このブログを始めてから3年が経過し、あすから4年目に突入することになりました。
この間、新聞業界を取り巻く環境はめまぐるしい勢いで変化し、これまでと同じ手法による新聞ビジネスでは立ち行かなくなっています。ブログを始める時にもペースが遅いとはいえ、昨今のような厳しい産業情勢になることを予感していました。結果として何も変えることが出来なかった自分がいるのですが、この間に思った自身の感想を第三者的に書いておこうと思います。
ブログという情報発信ツールを手にした私は、「井の中の蛙」から抜けだして全国の多くの仲間と知り合うことができました。そしてその領域を広げることになったのは「新聞特殊指定」の問題がネット上で叩かれだした頃です。
私は新聞販売店労働者の立場から「特殊指定」の存続を訴え、プチ炎上となったこともありました。コメントをいただいた方には切々とコメントを返し続け、「今だけ委員長の言うことは
そして、特殊指定が当面存続となったあたりから、ネットで知り合った仲間は堰を切ったように新聞(新聞人)批判を始めました。その温床となったのは「裁判員制度シンポ時のさくら動員」や「記事盗用の問題」など新聞社にとってあるまじき行為がボロボロと出てきたころと同じ時期。
さらに各新聞社は販売店従業員が起こした、本来は記事にならないような事件をも「〇〇新聞販売店」とあげ連ね、自虐型応戦報道に奔走しました。そこには新聞産業全体がどのように見られているのか――といった思考は感じられません。さらに新聞セールスへの不信感が増しているのは言うまでもありません。
販売だけではなく紙面でも「やられたら、やり返す」。まるで戦時中のようです。話はそれますが、今回の北京五輪でもメダルを取れなかった方々の努力も評価することなしに「惨敗」とだけ伝え、世界最高のパフォーマンスよりメダルのカウントを他国と比べる新聞を読まされれば、自国の成績以外に関心がない「メダル至上主義観戦者」が増えのは当然のことです。
そして、そのネットで知り合った仲間はというと、もう新聞を相手にしないかのように別なテーマを論じています。“あなたたち勝手にやったら…もう私たちは知らない”――こんな声が聞こえます。
自分はいろいろな問題を他人のせいにするのが一番嫌いなので、すべて自分の努力が足りなかったと痛感しています。
さて、これから…。
これが、4年目を迎えるテーマとなりそうです。
はじめてコメントを頂戴しますよね。私も人間ですからネガティブな気持の時もございます。内部でも余計なことはしないで、黙っていることが企業人として求められることのようです。変わらなくて済むのであれば、それにこしたことはないのですが「職を失う」状況へと近づいているのに何もしないでよいのか?「夢や希望」では何も変わらないし、販売店だけの力では何も変えられないから発行本社にも変わってもらうことが必要だと思っています。そのアクションは「私は」まだまだ力が足りないだけであって、そのような志を持たれている范仲淹さまに「具体的にこれをした(するべきだ)」をご教示いただければと思います。
返事が遅れまして申し訳ございません。
このブログを始めたあたりから、新聞産業に働く仲間はもとより、他産業(メディア関連の方や大学の教授に方など)の方から、いろいろな話を伺う機会がありました。自分自身でもまだ結論は出ていないのですが、誰も救世主にはなれない。当たり前のことですが自分たちの産業のことは自分たちで変えていかなくてはいけないということです。また、皆がこんなに悩んでいるのに「救世主がごとく近寄ってくる人の方が危ない」と都内大学の準教授にアドバイスを受け、「そうだよなぁ」と思わされた次第です。
福田首相もますい志保(彼女は毎日5紙読んでいるとか)もうちの親父も同じ紙面を同じ時間帯に読めるという日本の新聞が果たしている役割や、新聞へ何が求められているのか―新聞産業に働くわれわれはもう一度確認するべきだと思います。あきらめるわけにはいきませんから!