1月23日付から9回にわたって連載される佐々木俊尚さんと糸井重里さんとの対談「メディアと私。―おもに、震災の後。」 これはメディア関係者(ネット推進派の佐々木さんを毛嫌いする新聞関係者もご一読を)にもぜひ読んでもらいたいと思います。
http://www.1101.com/sasaki_toshinao/2012-01-23.html
私はボランティア活動を通じて、昨年4月頃から石巻や南三陸など宮城県内の沿岸部へ毎週のように通っています。その際、いく先々で「あぁ…あんだも河北(系)の人なの。最近の新聞オモシロいね」とか、「被災者に寄り添った記事が多くてうれしい」、「なんか身近な新聞っていう感じがする」という言葉を被災された方々から直接うかがうことがありました。それもかなり多くの方々から…。
しかし、3カ月、半年と時が過ぎると署名記事もめっきり減ってしまいました。新聞社でいうところの「本来の紙面」に戻っているように感じてなりません。確かに今後もずっと震災関連の記事ばかりを載せていくわけにもいかないということはわかっているのですが、せめて「地ダネは著名記事」くらいは、3・11大震災を経ての教訓(当事者に寄り添うという姿勢で)として根付かせてもらいたかったと思うのです。
「ほぼ日刊イトイ新聞」での今後の展開を楽しみにしているのですが、佐々木さんがいう「当事者主義」とは、読者からすると「記者の顔が見える」ことでもあり、記者もいろいろなことを背負って「新聞に記事を書く」ということが、これからの時代の紙新聞に一番必要なことのように感じます。「発行部数を維持することがジャーナリズムの影響力を守ること」という視点ではなく、新聞人が「当事者主義」をいま以上に持ち、貫けば読者はおのずと応援してくれるに違いありません。
「何を伝えたくて新聞を作り届けるのか」。東日本大震災から10カ月を経て仕事では「増紙」という業務命令にまい進しつつ、新聞販売労働者が、ふと新聞の役割をフツーの人間として考えるのです。