避難所での団体生活から、個人スペースがそこそこ確保された応急仮設住宅へと、引っ越しが本格化しています。
物資支援のボランティアで何度か避難所を回っているうちに、親しくなった方(私の父親より少し年上)から「引っ越す」という連絡を受けたので、手伝いに行ってきました。といっても運び出すものは衣服くらいで、事前に備え付けられている家財道具のセッティングのみ。「引っ越しそば」代わりのカップラーメンを食べながら談笑をしていたところ、その方から「実は…」と切り出されました。
その方は、河北新報で連載されている「避難所 いま」へ数日前に掲載されたのですが、そのコメントが記者へ伝えた内容と全く文脈の違った内容で書かれてあったということで、とても憤慨されていました。「話を切り取るのは仕方ないとしても、その内容を本人へ確認するべきではないか」と。
新聞を届けることは専門だけれども、記事内容までは責任ある返答ができない私は、「気持ちを害されたのなら申し訳ない。新聞は限りある文字数で書かなければならないので最も伝えたい言葉が編集段階で削られてしまったのは仕方ない」と説明することしかできません。
いつも物腰柔らかなその方は、その時だけ本気で怒っていました。「まぁ、あなたに言ったって仕方のないことだけど…」と最終的には落ち着くのですが、何となく気になったので帰宅後にその新聞を読み返しました。
その方は「いろいろ支援をしてくれた方々への御礼を伝えたかったのに…」と取材時の気持ちを語ってくれましたが、編集時点で「被災者からの感謝の言葉」よりも「(避難所生活は)まだまだ大変な状況」を優先させたのではないかと推測されます。
新聞記者の方は「俯瞰的立ち位置で事象を伝える」というDNAを受け継いでいる方が少なくありません。いや「そうでなければ」と思っている人の方が多いのでしょう。震災以降、読者の方から「河北の紙面は読者(被災者)に寄り添った記事で好感が持てる」とお褒めの言葉を多く頂戴する一方で、「地域NIE」の実践などもっと先のことだなぁと思ったりもします。取材の際に「おもねる」必要などありませんが読者は権力側ではなくパートナーなのですから、もっと近づいてはどうでしょう。そしてこれまでの前例のみを踏襲することなく、インタ記事の確認も“アリ”じゃないかなぁと思うのです。