2008年04月21日

「もし、新聞がなくなったら」新聞をヨム日公開シンポ(其の五)

経営が成り立っていなければジャーナリズム活動はできない/ニュースに解説、識者の意見を加えた完全版を有料化

橋場)確かにブログというのは、昔はネットができる前というのは新聞社とかテレビ局とかラジオ局のように伝える設備を持っているところしか伝えられなかったものが、ネットやブログによって一人ひとりがジャーナリストになれるともいえるわけです。ではどのくらいジャーナリストが動いているのかというと、例えばオーマイニュースのような市民記者という形でニュースを提供しているというスタイルが増えていますね。でも日本ではそれがどれだけ読まれて信頼されているかというとまだまだだなぁという気がします。
 では進んでいるアメリカはどうかというと、ブログを書く人が大統領の会見に出られるようになったといわれますけれど、といっても実はアメリカでもジャーナリストとして信頼されている人がブログをどれだけやっているかというと、せいぜい20人くらいでそもそも新聞社やテレビ局のジャーナリストの仕事をやめてブログでやっているというのが現状ですね。これからどのくらいネットだけで情報、ニュースを伝える人が増えていくのかはこれから見ていかないといけないと思います。
 ジャーナリズムとすれば新聞社やテレビ局といったマスコミがやっている以上に画期的な取り組みをやっているのは事実ですので、それに負けないような記事を新聞社がどのくらい書けるかというところが、ジャーナリズムの中身というところでは、これから問われてくると思います。ただ難しいのは新聞社が経営的に成り立っていなければジャーナリズムの活動はできないわけで、ビジネスモデルというか新聞社がこれからどうやって商売をしていくのかをいま世界中の新聞社が模索しているのが現状です。
 時間も押し迫ってきましたので、そうしたことを踏まえてパネリストの方に一言ずつまとめの意味でコメントを最後に頂きたいと思います。

シンポ パンフ.JPG

坂東)新聞は日本だけではなしにアメリカやオーストラリアでも新聞というメディアはテレビやネットと競い合っているわけですけれども、向こうの新聞はドサッと来るんですよ。でもそのほとんどが広告なのですね。新聞は広告で事業が成り立っているという状況があるわけですよね。しかし、日本でもちらほらとフリーペーパー、広告でいろんなニュースを流すというような新聞ですとか雑誌、週刊誌がどんどん増えてきています。フリ−ペーパーとネットが提供するニュースはどちらもスポンサー付でタダで情報を流すということでは、共通点はとてもあるなぁと思います。広告スポンサーによって成り立つメディアというのはスポンサーの意向を尊重せざるを得ない。それは言論の自由や情報操作などの不安はある一方で、政治家が小選挙区制になってから世論を気にしなければ当選できなくなったのは、世論に敏感というか大衆に敏感というか…表現として正確ではないのですけれども人気に敏感というか。読者の顔色を伺いながら新聞を作るということになると自殺行為ではないかという気がするんです。その兼ね合いはとっても難しいと思います。
 読者に信頼されなければ、支持されなければ経営は維持できない。だから読者にウケる新聞を書きたいという気持ちは分かるんですけど、それだったらそれこそスポンサーに気を使いながら記事を書くのと同じように、読者のことを気にばかりした記事を書くのは違うと思うし、そんなことばかり書かれては読者も困るし…一番難しい。
 ではどうすればよいのか。私はいま新聞はいろいろな形でNIEのような新聞を読む、リテラシーの教育をされていますが、ネットはどうなんだろう、会場から文字が劣化しているんじゃないかという問題提起がありましたけれども、いろいろな人たちから提供される情報の真の意味でのリテラシーを身に付ける努力をそれぞれがやらなければいけないと思います。学校の教師も「若い人たちが読まないなぁ」と思っていないで、学生も就活のときは必要だから読んでいるんですから。家庭でも親が「今日の新聞のこれについてどう思う」とか家族の会話に使うとかいろいろやればいいと思うんですよね。もっと国民自身が情報リテラシーを持つことなしには、議論も難しくなってくるのではないかという気がします。ぜひ読者を重視しつつおもねらない新聞になっていただきたいと思います。
最相)この議論が行われて、ここにいらっしゃる方々は新聞を読んでいるのですけれど、危機的に考えなくてはいけないのはここに来ていない新聞を読んでいない人から意見を聞かないと議論にならないのではないかという基本に立ち返らないとダメだなと思います。
 あとは私自信はフリーで仕事をしてきておりますので、お金も持ちだしで食費を削って取材をしております。ですから自分の書いたものをタダで読まれるのは嫌です。生活ができません。新聞記者の方は組織に守られているのでそこまでの危機感は持っていらっしゃらないのだと思いましけれども、やはりお金と時間の掛った紙面に書いてある文章は価値あるものとして認めていただきたいし、読んでくれる人を裏切らないような文章を私自信が書くのみだなぁということで考えております。

