青木さんとお会いするのは2回目ですが、いまや多くの新聞社、販売店からの講演依頼でお忙しいのもよくわかります。新聞産業が抱える問題点を的確に整理され、販売店の強みを活用した実現可能な施策を示し「あとは、やるかやらないかです」と・・・。
会場には20名ほどの販売店経営者の方がいらっしゃっていたのですが、「発行本社の(自主的な業務展開に関する)縛りがねぇ」とおっしゃる方が少なくありません。副業をするのではなく「複業」をすることで読者の維持獲得に結びつくというアクションプランは(新聞社の方々も)理解できても「(新聞社の方々の)掌握できないことをされるのは許さない」というのが“いまの販売事情”なのでしょう。
@これまでの成功事例にしがみついて精神論でもって生き残りの道を模索するか、Aテクノロジーの進化を見極めながら事業を再構築していくのか、Bもしくは、両極端な発想ではなく新聞と親和性の高いシルバー世代へ応分のサービスを提供し、客単価をあげていくか。私の立ち位置などを考えるとBに注力せざるを得ないと思っていますが、@を選択する人は間違いなく自分のことしか考えていない(自分が定年するまでその企業が持てばよし)となりますね。
青木さんが提唱するような新しい営業スタイルを導入しても経営者や実践する従業員に「やる気」がなければ成功するはずもなく、「どうせダメなシステムだ」となってしまうもの。じつはモチベーションがすべてのことに大きく関わってくるのですが、自由度のない抑制された企業でモチベーションを高め安定させることは難しい。顧客に感謝されたり、自分の実績を褒めてもらうことが人の“やる気”をあげるのであって、賃金だけではないと感じています。
2009年にリリースされた「マイクロソフトが描く2019年のITビジョン」をあらためて観ると、スマホやタブレットPCの市場へ電子ペーパーがこれから盛り返すことができるか興味もあります。新聞のような一覧性や持ち運びに長けた新聞の電子版を読むデバイスとして電子ペーパーの実用性についてはまだ伝わってきませんが、これからの動きを見ていきたいと思います。
(あまり悲観的なことを発信すると“よろしくない”と業界内部の方々からお叱りを受けるのですが、ネガティブな問題にフタをしておくことこそ自殺行為だと思うのです。メディアの内側にいる人の中には、自分たちの情報操作によって何とでもなると勘違いしている方も少なくないように思っています。もっと現場に目を向けてもらいたいですね)
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私が昨年4月から代表を務める「ふんばろう宮城プロジェクト」の母体でもある『ふんばろう東日本支援プロジェクト』(代表 西條剛央さん)が6月2日、世界で最も歴史あるデジタルメディアのコンペティション・ゴールデン・ニカ賞(最優秀賞)を獲得しました。
▽国際コンペで最優秀賞 「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(河北新報 6/5付)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201406/20140605_73011.html
▽すんごい賞をいただいたようです!(ふんばろう宮城PJブログ 6/4付)
https://kacco.kahoku.co.jp/blog/volunteer25/50599
【Prix ArsElectronicaとは】
オーストリアにある文化機関「アルスエレクトロニカ」が主催する国際コンペティションで、「アート・テクノロジー・社会」をテーマに、社会を動かすイノベーティブなアイデアや取り組みを世界各地から選出し奨励することを目的としたものです。その最高賞であるゴールデン・ニカ賞は「コンピューター界のオスカー」とも呼ばれているそうです。
日本でのゴールデン・ニカ賞(最優秀賞)の受賞者には、坂本龍一さんが1996年にinteractive musicの部門で受賞するなど何人かの受賞者がおりますが、コミュニティ部門でのゴールデン・ニカは国内初受賞とのことです(他の部門をあわせても日本での最優秀賞受賞は7年ぶりとのこと)。
このコミュニティ部門では、過去、Webの創設にあたるWWW(World Wide Web)や Wikipediaがゴールデン・ニカを受賞、WikiLeaks が準グランプリを受賞するなど、実際に、その後世界を変えてきた枠組みに対して与えられてきたものです。
【西條剛央代表のメッセージ】
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は明確な境界をもたない市民意思機能です。
この受賞は、これまで無償のボランティアとして昼夜を問わず運営を支えてくれた3000人にのぼるスタッフや、自ら被災したにもかかわらず立ち上がった現地のボランティア、定期的にご寄付いただいている1000名以上のサポータークラブの皆様、協力してくださった70社以上の企業や団体の皆様の御尽力はもちろんのこと、サイトやAmazon、ECサイトを通して物資や家電を送ってくださった何万人という皆様、TwitterやFacebookで情報を広めてくださった何十万人という皆様、温かく見守ってくださった皆様、陰ながら協力してくださった皆様、また真摯に改善点を指摘してくださった皆様も含め、協力してくださったすべての方々のおかげに他なりません。
