2010年07月24日

新聞労連結成60周年記念の集い/60年間で勝ち取ったものを今こそ使うべき!

 「新聞業界が危機だといわれているが、60年間で先輩たちが勝ち取ってきた新聞の力を今こそ発揮するべきだ」。乾杯のあいさつに立った原寿雄さん(元新聞労連副委員長で共同通信社長を務めた)の言葉に思わずグッときました。「そうだ、まだまだ手をつけていないことが山ほどある」と。

60周年集い.JPG 日本新聞労働組合連合結成60周年記念の集いが7月22日、都内のホテルで行われました。冒頭、あいさつに立った豊秀一委員長(朝日労組)は「新聞が担う最も大きな役割は戦争を止めること。不戦を誓い戦争のために二度とペンを取らない、カメラを回さない、輪転機を回さないことを胸に刻もう。いま業界が広告不況や読者離れなど厳しい状況にあるが、『ペンかパンか』どちらを取るのか問われているように感じる。いくら厳しくともペンを捨て、パンを取ることは許されない。ペンもパンも両方取るために運動を展開していこう」と力強く述べました。
 会場には、これまで新聞労連役員を務めた先輩方をはじめ、加盟組合の現役組合員や来賓など集まりました。お世話になった方との久しぶりの再会はやっぱりいいものです。


P1010369.JPG 参加者には、1990年から2010年までの新聞労連の歴史を綴った「証言・新聞労働史 明日へ」(その当時に組合役員が寄稿)や新聞労連機関紙の縮刷版(DVD)、「しんけん平和新聞」(1号〜7号)などが記念品として配られました。「しんけん平和新聞」は毎年違った編集委員の目線で「戦争」と向き合っている大作です。ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。
※「しんけん平和新聞」の問い合わせは新聞労連まで。


 明日に向かって何をするべきか。
 どこの職場でも人減らしで仕事の量が増えて「じっくり考えている暇がない」といううなり声が聞こえそうですが、こういう時こそ労働組合の存在が重要なのだと思います。ただし、「何をするべきか」を任せきりにするのではなく、自分たちが労働組合を使って新たな発想を培い実践していくことが大切なのだと思います。



 不都合な真実から目をそらすことなく

 「新聞販売労働者が新聞労連の中央副執行委員長…大丈夫なのか?」。東北地連からの選出とはいえ、新聞労連加盟の各単組からは恐らくそんな声が上がったのではないだろうか。
 筆者の出身単組が新聞労連へ加盟したのが2000年7月に開かれた第96回定期大会。加盟からまだ7年と経験も浅く、200名足らずの組織から本部役員を選出するのは荷が重すぎると当初は固辞したが「東北地連の絆」に心打たれ、役員を引き受けることを決断した。


 就任当初は販売労働者として何ができるだろうかといろいろ考えた。ある販売系の先輩からは「押し紙」の根源である発行本社と販売店の取引関係是正を優先させるべきとの助言もあったが、これまで片務契約に苦しんだ販売労働者の「敵討ち」をしたところで生産的な議論が生まれるわけもなく、それよりも不正常販売の横行によってどれだけ読者の信頼を失っているのか、読者の声を伝えながら新聞産業の根本的な問題を改善させる具体策を議論していくことに専念した。
 任期中は機関紙で「しんぶん販売考」を連載(8回)させてもらった。九州、近畿、北信越の各地連からは販売問題に関する講演依頼を受けるなど、業界のブラックボックスといわれる販売問題を多くの組合員へ発信する機会を得たことは意義があった。出張の際はできるだけ開催単組の販売局の方と情報交換をさせていただいた。若手ほど問題意識というか危機意識が高い半面、局長クラスはやはり精神論しかなかった。「ゴール目前」の局長クラスは前例踏襲の販売政策から離れることはせず、「無購読者への対策はどうするか」と焦る組合員のフラストレーションが強く伝わってきた。
 昨年から京阪神地区を皮切りに「販売正常化」に向けた取り組みがなされてきたものの、不正常な販売が起きる温床とされる新聞社と販売店の産業構造の問題には未着手のままだ。販売店労働者の労働条件はまだまだ劣悪な環境に置かれており、その根源となる「押し紙」という言葉を新聞労連は抹殺してはいけない。


 永田町にもよく足を運んだ。労働関連三法案の国会提出や教育基本法の改定、18項目も付帯決議され強行採決された国民投票法など、目まぐるしい政局の動きに対して、MIC(日本マスコミ文化情報労組会議)や憲法労組連の一員として国会議員への要請行動などに取り組んだ。
 労働組合の組織率が年々減っているとはいえ、国会の前でスクラムを組み、メーデーで行進する組合員の数には圧倒された。地方では考えられないことだった。もうひとつ脱線ついでに話せば、就任後1カ月もたたない時に全国労働委員会民主化対策会議(労連副委員長は副議長を兼ねている)の街頭行動で、銀座マリオン前でオルグした時のことは忘れられない。「就任したばかりで会議にも出たことがないのだからビラを配るだけ」と何の準備もしていなかったのだが、突然、「新聞労連副委員長からひと言メッセージを」と司会者がマイクを向ける。手配りしていたビラを読み上げながら何とかしのいだが、冷や汗がプラスされ額からどっと汗が流れた。12月の寒空だというのに…。


