「紙面にヌード写真集の全面広告を入れるとは…新聞は終わりや!」
1991年冬、都内の神田パンセを会場に開かれた、全国新聞販売労働組合協議会(略称:全販労)の定期大会(その後、全販労の定期大会は開催されていない)。壇上で宮沢りえのヘアヌード写真集「サンタフェ」の全面広告が掲載された朝日新聞を掲げ、舌鋒鋭く関西弁でまくしたてるオールバックのオッチャン・・・サワダオサム氏との初めての出会いでした。
その年の4月に新聞販売会社へ入社した私は、わけ分からぬ間に企業内労働組合の執行部へ推薦されました。先輩たちの熱い議論に耳を傾け、新聞販売労働運動の歴史や新聞産業構造のひずみなどに興味を持ち始めたころ、はじめての組合出張(全販労定期大会)でサワダ節を聞き、カルチャーショックを受けたことが、これまでの自分の歩き方に少なからず影響していると勝手に思っています。
脳梗塞で倒れるまでは、年に1度くらいのペースで仙台に来られ、業界情勢の話をさせていただきました。酒は飲まずともカラオケが大好きで、体力有り余る若手の組合員と深夜まで付き合ってくれました。逆に、滋賀の自宅まで押し掛けたり、昨年11月に開かれたの「わが上林暁出版記念パーティー」にも参加させていただきました。
2000年には私が所属する労働組合が日本新聞労働組合連合への加盟を決議したとき(私は当時書記長)、「新聞労連では販売問題には切り込めない」と、絶縁宣言を叩きつけられたこともありました。親子ほど年の離れたサワダ氏は、つねに本気で接してくれたのだと感慨を深く…。そして「夜の群像」を読んであらためてそう思い返しました。
あとがき(エピローグ)には、これまでの人生の総括として、「新聞幻想論」と「わが上林暁」の3部作を書き終えたとありましたが、サワダ氏はこれで活動をやめるタマではありません。いま脈々と次なるテーマを探していることでしょう。
「親しい友人へ贈る」とされた限定版であるため、多くの方の目に触れることがないのは残念です。素晴らしい自分史を進呈いただき感謝します。