あの日から3年以上が経過し、多くの困難を乗り越えてきた今、みなさま全員とこうした栄誉と喜びをわかちあえることをとても嬉しく思っています。
そして、だからこそ、原点に戻ることの大切さも感じています。
先日、74名の子ども達の命が失われた大川小学校のご遺族でもあり、スマートサバイバープロジェクトという新たなプロジェクトで一緒に活動している佐藤敏郎さんが、韓国の沈没事故のご遺族に向けて手紙を書かれました。(http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17501.html)以下はその一節です。
「あの子たちの犠牲が無駄になるかどうか、それが問われているのは生きている私たちです。小さな命たちを未来のために意味のあるものにしたい、それが、三年かかってようやく見つけた私にとってのかすかな光です。」
震災をただの悲惨な出来事で終わらせてしまうのか、そこに新たな意味を見出せるのかは、やはり僕らのこれからの行動にかかっているのだと思います。
あらためて関連死も含め亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、震災の教訓を活かした防災教育などの活動も視野に入れながら「目指すべき未来」に向かって一歩ずつ進んでいければと思っております。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
2014.6.3.
ふんばろう東日本支援プロジェクト代表・早稲田大学大学院客員准教授
西條剛央
※以下はアルスエレクトロニカにて発表されたプレスリリース用の文章を和訳したものです。
http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/diary/201406030001/
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「ふんばろう東日本支援プロジェクト」
:構造構成主義とSNSを用いた危機的状況に即応する自律型クラウドソーシングモデル
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2011年3月11日。東日本はマグニチュード9.0、1000年に一度といわれる超巨大地震に襲われた。津波により沿岸は400kmに渡って壊滅的な打撃を受けたことに加え、福島第一原発事故も発生し、日本人は未曾有の複合災害によって国家的危機に陥った。震災による死亡者は15,861人、行方不明者2,939人にのぼった。さらにその後の長引く避難生活や震災の影響によって2916名が死亡し、合計21,716名もの尊い命が失われた (2014年6月現在) 。
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「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下「ふんばろう」)は、危機的状況に対応するために、西條により体系化された哲学(構造構成主義)といくつかのソーシャルネットワークサービスを活用した自律的なクラウドソーシング・プラットフォームであり、それによって市民が自律的につながり、様々なプロジェクトを迅速に生み出すことが可能になった。
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「ふんばろう」はテーマ別の支援活動に特化した各プロジェクトと、岩手、宮城、福島といった3つの前線支部、その他全国の都市にある後方支部からなっており、プロジェクト、支部、運営チームの総数は50以上にのぼる。それぞれが効果的に連携することによって「ふんばろう」は日本最大級の支援組織へと成長していった。
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西條はプロジェクト立ち上げた時点で、次世代のモデルとして世界に広がることも視野に入れて、Fumbaro Japan Modelという別称も与えた(そのためTwitterアドレスは@fjm2011となっている)。そして実際に、大雨や土砂災害などの大規模災害が発生した際にも対応するより汎用性の高いモデルとしてその方法論が活用されている。
