2015年03月19日

大川小の悲劇から感じる不都合な真実に向き合おうとしない現代社会の隠ぺい体質

 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明となった石巻市立大川小学校の事故は、学校管理のもとで多くの命が奪われた大惨事。

大川小.jpg 「大川小の悲劇」として大きな社会問題となった背景には、甚大な津波被害だけではなく石巻市教育委員会による不誠実な事故検証、責任を認めない組織体質も露呈し、遺族との間に大きな溝が生じていることもクローズアップされています。2012年12月に大川小での事故を検証する第三者検証委員会が設置(2014年3月に大川小事故検証最終報告書が提出され解散)されましたが、重要な事実情報が盛り込まれず、中途半端な内容とする批判や問題視する声があがりました。検証に5700万円もの税金と1年以上の時間をかけた検証結果に真実の追求もない。ご遺族の失望感は計り知れません。

 富山大学の林衛さんは、事故検証委員会(室崎益輝委員長・関西学院大学総合政策学部教授、神戸大学名誉教授)が失敗に終わった3つの要因についてこう述べています。@大川小の事実に即し検証・再発防止を図る方針A匿名化・免責論以前に、組織トップに説明責任を求める姿勢B自らの方法論の限界を自覚し、見落としを避けようとする科学的態度―。検証委員会は直接の証言にもとづく、推測を交えない原因を導き出そうとしましたが、同委員会の聞き取り調査は公的立場の発言者であってもすべて匿名とした結果、「忘れました。覚えていません」と当初の証言を否定したり、曖昧にした石巻市教育委員会関係者が続出したことなどから「分からないものは、これ以上分からないと結論づけた」という骨抜きの報告書となってしまいました。組織や個人を守るために口をつぐむ隠ぺい体質に対して、「同じ過ちを繰り返さないための原因究明」を望んでいるご遺族の打ちひしがれた気持ちが伝わってきます。
▽大川小事故とその検証に学ぶ/林 衛(富山大学人間発達学部)
http://utomir.lib.u-toyama.ac.jp/dspace/bitstream/10110/13165/1/20141116_JSSTS_Hayash.pdf
      ◇
 声をあげはじめた子どもたち。

 東日本大震災から4年。各紙が震災関連の特集を組むなか、「卒業生ら大川小校舎保存」という記事がほとんどの紙面で大きく報じられました。また、今月14日から開催された「第3回国連防災世界会議」のパブリック・フォーラムを伝える記事も大川小の卒業生や遺族の登壇を取り上げています。
大震災4年:津波被災石巻・大川小「全体保存」市に要望へ(毎日新聞3/8)
卒業生ら大川小校舎保存主張へ…宮城(読売新聞3/6)
<被災者と防災会議>(1)生きた証し忘れぬため(河北新報3/15)
国連防災会議 「なかったことにしない」大川小遺族が訴え(産経新聞3/14)

プログラム.jpg 今だけ委員長も14日、仙台市市民活動サポートセンターで開催された「小さな命の意味を考える〜あの日の大川小学校の校庭から学ぶもの〜」を6歳になる娘を連れて拝聴してきました。
 主催のみやぎ復興応援隊 KIDS NOW(キッズ ナウ)事務局長・佐藤敏郎さん(小さな命の意味を考える会代表)は、今回のパブリック・フォーラムをこう位置づけました「あの日、大川小学校では多くの子どもと先生の命が一瞬にして失われました。たしかに悲しいことでした。失われた命は戻っては来ません。誰もが目を背けたい、耳をふさぎたい出来事です。しかし、私たちは、その事実に向き合いながら、4年間で多くのことに気づかされました。それは未来に向けての学びにすべきことではないかと考えています。大川小学校で起きたことについては、組織や立場を超えて向き合うべきだと思います。何が起きたのか、事実に基づいて問題点を整理し、参加者みんなで一緒に考えていきます。遺族ももちろんですが、むしろ4年間でつながりを作った方々と一緒にやるフォーラムです。みんなであの日の校庭に向き合う機会だと思っています。子ども達や先生方も一緒です」と。

会場風景.jpg 今だけ委員長は、ふんばろう東日本支援プロジェクトという震災復興ボランティアを通じて4年間、被災地域の方々と携わってきましたが、大川小関係のご遺族の方々とは距離を置いていました。2012年夏に当プロジェクトに参加された方が「この理不尽な対応に市教育委員会を提訴する」といった内容のブログを発信した際に、ご遺族の方から「遺族会の中でも考え方の違いがある。そっとしておいてほしい」という連絡を受けてから、静観してきました。しかし、時間とともに社会に埋もれる組織体質のようなことが74人の小さな命が奪われた本質的な原因ではないかと考えるようになりました。

佐藤敏郎さん.jpg 登壇した佐藤さんと西條剛央さん(早稲田大客員教授・ふんばろう支援基金代表)の報告は、一点の曇りもなく「大川小の悲劇」の本質を語ってくれました。300人を超す来場者は「そうだ、そうだ」と聞き入っていました。この大川小の悲劇を「想定外だった」、「残念だった」で終わらせるわけにはいかないと思います。二度とこのような惨状を招かないために真実の究明と学校防災のあり方、そして組織絡みの上司、同僚を優先してしまう隠ぺい体質へスポットを浴びせてこの問題の本質を検証していかなくてはならないと思います。

西條剛央さん.jpg 私たちは日常に追われながら「不都合な真実」と向き合うことを避けているのではないでしょうか。新聞産業で言えば、押し紙問題(発行本社と販売店の取引関係)を「そんなものは存在しない」と、業界全体が隠ぺいし、労働組合も経済闘争ばかりを優先させて足元にある「不都合な真実」から目を背けているように感じます。こういう体質こそが想定外の事故が発生した時にもろくも崩れ去ることを「大川小の悲劇」から感じるのです。

 自然災害は人の常識を覆すことが少なくありません。でも、人災は一人ひとりの勇気の結集によって防げるものだと感じています。小さな命を守る責任を、不都合な真実に向き合おうとしない現代社会の隠ぺい体質を大人(社会人)は常に考えていかなければなりません。

 パブリック・フォーラムで配布された資料の中に、女川町や大槌町で被災した中学生などへ学習支援を行っているカタリバ代表の今村さんの寄稿を引用します。
日常的な職場風土としての「対話」。
すべての人に必要な、肩書きを超えた「リーダーシップ」。
その二つが、2011年の大川小学校の職員室に存在すれば、適切な「合意形成」がなされたのではないか。

大川小学校でお子様を亡くされた方々は、亡くなった子どもたちの思い出を取り戻したいという感情論で戦っているのではない。

ましてや、誰か特定の人を糾弾したいということでもない。

この停滞した社会の中で、普遍的にどこにでも存在してしまっている、「前例踏襲主義」「お任せ民主主義」の大人の思考停止状態に、そんなものもうやめよう、みんな自分の頭で常日頃から考えようと、訴えていらっしゃるように、私には見える。

はじめて大川小学校の、あの日の話を聞いたとき、実は私も、「未曾有の震災で起きたこと。ツラい責任追及はもうやめて・・」と、感じていた。

しかし今は、ちいさな命が失われた「原因」を、社会の学びに変えなければいけないと、心から感じている。
その責任が、すべての大人たちに課せられた、子どもたちからの宿題だと思う。
今村 久美(認定特定非営利活動法人カタリバ代表理事)

posted by 今だけ委員長 at 14:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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