「自由の国」の報道統制―大戦下の日系ジャーナリズム―
著者:水野剛也(吉川弘文館)1,700円
「世界の警察」として経済力を背景に20世紀から台頭してきた米国。常に他国間の戦争に乗り出す大義は「自由と民主主義」を守るため。でも、その大義名分は本当なのか?自国の軍事産業を活性化するために各国(同盟国)から資金を集めているだけではないのか―。そして、戦時下で起こる「大本営」に従わざるを得なかった(自己規制を強いる権力に屈したメディア)新聞経営―。この2つのテーマに真正面から向き合い、戦争と言論・報道の自由について第二次世界大戦下の米国で起こった(敵性外国人に対する言論統制)メディア規制の問題に真っ向から向き合い、その問題点を提起した水野剛也さん(東洋洋大学教授)の渾身の1冊です。
大本営発表を流し続けた当時の日本のマスメディアへの非難も然ることながら、「戦争時に利用されるメディア」として時の権力に抗えなかった現実も(格好つけずに)理解できます。だから戦争は起こしちゃいけないと・・・。
著者の彼の歯に衣着せない論考が戦時下の新聞の存在そのものの位置づけや記者の苦悩、新聞経営者の資質などを考えてみる題材になると思います。新聞社だけがジャーナリズム機能だとは思いませんが、戦争に加担してまで発行を続ける意味とは・・・。
あす、広島に原子爆弾が投下されて69年目を迎えます。戦争が起きると最初に骨を抜かれるのが「報道機関」であって、生活者を(権力側に有利な)マインドコントロールをする有効な手段として利用されるのです。「現代のネット社会ではそんなことあり得ない」という方は中国でいま、何が行われているのか直視しましょう。ネット回線もすべて「国」に監視され、制御されるということを・・・。