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「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、震災直後の緊急支援物資提供活動から立ち上がった。当初、この想定を大きく超える巨大地震によりあまりに広域にわたり壊滅的な打撃を受けたため、行政による被災地の状況把握は困難を極め、必要な支援を行うことも困難な状況であった。そのため、全国から届けられる支援物資は中小規模の避難所や個人宅に残された人々の元には届かない状況が多く見られた。あるいは、その現場の人々のリアルなニーズとは異なる物資が届くという状況が多くみられた。(例えば、ある時電力が途絶え孤立したある避難所が本当に必要としていたのは、大量に届く服や絵本のかわりに、暖をとるために木を切るチェーンソーだったりした、等。)被災したエリアはあらゆるものが流されており、車もガソリンもないため移動は困難で、パソコンやインターネットも使えず、被災者が自分達でできることは極めて限られている状況であり、避難所ごとに必要としているものは異なり、また変化していく中で、支援物資のマッチングは困難を極めた。
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西條は現地に入り、その場のリアルニーズを把握することからはじめ、ソーシャルメディアなどの既存の利用可能なシステムを、ブリコラージュ的にすぐさま組み合わせて活かすという方法論を瞬時に立ち上げることで、こうしたミスマッチングの問題を解決していった。
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当初、彼は壊滅した地域に行き、それぞれの地域で本当に必要としているものを聞く活動からはじめた。彼は被災していないエリアに戻ると、翌日すぐにホームページを作り、それぞれの避難所で被災者が必要としているものをホームページや彼のブログに掲載した。そして彼のTwitterにそのHPのURLをリンクして、小さな避難所や個人避難宅では物資を受け取ることができないことや、その時点で被災地で必要としている物資の情報を拡散した。というのも直接Twitterに必要な物資を書き込んでしまうと、Twitterが無限に拡散することにより必要なくなった物資が避難所に届き続けてしまうという弊害が起こるためだ。そのためその都度情報を更新できるHPに情報を書き、それをTwitterにリンクして広めたのである。それをみた人はそれぞれの避難所に直接物資を送る。どこに何をどれくらい送ったかだけ報告してもらい、必要な物資の数を減らしていき、すべて送られた時点でその物資を消す。そうすることにより必要以上に物資が届くことを防ぐことを可能にした。
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こうして、彼は、現地での聞き取り、電話、宅急便、情報を随時更新できるブログやホームページ、拡散力のあるTwitter、インターネット上の販売サイト(EC)等といった既存のインフラを組み合わせることにより、必要な物資を必要な量だけ必要としている人に直接届ける新たな仕組みを開発したのである。
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しかし、東北のどこにあるかもわからない何千という避難所を一人で訪ねるのは不可能である。そこでどうしたのか? 彼は、HPからふんばろうのチラシをダウンロードできるようにして、必要物資を届けながらふんばろうの仕組みを伝える営業マンになって欲しいと呼びかけたのである。そして呼びかけに応じた人がそれぞれ独自の判断で動き始めた。物資を届けるときに現地で必要な物資を聞き取ってくると同時に、そのチラシも一緒に渡してもらうことで、避難所から直接ふんばろうに電話できるようにして、継続的なサポートが可能な避難所を何十箇所、何百箇所と広範囲に渡って急速にカバーしていったのである。
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それによって、震災から1年弱の間に、行政の支援が及ばなかった東北の小規模避難所や仮設住宅、個人避難宅エリアなどを中心に3,000カ所以上に155,000品目、35,000回以上におよぶ物資支援を実現させた。さらに、amazonのwishlistなどの既存システムを援用するアイデアを応用し、55,000アイテム以上の支援を実現した(*2013年度までの動物班の実績も含む)。さらに全国の自治体は被災地に物資を被災していない全国の自治体の倉庫の中でマッチングできずに送り先を失った大量の物資と、被災エリアで必要としている避難所とをマッチングすることで、4tトラック200台分以上もの物資を被災者に届けた。
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さらに、上記に示された膨大な実績を遥かに上回る意義がある。というのも、支援者は宅配便に自分の住所や電話番号を明記する形で個人や避難所に直接物資を送るため、支援された人は誰から支援されたかがわかる。するとお礼の電話がいくようになる。支援者は被災された方々の生の声で、いかに厳しい状況かを知り、また自分の支援がいかに役立ったかを知る。するとその支援者はさらなる支援を行う。またふんばろうの仕組みを通さずに直接支援するようになったり、現地に直接物資を持ってボランティアに行ったりするようになる。この仕組みは支援者と被災者をつなげて、深い絆を育むきっかけを提供することも意図していたのである。
