一方、労働者の祭典としてのメーデーは、1886年5月1日に合衆国カナダ職能労働組合連盟(のちのアメリカ労働総同盟)が、シカゴを中心に8時間労働制を要求するデモンストレーションを行ったのが起源とされています。
1日12時間から14時間労働が当たり前だった当時、「第1の8時間は仕事のために、第2の8時間は休息のために、そして残りの8時間は、自分の好きなことのために」を目標に始まりました。労働者たちがパブ(飲み屋)で議論をしながら立ち上がったというのは有名な話です。
1889年に第二インターナショナル創立大会で1890年5月1日を8時間労働実現のためのデモを行うことが決議されました。当日、ヨーロッパ各国やアメリカなどで第1回国際メーデーが実行され、以後も労働者の権利を主張する運動、また、国民がその時々の要求を掲げ団結と連帯の力を示す日としてこれまで発展してきました。
(フリー百科事典「wikipediaより)
今朝の河北新報でも「メーデー」という単語がひと言も出ていませんでした。労働組合のナショナルセンター「連合」では、毎年全国で数万人の労働者が集って集会が行われていますが、「GW期間中は参加者が集まらない」などの理由で(今年は)4月26日に行われる(もう一方のナショナルセンター全労連は本日開催)など、以前のような結集力はなくなってきたのではないかと感じます。
派遣、請負など不正規労働者が働くものの権利を求めて立ち上がっている昨今、既存の従業員労働組合はメーデーすら忘れてしまうほど仕事に追われ、また自分の余暇にふけている−というのがいまの日本の労働界なのかもしれません。
そう言いながら、私もネクタイを締め職場へ向かっているのですが・・・
【昨年の日記より】
http://flat.kahoku.co.jp/u/senpan/l1atwLq9gONKZDcUobks/