「宮城県南三陸町にある志津川支局は、局舎が津波で跡形もなく流された」
日本新聞協会が発行する月刊誌「新聞研究」最新号(719号)の特集は、「東日本大震災と報道」(第1回)。被災地の新聞社として河北新報社編集局長のレポート「膨大な被災者の今を伝え続ける」が掲載されています。
地震の後、取材現場がどのような状況だったのか、読者はもとより販売店従業員もあまり聞く機会がありません。今回のレポートを読んで記者の方々の「必死の思い」が伝わってきました。特に志津川支局の記者は撮影した津波の惨劇を紙面に載せようと、息子さんの手を引き南三陸町から仙台市の本社まで5時間もかけて歩いたというのです。編集局長は震災以降、「私たちは、志津川支局の記者に代表される、記者一人一人の被災現場での取材、思い、を形にする新聞づくりを始めた」と語っています。
ぜひ、売り手の方(販売や広告)にも読んでもらいたいと思いつつ、新聞研究ではなかなか取り上げられることのない売り手側が経験した東日本大震災のレポートも取り上げてもらいたいと感じました。
震災の前震で紙面を見比べると、一番の変化は署名記事が大幅に増えたことです。(生活文化、スポーツ面を除き)震災前には多くても4本程度だったものが(面担デスクにもよると思います)、13日の20本を皮切りに、14日17本、15日13本、16日9本、17日8本、18日11本と増えました。5月末日現在でも震災前と比較しても3倍以上に増えていると解されます。河北新報社編集委員・寺島英弥さんのブログ「余震の中で新聞を作る」も含め、「被災者(読者)へ寄り添う記事」が読者から好感を得ていると、販売側にいるとそう感じます。
現地で取材をする記者は地域の話題を取材するだけではなく、被災者やボランティアと深いかかわりを持たなければ得られない話題を拾いあげていま様子が強くうかがえます。時にはつらい現実を突きつけてもくれます。だからこそ、読み手に臨場感が伝わり、沿岸部の被災者に対して「自分に何ができるのか」を考えさせてくれるのでしょう。
頁数こそ全国紙の半分までしか戻っていない状況ですが、紙面は震災前よりも「記者一人一人の現場での思い」がカタチになり、その記事に読者が呼応して“震災への関心”が薄れない要因であると強く感じています。
本来の新聞づくり。いくら「拡材」を積んでも紙面(商品)の内容に勝るものはない―。あらためてその思いを強くしました。