「避難所に届けてもらっている新聞がわずかしか届かなくなりました。避難所では新聞が唯一の情報源なので何とかなりませんか」。
4月6日に石巻市の実家が津波の被害を受け、ご親族が避難所生活を送っている友人からこのような連絡を受けました。避難所で生活する妹さんからの訴えを伝えてくれたものでした。
さっそく、発行本社販売部の担当へ連絡を入れて管轄エリアの販売店へ確認をしてもらったところ、「販売店では避難所への新聞(200部程度)を市役所へ一括で届け、そこから職員が各避難所へ振り分けている」とのこと。3月中は友人の妹さんらが避難している石巻市立渡波小学校(一時800人が避難していた)へ100部程度の新聞が届けられていたのですが、4月に入り自衛隊やライフラインの復旧に向けて全国から応援に駆け付けている電気、ガス、水道の職員やボランティア団体などの仮宿舎へも新聞を配分するようになったため、避難所へ届ける新聞が大幅に減ってしまったということがその理由でした(現在は以前の状態に戻ったとのこと)。
一方、宮城県庁や仙台市役所へも毎日(朝・夕)100部の新聞を発行本社からの指示によって届けています。県庁や市役所は被災者が生活する「避難所」とはなっていないのですが、来訪者の方々に震災の情報を伝える手段として新聞を渡すのが一番手っとり早いのでしょう。公務員の飲み仲間に聞いたところ政府の視察団や支援物資を届けてくれる団体などへ渡しているようです。
地元紙をそのような形で活用していただけるのは、とてもありがたいことです。でもその新聞もタダではありません。避難所へ届けている新聞も県庁や市役所への来訪者が持ち帰る新聞も、その原価(新聞の)は販売店が負担しています。発行本社から補填されるのであれば「さすが新聞社」となるわけですが、今のところ「補填」の話は聞こえてきません。
このような緊急事態ですから、販売店は多くの読者が避難している場所へ発行本社からの指示がなくても新聞を届けるはずですが、避難所の責任者や県庁、市役所の担当者には知っていてもらいたいのです「避難所へ届けている新聞は新聞社が提供しているのではなく、同じく津波などで被災した零細販売店がその原価を支払っている」と。
3月12日以降、避難者の増加による購読料収入縮小や折込チラシ手数料の大幅減少で販売店経営も窮地に立たされています。アルバイト従業員の整理などにも手を付けざるを得ない状況へと追い込まれながら、決まった社取部数(原価)の支払いに四苦八苦しているのが実情なのです。新聞社の経営も相当なダメージを受けていることも理解しつつ、販売店支援策を発行本社として講じてもらいたいものです。
1千万プレーヤーの100万を削るのと、家計の足しにと年103万を稼ぐアルバイトの解雇と、どちらを取るか―そんな選択がいま新聞人に問われているように感じます。
▽石巻市渡波小(宮城)/掃除、片付け 児童も一緒(河北新報 3月30日付)
http://bit.ly/e1M3w6
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きのうは、休みを取って新聞業界紙に勤める方のアテンドをしながら、宮城河北会の副会長などを歴任された相沢邦雄さん(相沢新聞店)を訪ねました。
相沢新聞店は仙台市若林区の沖野や六郷地区を販売エリアにしているのですが、約1割程度の読者が津波の被害に遭ったそうです。津波の被害を受けた約700世帯はその多くが農家を営んでいる世帯で、地元紙はもとより農業新聞など複数の新聞を購読する世帯が多かったそうです。
相沢さんは「集金人から『3月の集金はとても時間がかかった』と言われた。それだけ(地震に関連して)いつも顔を合わせている集金人から近隣の状況を聞きたい、新聞社へ伝えたいと読者が思っているのだろう」と振り返ります。地域密着型の販売店を目指す同店では自振率が2割。読者から自振化の求めがない限り、毎月集金をして読者と顔を合わせることを優先させているとのこと。集金時に交わす何気ないコミュニケーションが、大きな災害を経てさらに醸成されていくのだと、あらためて感じました。
▽仙台・若林57%浸水 津波、内陸に最大4キロ(河北新報 3月29日付)
http://bit.ly/hUQbHy
心は、人間の努力だけでは改善できない。
私たちが、今、しなければいけないことは『救世主スバル元首様』に、救いを求めることだ。
もう、時間がない!!
