2011年04月10日

新聞の再生は、販売店の再生から

 東日本大震災(3・11大震災)から1ヵ月も経たないうちに、また大きな地震が起きました。
 7日、午後11時32分頃に宮城県沖で起きたマグニチュード7.4の地震は津波の被害はなかったものの、先の地震でゆがんだ家屋の倒壊や電気やガスなどライフラインの復旧が先延ばしになるなど、「復興」に向かっていた被災者の気持ちを折るものでした。
▽復旧さなか再び緊迫 2人死亡けが141人 最大余震(河北新報 4月9日付)
http://bit.ly/e7Y7Lo


 「地震で輪転機がストップした。店着時間が大幅に遅れるので緊急連絡を!」。日付を越えた8日の午前1時、発行本社の販売担当からの電話で「やっぱりきたか」と思いながら、さっそく担当する販売店の責任者へ電話連絡。ほとんどの責任者は事態の様子をテレビやラジオで確認していたようで、「よし、わかった」と迅速に社員へ連絡を入れてもらい緊急体制が敷かれました。私も1時30分には本社へ到着したものの、なんと停電で電話もネットも遮断され本社機能(連絡体制)がマヒしていました。道路一本隔てたマンションが煌々と明かりを放っているのに「なんで?」と思いつつ、上司や同僚らと携帯電話で連絡を取りながら安否確認と体制の立て直し。1店舗で水道管が破裂して店内が水浸しになり、複数店で窓ガラスが割れるなどの被害を受けました。
 新聞は約1時間程度の遅れで店着し、配達はスタッフの協力により比較的スムーズに終了。地元紙は7日深夜の地震を1面トップで報じましたが、全国紙は降版時間が早まっているため記事を差し込むことができなかったようです。朝日新聞は26日から稼働していた輪転機がストップし、一部の地域で昼過ぎから配達をしていました。産経新聞も20日から復旧した印刷工場が再び停止したとのことです。

 宮城県内にある全国紙の印刷工場(輪転機)の多くは「3・11大震災」で大きな被害を受け、福島や群馬などの印刷センターで刷ったものを陸送しています。編集と販売での綱引きがあるのでしょうが、降版時間を繰り上げて、できるだけ早く読者へ新聞を届けたいという気持ちと、可能な限り最新のニュースを掲載したいという気持ちとが入り混じっているのだと思いますが、あす11日付けは統一地方選(宮城県は延期)の投開票結果を掲載するため大幅に降版時間を遅らせるとのこと。都知事選がメインの選挙結果を被災地の方々が、どれほど紙面でその結果や解説を読みたいのか…。大幅に降版時間を遅らせる価値があるのかどうか、疑問が残ります。


* * *

 きょう、津波によって甚大な被害を被った牡鹿郡女川町にある梅丸新聞店(阿部喜英所長)へお見舞いと激励を兼ねて伺ってきました。ツイッター上で被害の状況や「配達を再開した」などのツイートを読んでいたのですが、「もう落ち着いたかな」と思いつつ、いてもたってもいられなくなり連絡を入れたところ、「いろいろな方と会うのは元気のもとになるので、ぜひお越しください!」との返事。販売店に必要な指サックなどの事務備品を持っていきました。
漁港跡.jpg 仙台東部道路から三陸道路を抜けて石巻市、女川町へと進むにつれて、津波による爪痕が尋常ではなく、街ごとのみ込まれたような状況でした。1ヵ月たった今も「街」の息遣いは感じられません。

 
 阿部さんの仮店舗で待ち合わせをして、津波の被害を受けなかったご両親のお宅へ案内され、いろいろと話を聞きました。地震直後から新聞配送と宅配の再開までのこと、配達スタッフの9割が津波で家を失くしてしまったこと、販売店の仲間がバイクを貸してくれたこと…。「約600件程度まで配達できる読者が戻ってきた。折込チラシが何とか戻ってくれば…」と阿部さん。経営者としての強さを感じました。


