週刊ダイヤモンドを発行するダイヤモンド社が運営するオンラインサイト「ダイヤモンド・オンライン」に『格差社会の中心で、友愛を叫ぶ』というコーナーがあります。とても興味深いリポートがあげられているので愛読しています。
きょうアップされた記事はこれ!
▽苦学生をうつに追い込む!? 不況で希望者殺到「新聞奨学生」の実態
http://diamond.jp/series/yuuai/10011/
西川さんは新聞販売店が総じて劣悪な労働委環境に置かれ、そこで働く新聞奨学生もひどい仕打ちを受けているということを印象づける記事構成になっています。確かに労基法も守られていないような販売店も多く存在しているし、必然的にそこで働く人たちのレベルは言わずもがなで販売店を転々とする人たちも少なくありません。そのような人たちに頼らざるを得ないのも事実でスパイラル化しているのも事実。
「新聞配達は最後の砦だ」。以前、新聞販売労働組合の大先輩サワダオサム氏が「どんなルンペンでも最後は新聞配達の仕事を頼って生きてきた。だからこの仕事(産業)は守らなきゃいけない」という話しをしていたのを思い出します。
でも新聞配達も「配りすればよい」という時代ではなくなってきました。不配をしないことや配達時間を守ることはもちろんのこと、雨の日には必ずビニル袋へ入れて配達する家を把握し、出張などで一時配達を休止する読者など顧客ニーズが多様化してきているのです。そのような細かな要望に対応しないと、いとも簡単に購読をやめられてしまいます。
「大雪が降ったのだから配達が遅れても仕方ないねぇ」という読者は間違いなく減っている。これは社会全体が世知辛くなっているからではないかと感じています。
で、何を言いたいのかというと、新聞奨学生制度自体は悪いものではありません。その制度を運用する(奨学生が就労している)所長(店主)の人間性によって、残念にも今回の記事で紹介されている新聞奨学生(OBの方)のような方がいるということです。氷山の一角だとも思っています。
回りまわれば、そのような人材を登用している新聞社にも少なからず責任がないとは言えませんが、フリーランスの方に多い「新聞社は悪」という起点でその事象を書かれることは、本当の真実を伝えていない(押し紙の問題はうなずけますが)と感じました。
私も10年近く現場から離れていますが、当時同じ販売所で働いた奨学生の方からは感謝されたし、今でも賀状のやり取りをしています。新聞販売店で働く人は悪人ばかりではないと思いますよ。
せっかくの奨学制度が「悪の巣窟」のように見られのは悲しいですね。昔から意識が変わらない販売店所長も問題ですが、働く学生の「異を唱える行動」も求められると思います。これは販売店だけでなく新聞社も同様でしょう。
以前、「新聞奨学生110番」をやって感じたのは、奨学生の方からの問い合わせには、当然ですが十分な配慮が必要です。奨学金という借金を背負うとほとんどの方が労働条件の改善を求めるよりも「我慢して4年間過ごそう」となってしまいます。逆に組合が入り込むと余計に不当な扱いを受けるというケースもあるものです。そうこうしている間に本来の学業に専念するという目標が崩壊してしまわないように、総論では運動として改善を求めるのですが、各論では個別対応で奨学生の最善の道を探る―ことが大切だと思っています。
またコメントください!