
 そういうメディアを一生懸命に売りたいし、生活者もそんなジャーナリストの集合体を支えてくれると思うのです。


【告知】
 その寺島さんも参加する「スイッチオン」プロジェクトが仙台でシンポジウムを行います。



誰でも発信できる時代の「伝える」を考える〜「11・28仙台シンポジウム」

テーマ:「磨こう!思いを『伝える』スキル 〜誰でもジャーナリストになれる時代に〜」
時間:11月28日(土)13時半受付開始、 14時開場、16時30分終了予定。
会場:せんだいメディアテーク 7Fスタジオシアター(アクセスはこちらから)
参加費:無料
対象:どなたでもご参加いただけます
人数:先着180名(申込フォーム
パネリスト : 寺島 英弥、高成田 享、関本 英太郎、紅邑 晶子
コーディネーター : 藤代裕之

 マスメディア、研究者、NPO関係者がパネルディスカッションを行い、誰もが情報発信できる時代の課題や可能性、情報発信や表現のスキル、そしてメディアとしての役割を考えていく。参加者を巻き込んだミニワークショップ、街に出て取材している大学生とネットで中継して取材状況を聞くインタラクティブな企画も予定しています。
スイッチオン.jpg

「スイッチオン」プロジェクトは、各種マスメディアで活躍するプロが組織の枠を超えて協力。大学生記者と共に取材を行い、記事を制作する、実践的かつ実験的な大学生向けのジャーナリスト育成プログラムです。

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2009年10月11日

タブーをこれからの人に背負わせるな!

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「押し紙」という新聞のタブー
著者 黒藪哲哉(宝島社新書)680円


 「押し紙」問題を追及するジャーナリスト、黒藪氏の新刊です。
 これまで黒藪氏がブログ「新聞販売黒書」などを通じて取材された「押し紙」の実態や、新聞社の部数至上主義による弊害などをまとめた内容になっています。
 すでに知っている話ばかりなので反すうしつつ、全く変わることのない(変えられない自身の反省を込めて)新聞産業構造にイラッとしながら読み終えました。

 
 書籍帯には「ナベツネの天敵が書いた」の文字が表記されていますが、「押し紙」問題は読売新聞だけの話ではなく、新聞産業全体の問題なのです。
 「押し紙」問題は業界のブラックボックスとして扱われてきました。経営をチェックする労働組合ですら踏み込むことに躊躇する問題なのです。現に「押し紙」問題を告発した黒藪氏は、読売新聞社から3件(うち一つは週刊新潮社と一緒に)の訴訟を起こされています。そのくらい、この「押し紙」問題に触れることは、すべての新聞社や、ともすると新聞労働者をも敵に回す構図になってしまうものです。
 今だけ委員長も(このブログで押し紙問題を指摘していることに対して)ある方から「どこから給料もらっているんだ!」と圧力をかけられることもありました。サラリーマンは直接的には会社から給料が出ているのですが、給料の源泉は読者や折込広告主からいただいているからで、そこを履き違えてはいけないと思っています。先日開かれた全国の折込会社が集う会合で、折込チラシが減っている理由を「一部週刊誌で虚偽部数などと報じられたことも影響している」という発言が業界紙に書かれてありました。もともと何が問題なのかという本質から目をそらし、自身のことしか考えない…。すべて他人事なのでしょう。

 内側にいると「何とかしたいけれど、問題が一気に噴出するとすべての人が不幸になる」という意識が働いて、この問題から目をそらしてしまう。しかし、真実をねじ曲げてきた代償をこれからの人に背負わせるほうがもっと罪なことではないでしょうか。確信犯なのですから…。

 黒藪氏がなぜ「押し紙」問題にこだわるのか。あとがきに記されている一説を引用します。
 「ジャーナリズムを放棄してまで、新聞産業が生き残っても意味がない。このあたりの大原則を忘れてしまったところに、現在の新聞社の悲劇があるのではないか」
 まだ問題の打開策はあるはずです。

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2009年10月10日

経済評論家のメディア批判

マスコミ崩壊.jpg
マスゴミ崩壊
著者 三橋貴明(扶桑社)1,470円


 この手のマスコミ(新聞)批判の類は“もう買わない”と思っても、つい手が出てしまいます。考えるに、自分の気持ちの中に、(現状の)マスコミ批判から「新聞再生の妙薬」が秘められているのではないかという淡い期待があるからなのかもしれません。
 いずれにしても批判されることは痛いことですが、だからと言ってその(批判される)指摘すら無視するようになってしまっては、余計に孤立していくだけだと思っています。

