新聞研究5月号
発行 社団法人日本新聞協会(定価840円/年間購読料10,080円 送料別)
このブログでも度々紹介している元日経広告研究所理事の森内豊四氏が、新聞協会が発行する月刊誌「新聞研究5月号」へ論文を寄せています。表題は「新聞広告の後退を考える―営業現場の変革に向けて…」。
この誌が発行される前に森内氏から寄稿内容の要約を送っていただきました。本誌と併せて読むと何とも感慨深く、新聞広告そして営業の仕事への考察の深さを感じます。
森内氏は、新聞研究はもともと編集・記者部門の機関誌であるから、あまり読まれないのかもしれない―と仰っていますが、新聞広告の可能性や広告営業の在り方、さらに新聞広告後退の底流に何があるのかという問題は新聞経営陣はもとより編集職場の方々も知らぬふりはできない問題です。
1995年以降、インターネットの爆発的な普及で右往左往してきた新聞産業界。ネット時代の新たなビジネスモデルを追いかける一方で、これまで新聞経営の根幹をなしてきた広告、販売という営業部門が抱えてきた構造的問題を編集職場の方々含めた新聞労働者がキチンと検証して次へ進むことが必要なのだと感じます。
「新聞研究」論文要約
○広告産業はすでに成熟期を過ぎ、量的拡大は期待薄で、これからはメディア間、ビークル間(新聞社間)の競争が激化するとの認識が必要だろう。
・国内市場の低迷で、企業は海外市場の開拓に力を注ぎ、海外での宣伝活動を強化しているが、日本のマスコミはこうしたグローバル化の恩恵にあずかれない。
・経営における広告のポジショニングが後退している。
○現在の広告不振は現場の努力不足など関係なくさまざまな要因が重層的・複合的にからみあったもので、根底に現在の日本が抱える経済・社会の構造問題がある。
○広告の現場を覆う閉塞感、困難の背景には、広告ビジネスのおける新聞の地位後退がある。新聞各社は、自紙が選ばれる、あるいは外される過程で何の関与もできない。
・広告主といくら親しくなっても、新聞社の広告部員は広告推進のパートナーとは程遠い存在である。
○「いまを我慢すれば、やがて新聞に戻ってくる」という、景気循環的というか本質先送りの意見もみられるが、それでは有効な対策も戦略も見いだせない。
・新聞の広告営業の変革に当たっては、現行の対応を批判的に見直す必要がある。
○新聞社の広告営業は、扱い商品が紙面であるというだけで、広告本来の仕事とは言い難い。広告営業はいま、「広告人か、新聞人か、それとも営業人か」が問われている。
○この10年、新聞広告費は減少しているが、発行ページ数も広告段数も増え続けており、その結果、広告掲載率と広告の取引価格は下がり続けた。需要を上回る紙面の供給は、経済原則通り、価格低下をもたらした。
・もともと新聞の広告原価は正確に割り出せない。紙面の安売りは広告料金への不信感を募らせ、さらなる落ち込みをまねきかねない。
・こうすれば新聞にもっと広告が集まるといった都合のいい広告理論も料理のレシピのように簡便なマニュアルの存在しない。
○営業の仕事は教育より本人の学習がモノを言う。・・・OJT(上司や先輩の話)はおおむね手柄話か苦労話に終わるもので、本来は脱却すべき古い営業スタイルを後輩に押しつけることが多く、自我意識に目覚めた現代の若者を失望させる。
・広告営業はいま、新しいパラダイム(枠組み)の構築を迫られている。
○読者と広告主の新聞離れへの対応は、(営業だけでなく、編集部門を含め)組織全体で負うべきものである。
・これからの新聞広告の方向を示唆するキーワードをふたつ挙げるとすると、「コミュニケーション」と「地域」ではなかろうか。両者は広告の目的・方法・展開のベクトルを異にするが重要度に軽重はない。
・アメリカほど広告頼みでない日本の新聞経営は底堅い。
○先進的な広告営業の推進に知恵を競うとともに、広告ビジネスの基盤整備に新聞界全体で取り組んでもらいたい。
・広告が廃れてメディア独り栄えるということはない、との観点から、まず新聞自体をどうするかの問いがなければならない。・・・多数メディアを旺盛に消費する若者を、新聞にどう惹きつけるかは新聞経営にとって喫緊の課題である。そちらを先にしないと、広告集稿もうまくいかない。
○活字媒体はネットに敗れて消滅するほどやわで卑小ではない。新聞広告も新しい意義、価値、役割の発見・発掘に成功すれば新たな発展が期待できる。
・広告の受け手としての読者は、広告の受益者でもなければならないとの認識で臨む必要がある。それは、広告の送り手側から受け手側へのスタンスの移行を意味する。
○日本的営業をいかに知的で創造的なものに転換するか、現役人には重い課題が残されている
○現在の広告営業ののっぴきならない手詰まり状況を明らかにし、新聞広告危機の認識を共有して、共同で打開の方途を講じていってもらいたい。