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このように、従来のトップダウン型の仕組みが機能しない緊急事態において、支援者と被災者をつなぐことによって、結果として精度が高く心が通う被災者支援が自己組織的に成立する仕組みを構築したのだった。
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こうしたボランティアによる自律的な支援プロジェクトが生まれた理由は、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた早稲田大学の西條剛央が約10年前に体系化した「構造構成主義」という考え方が市民ボランティア内で共有されたことによる。その都度「状況」を判断しながら「目的」を実現するための有効な「方法」を打ち出していくという構造構成主義が唱える「方法の原理」という考え方が、市民ボランティア内に浸透していくことで、さらに現場で生まれる新たな課題に対応する新しい方法とプロジェクトが自律的に次々に生まれていった。デジタルツールではなく、いわば「思想」「哲学」がボランティアたちを動かしたのだった。
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仮設住宅には日本赤十字社から家電が配布されるのに、半壊した自宅に戻っている自宅避難民やアパート等で暮らす被災者には家電が配布されないという理不尽な状況があった。そこで2011年5月には、こうした“支援格差”を埋めるべく、家庭で使われていない家電を回収、清掃して送る「 家電プロジェクト」 を立ち上げた。まず、東京を中心として各地で家電が収集され、 東北各地の被災者に届けられた。やがて夏になると、大量の扇風機が必要となった。そこで専用のECサイトを立ち上げ、 支援者に家電を購入してもらいそれを必要とする被災者に届ける新たな方法を開発した。さらに冬が近づくと、全国各地に散らばった被災者にも支援を行うため、全国紙をはじめとしてあらゆるメディアに大々的に告知を載せ、 それを見た被災者に罹災証明書のコピーと希望の家電を書いて送ってもらい、直接希望家電を送るという新たな方法を提案した。こうした家電プロジェクトは約25,000世帯に家電を贈ったのだった。
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また当初、被災地は大量の瓦礫で埋め尽くされている中、家も仕事場も流された多くの被災者は避難所で鬱々と過ごす日々を強いられていた。そこで、就労先を失った被災者の重機免許取得を支援することで、瓦礫の処理や復興建設関係への就労を可能にすることを目指した「重機免許取得プロジェクト」を立ち上げ、現地の被災者1,000名以上の重機免許取得にかかる費用の支援を全国から取り付けることにも成功した。
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他にも状況の変化に応じて、「学習支援プロジェクト」「就労支援プロジェクト」「ものづくりプロジェクト」「布ぞうりプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ガイガーカウンタープロジェクト」「漁業支援プロジェクト」「PC設置でつながるプロジェクト」「緑でつながるプロジェクト」「チャリティーブックプロジェクト」といった30以上のボランティアプロジェクトが立ち上がった。
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これらのプロジェクトの運営は、目的に応じて、FacebookグループやCybozu、Paypalといった複数の既存システムを駆使して自律的に立ち上げられ運営されていった。明確な境界をもたない市民ボランティアの自律的ネットワークモデル、次々と自己組織的に目的を達成していく市民による市民のための次世代のクラウドソーシングモデルとして「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は災害エリアの支援を実現していった。
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構造構成主義の「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」という方法の原理にしたがい、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、役割を終えたプロジェクトは速やかに解散したり、状況に応じて組織構造すら柔軟に変えていくなど、一つのモデルに固執しない姿勢が徹底されている。大震災の現場では、前例主義により硬直化した組織の抱える課題が浮き彫りにされた。その教訓がここでは活かされている。