
新聞が消えた!
著者:谷口明生(風媒社)1,400円
1986年12月31日付けの朝刊発行を最後に、愛媛県の日刊新愛媛新聞が消えた。日刊新愛媛新聞は25万部という四国最大の部数を誇りながらも、カリスマ性の強い経営者(社主:坪内寿夫氏)の編集権介入による異常な紙面づくりで紙面は私物化され、それが前代未聞の行政権力による「取材拒否」を誘発、最後は非常な企業の理論によって「廃刊」となるまでを同社で26年間同新聞社で新聞づくりに従事してきた著者が手記としてまとめた一冊。
1976年、高知新聞社資本の「新愛媛新聞」は、経営不振から坪内寿夫氏を頂点とする「来島グループ」の傘下に組み入れられ、「日刊新愛媛新聞」と社名、題号を変更。なりふり構わぬ部数拡張へと進む。来島グループの拡張作戦は凄まじいもので、販売店ではなくグループ会社の社員がノルマの部数を達成させるため休日出勤は当たり前だったという。「部数は力なり」四国最大の部数を誇ると坪井氏の気に入らない財界人や知事を対象に誹謗中傷、過剰な個人攻撃が紙面で展開される。ワンマン経営がゆえに紙面に異を唱えるものは首を切られ、社内では坪内崇拝者しか生きて行けぬ状況になった。不安に陥った社員は労働組合を再建するも時既に遅しである。最後は日債銀の思うがままに廃刊に追いやられてしまう様が、生々しく描かれている。
新聞社の役割とは何か?ジャーナリズムの役割を担っていると自負するならば、ワンマン経営をチェックするのがジャーナリストを自負する社員の責任であり、労働組合の役割である。働く人間がジャーナリズムの精神を忘れてしまったら、その新聞社は同新聞社のような結末を迎えるのだと思う。いくら部数が増えようと読者の心まで権力でねじ伏せることは出来ない。
ブログでさまざまな情報を発信するブロガーも絶えず主張性のバランスをチェックをしてくれる機能を持たせなければジャーナリストとは言えない。だから新聞社への期待は大きいのだ。