思わず読みふけった年賀状、何通ありましたか?
今年も200通ほどの年賀状を頂戴しました。カテゴリー別にみると、勤めている会社の方からの年賀状が約半数なのですが、定式のプリントものが多くあまり個性的なものは見受けられません。一方、東京にいっとき住んでいたころに知り合った方からの年賀状は、個性的でコメントも長文です。「新年だからおめでたい話」ということに捉われず、しっかりと今年1年の目標であったり、情勢分析だったり…。特に印象に残ったのが、昨年末に経営破たんした内外タイムスの仲間からの年賀状でした。まだ労働債権の回収や同僚の再就職あっせんで大変なのだろうに、「(経営再建に取り組んだ)この3年半は貴重な財産になりました」と書き添えられていました。その彼が1月7日発売の月刊「創」へ手記を寄稿したとのこと。ぜひご覧いただきたいと思います。
新聞販売業界に転身してから今年で19年目を迎えようとしています。この間、諸先輩方に支えられ、同僚に突き上げられながら、なんとか会社人生の折り返し地点までたどり着けたと感謝しております。
この間、新聞産業に対する読者の視点も大きく変わってきたと感じています。訪問販売そのものを嫌う世帯が増え、顧客とコミュニケーションを取ることすら難しい時代になってきました。またインターネット社会の到来は急速なイノベーションによって、農業、産業に次ぐ情報革命をもたらし、これまで想像もつかなかった新聞社間の提携が加速しています。
「ピンチの時こそチャンス」とよく言われます。ピンチとなった原因は、私たちの周りが変化してきたためです。ならばチャンスをつかむためには、私たちがそれ以上に変わっていかなければなりません。
この先の新聞産業に見合った企業規模の適正化を図りながら、「宅配網、顧客DB、営業力」という販売店が有する資産を充実させ、新しい時代の新聞販売にチャレンジしてまいりたいと思っています。
今年も引き続きご教示ご鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。
年賀状も新聞と似ているのかなぁと考えてみました。
ちなみに、2010年元旦に全国で配達された年賀状の枚数は20.9億通。前年に比べ0.5%減少したそうです。元日の配達数はここ10年、2000年の26.5億枚をピークに減少傾向が続いているのだとか。民営化されて2日も休まず年賀状を配達していただいたスタッフ(ほとんどが非正規社員だと思いますが)に敬意を表したいのですが、「民営化になったのだから当然だろう…」という声も多いようです。
年賀状も手書きから自宅のプリンターで一斉印刷されるようになり、その内容は画一化されてきました。ある意味個性がなくなってきた。
「年賀状(新聞も)は日本の文化だ」とか言っても若年層はメールで済ませてしまう。元旦に何かしらのアクションを起こすことだけはまだ残っているようですが…。
そういえば年賀状も「読む」から「見る」に変わってきたような気がします。そう思いませんか?
当ブログでも何度か紹介している某新聞社の畠山さんは、毎日「はたけやま朝NWES!」というメルマガを発信しています。その数101人(1月5日時点)。「なじめーる」という機能を使ったメルマガなのですが、新聞を読んでいない人も、彼が勤める会社の新聞を読んでいなくても、発信しています。その内容は新聞の読み方を生活者目線で伝えます。自社の記事でも容赦なく批判し、他紙のイイ記事も紹介しながら、新聞の活用方法を発信しています。それも毎日欠かさずケータイに届きます。今日届いたメールは212号。
新聞社の人から、新聞の読み方や今日の紙面のキモなどを発信されると一体感が出て新聞を読みたくなりませんか?「購読料を払っているから新聞社らしい仕事してくれよ」と言いたい読者も少なからず存在するものです。「新聞記者は地域が抱える問題を掘り起こし、行政を動かしてくれる力を持っている」読者にはそういう期待があるはず。記者の方はあまりそのような行動をしたがりませんが、「記者こそブログを書くべき」と語った「シビックジャーナリズムの挑戦」の著者、寺島英弥さん(河北新報社)のブログには関心がわくし、その内容も読者と同じ目線で心地よいものです。こんな取り組みを新聞社の人たちはやれないのかなぁ。畠山さんが101人のファンをつかんでいるなら、新聞社や販売店の人たちも同じような数のファンをつかめば発行部数は維持できると思うのですが。
ちなみに、ツイッターでは鳩山首相へのフォロー(鳩山さんのミニブログをダイレクトに見ることができる)がこの3日間で10万超です(私もフォローしてますが)。やはり話題の中心人物だったり、組織を引っ張っている人だったり、メディアで頑張っている人だったり…「人」の言葉を直接聞きたい(読みたい)のだと思います。そこで読者は自分の立ち位置を感じ、つながっていることを実感するし、親の代から卓上にあった新聞をあらためて読んでみようと思うのではないでしょうか。新聞はこれまで「オマケ付き販売」でその価値を一方的に押し付け、記者はジャーナリズム風を振りまき善意の第三者に徹してきた。だから読者との距離が広がってきたのだと感じるのです。
新人社員研修で先輩社員として話をする際、私はこう言っております。
「記者は一番人に会える職業だ。だからこそこの商品に自信を持ち、PRして欲しい。僕らは書くだけ、売るのはそちらでしょ、なんて考えないで欲しい。いくら書いても読んでもらえなければ自己満足だよ」と。
えらそうに言いましたが、整理部にいた時、そんなことは考えていませんでしたけどね…(笑)
なにはともあれ、今年もよろしくお願いします。
今年も枠自体を疑って掛かろうかと思っています。
そんな年賀状が届いたかと。
作ってる本人が楽しいものじゃないと、楽しさは伝わりませんよね!
今年もよろしくお願いします。
ごもっともです。
当方も某労連の役員在任中に「名刺」の威力を発揮して一般人はそう会えなかったり、入れないところへ潜入できました。危惧するのはその名刺が使えなくなっちゃいけないということ。これはエゴでも何でもなくて、職業としての身分証明という意味で、です。
今年もよろしくお願いします。
※酔って電話してくるときは深夜時間以外で!(笑)
来仙お待ちしています。
届きましたよ切り抜き年賀状。「耳」を強調したヤツが。
そういえば「寅」は「猫」科。今年1年だけ、寅手企画というわけにはいかない…ですよねぇ。
今年も疑いながら、自分が楽しめるものを追求しながら良いコンテンツを作ってください。なんでも、欲しい人へ届けたいと思います。
今年もよろしく!