2009年02月08日

ジャーナリズムって何?記者クラブという温室は新聞をつまらなくする

  新聞がおもしろくない.jpg
新聞が面白くない理由
著者 岩瀬達哉(講談社)1,800円

 新聞は読者が知りたいことだけを伝えるのではなく、新聞社が伝えたい(考えてほしい)ことが盛りだくさん詰まっていて、オモシロイものだと自分では思っているのですが、最近、多くの方と接していて言われるのは「最近の紙面はどこも同じようなことばかりで面白くない…」と意見されることが増えたような気がします。

 自宅で購読している某紙では、市長の使途不明なタクシーチケット使用をスクープし、市民の関心を呼びました。結果的に市長が3年間に使用したタクシー代金221万円を返納するというところまで追及し、小生などはワクワクしながら続報を待ちました。
 やっぱり新聞はそういう役割を担ってもらいたいわけで、読者の期待もそういうところにあるし、ジャーナリズムという難しい言葉でひと括りにしないで、「読者の知る権利」を担っていると自負するなら、もっと踏み込んだ取材をして市民に問題を提起してほしい…そうすると新聞は面白くなるのだと思います。


 さて、本書は記者クラブ問題の弊害を軸に官公庁と新聞(記者クラブ)の緊張関係が薄れ、一体感を担保に情報のやり取りがされている状況を指摘。「読者の知る権利」への使命よりも官公庁との関係強化を優先させていると述べています。「そんなことはない」とクラブ張り付けの記者の方からは反論がありそうですが・・・。
 また著者は記者レベルの低下にも触れ、記者クラブでは役人と記者のなれ合いばかりではなく、記者も発表ものに頼り、クラブ内の記者同士でメモのすり合わせをしたりすることで、記者全体のレベルが下がっている―と警笛を鳴らしています。
 北海道新聞、高知新聞、愛媛新聞が、警察の裏金報道は記憶に新しいのですが、役人の痛いところを突くとその報復(情報をくれない)は相当なものだと伺いました。でもそれに屈するようでは、やっぱり新聞は面白くなくなるわけです。

 巻末の資料には全国の記者クラブ一覧が掲載されています。無償で支給されている備品や想定される部屋の賃料、電話代などの試算も記されていて、厚生労働省だけでも年間1億程度の便宜供与を受けていることになります。いわゆる「官・マスコミ接待」。このあたりのなれ合いも正してほしいものです。だって税金でしょう…

 この本が発行されたのがちょうど10年前。いまは上杉隆氏が記者クラブを問題視する急先鋒ですが、上杉氏は「アメリカの新聞記者では考えられないこと。これではジャーナリズムとは言えない」とマスコミ批判をしています。権力を監視する意味で記者クラブが官公庁の内部に入り込むことは放棄してはならないと思いますが、距離感を間違えてしまうと役人や政治家に取り込まれて機能不全になるだけです。


 新聞がもっと面白くなるように記者の方々には頑張っていただきたいと思います。発表ものの垂れ流しであれば、私でも記者になれるわけですから…

【追記】
 ジャーナリストの育成に向けて、このような取り組みも始まっています。

スイッチ・オン.png

「スイッチオン」プロジェクトは、各種マスメディアで活躍するプロが組織の枠を超えて協力。大学生記者と共に取材を行い、記事を制作するという実践的かつ実験的なプロジェクトです。
http://blog.goo.ne.jp/321switchon

posted by 今だけ委員長 at 01:28 | Comment(3) | TrackBack(1) | 書籍紹介
この記事へのコメント
お久しぶりです。
けたはずれの景気低迷、根深い労働問題(違法な過重労働や労働対価の果てしないダンピング)をふまえないずれまくりの「派遣(制度)批判」、こうした時代背景にもかかわらぬあいも変わらぬ「国政」ならぬ「政局」報道…。新聞社内部にいながら、新聞社の時代感覚の鈍磨に嘆き、意気消沈する毎日です。
 記者クラブ批判は十年一日のごとく繰り返されていますが、さかのぼれば戦中、陸海軍が情報操作に活用するため設けた…なる話を聞いたことがあります。そもそも官公庁の情報発信ツールとして報道、官公庁それぞれが情報を占有するメリットが記者クラブにはあり、それが癒着の弊害を生んでいるのは間違いがないと思います。ただ、クラブという「器」が、官公庁に打ち込んだ情報公開の楔、あるいはマスコミが敵陣に確保した「陣地」といえないくもないのでないか、と考えています。むしろ問題なのはクラブという「器」ではなく、「ねたを落とさない」ことを至上命題に掲げ、数日、あるいは数時間後に発表されるであろう会議資料等の先行入手(紙とりなどと読んでおりますが)に明け暮れる新聞社、新聞記者の行動原理に問題があるような気が…。
 そんな表層的な日々の紙面を埋める作業ではなく、時代を撃つ記事が新聞の生命線になる気がしています。99年の派遣法改正で何も目くじらをたてず、問題が顕在化してからおっとり刀で派遣問題を集中豪雨のように発信する新聞。バブルといわれる米国経済や過熱するマネーゲームに警鐘をならすことなく、むしろ投資をあおってきたマスコミ。先を見通せず、問題提起すらできなかった自分たちを総括する作業が求められているのでしょうが…。そういう作業、この業界なぜか不得手なんですよねえ。そういえばあらたにすの新聞案内人が素敵な指摘をしていました。「新聞は個別事象を追うだけでなく、その背景、根幹を探れ」と。耳に痛い言葉です。
 乱筆、かつ長文、失礼しました。
Posted by ぐりぐり at 2009年02月17日 02:37
ぐりぐりサマ!コメントありがとうございます。

 記者クラブの根幹、ジャーナリズムのあり方について、冷静かつ臨場感が伝わる話を伺えて感謝しています。
 私は新聞業界の端っこにいる販売労働者なので、ジャーナリズムを背負うことはできないのですが、誰のためにジャーナリズムという言語が存在し続けているのかをよく考えます。社会の木鐸とか権力のチェック機能などとよく言われますが、いまの紙面を読んでいると「誰のために伝えているのか」という根幹のところが見えづらくなっているように感じています。主人公は人(生活者)であり、人が生活しやすい社会づくりのためにさまざまな事象(価値判断)をもっと人の立場で伝えてもらいたいなぁなんて思っています。
 そういう意味では記者の方が普通の生活者(いわゆる大衆)の価値観とズレてきているから「新聞が面白くない」のかもしれません。
Posted by 今だけ委員長 at 2009年02月17日 10:16
コメントありがとうございます。実は記者が声高に主張するジャーナリズムっていまだに日本語の定義があいまいなんですよね。それゆえに過度に聖域化して、記者が思考停止してしまっている気がしています。最近、裁判員制度をにらんで弊社でも記事スタイルの見直しを進めているのですが、その前提が、新聞報道が人権擁護に寄与し、冤罪防止に役立っているとなっており、卒倒しそうになりました。事件報道で人権擁護など意識してきた記者はまず社会部には残れないでしょうし、冤罪を疑うのではなく、いかに捜査機関と一体になって犯人視報道を先鋭化させるかに血眼になってきたのが実情です。こうしたジャーナリズムのなのもとに見過ごされてきた新聞の内実をきちんと見つめ直し、あるべき姿をもう一度探る作業を進めたいと願っています
Posted by ぐりぐり at 2009年02月18日 14:00
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