この問題は、北海道新聞社が道警の「泳がせ捜査」報道に関し、取材内容が不適切であったと1月14日付けで「おわび」を掲載。道警が「記事の訂正」を求めるなど北海道新聞の動向が注目されていた。この問題については、このブログでも取り上げたが、北海道新聞社が道警との関係を修復するために「おわび」記事を掲載したのかどうかの判断は「不適切な記事」を書いた記者への処分(「泳がせ捜査失敗」を担当した記者と「裏金問題」を取材した記者(デスク)は同一人物)であり、道警が文書で送りつけた「記事の訂正・削除」をするかで判明するだろうと見守っていたのだが…。そういうことだった。
北海道新聞社が取り組んだ「道警の裏金問題追求」によって、道警から相当な圧力が加えらていたのかもしれない。しかし、新聞の役割とはなんだろう?権力に立ち向かえない新聞はジャーナリズムを語ってほしくない。「真実の報道」をしていないから、読者は離れて行ったと感じる。また、この問題に関連して、毎日新聞の報道がマスコミ(新聞社)同士が揚げ足取りをするという下らない構図を印象付けた。問題の根本を探ろうとせず、相手を叩くことで満足している記者が書き上げる新聞を読みたいとは思わない。

新しい朝日新聞社のキャッチコピーは「ジャーナリスト宣言」。ジャーナリズム(ジャーナリストも同様に)という言葉が簡単に扱われてはならないと思う。もっと新聞の役割を認識してもらいたい。
新聞はまだまだ力があって「人を辞めさせる力」を持っています。でもその煽りを販売店はモロに受けてしまう。当事者からすれば自らの非があるなしに関わらず“自分を叩いた新聞なんて見たくない”となるわけです。でも、その報道が世のためになる報道ならば、一時的に部数が落ちても「新しい読者を増やそう」と販売側のモチベーションはあがると思うのです。