2006年03月22日

合理化に精を出した結果、読者を失った地方紙

マスコミ黒書.JPG
マスコミ黒書
著者:日本ジャーナリスト会議(労働旬報社)480円

 1968年初版発行。サブタイトルが「マスコミの黒い現実を告発する」とあるように戦後から60年安保までの日本のマスコミが伝えてきた真実とは何か?を検証する告発本。国民の知らないところで真実の情報が消されている様を古在由重(哲学者)、城戸又一(大学教授)、塩田庄兵衛(大学教授)の3氏を中心として、新聞、放送、出版などマスコミ全般に渡るマスコミ労働者の苦悩と歴史とそのメカニズムに触れながら、商業化したジャーナリズムの本質を追求している。

 「真実の報道を通じて新聞を全国民のものとする努力は、いま新聞労働者の日常の活動とならなければならない。新聞を通じて戦争の危機を防ぎ、平和と民主主義を守り、国民の生活向上のために現在の新聞労働者が果たすべき責任は重大であり、われわれに対する国民の期待は極めて強い。われわれは新聞を独占資本が国民を収奪する道具としていることに抵抗しなければならない。われわれは日常報道するどんなに小さな記事、写真もそのまま国民生活につながるものであることを自覚しているが、いまやこの自覚を行動に移さなければならない。記者編集者の一人一人から、工場・発送の一人一人まですべての新聞労働者が『真実の報道を通じて新聞を国民のものにする闘い』に意識的また組織的に取り組まねばならない」。新聞労連が1955年に開催した第6回定期大会の運動方針である。また、1957年10月には「新聞を国民のものにするたたかい」をスローガンに第1回新聞研究集会が開かれている。報道の民主化には労働組合が大きく関わってきた。利益追求のために真実を捻じ曲げる経営側と闘ってきたからこそ、読者に支持をされ「紙面の信頼」を得てきたーと続く。

 販売問題にも触れている。1950年新聞販売網の「自由競争」が再開される。日本の独占資本は全国的な規模の大新聞の復活を必要としていた。大全国紙はそれまでの共販制をとっていた販売制度をやめて、専売制の復活を強行して流通過程の支配に乗り出した。この中で、用紙統制と共販制に依存していた新興紙の大部分は大資本に吸収されるか、崩壊させられるかしていった。そのため、新聞の販売拡張競争はすさまじい激しさをみせた。販売地域の“縄張り”をめぐって販売店がヤクザの出入りもどきの争いを各地に展開した。販売拡張員は新規購読者の開拓、他紙購読者の横取りのために、人権を無視した勧誘競争を強いられた。
 販売拡張競争は新聞産業の高度成長の中で、その後さらに醜悪化している。1959年春の大手3社の北海道進出時は気狂いじみた事態が発生し「北海道進出では1部1万円の拡張経費を使った」(読売新聞・務台専務)

 大全国紙の独占強化の中で、地方紙は地域独占資本と結びつきながら市場防御に専心している。そして何よりも中央紙による侵略に戦々恐々としながら、地場資本との橋渡しをする”政界人”に貢いでいる。また記事の多くを通信社の配信記事にあおぎながら合理化を進めている。合理化に精を出しすぎたため、取材能力を失って、その見返りに読者を失っている例も少なくない―と分析している。

 現在、見直しが検討されている特殊指定の問題は、このような過去の実態があって制定されたもの。規制がなければ「大資本に飲み込まれる」ということは歴史が実証している。
 資本主義経済が立ち行かなくなってきている昨今、0.4%の人間が70%の金を掴む構図にさらに拍車をかけるのが米国主導の規制緩和政策であることに間違いは無い。その中で、新聞の規制緩和は単に情報伝達方法のあり方などという視点ではなく、言論機関の縮小という観点で議論しなければならないと思う。
posted by 今だけ委員長 at 23:49 | Comment(4) | TrackBack(0) | 書籍紹介
この記事へのコメント
放送と同様に新聞も情報を扱っているのですから、ある程度は既得権があってしかるべきと思います。情報の影響力が強いと考えるからです。

規制緩和は本当に良い政策なのか、懐疑的です。格差を生み出すだけのような気がします。

しかし、拡張費1万円とは・・・当時だとだいぶ高額な経費だったのでしょうね。
Posted by newspaper at 2006年03月23日 05:17
newspaperさん!コメントありがとうございます。
規制緩和は事業を起こしたくとも免許制で進出できない(例えばタクシーも以前はそうでした)ことや、官僚など公務員の既得権が浮き立たされていますが、日本のあらゆる産業に米国(企業)が参入しやすくすることなのだと思います。竹中平蔵さんを総理に推したい米国の野望は果てしなく、競争原理の行く末は「無法状態の格差社会」(スラム化とも言いますが)へ進む要素が大きい。
もうすでに米国的資本主義経済は限界に来ていると思うのですが…。だから資本主義経済において日本らしい規制があって、均衡が保たれるのだと思います。
Posted by 今だけ委員長 at 2006年03月23日 11:39
 昔は共販制度だったのですか。それであればサービス合戦でなく地方紙も本質で勝負できますね。
 衰退しているといわれていますが、地方紙同士で横のつながりとネットを活用すれば生き残る道もあるのではないかな?と最近思っています。
 今一番がんばっているのは神奈川新聞でしょうか?ブログを活用してがんばってますね。
Posted by 徳川家康 at 2006年03月27日 12:50
徳川家康さん!コメントありがとうございます。
昔は共販というか宅配網を維持できる新聞社が少なかったと言ったほうが正解かもしれません。そして、一時期は販売店のほうが「強かった」時代もあったんです。有力な販売店店主が「配達拒否」をするなどの不買運動的な動きもあった。特殊指定の制定当時はそのような力関係もあって決められたという歴史もあるのです。
Posted by 今だけ委員長 at 2006年03月27日 17:40
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