私事ですが、4月の定期異動で五橋支店を離れることになりました。多くの皆さまにご支援とご協力をいただき、感謝申し上げます。これからも当社そして五橋支店をご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
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責任の重さ 決して忘れず
河北新報社新入社員10人が配達実習で汗流す
去る3月18日、河北新報社へ入社予定の10人が新聞配達実習に来られました。同社では新聞に携わる業務内容を社員に理解させることを目的に、印刷部門や販売店での配達や営業の研修を行っています。
早朝3時30分、五橋支店に集合した10人は緊張した面持ちで支店長から配達エリアや注意点などの説明を受け、4グループに別れて配達作業を行いました。
初めて新聞配達をされる方がほとんどでしたが、不配もなくしっかりお客さまと約束した時間と場所へ届けていただきました。
4月からさまざまな経験を積み、新聞記者として、広告営業マンとして活躍されることでしょう。彼らの署名記事を紙面から探すことが楽しみのひとつになりました。
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※研修を終えて感想を書いていただきました。(敬称略)
▽吉川 ルノ(編集)
配達実習では逓送の仕事を体験した。逓送は配達員が販売店へ新聞を取りに戻る手間を省くために、決められた時間、場所へ束になった新聞を車から降ろして回るという、気の利いた役目だ。車の特性を活かして青葉山の砂利道の先の一軒家へ配達したり、配達時刻の要望を持つ家も回った。
数十万部のうちの一部にまで行き届いたきめ細かさに感心し、私も読者一人一人へ届けるという姿勢を忘れずに4月から仕事に取り組んでいきたいと気持ちが引き締まった。
▽鈴木 俊平(編集)
午前4時半、寝静まった公営住宅の階段を新聞片手にのぼった。河北新報や全国紙を配達するため、届け先を何度も確認する作業は緊張感があった。
ある棟には、河北新報と石巻のローカル紙を購読している方がいた。読者の「顔」を想像しながら配達を続けた。情報を届けるのは記者だけでは成り立たない。営業、印刷、配達。多くの人が想いを共有し、仕事に真摯に取り組むことで充実した紙面ができる。肝に銘じ、4月から駆け抜けたい。
▽茂木 直人(編集)
初めての新聞配達は想像以上に大変なものだった。3人で川内公務員住宅に向かい、46部配った。部屋番号や新聞の種類を間違えないよう、ポストに投函する際には何度も確認した。肉体的疲労はもちろん、それ以上に精神的疲労が大きかった。研修では3人で46部の配達だったが、通常は一人平均120部配るという。配達員の方々の日頃の苦労を思い知った。
私は4月から記者として働く。多くの人の支えがあることを忘れず、報道という責任ある仕事をまっとうしていきたい。
▽江川 史織(編集)
今回の新聞配達実習で私は高層タワーマンション1棟を担当した。まだ外は暗く静まり返った建物の中、上層階からエレベーターで1階ずつ下りながら一軒一軒ミスや遅れのないよう新聞を配っていく作業は想像以上に体力と集中力を要するものだった。4月からは編集局の一員として新聞制作に携わっていくことになるが、配達の日々の苦労があってこそ読者の皆様にお届けできることを忘れずに仕事に取り組んでいきたい。
▽関根 梢(編集)
手元の配達先一覧表と部屋番号の札に視線を往復させながら、ドアのポストに分厚い朝刊をそろりと差し入れる。記者や営業、印刷工場のスタッフらが繋いできたバトンを、私の誤配達で台無しにする訳にはいかない。想像以上のプレッシャーの中、20戸分の配達を終えると安堵のため息が漏れた。
新聞を作り、購読者の手元に届けるまでには多くの方の労苦があることを痛感した研修だった。4月から河北新報の紙面作りの一端を担う者として、その責任の重さを決して忘れず、今以上に読み応えのある新聞をお届けできるよう精進していきたい。
▽高田 奈実(編集)
誰かの仕事は全て、誰かに支えられていて、どんな仕事にも誇りを持ってやっている人がいる。そんなことに気づけた研修でした。
私はずっと記者の仕事にこだわっていましたが、その仕事も、支えてくれている人たちがいなければ成り立たないのだと実感しました。新聞一つとってみても、営業、印刷、運搬、そして配達と、多くの人が携わって、毎日読者のもとに届けられています。 自分の仕事もそうしたたくさんの人の努力の上で成り立っていることに対する感謝の気持ちと謙虚な姿勢をこの配達研修で改めて学びました。
新聞だけに限らず、当たり前に見えている私たちの日々の生活はそうやってできているのだと思います。仕事をしているすべての人への感謝と尊敬の気持ちを忘れずに、春から私も自分の仕事を頑張ります。
▽鈴木 絵梨香(編集)
薄暗い朝焼けの中、眠い目をこすり、慎重かつ迅速に新聞を届ける実習は想像以上に大変だった。天気がよく、それほど寒くなかったのが救いだったが、配達員の方々は365日雨の日も雪の日も新聞を配っている。大変な苦労の中届けてくれる人がいるからこそ、記者の仕事は成り立っているのだということを実感した。この実習で学んだことを忘れず、4月からしっかりと仕事に臨んでいきたい。
