2011年09月06日

「ずっと読み続けてきた新聞」を届けてやりたいが…

 3・11大震災から半年を迎えようとしています。
 被災者の生活は避難所から仮設住宅へと移り、自立した「個」の生活がはじまっています。「できるだけ自分が生まれ育った町の近くに住みたい」という被災者の思いは、長年住み続けてきた郷土への愛着があってこそ。見知らぬ土地へ移ることの孤立は何とか避けたいとは、誰しもが思うことです。
 でも、東京電力・福島第一原発周辺の「立入禁止区域」、「避難指定区域」に住んでいた方々は県内外へ避難し、見知らぬ土地で生活せざるを得ない状況です。


 先日、こんな話題がありました。福島県の地元紙・福島民友新聞が読売系販売店で購読できるという販促チラシが読売新聞などに折り込まれた―というもの。チラシにはこう書かれてありました。


「災害に負けず 頑張ろうふくしま」
宮城県内でも毎朝、当日の福島民友新聞がお読みいただけます!
 
東日本大震災で避難生活を余儀なくされている福島県民の皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
宮城県読売会は、宮城県内に避難されている皆さまに「ふるさと ふくしま」の情報をいち早くお届けするため、宮城県内の読売センター(YC)から、福島県内と同様に福島民友新聞をお届けすることになりました。
最寄りの読売センターからお届します。
福島民友新聞の購読料 月ぎめ2,905円

 福島県で発行されている新聞は地域紙などを含めると相当数ありますが、代表的な地元紙は福島民友新聞と福島民報です。民友は読売系、民報は毎日系の資本がそれぞれ入った新聞社で、民友は専売店を持たずに読売や朝日の販売店と販売契約を結んでいます。
 昭和30年後半の高度成長期(新聞各社も部数拡大に躍起になっていた頃)には、民友、民報とも隣接する宮城県での販売攻勢を強め、ブロック紙さながらの展開をしていました。当時の様子はこのように残されています。


福島民友の宮城進出
 昭和36年は好況のうちに開けた。しかし、新聞界の競争は激しさを加え、激戦は宮城県内に及ぼうとする緊張の年頭だった。うわさのあった福島民友新聞の宮城進出が、現実のものになろうとしていたからである。
 この年5月25日、「福島民友」は題号を「民友新聞」と改め、宮城県向けの「民友新聞・宮城」の発行を始めた。仙台市の斎藤報恩館に宮城本社を置き、宮城県内に支局や通信部を設けて、夕刊1面を地元ニュースによる社会面にするなどの紙面構成で、宮城県民紙とうたった。この事態に河北新報社は、取材陣を増強し、紙面改善と製作機械化、販売面の強化などで対応した。当時の社報には「隣県紙が宮城県民紙を掲げて発刊に踏み切った。相呼応して同じ県の別の新聞も宮城県内の拡張に本腰を入れてきた」として、「優秀な計画性と果敢な闘士で、新しい波を乗り切ろう」と記している。
 民友進出に先駆けて、本紙は3月30日から朝刊を2ページ増やして12ページとし、朝夕刊セット購読料を据え置き、4月1日から朝刊1面に「きょうの主な記事」の欄を設けた。続いて、民友発刊前日の5月24日夕刊からは、購読料据え置きのまま夕刊を2ページ増の6ページとし、県民版や暮らしと趣味のページを新設した。さらに10月の紙面改善で、宮城県版に仙南版を新設して、仙北、仙南の三版制とし、経済・株式欄を拡充するとともに、深夜ニュース収容のため特別の降版時間を設けた。
 
 「民友新聞・宮城」は40年5月になって夕刊発行をやめ、45年3月31日付を最後に廃刊して、4月1日から題号が「福島民友」に戻った。この間10年、本紙の発行部数は変わりなく伸び続け、販売収入の前年比伸び率の平均は10パーセントを示した。本社各部門の総力を結集した結果だった。(河北仙販50年史より一部引用)

 当時は、新聞社間の販売攻勢により敵対する構図が伝わってきますが、今はまったく違った状況にあります。「福島民友がまた宮城県へまた販売攻勢をかけてきた」とは誰も思っていないでしょう。逆に「うちの販売店でも取り扱って、福島から避難している世帯へ届けてやりたい」と感じている販売店主も少なくないと思います。

 新聞社は「紙」を発行することによる販売収入(販売店が買う新聞代金)と広告収入が経営基盤を支えています。販売店も同じです。ネットビジネスの盛隆が言われていますが、まだまだ「紙」を失くして現状の企業活動を維持することは不可能なのです。
 そこにきて今回の大震災。福島県で発行する新聞社のほとんどが、福島第一原発事故の影響で読者の多くが県外避難などで部数を大幅に減らしました。震災直後の4月のABC部数では、福島民報235,452部(前月▲64,953部、前年▲65,052部)福島民友180,697部(前月▲19,559部、前年▲20,360部)。ある程度の部数回復はされていると思われますが、厳しい状況であることに変わりはありません。

 全国紙と違い輪転機の配置地域や輸送の問題によって、県外へ当日の新聞をいわゆる朝刊の配達時間に届けることは難しのですが、新聞社間で協力して避難されている方へ「ずっと読み続けてきた新聞」を届ける仕組みを作れないものかと考えています。この辺の話はネットを活用してということにしかならないのかなぁ…。
※郵送新聞は1日遅れの配達となり、第三種郵便扱いでも配達料が結構かさむため、個人宅での購読はかなり難しいようです。



posted by 今だけ委員長 at 23:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | きょうの喜怒哀楽
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