追想 渡邉誠毅
発行・発行 渡邉葉子/渡邉誠毅追悼集刊行委員会(3,400円)
1977年から1984年まで朝日新聞社の社長を務めた故渡邉誠毅氏の追悼集。新聞協会報でこの書籍の発行(今年2月11日)を知ったのですが書店での販売はされていないため、朝日新聞社書籍編集部に申し込んで購入しました。
なぜ、渡邉氏の追想を読んでみたかったというと1985年2月に当時新聞協会会長だった同氏が二度目の販売正常化宣言の各社一斉社告に取り組んだ―その方の半生はどんなものなのだろうかという興味と当時(販売問題)のエピソードなどが記されてあればという期待からです。
昨年、肺炎のため92歳でこの世を去った渡邉氏の半生はまさに戦後の新聞産業の発展と新聞ジャーナリズムの歴史そのもの。1939年に東大卒業後、朝日新聞社に入社。赴任先の北海道で北大農業研究会に関わり治安維持法違反の容疑で3年間の獄中生活を送ることになります。そして戦後。1947年には新聞単一労組朝日支部委員長に就任するなど行動力に長けていた渡邉氏。調査研究委員、論説委員、編集局長、取締役へと経営者としての頭角をあらわし、1977年に社長就任。任期中に朝日新聞創刊百周年(1979年)、新聞協会会長就任など数々の時を刻んだ方でもあります。
本書は渡邉氏が出筆した記事、論文、講演などの遺稿と友人、遺族らによる想い出の記をまとめた追想で構成されています。私の目的だった販売問題への言及については2カ所ほど登場してきます。
「財界」1978年9月1日号のインタビュー記事(要点のみ引用)
――新聞界の問題を解決する場合、二つの前提提条件があると思う。ひとつは朝日新聞の社主問題の解決、もう一つは読売新聞との販売競争の終結、それに伴う販売の正常化の問題でしょう。しかし、それも私は、朝日新聞の社内問題が大きく反映していると思うんです。朝日の出方が闊達になることが、正常化へ大きなプラスになりますからね。そこで新聞界の本当の秩序作りが始まると思うんです。朝読戦争といった販売競争が続く限りは、やはり商業主義に走るから、どうしても紙面が荒れますね。ですから日本のマスコミ全体にとって、朝日と読売の間で秩序ができる、ということがどうしても必要だと思うんです。
渡邉 誰が見てもおかしい、無理な競争は、いずれおさまる時期はくると思うんですよ。
――しかし、朝日の場合はいわゆる部数競争から下りた、とも言えるんですね。読売の場合は部数日本一、即世界一ということで、これが大きな売りものになっている。
――今度の値上げ(1978年3月に1700円から2000円に値上げ)は収益面からいうとプラスになるでしょうね。300円を単純に700万部に掛けても月に32億円になる。
渡邉 300円だからたいしたことはないし、販売店にもいくからね。しかし相当な収益増にはなるんです。今期は競争経費出ているので全部が利益の増にはならないけどね。だけどもし値上げしていなかったら、今年下期の予算編成はかなり苦しかったでしょうね。今、新聞業界全体で3分の1ぐらいの社が赤字でしょう。ひどい打撃を受けて新社になったところもあるし、黒字の会社も黒字幅はかなりへこんでいる。新聞業界全体が、こういう水漬けになってがまん競争をしなければならないとすれば別な意味で言論の自由とか独立といった基盤を自ら危うくしていることにもなる。こっちは、そこまで務台さん(読売新聞社長)にお付き合いするわけにはいかんからね。そのかわり、失敗したら腹切る覚悟ですよ。
――そこで最後に販売正常化の問題をお聞きしたいんですが、務台さんが最初の委員長を務められたんですが、務台さんとすれば本気にこの問題に取り組もうという意欲はあったと思うんですよ。その気持ちを具体的に生かす方法がなかったということなんですかね。
渡邉 僕は務台さんの提案に一番先に賛成したんです。読売、朝日の協力なくしてこの問題は実現できませんからね。務台さんが新聞協会の正常化委員長、僕が実行委員長ということでずっと一緒にやってきたわけです。ただものすごく経費が掛るんですよ。
――共同集金ですからね。
渡邉 経費面から試算してみると、一部当たり120円かかる。700万部の会社だと1カ月7億円以上の経費です。じゃぁ5大地区だけでやろうと僕が提案しまして、これまで一部地区で実験的にやってきたわけです。で、これはこれで進行してきたわけですが、務台さんの論理は、無代紙というものを排除できない限り、拡張材料を使うのもやむを得ないという理論なんです。これはこれで正しいわけです。で正常化宣言後、読売が最初にこれを破った。うちは守っていたんですが、販売店の方は、営々として築いてきた財産が奪われていくわけですからたまらなくなって対応措置をとるようになって、崩れたわけです。
――日本の場合、宅配制度という独特の制度があって、読者にとっては非常に便利なんですが、これは労働集約産業の典型的な形でもあるわけで、今後も何回も値上げしなければやっていけない。その時に、値段に見合うだけの魅力的な新聞が出せるか、ということが勝敗を分ける大きな要因になるでしょうね。
渡邉 そう。それが築地の新社屋の狙いなんです。可能な限り安いコストで新聞を作れるシステムを物的に作り上げておこうということで、どんな事態が起ころうとも生き残っていくという執念がそこにあるわけです。
盛岡市で開催された新聞大会での挨拶/1982年10月15日(要点のみ引用)
新聞界にとって販売の正常化は多年の懸案であるが、幸い皆さんの一致したご努力によって、本年7月から正常化の実施段階に入ることができた。本当に正常化の実をあげるためには、今後さらに格段の努力が必要である。これは当協会史上初めてのことであり、昨年の新聞大会で大軒(順三)前会長から言われた言葉、「これが正常化の最後の機会であろう」という言葉を、もう一度くり返したいと思う。どうか、共に手を携えて、完全正常化を実現する努力を誓い合おうではありませんか。
私は新聞の今後の発展と繁栄は、第一に自由な競争に基づきそれぞれの紙面で特色を十分発揮しながら、新聞媒体の固有の特性を際立たせることによって、新聞の価値をさらに一層高めること、第二にお互いの協調によって、かなえの軽重を問われている新聞界の自浄能力を発揮し、新聞への社会的信頼を回復すること、以上二点、きわめて平凡ながら、最も緊急かつ基本的な課題への取り組みを強調し、これに対する皆様のご協力とご支援をお願い申し上げたい。
一度目の販売正常化宣言の失敗は「読売がルールを破った」ことに端を発して総崩れになったことが伺えます。さらに二度目(渡邉氏が協会会長時に)の取り組みも結果的にはなし崩しになってしまったのは残念であるし、やはりその当時できなかったことが今さら出来るわけがない。そのくらいの気概を持った新聞経営者も今のところ見当たらないということです。
総論と各論のギャップがこの業界にはあり過ぎる…そんな思いで読ませていただきました。