新聞が衰退するとき
著者 黒田 清(文芸春秋)1,000円
故黒田清氏が、1987年1月10日付けで読売新聞社を退社した同年8月に発刊された。「黒田ジャーナル」を創設し、戦争や差別社会に反対する視線でミニコミ紙を発行するなど草の根ジャーナリストとして活動を続け、2000年7月23日に永眠するまで「記者魂」を貫いた。
その著者が、読売新聞(マスコミ)を去って、「マスコミ生活35年間の卒業論文」のつもりで書いたという1冊。
読売新聞社に記者として在籍した35年間、黒田氏率いる「黒田軍団」の実績は凄まじいものだ。しかし、ナベツネは黒田氏を「目の上のたんこぶ」と取材現場から追いやった。当時、中曽根首相とべったりの読売新聞東京本社。同じ読売でも大阪本社の「黒田軍団」が政府を叩きや警察を叩く“まともな”紙面展開が気に入らなかったのだろう。
黒田氏は「読者を大事にする新聞社とは、新聞記者の一人ひとりを大切にする新聞社なのである」と述べ、新聞社では記者の方が社長より“偉い”のだと言い切る。そんな黒田氏が読売新聞社を去る理由はナベツネとの確執に違いない。黒田氏は続ける「記者を大事にできない組織、社長の意見以外の意見が言えない組織は、社会をよくするために存在する新聞社ではなく、活字で埋まった新聞を発行している会社にすぎない。またそういう会社で働くものは、新聞記者ではなく、新聞社の社員であるにすぎない」と。読売新聞に「新聞が衰退するとき」を感じて、船(大新聞社)が沈没する前に逃げ出すネズミのようにマスコミから去った―とあとがきに記しているが、やはりジャーナリズムは大組織においては抹殺されてしまうのだろうか。
黒田氏とは13年ほど前に仙台で開催されたマスコミフォーラムへ講師として来ていただいた時に話をしたことがある。夜の飲み会にも付き合ってもらった。こちらは販売労働者なので、読売新聞の不正常販売について質問すると、「社内でも水増し部数について、みんな黙認しよる。言えば(正そうとすれば)飛ばされる。読売はそんな会社や!」と大きな声で話してくれたことを今でも忘れない。
組織はいろいろな人間の集合体ですから、自分の思うような方向ばかりに進むとは限らないと思います。でも、あまりにも物事を考えるレベルが全体的に低下しているように感じています。“議論はすれど自分はそこにはいない”という評論家風情が増えています。