2006年02月27日

反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機を回さない」ことを誓おう

知ッ人・言論弾圧の記録.JPG
知識人・言論弾圧の記録
著者 黒田 秀俊(白石書店)1,500円

 日中戦争から太平洋戦争までの「態勢の右傾向化と知識人への弾圧、言論統制」について、日本のジャーナリズムの反省と現在の平和憲法下における言論の自由の大切さを訴える1冊。1976年の発行。
 桐生悠々の論説に対する弾圧や「世界文化」の中井正一新村猛、真下信一、ねず・まさし、久野収、和田洋一らの検挙などの経緯が書かれている。軍に対する批判は統帥権の干犯になり、いっさい「問答無用」であった。昭和に入って言論、報道の自由に対する制限が拡大していく。

 新聞も結果的に大本営発表を垂れ流し、戦争を賛美したとのだが、戦時中は軍部や官僚がナチスばりの統制を真似て新聞を政府の手に取り上げようとの企てに抗している。1940年には「新聞一元会社案」を持ち出してくる。内容は@現存新聞社の社屋、土地、機会など、一切の有体財産を営業成績その他の総合評価によって新聞共同会社に帰属A新聞は共同会社より有体財産を借り受け、会社の任命する社員によって新聞を発行するB通信はドイツのDNBにならい、すべて同盟通信社より提供する―というもの。これには朝日、毎日、読売が猛反発し、政府も軍も撤回する。

 新聞社も新聞用紙の配給確保のため、翌1941年に社団法人日本新聞連盟(田中会長)を発足させ、政府から情報局長など要職に迎える。連盟の事業は@言論報道の統制に関して政府に対する協力A新聞の編集ならびに経営の改善に関する調査B新聞用紙その他資材の割当調整―を掲げている。各新聞者の入・退会は自由であったが、資材の割当に影響するため全国の新聞は否応なく加盟させられる。用紙を含む資材の配給と共販制度、広告統制は大新聞にとっては少なからぬ犠牲であったが、地方紙にとっては大きな恩恵だった。理由は、自由競争が続けば用紙はもとより新聞発行資材の欠乏によって地方紙は発行不能に陥ったかもしれないし、共販制度により大新聞の地方侵略を阻止し、広告統制も地方紙の収入を一応安定させたからだ。

 つぎに政府が出してきたのが「一県一紙制と新聞一元会社案」である。狙いは全国新聞統制会社の設立にあったとしている。連盟の理事会では地方紙6社はいずれも賛成。中央紙では報知と国民が賛成だったが、朝日、毎日、読売は反対を表明した。理事会はまとまるわけもなく打ち切り。小委員会で具体案を作成することになるが、新聞社側を完全にシャットアウトされる。読売の正力氏が「これが通れば新聞の自由はなくなる」と最も抵抗したといわれている。しかし、その政府の共同会社案も反対した三紙が廃止に持ち込んだのだ。ただし、理事会では以下の田中会長裁定した案を無条件で承認。政府もそれを採択(新聞事業令の公布)することになる。@新聞社はすべての法人組織とし、その株式または出資は社内従業員の保有に限定するA新聞経営には適正利潤を認め、その配当は一般国策会社並みとするB新聞発行はすべて許可主義とし、その首脳者には一定の適確条件を設けるとともに、他の営利事業との兼業を許さないC社団法人日本新聞連盟を強化して統制機関とし、官庁権限もそれに委譲して新聞の統制整理を助長するD別に新聞共同株式会社を設立し、統制機関運営上の財政処理機関とするE新聞を国家の公器たらしめるとともに、その個性と特色を尊重し、その創意と経験を活用せしめ、用紙その他の資材供給に便宜を与え、租税公課の負担につき特別優遇を与えるF以上の実行にあたっては法令制定の要あるもの少なからず、政府のしかるべき措置を期待する―著者は三紙が足並みをそろえて抵抗したことの成果と記している。

 1942年には内閣の告示で全国104の日刊紙が新聞会会員として指定され、2月5日に日本新聞会は発足する。新聞共同会社案に代わって出現した日本新聞会は中央も地方も大多数の新聞が“好まぬ相手との合同を強いられ、題号を変え、組織をあらためて”再出発しなければならなかった。東京では「報知」が「読売」に、「国民」が「都」に、「日刊工業」が「中外商業」に合併され、「読売報知」、「東京新聞」、「日本産業経済新聞」に看板を塗りかえた。大阪は「大阪時事」と群小新聞を統合した「夕刊大阪」が合併して「大阪新聞」に、同じく業界紙を統合した「日本工業」が「産業経済」と改題した。名古屋では、多年競合しあっていた「新愛知」と「名古屋新聞」が合併して「中部日本新聞」となり、「福岡日日」と「九州日報」が一緒になって「西日本新聞」、「北海タイムス」以下北海道の全新聞が統合されて「北海道新聞」となり、各府県とも、すべて一県一紙に整理された。この結果、それまで104あった新聞社の数は54社になった。これを強行したのが特高警察と新聞会であったと…著者の解説は続く。

 戦時中の言論統制の歴史をみると新聞もさまざまな弾圧を受けながらも闘ってきた。しかし、権力には立ち向かえなかったのだろう。反省の上に立って「二度と戦争のためにペンを執らない、輪転機は回さない」ことを新聞人は誓うべきだ。
posted by 今だけ委員長 at 00:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍紹介
この記事へのコメント
戦争が起きている諸外国の新聞関係者にも読んで頂きたいですね。

一県一紙制など、新聞には色々な歴史があるのですね。本当に勉強になります。委員長さんのブログは、温故知新という言葉がピッタリだと感じています。

コメント遅れてしまい、すみません・・・
Posted by newspaper at 2006年02月27日 04:36
newspaperさんもいつもコメントを寄せていただいてありがとうございます。
現状を考える上で過去の歴史はきちんと押さえながら諸問題を見つめないとまともな議論が出来ませんからね。永田議員にも「下調べ」をきちんとして頂きたかったと感じます・・・
Posted by 今だけ委員長 at 2006年02月27日 10:40
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