東日本大震災(マグニチュードは「9」へ訂正)から4日目の夜を迎えました。
被災された皆さまは疲労と寒さと空腹に耐えながら、そして安否確認ができない親族のことを思いながら過ごされていると思います。私の親戚も津波に襲われ他界しました。それぞれ大変な思いをされていると思いますが、こんな時こそ冷静に、そして助け合いの気持ちを持ってこの難局を乗り切っていくしかありません。踏ん張りましょう。
この4日間、多くの皆さまから安否の確認や励ましの電話、メールなどをいただきました。しかし、すべての方に返事をすることができません。ごめんなさい。
震災の翌朝から新聞を配り続けているのですが、その本人があまり新聞を読んでいません。きょうでひと段落ついたので、じっくりと紙面(地元紙)を読んでみました。
記事の多くは震災後に各地へ飛んだ記者たちの署名で書かれていて、知った名前も少なくありませんでした。震災後、私が担当する販売店へ「バイク(原付スクーター)を貸してください」と言って飛び出したまま、深夜まで帰ってこなかった記者。無事に帰ってはきたもののバイクは泥だらけ、何度か転んだのでしょうバックミラーがねじ曲がっていました。バイクの状態からその彼が書いた記事はすぐに分かりました。おそらく津波の被害にあった沿岸部へ非常線が張られる前に駆け付けたのでしょう。思わず目を覆いたくなるような記事と写真…。でも、これが真実を取材し伝えることなのです。
現場の状況(情報)を伝えるために新聞社に勤める多くの人がそれぞれのポジションでがんばっている。その新聞を、彼ら、彼女らが書いた記事をできるだけ多くの方へ届けるために私たちもがんばらなければなららないとの思いと強くしました。
今後、復興まではかなりの長期戦になると予想されます。自分ができ得る範囲で最善を尽くそうと思っています。ご支援をよろしくお願いします。
※河北新報社の了解を得て東日本大震災から1週間分の朝夕刊のイメージ画像をファイルアップしています。
【追伸】
【追伸A】
被災者が苛立ちはじめているように感じます。GSで給油待ちをしていたら「割り込んだ…」でケンカがはじまる。緊急避難所でも食事の配給は「子どもから」というルールを無視して我先に食べものを持っていく大人。私が担当する販売店でも水道のライフラインが回復したので、給水とトイレの解放を一般の方へ提供していたところ、節度のない行動を起こす人。マンション(20階建)のエレベーター休止しているのに「新聞は上まで持ってこい」という苦情(?)を言ってくる読者。きょうも、市内の百貨店前で新聞を販売していたら「こういう時はタダにするものだ」と大声を張り上げるご婦人。
精神的に滅入って冷静さを欠いているのでしょうが、こういう時に人間の本性というものが見えてくるようにも感じます。
ところで東京電力が14日実施した「計画停電」のテレビ報道を見ていると、ワイドショー化が始まったと感じました。確かに東電の不手際で混乱したでしょう。しかし現実的に周知徹底が100%無理な点を視聴者へ訴え、理解・協力を求める姿勢が大切だと感じました。
福島第一と第二原発が危機的状況に陥っている現実。会見ではさらに輪を掛けた質問を連発する記者たち。原発の計画、建設、運転では、さんざん書きまくったのに、運転が始まれば「原発容認」と思えるように知らんぷり。
計画停電という未曾有の事態に陥った電力会社をそこまで追い詰め「自分たちはマスメディアです。エッヘン」の姿勢。これではマトモナ世論は形成できないと思います。テレビ、新聞が厳しい経営に陥っている中で、現実逃避で自己満足しているように見えました。
新燃岳、八百長相撲、主婦の年金、カダフィ大佐…地震が吹き飛ばしました。今回はあまりにも放言しました。スミマせん。