一部の地域を除いて、河北新報は朝、夕刊とも欠配することなく皆さまのお手元へ届けられていると思います。配達するスタッフも家が半壊したり日中の仕事がなくなったりと、いろいろな事情を抱えながらも「新聞配達」という仕事に誇りを持ってがんばってもらっています。
今さらの反省なのですが、一人で多くのメディアを持つことの限界のようなものを感じています。ツイッターをはじめ、ソーシャルメディアネットワークのmixi、GREE、食べログそして「ふらっと」。(自分が登録し、コミュニティを立てている)すべてのメディアを迂回し、フォローし続けることの難しさに直面しているのです。
最近は自宅でPCを開く時間も少なくなり、ついついケータイでツイッターを眺める程度に落ち着いてしまっているのですが、mixiやGREEには個人宛のメッセージが届いているにもかかわらず、数日間も放置しっぱないという状態。安否確認がほとんどなのですが、これじゃまずいなぁと感じました。少し整理しようと思っています。
でも「ふらっと」はやめませんよ!(除名されるまでは)
私の世代(40代中盤)はネットの活用法がイマイチという方も多く、メールのようなダイレクトに送られる(ケータイなどへ)受け身(プル型)の活用にとどまっている方が多いようにも感じます。
中学時代の同級生たち約50人がmixi内のコミュニティに登録していて、そこで情報交換や安否確認などをしようと沖縄在住の同級生がいろいろな情報を発信してくれるのですが、見られていないのが現実。
逆に不定期ですが河北新報がコルネットやツイッターで発信する生活情報を(同級生へ)メールで送るととても重宝がられる。何となくメディアの使い方ってその世代というか人にあった伝え方もあるのだと感じている今日この頃です(いまさらですが)。
当面は正確かつ整理された最新情報を伝える河北新報のサイトを取捨選択しながら、身近な人へメール発信をしていこうと思います。
最近の河北新報の紙面には署名記事が増えています。とてもよいことだと思っています。加えて、記者ブログはとても臨場感があって、その記者の方の視点が感じられてとてもワクワクしながら読んでいます。
夕刊編集部の安倍さんは仙台市内を歩き、被災の状況を伝えるだけではなく、あすへの希望というか勇気がわいてくるようなブログを発信されています。また、ツイッター「flat_kahoku」で自転車で広域をまわりながら地域レポを発信しているメディア部の畠山さんなど、地元紙(地元人)でしかできない発信が続けられています。紙面ではお堅い文章ですが、ブログだととても親近感がわきますよね。
多くの人が自分の意見を発信できる時代ではありますが、情報の洪水化現象はうっとおしい時もあります。このような災害時は特に…。そんなときに書くことを生業にしている方の発信は、ひと味違うなぁと感じながら読んでいます。
多くの人が「大変だから何かしなきゃ」と、情報を発信してくれているのですが、信ぴょう性が薄い情報も少なくありません。何かを発信することが目的化しているようにも感じてしまいます。
伝えることが目的ではなくて、伝えたことで「よし、踏ん張ろう!」と多くの方が思い立つ発信を河北新報の記者の皆さんには期待しています。
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