2008年06月23日

DON×3 がばい 佐賀へ

 きのう、おとといと佐賀へ行ってきました。19日の豪雨で冠水の被害が心配されましたが、交通網は平常通りで難なく佐賀へ到着。

 佐賀新聞社へ夕方4時までに来ること−と言われていたので、少し市内散策。佐賀城址跡と佐賀城本丸歴史館を見学してきました。
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 佐賀城のうんちく:佐賀の地は龍造寺氏が村中城を築き、龍造寺氏代々が支配していたところであった。戦国時代に入って、龍造寺隆信は北九州一円に君臨したが、天正12年(1584)隆信は有馬氏と島津氏の連合軍に敗れて戦死。実権は家臣の鍋島直茂に移り、直茂は蓮池城を本拠に佐賀地方を支配するまでに実力を伸ばしていった。
 その後も龍造寺氏は政家、高房と続くが、慶長12年(1607)高房が死去すると、鍋島直茂は翌慶長13年(1608)から龍造寺氏の居城であった村中城の拡張、大修築工事に着手。直茂の子である鍋島勝茂がその後を引き継いで、慶長16年(1611)近世城郭を完成させた。これが佐賀城である。
 本丸と二の丸は幅80mの大堀で囲み、本丸には五層の天守が築かれ、堀を隔てて三の丸・西の丸・武家屋敷群を配する広大な城であった。
 以後、佐賀城は鍋島氏12代36万石の居城として明治維新を迎える万石の居城として明治維新を迎えるて明治維新を迎える万石の居城として明治維新を迎えるが、中でも十一代藩主鍋島閑叟(かんそう)は幕末の名君として有名で、西洋の文明を積極的に採り入れて殖産工業を奨励し、長崎に砲台や反射炉を築くなど富国強兵策を推進した。
 なお、廃藩置県後の明治7年に江藤新平が引き起こした「佐賀の乱」で、惜しくも佐賀城の大部分が焼失してしまった。
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 本丸歴史館も素晴らしかったですね。ここは入館料が基本的になく、拝観者による「寄付」というカタチを取っています。その寄付金で運営しているのでボランティアの方がたくさんいらっしゃいました。素晴らしいですね。思わず1千円寄付しちゃいました。

 焼き物で有名な佐賀ですが、おみやげはB嫁からのリクエストで長崎カステラ?


posted by 今だけ委員長 at 15:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | こせきかつや通信
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