▽大瀧 遼(営業)
配達実習を経験して、配達員の方々の苦労があっての新聞なのだなと感じました。まさに縁の下の力持ち。タワーマンションの26階から、ミスがないように作業を行いましたが、神経を使う作業で思っていた以上に体力が削られました。様々な人々の思いがつまって新聞が出来上がり、配達されるのだなと改めて実感しました。4月からは今回の経験を活かし、様々な人々への感謝の気持ちを忘れずに努力していきたいと思います。
▽高橋 柊介(営業)
毎朝届く新聞、それは書く人がいて、印刷する人がいて、届ける人がいるから成り立つのだと、わかっているつもりでした。しかし、実際に自分の目で見て、自分の手で読者に届ける今回の経験は、どれだけ多くの人が関わり、責任を持ち働いているか、それをわかっただけでも価値があったと感じています。
配達は、新聞作成の最終段階です。自分は4月から新聞作成の序盤で働くことになります。自分の仕事は誰かの仕事になること、自分のミスは全員のミスになることを感じ、より一層、責任感を持ち仕事に挑まなければと心を新たにした配達研修でした。
▽小泉 智子(営業)
普段起きている時間をとっくに越えた4時過ぎ、新聞に手早くチラシを折り込む姿、自分の配達する分を素早く積み込み出発する配達員さんの姿にまず圧倒されました。そして実際に自分も配達を体験し、正確さとスピードという相反するものが要求されるハードな作業に、普段配達してくれる方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。当たり前に朝新聞が届く裏には、ひとりひとりが責任感を持って仕事をしている姿があることが今回わかりました。そのことを心に留め、そのひとりとしての自覚を持ちこれから仕事をしていきたいと思いました。
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4月からお客さまの担当が代わります
河北仙販では毎年4月に定期異動があります。転勤といっても仙台市内33支店のいずれかへ配属になるのですが、顔と名前を憶えていただいた頃には転勤というケースも少なくありません。近年はできるだけお客さまとのコミュニケーションをつなげていこうと、小幅な異動となっているものの、定年退社された方の後任配置などで若干社員の入れ替えを行います。
当支店では3人の入れ替えがあります。異動者は次の3名。▽小関勝也(支店長)=販売課▽鈴木純一(次長)=定年退社▽冨樫晋史(社員)=八木山支店。
新たに配属となるのは◇支店長・阿部司(原町支店)◇次長・蓬田芳裕(総務課)◇副長・佐藤元彦(八幡支店)となります。
私たちの仕事はお客さまとの約束を果たすことです。決まった時間までに、決まった場所へ新聞を届けることはもちろん、お客さまから指示された日時や場所へ集金にうかがうことも大切な約束事です。担当者が代わっても前任者との引き継ぎを徹底し、お客さまとの約束を守ってまいります。
新任者は4月上旬からお客さまのお宅を訪問いたしますが、これまで同様ご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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配達アルバイトも巣立っていきました
高校〜大学と7年間勤めてくれた地元出身のY君と八戸市から単身で仙台の専門学校に通いながら奨学生として2年間働いてくれたM君。それぞれ、しっかりとお客さまとの約束を果たしてくれた配達アルバイトの二人が卒業となり、去る21日に配達スタッフの有志で送別会を催しました。
新聞販売店らしく送別会は配達終了の6時30分から8時まで。ケーキやおにぎりを食べながら二人をねぎらいました。
大雪で自転車が進まず歩いて3時間かけて配達した思い出や、東日本震災の時に(停電でエレベーターがストップ)マンションの14階まで階段をのぼって配達したこと。いろいろとご苦労をかけたのだなぁと思いふけりました。
二人とも社会人として、新天地でも新聞配達で培った根性で、大いに活躍してくれることでしょう。
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新聞配達のアルバイトをやりたいのですが…
公立高校卒業式の翌日、突然当販売店を訪れた女子。4月1日には大学進学のため千葉県へ移り住むという。実質2週間という短期間の採用は通常、断っているのですが、理由を聞くと「将来、マスコミ関係の仕事に就きたいと思っていて、新聞配達の仕事も経験しておきたい」とのこと。
その話を聞いて、即採用を決めました。朝刊は難しいので米ヶ袋エリアの夕刊区域を用意し、社員が1週間指導しながら延べ16日間、配達作業に従事していただきました。
いろいろな仕事を経験して立派なジャーナリストになってもらいたいと願いつつ、こういう前向きな学生さんを応援する企業でありたいと思っています。
【編集後記】
3年間、五橋支店に勤務し、お客さまの温かさと時代の変化を痛感しました。着任して最初の購読契約は「小関さんのツイッターをいつも見てますよ」という奥さまでした(汗)こせき