 著者は経済評論家(中小企業診断士)として活躍するかたわら、ネット界では人気ブログ「新世紀のビッグブラザー」を運営している、俗にいうアルファブロガー。
 本編は特に新聞産業の問題を中心にさまざまな問題点を指摘していますが、よくこれほどまでに新聞産業界に内在する問題を調べ上げたものだと感心します。おそらくネット上で発信されている情報を手繰り寄せて論拠を整理されているのでしょうが、その知識は業界人以上?かもしれません。

 内容は残念ながら目新たしいものは見受けられませんでしたが、気になった一説を引用します。

・・・新聞社はオンライン系メディアや風呂が(ブログ管理者)の批判を自社にとって有益な「フィードバック」として受け止め、新聞記事の品質向上に努めるべきなのだ。しかし、散々解説してきた通り、新聞産業はエンドユーザーからのフィードバックを活用し、自社製品の品質向上に努力するという、一般企業が必ず持っている機能を保有していない。それどころか、エンドユーザーの声を直接聞ける販売店を「専売店」として管理下に取り込み、長年にわたり市場の声を聞くことを拒否し続けたのだ。


 この視点はうなずきつつも、「読者の声を聞け!」とはあまりにも抽象的で結論の見えない意見のように感じます。確かに「購読をやめた読者から理由を聞け」と販売現場では口酸っぱく言われていますが、経済的理由以外は「何となく、読まなくても…」といった声が大半で、「こうだからやめる」と明快な意見を言ってくれる読者は少ないものです。
 逆に「こうしたら購読してもよい」(オマケ以外で)という意見を集めるほうが生産的なのかなぁ。いずれにしても、マーケティングをすることよりも精神論で登りつめてきた(新聞社の)エライ人たちの「感覚的な解釈」によって、販売政策などが決められてきたのは確かです。


  「新聞社の決算を診断する」の章では、全国紙の08年決算内容の分析がされています。そのなかで売り上げの落ち込みが最も大きい産経新聞は利益の悪化がそれほどでもないことに触れて、「産経新聞は08年時点から社内の人件費に手を付け、リストラクチャリングを進めてきたためだ。なぜ産経が、他紙に先駆け、人件費にメスを入れることができたのかといえば、規模が小さい分小回りが利きやすいというのもあるが、それ以上に同社が新聞労連に加盟していない点が大きい」と述べ、各社の従業員が新聞労連(日本新聞労働組合連合)へ加盟しているから、人件費の削減は容易ではないとしています。
 この理論展開を読む限りでは、新聞再生の道はなくリストラ(人件費削減)して赤字をしのげ―ということのようです。


 マスメディア(新聞)への処方箋についても書かれています。▽再販制度及び新聞特殊指定の取り消し▽専売制の宅配モデルの解体と、合配制化(総合店化)▽全記者クラブの解散・・・・・・。
 新聞産業の分析はしっかりされているのですが、批判の域からでない破壊論者という印象を受けました。


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2009年09月26日

NIEは新聞のつくりかえに必要な活動

新聞教育の原点.jpg
新聞教育の原点
―幕末・明治から占領期日本のジャーナリズムと教育
著者 柳澤 伸司(世界思想社)3,800円

 「いくら現場のことを熟知した研究者が新聞・ジャーナリズム批判とよりよき提言をしても、現場の記者には届かなくなっている、聞く耳を持たなくなっているのではないか。それ以上に、内部から変えていこうとする彼ら(新聞人)の姿勢を感じなかったことが、私自身の問題意識を深めるきっかけとなった
 立命館大学(産業社会学部教授)で教鞭を振るう著者が、NIE(Newspaper in Education)と新聞・ジャーナリズム研究に取り組む動機を「あとがき」に記しています。

 1980年後半から「教育に新聞を」と呼ばれる活動が推奨されて、2011年度から学習指導要領に「新聞」を授業で活用することが盛り込まれるなど、新聞教育が見直されています。最近の新聞業界でもNIEネタがやたらと多くなっているようです。
 本書は、幕末に日刊紙が発行された頃からの半世紀について、新聞が果たしてきた役割や「新聞についての教育」と「新聞による教育」を考察しています。膨大な量の資料も紹介されているので、NIEに興味のある教育者や新聞人は必見ではないでしょうか。


 ところで、現代のNIE 活動とは何を目指しているのでしょう。

 「新聞を読まない(定期購読していない)」若年層や世帯が増えていることに関連して、時事的な記事を読む能力「リテラシィー」が落ちていると思われるために、新聞を活用して読解力を養う―というのは教育者の論。
 新聞人は将来の購読者に対して新聞を読む習慣をつけてもらいたいという若年層への先行投資の意味合いを強く感じます。

