実際の販売現場にいると「所詮、業界内で取り決めた自主規制」は公正取引委員会(今は消費者庁)へのポーズとして理念的かつ実効性が乏しいものだと感じざるを得ませんが、歴史を踏まえることは大切です。
「中央協だより」の編纂作業は日本新聞協会(新聞協会)の職員がされたと思うので、新聞公正競争規約の成り立ちに際し、日本新聞販売協会(日販協)発行の「新聞販売百年史」と「朝日新聞販売百年史(東京・大阪編)」などの資料を引用しながら、同規約制定までの背景などを考えてみたいと思います。
新聞公正競争規約制定50年――さらなる規約順守の推進へ
東京五輪の開会式を翌日に控えた1964年10月9日、公正取引委員会の告示「新聞業における景品類の提供に関する事項の制限」(新聞業告示)とともに、新聞公正競争規約(当時は「新聞業における景品類提供の禁止に関する公正競争規約」)が制定されました。今年は規約が誕生してから50年の節目に当たります。
規約制定からさかのぼること2年前の62年8月、景品表示法が施行されています。それ以前の新聞の取引は、独占禁止法とこれに伴う公取委告示「新聞業における特定の不公正な取引方法(特殊指定)により、景品類の提供が規制されていました。景表法の施行による特殊指定の見直しに合わせ、新聞公正取引協議会(中央協)では2年かけて、販売業者からの意見もくみながら、規約制定に向けて検討を進めました。
制定された規約では当初、景品類の提供を原則禁止した上で、新聞業界の正常な商慣習の範囲内で災害見舞い品や新聞類似の付録、公開招待、予約紙と見本紙、編集企画に関する景品類など5項目を例外的に提供できることとし、公正取引協議会の組織について定める内容でした。公取委への規約の認定申請は64年9月に開催された中央協と販売正常化連絡委員会(新聞協会会員8社の代表者で構成)の合同会議で最終的に了承されました。当時の上田常隆新聞協会会長(毎日)「新聞販売の正常化は単に販売の第一線に働く人の問題ではなく、新聞経営の将来という根本的な問題」と指摘した上で、規約順守に向け強い決意を示しました。
▽経済のグローバル化に伴う景品規制の緩和
その後、規約は幾度か改正されましたが、長年にわたって基本的な枠組みは変わりませんでした。しかし80年代後半から、大幅な貿易黒字を背景に日米間での摩擦が増しました。米国が国内市場の開放を要求する中、日本の競争政策は一段の規制緩和へとかじを切り、これに伴い景品規制も大きな影響を受けました。
景品規制の見直しを掲げた公取委の研究会は95年3月、社会や経済情勢の変化により景品類の提供によって公正な競争が阻害される恐れはかなり少なくなっていると指摘しました。公取委はこれを踏まえ、96年4月に告示「一般消費者に対する景品類の提供に関する事項の制限」を緩和し、各業界に対しても規約の見直しを要請しました。こうして、新聞公正競争規約にとって大きな転機が訪れます。
▽景品類提供の「禁止」から「制限」へ
規約の改正作業は、中央協が中心となって進められました。折しも規制緩和の一環として再販制度見直しの動きも出てきたことから、新聞界は一丸となって再販堅持に向けて取り組む一方、読者からの理解を得るためにも公正販売の推進は急務となりました。当時の板垣保雄中央協委員長(読売)は97年の年頭あいさつで、再販維持の重要性を訴えつつ「読者の声には真摯に耳を傾け、正すべきところは正す」と述べ、新たなルール策定に向け各社の協力を呼び掛けました。
中央協で議論が進められていたさなかの98年4月10日、公取委は景品類の提供を原則「禁止」から上限付きの「制限」へと変更した新聞業告示を公告し、5月1日から施行されました。こうした中で同年9月1日から「新聞業における景品類提供の制限に関する公正競争規約」が施行され、景品類の提供を取引価額の8%、または3か月分の購読料金の8%のいずれか低い金額までとし、懸賞による景品類の提供については継続審議としました。また、2年以内に提供できる景品類の上限を見直すことが盛り込まれました。この規約が、いわゆる「3・8ルール」です。
