新聞千一夜
著者 小林 啓善(東京ライフ社)250円
これもかなり古く、1957年11月発行の一冊。千葉新聞社の経営者であった著者が、全国紙と地方紙との条件的比較をしながら販売内容や記者の資質までも中央と地方とを比べる論調で書かれている。
しかし、ある意味で本当の新聞販売の実態などは記されておらず、読者向け(ある意味新聞協会の発表)のキレイごとが綴られている。経営者同士の「傷の舐めあい」とも捉えられる。
著者は千葉新聞社が廃刊になった時の社長を務めており「千葉新聞社が廃刊に追い込まれた理由は、労働組合がストライキを起こし新聞発行が妨げられ会社が潰れた」とおもむろに書いている。1955年、当時は全国紙の専売店へ地方紙が配達・販売を委託していた時代に千葉新聞は朝日、毎日、読売の3社から「千葉新聞の不買の決議」をされ、専売店を急造せざるを得なかった。そのためには当然資金もかかり、労働者の賃金の遅払いなどで組合が激怒。経営側も人員の整理などを敢行し、労使関係は悪化の一途を辿り、ついには休刊へと進む。著者はストを指導した人物として、当時の新聞労連副委員長であった水口謙一氏(西日本新聞出身)を敵視し、「千葉県民から県民の新聞を奪った英雄」と痛烈に批判している。
千葉新聞社の破綻後、千葉日報社として生まれ変わるが、労働運動の華々しき運動の歴史を考察するには、まだまだ労使双方の言い分を聞かなければまとまらない。
おゆずり頂けませんか
大変申し訳ないのですが、当方もやっと手に入れたものなので、お譲りすることは考えておりません。
同書がアマゾンで販売されていましたよ。5150円(送料別)だそうです(3月17日10時現在)。
『新聞労働運動の歴史』(1980・大月書店)に労組側から見た千葉新聞ストの記述があります。
今手元にないので、記憶で書いてますが、約二百名いた従業員は、会社解散のあおりを受けて失職、千葉日報に入社できたのは九十数名に過ぎなかったそうです。
あと国会でもこのストは問題になって、議事録がインターネットでも見られます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/025/0188/02511260188005a.html
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/025/0188/02511280188007a.html
『新聞労働運動の歴史』(1980・大月書店)は私も持っています。
国会での議事録ははじめて知りました。情報提供ありがとうございます。