新聞やテレビのマスメディアが報じられるものは、社会で起きるさまざまな情報をそれぞれのメディア企業の編集責任者(デスク)が取捨選択して伝えられます。社会生活を営むものにとって情報の価値判断をしてくれるのはとてもありがたいことだし、新聞やテレビで報じられるものがひとつの基準となってきました。
長い歴史の中で培われてきたメディアの信頼性は単に情報を伝えるだけではなく、間違いを正す批判精神であったり読者や広告主におもねらない姿勢、いわゆるジャーナリズム活動の必要性を読者も認め、新聞業界もそれをより所にしてきたと思っています。
しかし、最近の多メディア時代の到来によって、新聞やテレビが(意図的に)伝えないことが露呈してきました。自分たちに都合の悪い情報は記事にしない、放送しないという情報操作が行われているとしたら、読者はどう感じるでしょうか。
1月14日に日本外国特派員協会で行われた記者会見で、原口一博総務大臣が「プレス(新聞)と放送が密接に結びついて言論を一色にしてしまえば、多様性や批判が生まれない」として、新聞社が放送局を支配する「クロスオーナーシップ」を禁止する法律を制定したいという考えを明らかにしました。要約すると、@新聞社がテレビ局に出資することを制限するA有限なリソースである電波を独占状態から開放するB放送局認可権限を総務省から切り離すC総務大臣の行う記者会見を全てのメディアに公開する(記者クラブの完全開放)というもの。
読売新聞と日本テレビ、朝日新聞とテレビ朝日、日本経済新聞と東京テレビという新聞社と放送局が資本関係(資本家が実質同じ)にあることによって、(テレビが新聞社の意に沿って)偏った情報提供になっているのではないか―ということを原口大臣は問題視しています。
現在も放送会社には「放送局に係る表現の自由享有基準」が存在し、クロスオーナーシップを制限する規定があるので、「原口大臣は法律制定を主張しているが、現行の基準で問題ない」という解説でもしてくれればよいのに、残念ながらこの会見を伝える紙面は見当たりません。外国のメディア記者を対象にした会見での発言なので記事化されなかった?現職大臣の発言を取り上げないのはやはり違和感があります。
私もツイッター経由でビデオジャーナリストの神保さんのサイトを見て、原口大臣の会見内容を知りました。そのツイート(書き込み)には「原口大臣のクロスオーナーシップ禁止発言について。『そんなことできっこないから、どこも報じてないんだよ。』友人のテレビ局幹部が(多分)親切心から解説してくれました」と皮肉られていました。
いろいろググってみると、「新聞・テレビの猛反発は必至 総務相『新聞社の放送支配禁止』表明」(J-CASTニュース)、「新聞の押し紙問題がテレビで議論され、テレビのスポンサー介入問題が新聞で報じられる」などの記事がアクセス数を伸ばしています。ツイッター上では、「(新聞の)再販制度」が引き合いに出され、「テレビは再販制度のことを全く報じない。これは新聞の不利益になるからだ」と冷ややかな論調がどんどん更新され、またその論に上塗りされてマスゴミ論へと行きついてしまうのはいただけない。でもメディア関係者(個人ブログやツイッター上で)がこの点について意見を発しないことも残念なことです。論戦になっても理屈が立たないから“だんまり”を決め込んでいるのかなぁ。
新聞記者の皆さん。この原口大臣の会見内容は社会へ伝えるに値しなかったのでしょうか?その説明をしてほしいと思っている人は少なくないと思います。地方紙にしても共同通信からの配信を受けて、「これは記事化する価値がない」と判断されたのであれば、その新聞社の判断ですから問題ないのですが、業界内で口裏を合わせて「この会見内容は新聞業界にとって不利に作用するからシカトしよう」と談合したのであれば問題です。
どこの会社も人間も完ぺきなものなどあり得ません。でも信頼で商売をしている新聞業界はできるだけ完璧を目指さないといけない。だからいろいろな問題を正し、民主党の小沢幹事長ではありませんが、後ろ指さされない企業運営をしていかなくちゃいけないと思うのです。
父は戦時中に大本営に従ってたから
うちの社や○○や××の全国紙は生き残った
って言ってました。
戦後の逓信省から変わった郵政省の電波の
割り当ても新聞社が働きかけて今の形を
作ったんですよね。
当時はテレビが新聞を食うみたい事まで
新聞が報道して、裏ではしっかり政府と
限りある電波の取引をしている事実。
そのあたりが55年体制からの決別のひとつ
で原口大臣が切り込んでるのかなと思います。
同感です。
新聞は国に守られた産業のひとつですが、国民に貢献してきたことも少なからずあると思っています。でもこうして考えてみると利権が見え隠れし、本来のプレスの役割とは何なのだ!となりますね。
新聞社に勤めている人と経営している人とを一緒くたにしてはいけないのですが、世間の見られ方は厳しいものがあると感じています。
だから正すべきことは正していかなければならないと思っているんです。民主的な社会形成には、やはり新聞社のような機能が必要なのだと思っているからです。