この際に、運用の細部も整えられました。景品類の届け出手続きや違反行為の処理手続き、防止措置などについては、新たに制定された規約の施行規則に含まれました。新聞事業者による一般懸賞に関しては、98年12月度中央協で提供できる景品類の最高額を取引価額の10倍か5万円のいずれか低い方、景品類の総額を売り上げ予定総額の0.7%以下とすることで合意し、99年1月20日から改正規約が施行されました。また、同年より発行本社に加え、販売業者の代表も中央協に加わることとなり、こうした現行の組織体制が完成しました。
▽6・8ルール制定――いっそうの規約順守を
規約は施行後2年以内に見直すことになっていたため、中央協はすぐさま新たなルールの制定に向けて検討を開始しました。精力的に議論が進められる中、提供できる景品類の上限について、現行どおりとする意見と、引きあげるべきだとする意見に分かれました。見直し期限が迫る中、2000年6月14日開催の中央協は取引価額の算定期間を6か月に引き上げる一方、罰則を強化することで合意に達し、現在の「6・8ルール」が誕生することになります。6・8ルールを盛り込んだ規約は同年9月1日から施行され、現在に至っています。
その後、「新聞のクーポン付広告に関する規則」や関連規定の廃止(02年)、ポイントサービス規定の追加(08年)など、規約を中心とした諸規則は時代に即した改正を重ねてきました。しかし、誕生から半世紀が過ぎた今も、さらなる公正販売の推進という規約の根本的な目的は変わりません。
中央協の黒澤幸委員長(読売東京)は規約制定50年を迎え、「消費税の軽減税率導入に向けた議論が佳境にある今、国民、読者からの理解を確かなものにする上で、販売改革の重要性はかつてなく高まっている。発行本社、販売業者が協力し、いっそうの規約の順守に取り組んでいきたい」と話しています。(平成26年10月10日付、中央協だより第178号より引用)
■新法制定
1962年5月15日、「不当景品類および不当表示防止法」が公布されたが、これは、顧客誘引のために過大な懸賞や景品をつけたり、虚偽または誇大な広告をすることを禁ずる趣旨から独占禁止法の特例として制定された法律である。これは独禁法における「不公正な取引方法」の特殊指定と同様に公正取引委員会が業種ごとに、特定の景品制限や表示制限を行い、これに基づいて、事業者団体が「公正競争規約」を作成し、公正取引委員会の認定を受けてこの規約を順守する――という自主規制の建て前をとっている。このため業者の自主規制団体として、従来からあった新聞公正取引協議会の再編成が計画されつつあった。
◇
62年5月の日販協定時総会に来賓として梅河内公正取引課長が出席、不当景品防止法の成立と、これに伴う新聞業の公正競争規約の作成について示唆した。
翌63年5月の総会に臨席した中村取引課長補佐が、本社側で立案中の公正競争規約案の概要を説明し、販売店の同意を得て「認定申請」をする準備段階にある、との発言があった。
日販協としては、販売店をツンボ桟敷に置いた従来と同様の新聞公正取引協議会では、現法体制として不完全であるから、販売店が、規約の立案にも、協議会の機構にも積極的に参加して、充分納得のいく結論を得た上で実施すべきである、との見解のもといん、修正意見を新聞協会に申入れ、これが容れられない場合には、販売店側だけで構成する「新聞公正販売協議会」(公販協)による個別の公正競争規約の制定ならびに自主運営を辞さない旨の強硬な主張を貫いた。
◇
本社側で認定申請の準備を進めていた公正競争規約および地区、支部の運営諸規則の原案は一時ストップして、改めて東京地区をモデル地区として、その地区の本社、販売店から同数の規約審議委員を出し、そこで原案を練り直すことになった。
販売店側の委員は、特殊指定発足後約8年間の過程に鑑み、この際、充分な審議を経て、責任の持てる案を作り、業界の安定向上に資したいとの熱意をもって審議に当った。この審議に1年以上かかったが、販売店側の意見は概ね採用されて、64年8月頃には双方一致の成案を見ることができた。
その主な修正点は
@事件処理に当って販売店が参加する機関は、従来は地域別実行委員会のみであったが、新たに支部および地区に運営協議会を設け、販売店代表が委員として協議会に参加することになった。(東京地区協議会規則第5条及び第16条)