川邊)とても勉強になりました。こういう機会を与えていただきありがとうございます。ひとつは冒頭申し上げたように若いネットを使っているお客さんの話で言うとコンテンツからコミュニケーションへ移動しているというか、使っている時間が長くなっているというのは間違いないと思っています。コンテンツにしても非常に身近な空間の出来事に関心を持ってしまっているということは、コミュニケーションがあるからそうなっているわけで間違いのないところだと思いますけど、そういう状況になっているのは一時だけなのかなぁと。現場の最新の状況を踏まえながらビジネスを作っているプロフェッショナルと話しますと「一時かなぁ」という気がしてまして、最後は王堂に戻るんじゃないかと思います。やっぱり友達の昼飯なんか興味ないですよね。たまたま若い人たちの中でメディアコミュニケーションというツールを面白がって使っているだけであって、昨日の友達のお昼ごはんがというより、なぜ日銀の総裁が決まった時に(株価の)日経平均が上ったのか―とか、地方の病院から産婦人科がなくなっている―とか社会的なテーマに関して興味を持つというように戻る動きに必ずなって…。ただ、毎日が一方的に新聞の情報を受けて“そうだな”と思うだけじゃなく、新聞はこう言っているけれども私はこう思うというネットがもたらしたインタラクティブ性を持って、いろんな考えられる若者が出現してくるんじゃないかなぁと楽観的には考えています。
 もう一つはビジネスモデルの所で最相さんがおっしゃっていることはとても分かるところで、その話を避けてこのまま終わらせることはヤフーのプロデューサーとして逃げるわけにはいかないので申し上げておきますと、紙は便利ですから最後は残るだろうとは思いますけれども、環境の問題もあったり若い人はケータイの画面内でいろいろ物事をやっていく習慣が付いているので今よりは(紙の新聞が)減っていくと考えています。じゃぁタダが当たり前のネットに来たときにビジネスモデルは崩壊してしまうんじゃないかという危惧が言われてますけれども、これからどういうい流れになっていくか解決していく一番重要な問題かなぁと思っています。
 ヤフーはヤフーでやりますので、新聞社は新聞社でがんばってくださいという立場にあるわけではなくて、一緒になって考えていきたいと。どうしてもストレートニュースだけでいけば新聞社のサイトを有料化して、ヤフーも有料化したとても他のサイトで必ず無料で出てしまいますのであまり意味のないことだと思います。ですからそのストレートニュースと解説とさまざまな識者の意見を加えた完全版をPDFファイルにして新聞社は有料にしますし、ヤフーも読売新聞ですとか毎日新聞、もちろん朝日新聞にも入っていただきたいのですけれども、そういった完全版をヤフーの決済の仕組みを使って月額で販売するとか。そういう一緒にやっていくということを広げていきたいと思っています。実は昨年からオープン化ということで新聞社さんと話を進めて事例が出てきていますので、これを加速させて…。おっしゃる通り新聞社がなくなれば日本の民度が落ちると思いますので一緒になってビジネスモデルの開発というものをやっていきたいと思います。
粕谷)いろいろな議論が出されましたが、危機感があるからこそいろんな事をしていかなければならないなと思っています。新聞を取り巻く環境は、悪くなる一方で良くなることはなかなかないだろうと思います。そういう中に新聞業界はある。しかし、生き残るためにとにかくまだ読んでいない、読まず嫌いになっている人たちを読んでみていただいて「やっぱり役に立つね」とそういう読者の信頼を勝ち取っていかないといけないとと思っています。私は新聞には読者が好むと好まざると伝えなくてはいけないというニュースがあると思っています。もう一つは記者たちが伝えたいというニュース。それから三つ目が読者が知りたいと思うニュースがあります。新聞社が出来るさまざまな調査報道や権力のチェックはとても重要ですし、これらを守りながら皆さんの信頼を勝ち得るということが新聞の生き残る道だと思っています。(了