 しかし、著者が目指す「NIE活動を通じて新聞のつくりかえる」という発想はジャーナリズムを叩きあげていくことなのです。

 「読者は新聞を読み、批判するだけでなく、よい記事は誉め、読みたくなるような新聞を求めていくことも含めて、新聞とともに共生していくような関係づくりをすること。そして新聞社内部からジャーナリズムをつくりかえていく人を増やすこと。この命題を解いていくためには、相当な時間がかかるかもしれないが、その鍵は新聞を読み批判できる読者を増やすことであり、そのなかから新聞を支え、つくりかえていく新聞人が育つことにある。そのためにも教育に新聞を導入していくこと(NIE)が必要ではないか、と考えている


 私のような販売労働者は、メシを食うために1部の積み上げに躍起になるわけですが、なぜ新聞離れが起きているのかという根本的な問題提起にうなずきつつも、「時間がない…」とあせる気持ちを抑えながら読ませていただきました。

 著者の恩師は、故新井直之氏ということですが、私も一度だけ新井先生の講演をうかがう機会がありました。1992年だったと記憶していますが、新聞販売労働者を前にしてジャーナリズムや記者クラブの問題を真剣に語ってくれたことを思い出します。その当時から「新聞はいずれテーラードシステム(必要な記事だけを読者に届ける)を導入することになるかもしれない」という言葉が印象的でした。ネット時代になってコンテンツの個別配信(タダですが)が当たり前のようになっている昨今を予見していたのかもしれません。
 新井先生が亡くなられて今年で10周忌になるのですね。


※柳澤伸司氏は「新聞の再販制度を自ら否定する値引き・景品の提供」という論文も書かれています。
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~syt01970/page222.html

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2009年08月30日

日本を壊しているのは米国追従の官僚組織

 けさの朝刊各紙に自民党が打った「日本を壊すな」という全面広告。
 自民党が壊れても私たちの生活が壊れなければいいのですが、この国の建てなおしは、米国追従の官僚の解体しかないのかもしれません。 
 日本を壊すな.jpg
 第45回衆院選の開票が行われています。まだ最終的な投票結果は判明していませんが、新聞社が選挙中に行った世論調査(朝日・毎日・読売は単独実施、地方紙は共同通信の調査結果を掲載)の通り、民主党が300超の議席を獲得し政権与党となることが確実となりました。

 2007年に行われた参院選以降、自民離れというより生活者をおざなりにしてきた閣僚・官僚への不満が噴出したのだろうと思います。政権交代を望んで「民主党を選んだ」という有権者がどれだけいたのかはわかりませんが、政権が変わろうとも「官僚に操られる国会議員」の構図は変わらないような気がします。ぜひ民主党政権には官僚にがんじがらめにされないよう、米国からの圧力に屈しないよう国政のかじ取りをお願いしたいものです。


副島隆彦.jpg
 最近、副島隆彦氏の著書(日米振り込め詐欺大恐慌/売国者たちの末路)を読んでいます。著者は外資系の銀行勤務から大学教授などを歴任したあと、副島国家戦略研究所を主宰している方で、メディアに取り上げられることはほとんどありません。

 一部の金持ち層をターゲットに財テクを指南している策士かと思いきや、読み進むうちに(文章は荒っぽいが)日米関係から起因する経済問題について、独自の解説ながら“膝を打つ”内容になっています。メディアでは絶対に取り上げない問題を気持ちよいくらい「明言」しています。

 日本は米国の属国であり、世界経済はディビット・ロックフェラーが牛耳っていると言い切る著者。小泉純一郎元首相と竹中平蔵元総務大臣が行った規制緩和路線、米国追従の経済政策もすべて米国のシナリオ通りに組まれたことだとで、それを操っているのが官僚(霞ヶ関)だというのです。日本の官僚は国民の財産を空手形も同然の米国債を買う形でロックフェラーのシティグループへ貢ぎ、米国債とドルの大暴落で「アメリカ発の世界恐慌」が始まると理論を展開しています。「9・15リーマンショック」以上の世界的不況が起きると…。
そして著者はこう言います「日本のマスコミも電通を介して米国(ロックフェラー)の配下にある」と。


 副島理論がその通りであれば、日本の官僚とマスコミは米国の手のひらに乗っているので、こころざし高い政治家が現われて官僚改革、米国対応をしていくしかないのでしょう。信じるも信じないもそれぞれの考え。それにしても国債の借款債や米国債のリスク、国の財政の実態については踏み込んだ報道がほとんどないのも、やはり注意した方がよいのかも…。


 これからの世の中は、もはや政府まかせでは自分の利益は守れない、自分の事は自分で守るしかない、その為には下手な情報に惑わされることなく、自分で学び、自分で考え、自分の人生を自らの手で守るほかはない。

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