http://www.pressnet.or.jp/about/recruitment/essay/list.html
どの作品も新聞販売店従業員をあたたかく見守ってくれているエピソードがいっぱいです。このような優しい対応をしてくれる読者がいる一方で、販売業界に対して快く思っていない方も増えているように感じます。顧客から嫌われるような営業行為をしているのだから当然かもしれません。今だけ委員長もこの業界に入って四半世紀が経ち、「新聞屋のお兄さん」と呼ばれて読者との会話も弾んだ頃に比べいまは、アポなしの訪問者には応答すらしてもらえない“お寒い”現実。セキュリティー重視社会への移り変わりを感じます。
「訪問営業」を続けているのはもしかすると新聞販売店だけになってきたのかもしれませんが(これも強みかもしれません)、ただ訪問すればいい―という時代ではなく、コミュニケーションを図る場面をどうセッティングするかがポイントになっていると思います。
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最優秀賞作品
※大学生・社会人部門
『おばあさんの新聞』岩國 哲人さん(78歳) 東京都渋谷区
一九四二年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と二歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。
小学五年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝四十軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。
学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。
そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか?おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。
もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。
※中学・高校生部門
『おばあちゃんの楽しみ』山田 美早紀(17歳) 宮城県大崎市
私が幼い頃、近所に住む祖父母の家によく遊びに行っていました。ガラガラと戸を開けるタイプの玄関を入ると、そこにはいつも「新聞集金代」と書かれた紙の上に、お金の入ったビンが置いてありました。私は、「どうしていつも置いておくの?」と尋ねました。おばあちゃんは「忘れないように」とだけ言って笑っていました。
私は、おばあちゃんがうれしそうに話していたのを不思議に思いました。そして、ガラガラと玄関を開ける音と、「新聞の集金です」という声を聞き、おばあちゃんは玄関に行きました。玄関から聞こえてくる、おばあちゃんの笑い声で、私は気付きました。おばあちゃんが新聞を楽しみに待っていた理由を。
おばあちゃんが楽しみにしているのは、新聞を読むことだけじゃなく、配達に来る人、集金をしに来る人と、世間話をすることだと知りました。集金の人が帰ると、またおばあちゃんはうれしそうに、ビンの中に集金代を入れていました。
※小学生部門
『リレーは続くよ、どこまでも』安藤 円樺(10歳) 東京都練馬区
先日、新聞やダンボール古紙を原料として新たに新聞原紙を作る製紙工場を見学した。山積みされた古紙は溶かした後、インクを除きパルプに戻して新しい新聞原紙に再生。本と違って新聞は一度読むと捨てられる運命。パソコンなどでいつでも最新情報は見られるが、私は紙の新聞が好き。紙面製作に関わった人たちの努力やぬくもりを感じるから。役目を終えた新聞がリサイクルされ、新しい情報を載せて私の元へ戻ることを目の当たりにした。
リレーに例えたら、新聞記者が第一走者(私も小学生新聞の特派員だから、第一走者でもある)。編集やデスクの方など多くのランナーの後、配達員の方から笑顔と一緒にバトンを渡される読者の私。そして私は古紙回収業者へとバトンを渡す。その後新聞は再生。このリレーにゴールはないから、アンカーはいないわけだ。少資源国日本の知恵だ。
私もタブレット端末は使うけれど、ランナーの顔が見える新聞リレーは今後も絶対なくさないでほしい。今日も配達員の方から受け取った新聞のバトン。何となく新聞に「おかえり」と言ってみたくなった。