 このシンポジウムの詳細記事は読売新聞(4/9付)、毎日新聞(4/11付)、共同通信配信を使った地方紙など(4/12付)、朝日新聞(4/17付)にそれぞれ掲載されました。私がこのシンポジウムに参加して個人的に感じた問題点と各新聞社が伝えている内容とは相当のかい離があることに落胆しました。
 このブログではテープ起こしをそのまま掲載しています。分かりづらい文章もあろうかと思いますが、ほとんど加筆・修正することなくシンポジウムでの議論をそのまま伝えられればと思いました。取材をされた記者の方々は決められた文字数で、読み手が理解するように内容をまとめるのですから大変な作業だと思います。しかし、各パネリストの方が伝えたかったことを会場でシンポを聴いた人と、紙面を通じて読まれた人とではかなり受け止め方が違うことでしょう。何か新聞を擁護しているようにか感じられない、つまらない新聞協会シンポジウムの特集記事でした。せっかくシンポの内容がそこそこ良かったのに残念です。

 紙の新聞にこだわるのは今のビジネスモデル(読者から頂く購読料と広告主から頂く広告料)の土台で記者を雇用し、取材拠点も含めた経費が賄われているから。技術革新が進み新システムへの投資分、人手が掛かるので大きな人減らしはできず(最近ではフリーのライターさんに記事の提供を受けている新聞社も増えていますが)、経営効率はあまりよくない。このような収入構造がゆえに部数(購読者)は右肩上がりでなければ経営に行き詰る。では、いまのビジネスモデルの紙で発行する部分(紙面制作、印刷、新聞輸送、販売店)の機能をやめて、ネットだけでいまのレベルを保ちながら「伝える」という作業が継続できるのか(フリーライターや市民記者の出稿等の議論はさておき)を考えた時におそらく無理だろうと思います。今のままでは…。しかし、縮小していく産業の中にあって一番何を守るべきかが問われ、新聞社は明確な答えを出せていないと感じます。「顧客のニーズばかりにおもねらない」とは言いますが、顧客へ最適なサービスを行うのがビジネスの基本です。伝えること、伝えなければならないことはおもねらなくても良いと思いますが、まだまだ新聞産業は顧客ニーズに向かおうとしていないと感じます。

 あるコミュニティサイトで、今回のシンポ新聞報道等について取り上げられていました。(以下抜粋)
映画見ませんか?blog「新聞がなくなったら、ではないのよ。重要なのは」
http://flat.kahoku.co.jp/u/flat01/eUSz2FXs6ZGVlqTd37Wn/
世の中なんでも良い方向に考えよう、な記録blog「縁側で新聞」
http://flat.kahoku.co.jp/u/valcan300/q6TukZpS5l03O87KgVHw

posted by 今だけ委員長 at 07:25 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
 今だけ委員長さま、お疲れ様でした。
 私も『各パネリストの方が伝えたかったことを会場でシンポを聴いた人と、紙面を通じて読まれた人とではかなり受け止め方が違うことでしょう。』と同じように感じていました。このテープおこしの全文の方がとってもおもしろかったです。
 ありがとうございました。
Posted by 畠山茂陽 at 2008年04月26日 08:58
畠山茂陽サマ!コメントありがとうございます。
テープおこしは時間がかかり面倒でしたが、あえて全文をアップした理由がありました。当日のシンポに来場された方はその多くが50代以上(瀬戸内寂聴さんの講演目当ての方も)の方々で、いわゆる新聞を読んでいただいているM3、F3層。会場からの質問にもあったように、その方々が新聞に対して言いたいことは「新聞がなくなるなんてトンデモナイ」ということ。でも、なぜ新聞社が危機的状況にあるのか―に対して“新聞たる使命を果たさなくなってきているから”という雰囲気が会場に蔓延していました。

若者が新聞を読まれなくなってきている―と危機意識を持ってネット対策など“アタフタ”している業界ですが、今読んでいただいている方々から出されている声に対しても紙面では本音で語らず…。これでは新聞を定期購読していただいている読者からもソッポを向かれてしまうように感じます。シンポなどの後日掲載の解説記事は編集力の真価が問われると思っているのですが、ネット時代(俗にいうパワーカスタマー)の昨今は大枠でどんな内容だったかは個人でも発信できるわけです。ホントはその素人が書いた数多くのものよりも「新聞に書いて(発信して)あったものが意味深く参考になった」と言われなきゃいけないと思います。

そういう意味では、まだまだ自らの業界を擁護する体質は改まっていませんね。残念ながら…






Posted by 今だけ委員長 at 2008年04月27日 18:02
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