2006年から07年まで日本新聞労働組合連合(略称:新聞労連)の中央副執行委員長の職に就いていたとき、「右肩下がりの新聞産業」を活性できないものかと新聞産業研究会を立ち上げたことがありました(公募制で新聞社に勤める組合員7人に研究員を委嘱して運営)。
「新聞社の経営が成り立たなければ組織ジャーナリズムを守ることができなくなるのではないか」という問題意識が発端で、自分たちの労働条件を守るということは二の次―という意識の研究員が、ネット時代に対応する新聞社(販売店)の経営資源を活用したビジネスモデルなどを研究し、これまで5冊の報告書をまとめました。
活動を続けていくにあたって(今だけ委員長は二期座長を務めました)編集職場の労働者から、いわば「儲けるための新聞経営を研究」について相容れないという意見も数多く寄せられました。「にわとりが先か卵が先か」というような単純な議論ではありませんでした。編集職場の方々は「経営問題に労働組合が足を突っ込むことについては慎重になるべきで、儲けるために紙面(編集権)が経営者の思うようにされてはならない」と主張する一方、編集職場以外の労働者(若手の新聞労働者を含む)は「経営者が頼りないからデジタル時代に対応するビジネスモデルを構築していくのは必至だし、新聞社の屋台骨が崩れれば組織的なジャーナリズムを守れなくなる」というものでした。
「経営と編集の分離」は本来あるべき姿として同意するのですが、実際には「?」が拭えません。「理想と現実」「表と裏」いろいろな物言いはありますが、本当に難しい問題だと思っています。いっそのこと法人格をNPOにするとか、編集機能や記者職を分離して新聞紙面(広告を除く)を制作するとか、欧米並みに記者職の権限と労働条件を同一にすることも検討の余地があるのかもしれませんが、日本の風土もあるのでどれも現実的ではありません・・・。
今だけ委員長は後者の論で一貫しています。その理由はいくつかあるのですが、大新聞社に勤める編集幹部が「販売のことなんて興味ない。俺たちは天下国家を動かしているのだから」と言われたことがありました。高級なスーツを着て高飛車な物言いをする“新聞社の偉い人”も販売店への押し紙などで高給を得ていると思うと「なんと不思議な業界だ」と常識のズレを感じたわけです。このような例は希なことですが、新聞人全体が「無駄が金を生む仕組み(梱包に包まれたままの行き先のない新聞を刷り続ける)」に乗りながら、自分が勤める新聞社の経営問題に目をつぶっていては、「経営と編集の分離」を声高に言うのはいかがなものか――というのが私の本音です。
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▽慰安婦報道の誤報放置「読者裏切る」朝日新聞第三者委 - 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASGDQ5TP1GDQUEHF00C.html
▽朝日慰安婦検証:「自己弁護が目立つ」第三者委報告書 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/news/20141223k0000m040019000c.html
▽【速報】慰安婦報道、朝日新聞"第三者委"が報告書を提出、記者会見 #BLOGOS
http://blogos.com/outline/101897/
▽「紙面づくりやチェック体制見直します」 朝日新聞社長 - 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASGDQ6HM7GDQUEHF00X.html
朝日新聞の慰安婦報道取り消しに際し、以下の論考はとても大切だと思います。野中章弘さん(アジアプレス・インターナショナル代表)の記事を引用します。
歴史の抹殺に手を貸すな/「朝日たたき」危うい風潮
朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会は社外の弁護士、研究者、ジャーナリストら7人で構成され、虚偽と断定された吉田清治氏の証言を掲載した経緯や国際社会に与えた影響などについて検証作業を行ってきた。
済州島で慰安婦を強制連行したという吉田氏の発言は1980年代から90年代にかけて、十数回、朝日新聞で取り上げられており、うそを見抜けなかったことや訂正が遅れたことに関して、今後の教訓とすべき点があることは明らかである。
また、これに触れた池上彰氏のコラムの掲載拒否や経営トップの対応のまずさなども、日本を代表する新聞社としてはあまりにもお粗末だったと言わざるをえない。自社の姿勢を「情けない」と嘆いた記者たちも多かったようである。
▽人権侵害は史実
今回の報告書は朝日新聞の縦割り的な体質や経営の編集への介入、報道姿勢の甘さなどを指摘しながら、包括的で具体的な提言を盛り込んだ。
ただ朝日新聞の報道をめぐる批判とそもそもの慰安婦問題とはまったく次元の異なる話である。この点をきちんと踏まえておく必要がる。仮に吉田証言や朝日新聞の報道がなかったとしても、多くの女性たちが旧日本軍による戦時性暴力の被害者として、人権を侵害されていたことはまぎれもない歴史的事実だ。自らの意思に反して性行為を強要された女性たちの存在は、さまざまな調査、研究で証明されており、学問的にも議論の余地のないものである。
慰安婦問題の国際化も、90年代初頭から元慰安婦の女性たちが名乗り出てきたからであり、吉田証言の影響は極めて限定的だ。残念ながら、第三者委には慰安婦問題の専門家や研究者が一人も選ばれておらず、報告書の説得力を弱める結果となっている。現場を知らない「識者」に頼らずとも、報道の検証はまず自社で行うべきだった。
異様なまでの朝日新聞バッシングの内容の多くは、週刊誌が掲げた「売国」「国賊」「反日」といった扇情的で時代錯誤的なものや「国益を損ねた」といった類のものである。朝日新聞の「過ち」を突くことで慰安婦問題そのものを否定しようとする主張であり、そのような風潮は極めて危うい。
▽再取材こそ必要
慰安婦問題は日本のジャーナリズムにとって、最大のタブーの一つになりつつある。新聞だけではなく、NHKなどもここ十数年、慰安婦を正面から取り上げた番組はない。有形無形の圧力を受け、現場の記者たちも萎縮するばかりである。
いま朝日新聞がすべきことは、慰安婦問題の徹底的な再取材であり、事実の確認作業である。それが責任を取るということだろう。
朝日新聞の慰安婦問題をめぐる出来事を、「右派対左派」「保守対革新」といったイデオロギー的な対立構造や報道のあり方をめぐる業界内の問題として語ってはならない。私たちに問われているのは、たとえ認めたくない事実であっても、事実を事実として受け止める知性的な態度の有無だ。右も左も関係がない。
歴史的事実から教訓を学ぶことでのみ、私たちはより良き未来を構想することができる。過去に目をつぶることは、歴史の記憶の抹殺につながる。ジャーナリズムは決してそれに手を貸してはならない。(河北新報12月23日付・29面から引用)