 任期中に最も力を注いだのが産業政策研究会(産政研)の設立だった。
 成熟した新聞産業は、これまでのような右肩上がりの成長が望めない。さらに人口の減少や無購読者層の増加など厳しい要因を抱えている。産業研究とそれに基づく新聞メディア、販売、広告など多岐にわたる産業政策の確立は、経済闘争など労働条件の向上を勝ち取っていく活動にとっても必要不可欠な課題となっていた。残念ながら新聞協会は新聞研究所を廃止(新聞博物館へ研究機能を移管し縮小)するなど、産業研究分野からの撤退を進めており、この分野で経営側が何らかの役割を果たすことは期待できなかった。一方、加盟単組も単年度執行部が増え、また役員の任期も短くなり、長期的な視野で産業問題に取り組むことが難しくなっていた。任期に縛られず、単組の枠組みを超えて新聞産業の問題を研究していく機関を作ることが緊急の課題と位置付けた。新聞産業研究に興味関心のある組合員を募り、新聞産業の抱える様々な問題について産業的視野で勉強を重ねていく、産業政策研究会の設立を、2007年4月の中央委員会へ提案し承認された。
 研究会の目的は、産業研究を深め、その成果を労連の産業政策にフィードバックすることと、労働組合の中に新聞産業研究に取り組む人材を育成することだ。新聞産業を学問的に研究する研究者がほとんどいなくなっている現状に鑑み、労組員以外の若手の研究者も、この研究会に講師や参加者としてコミットしてもらい、学問的に新聞産業研究を志す研究者を支援、交流していく場としても活用していきたいと考えた。将来的には新聞産業政策の常設のシンクタンクとして発展させることも視野に入れながら発足したのである。
 研究員の公募には14単組、18名の組合員から応募があり、レポート内容や在京・地方、職場のバランスなども考慮して選考した結果、7名の研究員を選出した。研究活動の成果については、報告書(新聞2008年の『自画像』、新聞2009明日への道標)を参照してもらいたい。

 退任後も2年間にわたり研究会の座長として活動に携わったが、いま思うと2005年6月18日に開かれた新聞産業研究会がすべての始まりだった。米国の新聞産業が音を立てて崩れ始め、時事通信社(当時)・湯川鶴章氏の「ネットは新聞を殺すのか」が発刊された頃、これからの新聞産業を憂いたロスジェネ世代の組合員が集まって熱心な議論が繰り広げられた。「ジャーナリズムはもうからないが、ジャーナリズムを守るために新聞社の新たなビジネスモデル構築は急務だ」という認識は、あの集会に参加したメンバーの多くが共有していた。

 新聞産業問題とは、実はジャーナリズムと相当にリンクするということを強く感じる。新聞ジャーナリズムだけが崇高だとは言わないが、今でも新聞が一番「信頼」できるメディアであることは言うまでもない。しかし、その信頼に裏打ちされてきた新聞産業が窮地に追いやられ、ジャーナリズム活動が揺らいでいる。販売政策の失敗、新聞離れによる販売収入の減少とインターネットの隆盛、景気減退による広告収入の落ち込みで経営が悪化し、その活動基盤を支えられなくなっているからだ。
 新聞産業をなくさないために、何を変えていかなければならないのか。分社化や夕刊廃止、総人件費の抑制は、一時的な延命治療でしかない。
 これまでも新聞労連の諸先輩方が新聞産業の危機を訴えてきた。「新聞が消えた日―2010年へのカウントダウン」が発行された1998年にはすでに現状を予感していたのだ。しかし、にもかかわらず新聞経営者も労働者も自己改革に乗り出せなかったし、組合内部でもこれらの視点や危機感が継承されてこなかった。新聞業界の致命的な欠陥の一つは問題意識の共有化が進まないことだろう。
新聞労働運動史1990〜2010.jpg 新聞労連の研究機関として組合員の生活基盤を守ることは当然だが、労働条件を守ることを優先しすぎて、不都合な真実に目を背けてきたのではないだろうか。たとえ一時的に多少の不利益を被ろうとも、新聞再生のために耐えねばならない。労働組合こそ、そこから逃げてはいけないのだ。(「証言・新聞労働運動史 明日へ」より)


 



posted by 今だけ委員長 at 23:03 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
 22日はお疲れ様でした。本文2段落目の「6月22日→7月22日」ですね。会場では久々に会う方々が次から次と、あいさつできなかった人がたくさんでした。
 翌日午前は労連大会2日目を傍聴。「支援を差別してはならない」の意見が出され、出席代議員から大きな拍手。さすが新聞労連と感心しました。
Posted by 宴会ていんめんと at 2010年07月27日 23:56
宴会ていめんとサマ!コメントありがとうございます。
22日はお世話になりました。
夏ぼけで曜日感覚どころか、月数を間違えるドジ加減。訂正いたします。
Posted by 今だけ委員長 at 2010年07月28日 08:28
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