2010年06月19日

パワーカスタマーの時代 読者相談室にこそスペシャリストを

 新聞は言わずもがな商品(新聞)の宅配までが購読料に含まれています。製造から流通までのパッケージ商品(販売店も専売店が多い)だからこそ、メーカーに流通部門の問い合わせもあるし、逆にディーラー(販売店)にも発行側への意見などが寄せられます。

 読者からのクレームの多くは不配・誤配などの配達に関することで、販売局が販売店への連絡に追われることも日常茶飯。配達スタッフのミスがほとんどとはいえ、不配が多い販売店はだいたい決まっているものです。販売局の人たちも「またあそこか」と舌打ちしているに違いありません。

 逆に販売店側にも紙面に関するクレームが寄せられることもしばしば。集金の際に小言のようにいわれる紙面への苦情もけっこうあるものです。内容は多岐に渡りますが、言い掛かりとしか思えないのものから「なるほど」とうなずけるものまでさまざまですが、その多くは「ひと言」文句をいわれても「来月もよろしくお願いします」で済んでいるし、販売店スタッフとのコミュニケーションが取れているので購読中止には至らないものです。
 「小言をいわれるうちは大丈夫」といわれますが、特に紙面内容に関する問題はそれぞれの主観によるものなので結論が出るはずもなく、当然販売店では対応しきれないものです。「これは手に負えない」という場合は編集局(読者相談室)へ連絡するものの、誰もそんな面倒な話は受けたくないだろなぁと思いつつ紙面に関することは勝手に返答できないので、渋々対応をお願いするのですが…。


 きのうの夕方、現場の後輩から電話が入りました。「お客さま(読者)から、○月○日付け朝刊17面に掲載された葬儀社の社名変更の記事は、どう読んでもその葬儀社を持ち上げた広告としかいいようがない。なぜ記事にしたのか編集側の見解を聞きたい」といわれたので発行本社に対応してもらえないかというもの。その後輩は何とか話を収めようとしたものの叶わず、「発行側から説明の連絡をする」ということで解放されたようです。
 電話を受けた私はどうしたものかと悩みました。編集局(読者相談室)へ問い合わせて見たところで、返事は決まっています。「新聞社独自の倫理に則り、編集デスクが責任を持って記事の取捨選択をしている」というもの。まぁその通りなのでしょうが、そのような一方的な説明では余計に話しがこじれるばかり。最後には「新聞をやめてもらっても構わない」と結をまくられることもしばしば。編集側からすると「いちいち対応していられない」ということなのでしょうが、販売店は1件の読者を失うことになる。このような実態を販売店側も知っているので読者からのクレームを編集側に言わなくなる。そうして“ズレ”がまた大きくなるというスパイラルが起きているように感じます。その中間に位置する販売局もどう対応を取ってよいのか苦慮していることでしょう。だって新聞社は編集が絶対なのですから…。

 それで今回の件がどうなったのかというと、販売局の方にも相談して編集サイドへいろいろと当たってもらったのですが、結局は「販売店で何とか…」ということになり、当方が直接その読者へ伺って話がつきました。「購読をやめる」とはならなかったのでひと安心ですが、「どうせ販売店の人間に言ったところで何も変わらないだろうが…」と前置きした上で、「紙面内容について問い合わせても新聞社の人たちは対応しない」と思われたのかもしれません。


 久しぶりに現場に出て感じるのは、パワーカスタマーの威力が相当なものになっているということです。配達の時間指定や土・日は配達せずに購読料から減額、集金の際に粗品を持っていくなどはあたり前で、以前よりも個別対応が増えています。それが紙面のことにまで広がってきている。わがままな読者が増えているとも感じる一方、やはり多くの情報を入手できる社会環境の変化とともに読者側のリテラシーが備わってきたことによって、紙面に対するクレームも増えているのだと捉えるべきではないでしょうか。また読者からの問い合わせに対応する部署の充実は不可欠です。読者相談室などには柔軟な発想を持ち調整力に長けたスペシャリストを配置しないと、読者とのズレは埋まっていかないのかなぁと感じています。


 最近読み終えた「電子書籍の衝撃」(後日、書籍紹介でアップする予定)の一説に、こんな記述がありました。新聞社に勤めた経験を持つ著者の佐々木俊尚氏の指摘は、さすが的を得ています。一部引用します。


 情報の量を需要と供給で考えてみると、かつては供給(情報を発信する側)が新聞・テレビ・雑誌・ラジオに限られていて、需要(人々が情報を求める気持ち)をカバーしきれなかったので、供給のメディア企業側に「情報を与えてやる」というパワーが生まれてきました。これが余剰の富となって出版社や新聞社、テレビ局の社員の高給にもつながっていたわけです。
 ところがインターネットが登場し、情報の供給はものすごい勢いで増えました。ブログや掲示板などの読み物だけでなく、ツイッターやSNS、メール等の双方向的なメディアも人々の需要を満たす存在として台頭するようになってきます。そうなると情報の需要と供給のバランスは完全に崩れ、いまや需要を上回る量の供給があふれるようになってしまったわけです。
 そうなれば「需要を絞る」ということによって余剰の富を得ていた古いメディア企業が没落していくのは当然のことです。それなのにいまだにメディア企業の側には「情報をオレたちが分け与えてやる」という古い発想の年配社員がいて、その頑迷固陋ぶりには幻滅するばかりですが―。(佐々木俊尚著「電子書籍の衝撃」105Pより)



posted by 今だけ委員長 at 23:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | きょうの喜怒哀楽
この記事へのコメント
 問い合わせた読者の方が「購読をやめる」にならなくてよかったですね。外部からの疑問に対して「お答えできる体制」が整わない新聞社や放送局、出版社などは多いと思います。
 確かに読者からの問い合わせは、言いがかりや無理難題が多く「いちいち答えていられない」がホンネでしょう。けれどマジメな質問にはキチンと回答することは大事ですね。
 新聞社側が「新聞をやめてもらっても構わない」と言う背景には「情報はオレたちが分け与えてやる」といった発想があるためでしょう。1部ぐらい減っても販売収入への影響は微々たる…と割り切ってしまう根拠になっていると思います。
 けれど1部減ることは販売収入が減ると同時に大事な読者を失います。紙面に対して疑問や不満があっても購読を通じて読者が得られる情報は無視できません。これが積み重なり世論形成につながると思います。
 また読者へしっかり対応すれば、信頼を築くチャンスになるわけですね。
Posted by 宴会ていんめんと at 2010年06月23日 00:32
宴会ていんめんとサマ!コメントありがとうございます。

すべての方とは申しませんが、編集系の方は「人に頭を下げる」とか「謝罪する」ことができない人が多すぎますね。天下国家を論じている方に共通する特有なものなのかもしれません。「頭を下げると新聞社がその対象者に“へりくだった”となるので最後まで頭を下げるわけにはいかない」という社内教育がなされているのかもしれませんが…。

でも紙を売って商売(社員が生活をしている)をしている限り、人に頭を下げられない人はトラブルメーカーにしかならないと感じます。まだ新聞社は体力があるから多くの方を抱えていられますが…。

Posted by 今だけ委員長 at 2010年06月26日 23:26
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