読売新聞3本社(東京、大阪、西部)が、週刊新潮とフリージャーナリストの黒藪哲哉氏(51歳)を提訴しました。読売側が不都合な真実の封殺に動き出したとしか言いようがありません。
週刊新潮側は「記事は客観的な調査と取材に基いて書かれており、正確な報道だと考えている。事実を法廷の場で明らかにするとともに、取材を継続し、その実態を誌面に掲載する」とコメントを出しています。
訴状を見ていないので、審理されるべき争点については言及を避けますが、@押し紙など存在しないA誤った理解が社会に広まり、信用が損なわれたB読売新聞社と同系統販売店が不正な収入を得ているとの虚偽の報道C虚偽の報道によって、新聞社、販売店の信用が損なわれ購読者が減る可能性があるD虚偽の報道によって、新聞社、販売店の信用が損なわれ広告や折込チラシの扱い量が減る可能性がある―というところでしょう。
押し紙はまったく存在しないのか?
でも担当員は計画通り、予算通りの部数を販売店に買わせなければなりません。補助金と改廃権(いわゆるアメとムチ)の両方を持ち合わせているわけですから、販売店主は言われるがままなのです。実配部数に近づけようと「押し紙を切りたい」と言おうものなら、「お前らはそれでメシ食ってんだろう」と担当員に罵倒され、「あなた方の取り分の方が大きいじゃないか…」と販売店主は心の中で叫ぶしかない…。新聞社(特に全国紙)と販売店の関係はまさに優越的地位が確立されたもとで、一方的な商取引が蔓延っているのです。
新聞産業が低迷をしている時代だからこそ、新聞社と販売店の協力体制の構築が不可欠なのですがなかなか進みません。無購読者対策や宅配網を活用したビジネス展開など、まだまだやれることはたくさんあるし、これからは産業全体として収益を上げなければならないと思っていますが、難しい。メーカーとディーラーの信頼関係が成り立っていない現状を見ると、この産業も末期かなぁと感じます。
話を戻すと、読者と広告主への信頼が損なわれ、それによって経済的なダメージ(購読者減、広告減)を受けることが予想されるのであれば、紙面でその真実、正当性をきちんと読者や広告主へ伝えればいいし、その力を新聞は持っているはず。「言論には言論で」とは、新聞社(それも全国紙)が一番得意とするところですが、それをしないのは、後ろめたさがあるからなのかもしれません。なぜなら、全国各地で係争中の押し紙裁判(なぜ押し紙裁判が起きるのか)や、新聞社OBによる「押し紙」に関する著書を見ればなおさらです。
訴訟はその正当性が認められれば誰でも行使できるものですが、最近の読売側の行動はSLAPP(大企業や団体など力のある勢力が、反対意見や住民運動を封じ込めるため起こす高額の恫喝的訴訟をSLAPPという)というほかありません。
黒藪氏と読売新聞西部本社との間では、著作物と名誉毀損の2つの裁判が係争中です。しかし、その問題をマスコミはほとんど報じていません。自分たちの闇の部分は報じないし、「象が蟻を踏みつぶす」ことがまかり通っているのです。
ジャーナリストを自負する新聞人は、押し紙問題そして新聞社によるSLAPPをどのように見ているのでしょう。「会社の説明ではこうだから…」という理解なのかなぁ。不都合な真実から目をそらすのは、もうやめませんか?
【お知らせ】
7月11日(土)23時10分から、NHK/BS1で放送される『BS世界のドキュメンタリー』の特集は、「新聞が消えた日〜ジャーナリズム 未来への問いかけ〜」。米国で廃刊になったロッキー・マウンテン・ニュースを追った内容です。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/090711.html