「押し紙」問題が海外でも注目されている時代になってきたということでしょうか。
週刊ダイヤモンド(7/18号)に、「米メディアも“押し紙”を報道 新聞部数の水増しに海外も注目」の見出しが…
今年4月から紙媒体をやめて(週末版のみ発行)ネット新聞へ切り替えたクリスチャン・サイエンス・モニター(米国)が、押し紙問題を報道すべく、販売店主らへの取材を進めているとのこと。
同紙の記者は「日本企業に投資する海外の投資家が押し紙を知らないことを問題視していた」そうで、押し紙をしている新聞社はもとより、業績不振にあえぐ日本企業に「押し紙を見抜けない(広告費を払いすぎている)経営をしているから業績不振に陥っているのだ」と叫ぶ、海外の“ものいう投資家”の姿が目に浮かびます。
先日の週刊新潮にも掲載されていましたが、朝日の株主総会(6/24)でも「押し紙」に言及する株主がいらっしゃったとか。
株主(元社員):週刊新潮が報道している「押し紙」についての説明を…。
秋山議長(社長):「押し紙」はありませんが、積み紙または過剰予備紙は…。多くの販売店で販売目標に達してないのは間違いない…。
国税庁からやり玉にあげられる新聞業界ですが、ABC考査のほかに発行部数のチェック機能がないのものも事実。販売局はうそを作る側なので、内部だと監査役あたりが妥当なのでしょうか(朝日の総会でも声を上げたのは元監査役だったとか)。しかし監査役といっても名誉職的に就任されているケースがほとんどで、ましてや長年続いてきた「押し紙」の歴史を変えようなどと思うはずはありません。
(販売店を含む)内部からの指摘がほとんどないために、経営者は裸の王様になってしまうわけです。「押し紙」報道にしても週刊誌やフリーランスの追及など“ひとひねり”すればよいと思っているのでしょう。その感覚が読者(現場)との考え方のズレを大きくしている原因なのですが…。
配達して購読料を回収できる読者の数以上の部数が、販売店に卸されているのは誰でも知っていること。
コンビニやキオスクなど即売店への納入部数や、月のうち10日から20日まで認められている「試読紙」の加減で部数が増加することはあり得ますが、それを差し引いたとしても相当な「配達先の無い新聞」が販売店へ納入されているわけです。
販売局の方も外の動きに反応してか、いろいろな知恵を使って「押し紙」の消し方に苦慮されているようです。都内をはじめ都市圏で増えているケースとして、ビジネスホテルへ大量の新聞を無料で納品しているとの話をよく聞きます。ホテル側と「大量一括購入」の契約を結べば、定価販売ではなくてもよいので、いくらにでも設定できるので違法行為にはなりづらい。とりあえず「届け先」をつくることで、当日販売店に残る部数を少なくして届け先のない「押し紙」の存在を消そうと…。
「おたくのホテルで3部定期購読をしてもらえれば、客室分の新聞を納品します。こちらはPRが目的ですし、宿泊客のサービスになりますよ」。そんなセールストーク?を販売店ではなく、担当員がやっているというのです。
タダの新聞をばらまくことで、新聞の価値を下げていることの方が業界全体のダメージになると思うのですが…。
新聞に限らず、日本的商習慣は「無駄が金を生むシステム」のように思っています。でも売りものを一方で無料にする異常さは、価値を下げていること以上にお金を払って購読している読者はどう感じるだろうと考えます。
「新聞屋は儲かっているんだから何かよこせ」と集金の度に言ってくる読者もいますが、タダで配っていたりすればそんな感情が湧き出てくるのも仕方ないですね。
困ったものです。プライドというものはないのかなぁ…。
新聞関係者の考えというか、実態を変えようと感じているかどうか(実際に行動まで起こしている人が少ないのは事実です)は、世代ではなく個人の資質にかかわってくると思います。役職や立場でものを語る人は結局自分のことしか考えていない人ですから…。
政治の空転は、そこまでマスコミはえらぶっちゃいけないと思っています。政治家もさほど能力もなく、保身に走っている人たちの集まりですからね。