2013年03月08日

伝統メディアを真摯に検証〜3・11とメディア

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3・11とメデイア
著者:山田健太(トランスビュー)2,000円


 東日本大震災からもうすぐ2年。
 福島第一原発事故や学校管理下で74名もの犠牲者を出した大川小学校(石巻市)などの問題を含め、「伝統メディア」と言われる新聞、テレビなどのマスメディアが検証報道を行っています。昨年の同時期とはまた違った角度で真実を解明していただきたいものです。

 本日発売(先月末に著者の山田健太さんから謹呈いただきました)となる本書は、その「伝統メディア」と「新興メディア」(ソーシャルおよびポータルメディア)が先の大震災から2年間で果たした役割と課題が丹念な取材によって検証されています。
 原発再稼働を機に毎週末、首相官邸行われる反原発デモを新聞各紙がどのように報じたのか―紙面の比較をしながらそれぞれの新聞社のスタンスを明快に断じる一方、政府発表に依存しすぎて本来の調査報道が初期段階では全く機能せず、誤ったイメージを読者や視聴者へ伝えた(思考停止ジャーナリズム)ことで信頼を損ねたと提起されています。
 そして、「伝統メディア」が担うジャーナリズムの問題。著者も相当のジレンマを抱きながら本書を書きあげたのだろうと察します。「もっと伝統メデイアがふんばらないと…。プレスとしての役割、記者魂はなくなってしまったのか」と、喉元まで出かかっているようにも読み取れます。これが伝統メディアを真摯に批評し、検証するスタンスなのだと思いながら読ませていただきました。


 これはメディア関係者だけでなく、多くの方に読んでもらいたいと思います。伝統メディアが抱える課題を理解すると読み方、視聴のスタンスも変わり、それぞれのリテラシーが高まってくる。そういう国民全体の知の底上げのようなものが必要な時代になってきてるのだと感じています。

▽「3・11とメディア」山田健太著(Amazonより)
* * *
 「3・11とメディア」を読んだあと、定期購読している「新聞研究」(2013年3月号・日本新聞協会発行)を眺めていたら、「おっ」と思わせる手記に出くわしました。
 それは、朝日新聞東京本社社会部に所属する仲村和代さんが同誌の「記者読本2013 先輩記者から」特集(この春新聞社へ入社する方へ7人の先輩記者がアドバイス)へ寄稿されたもので、「メディアの原点に立ち返る」という題名のものです。新聞社員のソーシャルメディアとの距離感を通じて、メディアの原点を再認識したという内容のもので本音″で書かれているなぁ…と。以下に一部引用します。


「当時、取材に行くと、『朝日新聞の記者が来ました―』とツイートされ、何となく困ったなぁと思いつつもその理由を説明できず、もやもやすることがよくあった。今から思えば、困ることなんて何もない。でも、他社との競争が基準になる仕事を続けているうち、『先に書かれたら困る』、『手の内を知られそう』という感覚が身についてしまっていたのだと思う」


「取材をするのは、『新聞を作るため』ではない。情報を求める人のところに、いち早く届けるためだ。かつてはその手段が新聞しかなかったから、新聞紙面を充実させることに全力を注いできた、でも今は、ネットを通じ、もっと素早く発信することができる」


「(震災後に同社社会部もツイッターアカウントを取得し)ツイッターの活用が始まった。給水所の場所、避難生活で役立つ知識、デマの打ち消し。情報の信ぴょう性を一つ一つ確認し、発信した。反響は大きく、フォロワーは驚くほどの勢いで増えた。記事の書き方を考えるいい機会にもなった。例えば、これまでは『○○市の何か所で給水』と書いていたが、そんな情報は実際には役に立たない。『それじゃ意味ないし』。即座に返ってくる反応に、反省させられることも多かった」


「大事なのは、小手先のコミュニケーションにたけることでも、その場限りの人気を集めることでもない。何のために取材するのか。誰のために記事を書くのか。当たり前のことを考えながら、向き合っていくことなのではないだろうか。誰もがメディアとなって発信できる時代、報道機関にしかできない取材とは何かを考えるヒントが、そこにはあるように思う」


 後輩たちへのメッセージなのですが、自分へ言い聞かせているようにも感じます。新聞社という独特な職場(ある意味閉鎖的かも)で経験を重ねると、仲村さんのように感じていても組織内の暗黙のルールや立場によって実践できなくなってしまうのかなぁと思います。このような感想を書くと新聞社のデスクの皆さんから「販売店の労働者が何も知らないクセに…」と罵声が飛んできそうですが、諦めずに言い続けて行きまーす。
 仲村さんのような気概を持った方が書く記事を、新聞を読者のもとへ届けたい―こう思うのです。
posted by 今だけ委員長 at 09:11 | Comment(3) | TrackBack(0) | 書籍紹介
この記事へのコメント
それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/
Posted by noga at 2013年03月08日 11:22
「振興メディア」→「新興メディア」ですね。

Posted by Wataru at 2013年03月08日 13:32
Wataruさん!コメント(誤植のご指摘)ありがとうございます。
さっそく訂正しました。ありがとうございました。
Posted by 今だけ委員長 at 2013年03月10日 21:31
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