津波の被害を説明してくれた阿部さん.jpg 新聞を待っている読者がいる限り届けるという姿勢は、同じ販売人として本当に頭がさがる思いでした。また、このような時こそ発行本社からのバックアップが必要なのだとあらためて感じました。
 阿部さん、無理しすぎずに踏ん張りましょう! そして、必ず再生されることを願っています。
※「ここまで津波がきたんです」と被災前の女川湾の航空写真を指して説明してくれた阿部さん。

※県内の新聞販売店関係者被災状況(4月15日現在)   
死亡:店主 1名、店主のご家族 1名、従業員 19名
行方不明:従業員 22名+数名
店舗被害:津波による流出 16件、倒壊 3件、床上浸水 16件

posted by 今だけ委員長 at 18:08 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
 お疲れ様です。

 多忙な業務のみならず、地域で奮闘する今だけ委員長の姿勢に敬服すると同時に、ただ事態を注視しているだけの我が身を振り返ると恥ずかしくなるのですが、こういう極限事態に陥った時こそ、人や企業として、想像力や行動力が試されるのだと感じます。

 自分を棚に上げて言わせて頂ければ、新聞社として「新聞を発行し情報を届ける」のは自明として、新聞社の企業力(新聞社力)を、別ベクトルで発揮することは出来ないのだろうかと考えてしまいます。
 たとえば、新聞輸送に使用するトラックに支援物資を同載して避難所に届けることも、「体制上の技術論さえ整理できれば、可能なのでは?」と思うのです。
「お客様」というだけではなく、民主主義を支えるパートナーとしての読者各位と地域に対して、宅配制度(に伴う輸送体制等)という独自の販売体制を持つ“新聞社力”を総動員して、出来うることを新聞社自身が考えるのが企業責任であり、新聞がこれからも必要とされる条件となるのかも知れないと感じました。
 新聞社同士の災害協定も、発行者本位でなく読者本位で考え直し、業界再編を図る必要性があるのかも知れませんね。

 宮城県沖余震当日、私は自宅におりましたが、停電となって真っ先に頭に浮かんだのが(もちろん家族の無事を確認した後ですが)、輪転機の稼働状況でした。
当日の建頁は20頁で3セット稼働の体制で降版時間を設定していましたが、テストを含む自家発電での稼働実績からの推察では「下手をすると1セット稼働になるのでは…?」と、店着時間に不安がよぎりました。
実際は、自家発電に切り替わった後、各部の点検と追っかけ降版を経て、2セット稼働出来たそうです。
それでも1時間もの店着遅れをリカバリーした販売・配達スタッフの行動力には頭が下がる思いです。

 先日、震災翌日に新聞が宅配されていたことに感激した読者からの御礼状を拝読しました。
当日付の新聞を印刷した者としても嬉しくなりましたが、それも万難を排して新聞を宅配し、読者に情報を届けてくれた、アンカーである販売店社員・スタッフの奮闘ぶりのおかげなのだと思います。
配達の際には危険な場所に足を踏み入れることもあろうかと思います。
どうぞ、お気を付けて頑張って下さい。
Posted by EROギブソン at 2011年04月11日 17:50
また揺れましたね…。

書いている間に揺れて、正直ビビりました…。

最近、会社にいる時に地震があると、自身は免震構造の建屋のおかげで安心感がある反面、大半のそうでない建物の事が(自宅も含めて)心配になります。
販売店の耐震性もそう大きくはないでしょう。
どうか、皆さんお気を付け下さい。

言うまでもなく、販売店は新聞社の生命線ですから、発行本社としても再起に向けた支援を考えるべきと思います。
ただ、厳しい経営状態にあった発行本社が、どこまで出来るのか、不安がよぎります。
出来る限りのものであれ、最大効率を発揮できるようなものであって欲しいと願います。
Posted by EROギブソン at 2011年04月11日 18:21
新聞を届ける販売店の皆様に頭が下がる毎日です。
だからこそ新聞社も必死で新聞を作らなければならないと感じています。

震災で亡くなられた販売店の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
Posted by ますだ at 2011年04月11日 23:33
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