2008年08月05日

「とうほく夏の陣」地方紙の購読料改定を考える

 昨今の新聞購読料の動きについてチョットだけ考えました。
 これまでの新聞購読料は、全国紙(朝毎読)がプライスリーダーを担ってきました。値上げの理由は2パターンで原材料費の高騰と販売店の労務対策に掛かる費用がかさみ読者に負担してほしいというもの。それに地方紙が追従するというパターンが繰り返されてきたわけです。

 しかし、前回の値上げから14年が経過した今、東北にある二大地方紙がこれまでのパターンを崩して購読料の改定(告知)を行いました。山形新聞は7月からこれまでのセット版料金3,007円を3,300円に引き上げ。さらに秋田魁新報は10月からセット版3,007円を夕刊廃止で2,950円へ価格を見直すことを8月1日の社告で発表しました。

 読者からの反響は数カ月先に「部数推移」として結果が出されることになるでしょうが、両社の異なった企業戦略に対して多くの新聞経営者が関心を持っているに違いないでしょう。


 新聞倫理綱領を読み返すと、新聞は公共的使命を新聞は果たしていかなければ…とあります。
 国民の知る権利を保障するメディアの担い手として、新聞は生活的弱者でも購読できる価格設定と個別宅配のシステムを維持することでその責任を果たしてきたと考えられます。14年間、なぜ値上げがされなかったのかを考えると消費者の生活感を考えてのことだったのではないでしょうか。そこにあいまってネットが加速度的に普及し、新聞社は「無料配信で広告収入を稼ぐ」ことの活路を探り、消費者は「(無料の)ネットで新聞記事は読める」という状況ができあがった。実際にはネット広告は期待ほど実入りにもならず、読者への販促、コミュニケーション活動にもテコ入れがされることなく、「紙」モデルの営業政策はタコツボ化してしまったと解されます。

 しかし、今ほど格差社会が叫ばれサラリーマンの平均給与所得が下がっているにも関わらず、購読料は値上げへと向かっています。紙代を含む原材料費の高騰はいたしかたないのかもしれませんが、広告収入の落ち込みを理由に定価改定をしたことはなかったと記憶しています。逆な視点で言えば、広告収入が減ると高所得者しか購読できない媒体(価格帯)になっていることを指すわけです。これは読者の視点としてだけではなく、新聞産業に働く私たち自身が「公共性」を大きな旗印にしながらも、値上げによって購読できない方々の存在を知るとゾッとすることでしょう。でも現実に年金支給額が低く新聞が読めない独居老人は少なくありません。
 そこには新聞労働者の高所得を指摘する声もありますが、誤解を恐れずに言うと確かに従業員の平均年収は他産業に比べて高いけれど、人件費比率はそれほど大きなものではなく相当なスピードでリストラが進められているわけです。


 マーケティング手法における価格戦略では、価格設定はダイレクトに消費者に訴えるメッセージ手段であると同時に競合企業に対するメッセージでもあります。ある企業が設定する価格は顧客がそれを受け入れるかどうかだけではなく、競合企業との価格戦略に影響を与えるものです。
 しかし、新聞業界の場合は差別化が難しいコモディティ(日用品)であり、需要供給の関係で価格帯がある程度決まってきたという歴史があります。20世紀までは理髪料と同額程度で推移してきたとよく言われますが、多メディア化による新聞離れと並列して、値上げに向かう新聞産業と生活者の価値基準とのバランスが崩れないよう商品研磨とサービスの価値を高めていかなければならないでしょう。理髪店でも1,000円の激安店が増える一方、カリスマ理容師のカットには相当額を払う消費者も多く存在しているのです。

 横並びで購読料を設定する時代ではなくなっていることだけは確かですが、読者の声に耳を傾けて経営判断をすることが一層求められてくるでしょう。



posted by 今だけ委員長 at 07:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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