東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県南の沿岸部で、津波の浸水が江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっていたことが、東北大東北アジア研究センターの平川新教授(江戸時代史)らのグループの調査で分かった。平川教授は「過去の津波の浸水域を避けて、街道が整備された可能性が高い。自然と共存するための先人の知恵ではないか」としている。
▽先人の知恵浸水防ぐ 宮城県南「浜街道」(河北新報4月25日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110425t13021.htm
先日、牡鹿郡女川町にある新聞販売店へ伺ったのですが、石巻市と女川町の境界線のあたりに「安住」というバス停留所(宮交)を発見。石巻の知人に聞くと「石巻の沿岸部でも万石浦のような入江はほとんど津波の被害はなかった。安住も先人達が『ここは津波も来ない、安心して住める町』ということで名付けたのではないか」と語っていました。どなたか地名考の詳しい方からの真相究明をお願いしたいです。
個人的に4月から「ふんばろう東日本支援プロジェクト」のボランティアとして仙台市若林区の避難所を回っています。避難所だけではなく在宅避難されている方で物資不足で不便しているという方がいらっしゃれば、お知らせください。いろいろと相談させていただきたいと思います。
▽ふんばろう東日本支援プロジェクトのHP
http://fumbaro.org/