http://www.kyuseishu.com/tanuma-tu-koku.html
http://miracle1.iza.ne.jp/blog/entry/2237566/
避難所への新聞原価負担が販売店だという事実を初めて知りました。
実は、先月下旬に実家(被災地)に帰った社員から「避難所に届けられる新聞の部数が少なく、避難者の方から切望と苦情が入り混じった話が出ている」という報告があり、印刷センターから発行本社の販売部局に対応検討を要請したことがありました。
正直、その時は「輸送・販売・配達スタッフも道路状況とガソリン事情の悪い中では多くの部数を届けられないのだろう」くらいに思っていました。
その後、具体的な部数増の話は聞きませんでしたが、当然、本社も考えるだろうと思っていましたし、避難所に配布する部数くらいは無代紙だと甘く考えていました。
こうなると原価負担ではなく販売店による新聞社経営支援ですね(今に始まった話ではありませんが…)
一方、販売店支援策の話ですが、「こういう時こそ発行本社が強いリーダーシップと自己犠牲の精神で、地域密着、地域振興を謳う地方紙としての心意気を見せなくては!」と思う反面、『1千万プレーヤーの100万を削るのと、家計の足しにと年103万を稼ぐアルバイトの解雇』という2者択一的になると(今だけ委員長がそう言っているワケではないのは承知の上で)、非常に難しい問題だと感じています。
すべての人が1000万プレーヤーなら、発行本社の人件費を削ればいい、と単純な私は思ってしまうのですが、「『“家計の足しにと103万を稼ぐ人”の配偶者』より少ない収入で家族を養っている発行本社の社員」もいるかも知れません。
正直、どこまで発行本社が持ちこたえられるか、その手法として何が取れるのか、何処までやれるのか、知恵の出しどころなのかな…と感じています。
いずれにせよ、被災者向けの集金の出来ない新聞代は、発行本社がコスト負担すベきなのは言うまでもないと思います。
まったく恥ずかしい話です。
今回のエントリーは発行本社批判ではなく、新聞という商品を届けるアンカー役の販売店の代弁をさせていただいたまでです。いずれ、残紙として古紙回収業者へまわす新聞なので、多くの方の目に触れることは願ってもないことなのですが、現実をできるだけ多くの方に知っておいてもらわないと新聞事業が余計に窮屈になっていくと思い書きました。
県庁や市役所の記者クラブに詰めている記者の方を含めて以外と編集の方々は新聞は「どこからかわいてくる」と思っている方も少なくなく、大きな地方イベントの際にも「200部位届けておいて」と、役所からの要請に大盤振る舞いをするケースも少なくありません(もちろん金銭的思考がない方がほとんどです)。いわばそのような方が経営に携わるから、新聞産業が護送船団的に停滞していくのだと感じてもいます。
すべて経済活動の売買ではないことを理解しつつ、私たちの足元でも雇用整理が起きようとしています。「会社がつぶれたらそれこそ大変」とか「そんな理想論を語るな」とか、経営陣の代弁者ばかりが蔓延っています。「一時しのぎ」は企業としての爆弾を背負うことにもつながります。地元紙の役割、そして販売店はテリトリーが決まっているのでなおさら、知恵を出し合って「納得」できる、される手法を探求していかなければならないと思っています。
1980年代、全国新聞販売労働組合協議会(略称:全販労)という組織が活躍していた時がありました。現在は有名無実ですが組織としては存在しています。販売店は労組の結成が難しいものです。なぜなら、このエントリーのような問題は販売店の経営者も絡んでくるし、よく言われる「劣悪な販売店の労働環境」は新聞奨学生や専業従業員がつらい思いをして、店主は黒塗りのベンツを乗り回すということも…。
まぁいろいろありながら働く者を守ることに加えて、新聞を守りたいと思っている人たちの集まりであることに間違いはありません。このブログのアドレスは、「
minihanro(ミニハンロウ)」としているのですが、ゼンハンロウのミニ版だという思いでアドレスを考えた次第ですw
「販売店が費用負担しているのです」という状態は、いまも続いているのですか?それとも、新聞社がなんらかの「支援策」をすでに講じたのでしょうか。震災から2ヶ月が過ぎ、いまも新聞社が無為無策であるとは思えないのですが、いかがでしょうか。
このブログが引き金になったのかどうかはわかりませんが、今月に入って正式申し入れをしたらしく、ある程度の金額が補填されることになったようです。ただし、新聞原価からの差し引きとなるので、経理部門の方ではないと数字は見えません。
発行本社と販売店の取引関係のなかで、「(金を)とった・とられた」という経済的思考だけではなく、今回のような非常時の際に新聞というメディアが地域住民に対して担うべき役割というものをメーカーとディーラーの関係という一般的な業者間の関係を越えた思考で対応していかなければならないと感じます。
甚大な被害を受けた南三陸町では販売店が結果的に廃業することになり、発行本社の直営となるようです。ライフラインも年内に復旧するかどうか先の見えない地域にも人が住み、避難所では多くの被災者が届けられる新聞を頼りに生活をしています。完全なるデジタル時代になれば「紙の新聞など…」という話にもなるのかもしれませんが、まだまだデジタルに対応できない高齢者が相当多い状況のなかでは、有事の際の新聞のあり方を考えるテーマになると思います。
直接言われたことはありませんが、発行本社のお偉方からの「冷たい視線」を感じないわけでもありません。当たり前のことを意見しても業務(職制)では通らないことから、ゲリラ的に小ブログで発信したところ、新聞協会や公取委の方からも問い合わせがあるなど、個人メディアであっても「動く」ことをあらためて実感しました。また、その責任をあらためて感じているところです。
ブログのエントリーは、それが書かれた瞬間を切り取ったものですが、その後の展開を知りたくなり、あえて再質問させていただきました。新聞の販売と発行本社との関係性については、わたしたち一般読者には想像も付きませんので・・・・
それにしても、このブログは、発行本社だけではなく、社団法人新聞協会や公正取引委員会までをも動かすほどの影響力をもっていたのですね。