今回の特殊指定問題について、新聞労連本部では、新聞協会や日販協が繰り広げる国会議員や各県レベルの議会要請、各紙の過剰な報道のあり方などと一線を画すため、特別決議を採択しました。
昨年11月、公正取引委員会が新聞業をはじめとする「特定の不公正な取引方法」(いわゆる「特殊指定」)を見直す方針を示し、日本新聞協会はじめ業界団体は一斉に反対を表明した。新聞労連は昨年12月15日、拡大中央執行委員会が発表した声明の中で、新聞特殊指定の改廃に反対の方針を表明するとともに、販売正常化の早急な実現、読者や市民の信頼に応えうる新聞ジャーナリズムの確立を訴えた。3月14日には「2006春闘東京総行動」で公取委と新聞協会を訪れ、特殊指定の堅持を強く訴えた。新聞の特殊指定維持を求め、販売正常化と読者に信頼される
新聞ジャーナリズムの確立に取り組む特別決議
この間、新聞各紙は「特殊指定廃止で戸別配達制度が崩壊」の特集記事を紙面に掲載し、読者に対し制度維持の理解を求めた。新聞協会も「特殊指定廃止」が「戸別配達制度の崩壊」につながると訴えている。わたしたちは、問題はそれだけではないと考える。特殊指定の廃止が新聞の乱売を招くことを危ぐする。シェア拡大のための値下げがひとたび始まれば、容易に「乱売合戦」へ進みかねない。そうなれば経営体力、資本力の差によって新聞が淘汰されることになりかねない。多様な言論が失われることを意味する。
新聞特殊指定見直しをめぐっては、戸別配達制度維持の観点から政界からも改廃反対の発言が相次いでいるが、権力をチェックすべき新聞が過剰に政治力を頼るのだとしたら、読者や市民の支持を得られるか疑問であることも指摘しておきたい。
著作物再販制度と特殊指定が一体となることで、新聞の「同一題号同一価格」が維持され、新聞の安定発行という読者利益が担保される。新聞販売をめぐる読者の不満の多くは、ルールを守らない販売方法にあるとわたしたちは考える。新聞産業にとって、ルールを順守した「販売正常化」を達成し、読者の信頼回復に努めることが急務だ。
新聞が「言論・表現の自由」「知る権利」を守る責任を負っているのは、自明のことだ。その責任を果たしてこそ、新聞の公共性が社会に認められる。新聞が販売面で独禁法の適用除外とされ、特殊指定の対象であるためには公共性が前提となる。
わたしたちは、著作物再販制度と一体となった特殊指定を存続させ、多様な新聞、多様な言論を守りたい。そのために販売正常化を達成し、読者・市民の「知る権利」に応えうる揺るぎなき新聞ジャーナリズムの確立に取り組むことを、ここに決議する。2006年4月21日
日本新聞労働組合連合 第115回中央委員会
この決議の他にも6項目に及ぶ具体的な内容を記した「特殊指定改廃問題に対する新聞労連の取り組み」も同時に承認されました。内容は「地方では全国紙の値下げ攻勢が予想される」などの表記もあり、自らの襟を立たす姿勢も感じられます。しかし、労連本部役員が中央執行委員会へ提出した原案にあった「押し紙」の表記がまるっきり抜けていました。
新聞労連も連合体。それぞれの組合の思惑が大きく左右したのかもしれませんが、「押し紙」という言葉を排除してはいけない。この業界のすべての問題の温床が「押し紙」から派生しているといっても過言ではないからです。組織全体(多数決の論理)の決議のため、今回の決議文からは「押し紙」の言葉を載せられなかったのは仕方がないのかもしれませんが、議論として「押し紙」を外してはいけないのです。新聞経営者は公正競争規約(自主ルール)からも「押し紙」という表記を外しました。「予備紙」や「残紙」などと表現を変えても「押し紙」であることに変わりはないのです。
「仕方がないと思っているかもしれませんが」−組織の中の手続きと言うか、数の力もしくは大勢を動かせなかった影響力の弱さなど、私の力不足を痛感しています。ただ一石を投じたところで、変わらなければ何にもなりませんから…。
でもまだ諦めていません。労働組合も時代遅れなのかも知れませんが、手段として「組織の力」も必要ですし、「本当は理解している」けれども一線を越えられない前例踏襲を踏む方々に「おーい!気づいてくれよ」と面と向かって訴えていきます。
社内権力と言うようなものが怖いのでしょう。ブログのように「言いたい放題」それぞれの企業で言える人はそう多くはないと思います。某Sサンのように「強い人」はそう居ないのかも知れませんねぇ。
でも新聞社はこれまで「特殊指定」商品であったわけですし、その商品をつくる従業員(労働組合員)の社会的使命は“特殊”な分だけ高くなくてはならないと思います。新聞社内のブラックボックスは従業員自らの手で開けなければならないのですから。
この前、TBを頂いた高田サン(ニュースの現場で考えること:ライブドアブログ)が、重要な書き込みをされていますので、引用します。
「私は若いころのほんの一時期だけれど、東京の新聞販売店に住み込み、専従になったことがある。そのことは、だいぶん前にブログにも書いた。おそらく、宅配の現場は当時も今も、ほとんど変化はないだろう。これは私の経験のみから言うことだけれど、宅配の維持とは、今現在の設ける仕組みを維持することでしかない。それは同時に、すさまじい拡張競争や不当な値引き、劣悪な労働環境等々、宅配現場の種々のマイナスの実態を維持することにもつながる」と指摘しています。
販売店で働く私たちには“グッ”とくる指摘だと感じたのですが。