月刊「創」は各メディアの特集を定期的に組んでいますが、今回は「新聞社の徹底研究」と題し、全国5紙の経営的側面を取材した記事が掲載されています。
▽朝日新聞社の進める「体質改善」
▽読売新聞が担う1千万部の重み
▽機構改革で再生めざす毎日新聞社
▽日経新聞社とクロスメディア戦略
▽産経新聞社が掲げる「構造改革」
また、業界の重鎮、原寿雄氏(元共同通信編集主幹)、桂敬一氏(立正大学講師)、北村肇氏(週刊金曜日編集長)、豊秀一氏(新聞労連中央執行委員長)の四氏による座談会「新聞はこれからどこに活路を見出すべきか」の討論が13ページにわたって収録されています。
小ブログでも昨年3月8日に発行された同特集について「もうテキストにならないオールドメディアの重鎮」という表題で取り上げさせていただきましたが、今回の切り口も新聞の理念としては重々承知しながら、現社会とのかい離を感じてしまいます。
新聞ジャーナリズムというテーマで構成されていますが、ジャーナリズム活動は新聞だけの特権ではないはずです。雑誌ジャーナリズムだって、ネットジャーナリズムだってあるわけです。もちろんテレビジャーナリズムも…
しかし、新聞産業は公共事業ではありません。国家権力と対峙することが新聞ジャーナリズムの使命ならば、自ら経済活動(販売と広告)をして新聞発行をし続けなければならないわけです。取材網を維持するための人件費はもとより、輪転機やシステムにかかる経費まで含めて(あえて販売経費は抜きます)、新聞社を維持するには企業収益の議論を度返して、一緒くたに論じるのは無理があるように思います。
いまの新聞産業はまだまだ「紙」をベースにしたビジネスモデルです。このビジネスモデルには多くの人間が従事(生活)しています。新聞ジャーナリズムを論じている間に自分たちの産業の足元が崩壊しそうになっているということもしっかりと議論されなければならないと思うのです。
米国の新聞事情がそのまま日本の新聞産業に当てはまるとは思いませんが、ボストンのThe Christian Science Monitor、デンバーのRocky Mountain News、シアトルのSeattle Post-Intelligencerなど老舗の新聞社が紙での発行を止めて、オンライン新聞へ移行しています。
ジャーナリズム活動はもちろん続けられるわけですが、「紙」のように一定の時間帯に大量の読者へ届けることによる「媒体力(影響力)」は、小さくなることは必至です。だからいまの「紙」のビジネスモデル(広告も販売も)でやり尽くしていないことを検証して、再チャレンジしてみることが求められているのです。
いずれ技術の進歩が進み、「紙」ベースの媒体はなくなるかもしれない。「時代の先取り」に向けて準備する新聞社が増えている一方、昔から進歩の無い新聞販売の手法にしても広告戦略にしても、まだまだやり残していることがたくさんあるのだと思うのです。
座談会では「新聞はもっと主張し、買ってくれる読者だけでビジネスすればよい」という内容の発言もありました。130年続いた「紙」ビジネスが直面(すでに20年前から指摘されていましたが)している課題と、ジャーナリズムはしっかり切り分けて(行きつくところ結びつくのですが)論じないと、世間とのズレはますます広がるのではないかと危惧します。
優秀な人材が集まらなくなった、というより新聞社の出世レースに奔走する人たちを見て「変人」になってしまう傾向があるようにも感じます。新聞社も組織ですからいたしかたないのかもしれませんが、40歳くらいになるとデスク職になって、ほとんど取材(生の声)をしなくなる…その辺もズレてきている原因のようにも思います。
負の遺産の先送りは、その通りですね。
わが社の春闘もかなり厳しいようで、新聞産業の「足元の崩壊」をいやおうなしに実感させられます。経営と(新聞という組織)ジャーナリズムの問題は密接不可分で、経営的な安定があるからこそ優秀な人材を集め、独立した経営基盤があるからこそタブーを排した取材活動が可能となるのは自明です。どうもこの辺、編集の王道を歩んだ方ほどおわかりいただけないのが現状です。
事実、私が社会部系の取材をしているころには、個人や組織の不祥事取材で「ねたを売ってくれ(=対価を払うから記事をとめてくれ)」というお誘いを受けたことがあります。当然、毅然と断りはしましたが、果たして慢性金欠で待遇がこのまま下がっていったとき、どこまでその矜持を保てるのか自信が持てません。
