
社会と新聞
著者 美土路 昌一(朝日新聞社)非売品
朝日常識講座の第3巻として、1929年に発行された。明治から昭和初期までの新聞の価値、役割などが新聞関係法規(新聞紙法)などと照らし合わせながら、公共機関としての新聞が社会への貢献とその弊害を読者とともに「新聞研究」をするという観点で書かれている。
第1章は、社会的存在価値(報道の批判と供給・現代文化と新聞・新聞と国際関係・新聞と言論自由)。第2章は、新聞の反社会的影響(新聞の誤報記事・新聞の反道徳的方面・新聞の営利化問題)。第3章は、新聞記事の拘束(法律による拘束・日本新聞紙法の欠陥・軍事検閲と新聞・言論弾圧の三大国・新聞の自発的理論化・経営上の理論化)と綴られている。
第1章の書き出しは「新聞のこの社会における存在の意義はこれを学問的に説明するよりも、まず実際問題として新聞がこの社会から消滅した場合を考えて見れば、それが何よりも一番直裁に総てを説明する」。また、第2章の「新聞の営利化問題」では、新聞社の営利化、商売本意の堕落ということは、他の反社会的影響とともに喧しく論議される新聞の一項目となっている。新聞は社会の木鐸といい、警世の機関というのは当たらぬ。その経営を度外視した新聞は現在においては、それが何かの団体あるいは組合または他の大組織の期間新聞でない限り、存立することは不可能である。然しながら、新聞を以って全然商品なりというのも又当たらぬ。いうまでもなく、その新聞紙の性質が公共的の機関であり社会文化と密接重大なる影響を考えるときにおいて、全然これを以って他の産業、商品と同一視することは極めて無謀な言であり、又最も危険な解釈である。然らば、新聞の営業化、商品化と云う事は如何なることになるであろう。実際現在において新聞紙の営利化と云うことは争われぬ事実である。今日の新聞事業は、昔のそれに比して実に隔世の感がある。前にも屡々述べた如くその新聞の報道戦は、社会の複雑を加わるにつれて、次代にその範囲を広むると同時に、その活動の機関は日に日に整頓し拡大するのは当然である。而して、激甚なる競争の結果は連日のニュース報道にして他紙に遅れるような場合ありとすれば、何人も最早やその新聞を手にせざるに至ったのはいうまでもない」。
朝日新聞発行らしく、無代紙や赤紙などには触れず「報道における他紙との競争」に軸をおいた提起に止まっている。
当時の書籍は「ルビ文字」が入っていても書き写すだけでも難しい。