A折込み広告の大きさの制限を撤廃した。(公正競争規約第5条第2項第1号)
B押し紙の解釈を具体的に表し、違反の場合の違約金の額および支払い方法を明確にした。(東京地区協議会運営細則12条、第24条、第25条)
C保証金は新聞社および販売店の両者が積立てることを原則とする(同第23条)が、当分の間、販売店は積立をしない。販売店の違約金の支払いは新聞社が立替え払いをなし、後で新聞社がその店から徴収する。(同第25条)
以上のような修正が、東京地区で行われたことは、販売店側の委員の絶大なる努力と本者側の良識とが相俟っての成果であるが、この東京地区の諸規則を基準にして京阪神地区、近畿地区でも販売店側と本社側との折衝が行われ、細部の点では若干の相違があるが、ほぼ同様な規則ができ上がった。
64年10月5日、公正取引委員会庁舎3階会議室で公聴会が開かれ、口述人として田村三之助(読売新聞販売会社社長)、猪川綾(日本新聞販売協会副会長)、千々松清(日本新聞販売協会事務局長)、和田盛雄(東京サンケイ会会長)、高雄辰馬(新聞公取協委員長)が意見を述べ、自由発言として武藤政一(東京読売会会長)が発言した。
販売店側の発言は、規制の強化と上級協議会への販売店代表の参加を強く要望するとともに、特殊指定の押し紙禁止の条文をより明確にすること、権威あるコミッショナー制を採用することなどであった。
10月9日、新聞業における「特殊指定」と「景品類の提供に関する事項の制限」の告示が出され、「公正競争規約」も同時に公表され即時実施されることになって、新聞販売競争は新たなる段階を迎えたのである。
■不当景品防止法施行後の違反事件
「新法」といわれた不当景品防止法は業界粛正の特効薬として期待されたが、宿命的な新聞社間のとめどのない増紙競争の嵐の中では、従来以上の効能を発揮することは所詮無理であった。
幾多の違反事件が起こり、被害者から現地機関に提訴されたが、それらの多くは、違反の元兇が現地機関の委員であり、その委員が弁護人や審判人を兼ねるという奇妙な機構であるが故に、処理が長びき、ついには有耶無耶のうちにお茶をにごす、といった状態であった。巧妙な新聞社販売担当者にとっては、不当景品防止法が却って、増紙活動の隠れミノの役割を果たす道具になることさえあった。彼らにとっては、予定部数を売ることが至上命令であったから、たとえ順法観念の欠除と避難されようとも、多少の違約金を取られようとも、販売店に押し紙を割当て、逡巡する販売店主の尻を文字通り鞭撻した。
現場で踊らされる店主はいい面の皮で、泣き泣きでも、本社の指示に従わねばならなかった。しかし被害店もまた黙って指をくわえているわけではなかった。1部でも紙が減ることは痛いので、猛然と反撃に出ざるを得ず、勢いソロバンを無視した乱戦に突入するのが通例であった。(1969年3月15日、日販協発刊「新聞販売百年史」より引用)
◆不当景品類及び不当表示防止法が成立
▽1962年8月から施行
昭和三十年代、日本経済はめざましい発展を遂げ、国民生活の向上とともに消費意欲が盛んになった。同時に誇大広告など不正な商行為もめだってきた。これに対し公正取引委員会は62年2月、「不当顧客誘引行為防止法案」を国会に提出することを決めた。
公取委は、一つのねらいをもっていた。新聞販売界の特殊指定の違反を処理するとき、この法案の罰則を適用しようと考えていたのである。
日本新聞協会は、この法案は新聞界を混乱させ、販売、広告の正常な活動を阻害するものと判断し、同法案の成立に反対した。その理由は、同法案には、金銭供与などの規制がなく、新聞販売面では現行の特殊指定をかえって緩和する結果となるということであった。62年3月10日、新聞公正取引協議委員会は公正取引委員会に対し、販売面では、@現行の特殊指定を存置することA新法と特殊指定との関係を明確にすること、という要望を提出した。
