2010年03月25日

新聞人は「何を」守るために新聞を発行し続けるのか

 今週初めに「某中堅地方紙が7月から夕刊を廃止する」という情報が入ってきました。
 完全セット版で発行をしてきた新聞社だけにいろいろ感慨深いものがありますが、人件費の維持と夕刊発行の維持を天秤にかけた場合、新聞人はどう考えるのでしょうか。

 確かに近年の広告や販売収入の落ち込みによって、これまでのような経営(販管費の維持)ができなくなってきているのは周知の通りです。「夕刊は広告が入らなければ発行するだけ赤字」と聞いたことがありますが、これまでのような経営ができなくなったから、夕刊媒体とそのインフラ(宅配網)をやめるというのはどうなのかなぁという気がします。


 新聞離れについて多くの方がネットの影響だとか、記事の質が低下しているからなどと評していますが、私は習慣性という見方で新聞(夕刊)離れを考えてみたいと思います。

日曜夕刊廃止運動の歴史「小休符があるからいい音楽ができる」 今だけ委員長ブログより
 現在のような情報産業が発展していない時期、新聞は市民への情報伝達に欠かせないものだった。現在は日曜・祝日、そして年末年始にかけて休刊になる夕刊だが、日刊紙の夕刊は1965年頃までは日曜日も発行され、販売店従業員はそれこそ362日(当時の夕刊休刊日は元旦、こどもの日、秋分の日の3日間)朝も昼も新聞の配達をしていた。
 日曜夕刊廃止については、新聞販売店従業員の葛藤もあった。「新聞というのは社会の公器。休まないところに新聞の意義があり、われわれは一般社会人とは違って特殊な仕事をしているという“誇り”を持って頑張らなければいけない」と言い聞かせて、当時の新聞奨学生なども学業との両立を寝る時間を割きながら配達業務に従事していた。しかし、時代は高度経済成長に後押しされ、週休制が浸透、日曜日には「本日休業」という札をぶらさげる商店が当たり前になってきた。そこで週休制を一挙に実現することは難しいから、せめて日曜日の夕刊ぐらいは休刊にして欲しいという運動が、東京組合から各地の新聞販売店へと拡大して行った。新聞協会や新聞社への要請行動の始まりである。

 1965年4月から、新聞協会加盟の40社が日曜夕刊を休刊することになったのですが、これを機に朝刊の休刊日も増えていきました。夕刊だけではなく新聞そのものを読むという習慣は新聞休刊日と社会環境の変化(24時間ローテーション職場の登場などでライフスタイルが激変)と相まって、出勤前に朝刊を読み、帰宅したら夕刊に目を通すという習慣性を薄めてきたとも考えられます。
 そして今はいつでも最新の情報が入手できるネット社会が形成され、自ら全世界に向かって発信できるツールを持てる時代です。決まった時間に宅配され新聞に目を通すという行為を当たり前だと思う人が残念ながら少なくなっているのです。その習慣が崩れれば新聞社(プリントメディアを提供する)のビジネスモデルも崩壊するわけです。

 「採算が合わないから夕刊を廃止」。それは延命手段であって新聞経営(ビジネス)の根本的な改善にはつながらないのではないかと感じます。

 米系投資銀行に勤務する藤沢数希さんのブログ「金融日記」の3月24日付けエントリー「日本にはマスメディアの危機なんてない。あるのは社員の高すぎる給料だけだ」をぜひ新聞人には読んでもらいたいと思います。自身も反論は山ほどありますが、いろいろと考えさせられました。
 今回の夕刊廃止の話題は、「新聞人の生活レベルを守るために夕刊を犠牲にした」と解されるかもしれません。新聞人は「何を」守るために新聞を発行し続けるのかをじっくり考え直す必要があると思います。

▽藤沢数希ブログ「金融日記」
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51672231.html

posted by 今だけ委員長 at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
ツイート