ネットの台頭に伴う新聞の地盤沈下を「紙かネットか」という伝達手段でのみ分析する声も聞かれますが、そもそも新聞記事が本質的な情報としての商品価値を持ちえていたのだろうか、というところまで遡って考えない限り、このまま紙ビジネスを離れても展望は開けないのかもしれません。先達やわが社の上層部が言う「新聞にしかできないこと」「新聞自体の価値」の根幹は組織ジャーナリズムと手厚い販売網以外にはありえません。その両者を守れない限り、「新聞の価値」そのものも毀損されちくことをもっと深刻にとらえ、成功体験を捨てて捨て身の勝負を挑むしか、この業界に活路は開けないような気がしています。
いつもいつもの長文で申し訳ありません。
おっしゃる通りだと私も感服するのですが、業界の活路(可能性)を開くために、どんな行動をしなければいけないのかをいつも悩んでいます。
ぐりぐりサマはじめ、商品価値の問題に手を突っ込まないといけない―と話すと「そうだそうだ」と若手を中心に盛り上がるのですが、「じゃぁどうする」ところまでいってないのが現状ではないでしょうか。
誰が「捨て身」になれば運動が盛り上がるのか、気づいた人が行動するのか…最近そんなことばかり考えています。
またご指導ください。
以前、民主党の近藤洋介議員(元日経社員)が2007年6月15日の衆議院産業経済委員会で、「その日の朝刊を夕刊が発行された時点で割引するなどの措置を検討してはどうか」という発言をしていました。
http://minihanroblog.seesaa.net/archives/20070625-1.html
独禁法の適用除外として再販売維持価格制度が存在するわけですが、ディーラー(販売店)に対して、メーカー(新聞社)が決めた価格を守らせるものなので、「国が守りなさいよ」ということではありません。新聞社がそのような価格政策をやればよいことで、販売店はあくまでも「メーカーの命令に従え」ということなのです。
しかし、現実問題として、2日後の新聞を価格を下げて販売するというのは不可能だと思います。
第三者を介すということは、販売店が第三者へ売買するということでしょうけれども、その行為も販売店と新聞社とで交わされる契約書に「転売の禁止」が書かれてあると思います。よくペットショップや歯科へ古新聞を卸している販売店があると聞きますが、古紙回収業者に引き取ってもらうことと同じで、商品を販売する「目的」が違います。
2日後の新聞でも読みたいというニーズがどの程度あるのか分かりませんが、今や新聞は速報性よりも「解説記事」や「読み物(特集)」が購読理由になっていることを考えると、2日遅れの紙面でも読むところはたくさんあるわけですね。例えば1週間分をまとめて日曜日に配達してほしいという方へ弾力的な価格帯を設ける(配達コスト軽減)とか、生活保護を受けている方のみに限定して1週間分まとめて配達して価格は半額にするとか、販売店で管理しうる範囲でやれることはあると思います。が、現状では不可能だと思います。
再販があることで生じているメリットとデメリット。再販をなくす(販売店の自由販売)ことによるメリットとデメリットを十分考えて議論されることが必要だと思います。ネットのように「ネット社会はすべてオープン化(無料)だ!」というようなことになると、どうでしょう。市場原理に委ね過ぎるとそのような方向に向かってしまうものです。その中で販売店経営をどうしていくかがポイントだと思います。
質問に答えられたかどうか分かりませんが、そのように思っています。
月末のお仕事お疲れさまです。3月末(年度末)は引っ越しシーズンとも重なってとても忙しい時ですね。1件でも多くの読者を獲得されることを願っています。
さて、「…経費を削って中身を削らないでください」ということですが、新聞社も民間会社(徳島新聞は社団法人、岩手日報は県が株主になっています)だということを前提として、「中身」イコール書き手や編集体制の問題ではないかと思います。確かに経費削減で支局体制を縮小したり、現場を歩いて社会を見る記者の方々が少なくなっていることも現実です。が、地方紙では自社ものの出稿量はそう変りないと思います。
ですから、良いコンテンツ(中身)は経費(取材期間や海外取材などもありますが)だけではなく、記者(書き手)の側の問題であると思っています。
経費削減で新聞社の方々(記者)の生活費が減っていることも挙げられますが、それでモチベーションが下がるようでは、記者として“そもそも”の資質にかかわる問題ではないかと思います。