同法案は、日本新聞協会の要望を取り入れて3月27日の閣議で一部修正され、名称も「不当景品類及び不当表示防止法」と改められ、衆参両院を通過成立し、8月15日から施行された。独占禁止法は、大企業の独占行為を禁止して、自由かつ公正な競争の確保をはかることが目的である。同法には一般指定と特殊指定とがあり、特殊指定とは特定の事業分野で、不公正な取引方法として指定されているものをいう。新聞業における特殊指定は、@景品の提供A無代紙の配布B差別定価の設定、または割引C発行者の押し紙――の」4種類であり、独禁法は、これらの行為を禁止しているのである。
▽違反行為には直ちに排除命令
この防止方は、新聞の正しい選択を阻害する過度の景品つき販売と、一般消費者を誤認させるような不当表示の広告を防止するため、独禁法の特例として定めたもの。この防止法の最大の狙いは、違反行為に対しては直ちに排除命令が出され、違反処理の簡素化と敏速化をはかった(第6条)ことである。
新聞販売界では、この「不当景品類及び不当表示防止法」を「新法」と呼んだ。新法の第10条には「事業者又は事業者団体は、公正取引委員会の定めるところにより、景品類又は表示に関する事項について、公正取引委員会の認定を受けて、不当な顧客の誘引を防止し、公正な競争を促進するための協定又は規約を締結し、又は設定することができる」とあり、この協定、または規約を「公正競争規約」と呼んだ。しかし、新聞業界が、この「新法」に基づき、景品類の提供・無代紙の禁止について、新しい「公正競争規約」をつくりあげるまでには1年あまりの時間がかかった。
この新法待ちの時間をチャンスとして、販売の現場では大型拡材が出回り、混乱した。販売店は、規約運営への販売店の参加と、1ページ大折り込み広告禁止規定の削除、注文部数の解釈の明文化を強く要望した。
日本新聞協会加盟の全新聞社と、各新聞社の販売系統会は、64年9月末、公正取引委員会に対し、「新聞業における公正競争規約」の認定申請を行い、公聴会を開いて「新聞業における景品類の提供に関する制限」を決定した。
これにもとづいて、従来の特殊指定を廃止する、と官報に発表されたのは同年10月9日のこと。新たに「差別定価の設定および割引の禁止」と「押し紙の禁止」を特殊指定として再指定することが、官報で告示された。それは、販売競争の激化が予想された東京オリンピック開会式の、まさに前日であった。(朝日新聞販売百年史・東京編より引用)
発行本者側の新聞協会と販売店側の日販協とでは、公正競争規約制定までのなぞり方が微妙に違っていることがわかります。結果は同じであってもそのプロセスについては、自らの立場を介するあまり「格好よく」、「都合の悪い内容は削除」して編纂されているという印象です。そして、当時は日販協が相当の発言力を持っていたということを感じます。「朝日新聞販売史・大阪編」によると、新聞公正競争規約の修正案が63年5月、新聞協会理事会で承認されたものの、「この公正競争規約案も、新聞販売店側から強硬な反対が出て、新聞社側と販売店側との折衝が重ねられた。結局は販売店側の主張がだいたいおいて認められたが、その間約1年数か月を費やし、ようやく64年9月29日、公正取引委員会にたいし、協会加盟全新聞社ならびに販売店系統会の名で、新聞業における公正競争規約の認可申請がおこなわれた」と記載されています。
現状はどうでしょう。日販協も新聞協会と一体化しているようにしか感じられません。新聞社と販売店の取引関係の中で「優越的地位の乱用」(独禁法で禁止されている)を受けて苦労している販売店も少なくありません。右肩上がりの成長期には発言力を持ち、斜陽になるとひっそりと発行本社にすり寄る(と思われる)のでは、団体としての価値はありません。もっと発言力を持っていただくことを期待したいと思います。
また「押し紙」という単語も業界内から姿を消そうとしています。新聞協会が発行する書籍の類からHPまでその単語は消えてしまっています。臭いものには蓋をする体質はどこの業界でもあるわけですが、新聞産業もご多分に漏れず…なのです。
注@ 新聞公正競争規約(しんぶんこうせいきょうそうきやく)は、日本の景品表示法第10条の規定に基づき日本の多くの新聞事業者(新聞社及び新聞販売業者)が共同して定め、公正取引委員会の認定を受けた新聞業における景品提供の自主規制ルール。正式名称は「新聞業における景品類の提供の制限に関する公正競争規約」と言います。