ツイッター上では新聞、ラジオに対する批判が多かったのですが、このような番組が放送されることや朝日新聞社が2007年4月から翌年3月まで夕刊に連載した「新聞と戦争」(のちに朝日新聞出版が発行)のように、各メディアとも自戒を込めた検証をしっかり取り組んでいることも知ってもらいたいと思います。また、当時の国民がメディアに何を求めたのかについてもしばらく考え込みました。国民の欲望に応えることで商業的な成功を得るメディアの構造も…。
国家権力をチェックする役割がジャーナリズムであって、代表格が新聞であるとするなら、その新聞(経営者)をチェックするのはやはり新聞社の労働組合なのだろうと思います。自社の紙面について労働組合はどの程度関心をもって接しているのでしょうか。労働者の生活水準の維持ばかりが労働組合の役割ではないないはず。ともすると、既得権や収入増(広告費や部数)に熱狂してはいないだろうか、社内で異を唱える人がはじかれる社内体質を「個人の問題」と許してしまってはいないだろうか。
販売労働者からこんな偉そうなことをいわれるとムカつく人がほとんどだと感じますが、もう特別な産業ではなくなっていることを自覚すべきだと思います。
新聞社は「信頼」というキーワードで企業活動を続けていくしかないのだと、あらためて感じさせてくれた番組でした。
* * *
きょう、各販売店への移動中、久しぶりにFMラジオを聞いていたのですが、詩人・茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という作品が胸をうちました。ユーチューブをチェックしたところ、シンガーソングライター・鈴木君代さんがその詩に曲をつけて歌われています。
ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ
長いものに巻かれることなく、人のせいにすることなく、自分と向きあって信じた道を突き進め―。とてもよい詩です。
戦時中に比べて世論に対する新聞の影響力が低下している現状は憂慮すべきです。「労働者の生活を守る」の前に「ジャーナリズムを守る」の姿勢を堅持したいですね。