マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか―権力に縛られたメディアのシステムを腑瞰する―
著者 日隅一雄(現代人文社)1,840円
本書は新聞産業(産経新聞社)に一時席をおき、現在は弁護士(日本弁護士連合会人権擁護委員会)として活躍されている著者が、これまで一般(ギョーカイ人でも知らない人も多いはず)には知られていなかったマスメディアに対する日本独自のさまざまな規制を先進国との例に出しながら「その異質さ」を紹介。さらに表現の自由を守る必然性を説き、現在国が規制をかけようとしている低年齢者へのフィルタリングなどのネット上の規制も国家による言論規制の広がりに危機感を示しています。
マスメディアがこのような問題に正面から反対の論陣を張り、市民へ情報通信法案などの規制の危うさを主張すべきなのですが、もはやマスゴミと化した新聞、放送はその役割すら果たせなくなっているのか…。
著者は情報通信分野における国家権力の介入を背景に「この一線は死守しなければならない」とマスコミ労働者への叫んでいるように聞こてなりません。あとがきには表現の自由を業界全体で対応すべきだと述べられていますが、マスコミ労働者の現状は自らの既得権にしがみつくばかりです。直接的な国家権力の介入ではありませんが、いまフリーのライターが雑誌やブログに掲載した内容に対して名誉棄損などで高額訴訟を起こされるケースが頻発しています。烏賀陽弘通氏のオリコン訴訟(資料:UGAYA jounal ・サイゾー)や読売新聞から訴えられた黒藪哲哉氏の読売新聞名誉棄損訴訟(資料:マイニュースジャパン)など大組織に属さないフリーランスから言論弾圧がはじまっているのですが、ほとんどのマスコミではこのような問題を取り上げようとしませんね。このような動きを見過ごしておいて「マス媒体は別モノ」と言い切れるはずはないと思うのですが…
個人的にはマスコミは読者(視聴者)不在の中でシコシコとそれぞれのメディアの価値観だけでコンテンツを作ってきた結果がマスゴミと言われてしまっている所以であると思っています。本書にも「新聞、テレビには、ほかの商品と大きく違うことがある。それは、ユーザーである読者、視聴者の満足度が売り上げに反映されないということだ。新聞は宅配システムだから、特ダネをバンバン書いたからといっても購読者が数が増えるわけではない…したがって、記者の評価はコップの中の争いのようなものになりやすい…本当に読者が求めている記事、問題の本質に迫るような記事を書くことができるか疑問だ」と一蹴しています。
この本を一通り読むと今のマスコミの現状が理解できます。一つ一つ事例を挙げて問題点を掘り下げているのでマスコミ業界に関心のある方や業界内の“頭の固い経営者”にもお勧めの一冊です。
http://newswork2.exblog.jp/7851185/
編集の職場では、極端なことを言えば身の回り(記者クラブと社内)だけしか見ていなくても、日々、何ら不都合は生じません。各社の共通取材テーマで、とにかく他社を出し抜くのが「特ダネ記者」として高い評価を得る近道です。そうやって社会から遊離していく記者が今も増え続けているような気がします。特ダネの評価軸を何とか変えて多様化させたいのですが。
著者のブログもちょくちょく拝見していますが、このような問題提起をされるのが新聞社を辞められた人(もしくは卒業された人)だというのは、悲しいかな現実ですね。組織に属していると思っていてもなかなか実行に移すことができない―私も労連での仕事を通じて“分厚い壁”があることを理解しました。
編集と販売(営業系)の壁はもとより、新聞と読者との間にも壁ができ始めているのかもしれません。あらゆるものにおもねらない(これは必要!)ということとあらゆるものとの間に壁をつくるというのは違うと思っています。