2007年06月24日

戦後新聞の歴史的スタート 日本新聞年鑑創刊号

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日本新聞年鑑(創刊号)
社団法人日本新聞協会 定価金100

 1947
7月に発足した日本新聞協会が、1010日に発行した創刊号。日本の新聞の歴史は戦中に日本軍の統治下にあり、真実が歪められてきた反省をもとに戦中の新聞界の総括を込めて綴られた1冊。新聞年鑑はその後、毎年発刊されているが、創刊号は「再出発」に向かう新聞界の葛藤1年間がまとめられている。
 新聞協会の生い立ちや倫理綱領が作られた背景、「新聞統制から新聞非常措置まで」「終戦から新聞共同機関の整備まで」「新聞の民主化」「民間情勢教育部」と続く。資料編も価値あるもので、新聞定価の変還では新聞の小売価格と卸売価格まで記載されている。昭和17年では定価1円20銭(卸81銭)であったのが、昭和21年には定価8円(卸5円20銭)と開きが大きくなっていく。
 当時の広告(手書きものが多い)もユーモアがあってオモシロイ。なかなか手にすることが出来ないかもしれないが。

創刊のことば(本文より引用)※出来るだけ記載されている文字を用いました
 我が新聞史中の極めて重要な部分であるから、しかもそれが正確に記録されていなかった関係から、本年鑑は数年を遡って「新聞統制」の史実から出発する。
 昭和11年の電聯合併に萠芽し(?)、15年の新聞聯盟に鬼あざみのような花を開き、172月の日本新聞会に刺だらけな実を結んだ「新聞統制」の跡を訪ねれば、民主主義、自由主義の旗手を以て任じて来た新聞が、如何に序を追うて、厭々ながら統制へと引きずられて来たか、一目瞭然たるものがある。剣がペンを踏みにじった悲惨な新聞史の全貌が、涙ぐむ新聞人の眼に大きく映ってくるであろう。
 昭和11年頃の日刊新聞紙は1千を超えていたが、聯合と電通の通信を契約していた新聞社は、朝鮮の18、台湾の5、樺太の1を加えて189社であるから、正常な新聞紙は200と見ればいい。それから通信社が一つになり、新聞社にも統合が行われ、昭和161月には141社となり、それが171月になって104社に減じ(新聞統制会会員社に指定された資格紙)、同年秋には55社にまで壓縮されたのである。新聞人が、いかに不本意に強制統合に服し、軍部の剣と政府の法律とに屈従を余儀なくされたかは、他に之を語るものがあろう。本年鑑はただ大史実の記録を残す為にこの點から出発したものである。
 終戦後今日までの化と、それに伴う現在の動きとは、編集印刷のスピードを遙かに越して進むので、新しい事実の記録には不十分な點が少なくない。それらは今後の年次出版で修正することにして読者の諒承を願う次第である。  
   昭和22723日 協会創立一周年記念の日
       日本新聞協会  理事長 伊藤正徳
 
全国新聞の統合完遂(本文より引用)
新聞会の統制力
 政府は日本新聞会を設立し、これにより最終段階にある新聞の高度統制着々漕ぎつけたのであった。新聞会は新聞事業令を基盤として出来た官治統制機関であって、自治的統制機関であった新聞連盟とはその性格に於いて對蹠的存在であった。連盟が協議機関であったに反して新聞会は執行機関である前者が会員に對する制肘を極力避けたのに後者は統治規程を設けて断然会員を強制した。また連盟は「新聞事業の進歩発達を圖り以てその国家的使命を達成する」ことを目途としたが、新聞会はこれにより一段と掘下げて「新聞事業の国家的使命達成の為必要なる総合的統制運営を圖り且新聞事業に関する国策の立案及び遂行に協力すること」を目的とした。これがため新聞会会長は主務大臣に依って任命され、会長は協力且つ広汎な権限を与えられ、同会の役員に對しては「任期中と雖も主務大臣の認可を受け理事長又は理事を解任することを得」、会員たる新聞社に對しては、その経営、紙面作製、人事、資本の更、事業の存在等に至るまで全面的に統制力を具有した。併しその窮極するところは新聞事業の営利性の抑厭であって、新聞は社会の公器としての公益性に復歸せよというにあった。

全国新聞会を55社に整備
 さて政府は先に新聞事業令に依って全国新聞104社に新聞会会員たることを命じたが、これを如何に統合整備するかは、新聞会の任務として引継がれた。新聞会の理事長は評議員が検討した全国の新聞事業分布案に基き、一つの成案を得て政府に答申、政府は之に依て昭和177月24日以下の整備方針を決定した。
1.東京都 全国新聞3紙、東京中心のブロック新聞1紙、業界新聞1紙(合計5新聞)
1.大阪市 全国新聞2紙、大阪中心のブロック新聞1紙、業界新聞1紙(合計4紙)
1.名古屋市 中部地方中心のブロック新聞は2紙とするも成る可く1紙に統合する、但し朝日、毎日は名古屋の発行を撤廃する
1.福岡市 九州ブロック新聞1紙、外に朝日、毎日の北九州に於ける発行は存続し合わせて3新聞とする
1.その他の各府県は1紙とする
 この方針の確定に依り全国の新聞は自発的統合に乗り出し、東京では朝日、毎日、読売報知、東京及日本産業経済の5紙、大阪では朝日、毎日、大阪、産業経済の4紙、名古屋では中部日本1紙、九州では西日本1紙となり、その他でも11紙となって、統合方針に応えた。斯くて全国新聞は日華事変勃発直後約1700紙なりしもの今や、僅かに55紙となり5年を経過してここに統合整備された。
 尚、新聞会は次いで記者登録制の実施、記者会の改組、新聞経営調査、統制資材の確保等諸事業を取り上げた。
 そして政府は直接指導を強め、新聞会の弱体化が進むのである・・・

新聞共販連盟の分立
 日本新聞連盟の業務部面は挙げて日本新聞協会に移譲されたので、残余の新聞共同販売の面は新機関に引継がれ、社団法人新聞共販連盟が誕生した。該連盟は「新聞事業の公共性に鑑み、新聞の適正な配給のため、共同販売を運行するを以て目的」として理事長に永井大三氏(朝日新聞社業務局長)及事務局長に一宮毅兩氏が選任又は推薦されて昭和22年12月1日に発足した。日本新聞協会の外郭団体として、その理事長は協会の業務委員を兼ねこれに依り両機関の調整は計られている。また同連盟は共販の機動力を発揮するため重点を現場に置き、地方分権の建前をとり東京に本部を設け其の下に簡素なる事務局を置くに反して、北海道、東北、関東、東京、中部、北陸、近畿、中国四国、九州の9地方共販局を配置し各共販局の下に5の共販事務所を設けて全国に配給網を巡らし、新聞共販の護持に邁進しつつある。
posted by 今だけ委員長 at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍紹介
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