2014年11月27日

衆議院解散で新聞休刊日は撤回へ

 衆議院解散に伴う選挙の投開票報道のため、12月14日(実際には15日付けの新聞発行)に予定されていた新聞休刊日は「撤回」となりました(「休刊日返上」という新聞社もありますが)。
日経休刊中止連絡.jpg 毎日新聞休刊日変更について.jpg 新聞休刊日についての論考は小ブログでも何度か取り上げてきましたが、宅配網(労基法が定める完全週休が取得できるローテーションの確立)がしっかりできていれば、新聞休刊日は無くてもよいと考えています。でも実際には新聞休刊日が「唯一の休日」という販売店も少なくありません。
 12月の休刊日は私が所属する販売店でも「忘年会」を予定していたのですが、どうしようかなぁと迷っています。いずれにしても12月15日は新聞の店着時間が大幅に遅れるので、スタッフ一同、総動員で配達することになります。
 ◇
 今回の「アベノミクス解散」についていろいろ考えてみたのですが、朝日新聞が11月22日から5回シリーズ(1面肩)で掲載した「問う 2014衆院選」は思わず膝を打ちました。記者のみなさんが執筆された「安倍政権への問い」はとても読み応えがありました。この連載の1篇を綴った知己の一人は「ネット読者からは『負け犬の遠吠え』とか言われそうですが、負け犬根性を脇に置いても、今回の増税延期と解散判断は筋が通らないことばかり。こんどの選挙を、言論の「多様性」を知ってもらういい機会ととらえ、遠吠えを続けたいと思います」とのメッセージを送ってくれました。
▽増税延期と「不都合な真実」 2014衆院選
http://www.asahi.com/articles/DA3S11472098.html

 新聞販売の先輩から教わったことのひとつに「新聞販売業に政治、宗教は御法度」というのがあります。その通りだと思います。ですが、この2年間、安倍晋三首相が講じてきたことを考えると黙っているわけにはいきません。
■平和憲法を手放していいのですか?
 ひとつは、アベノミクスというロジックだけをメディアは取り上げています。経済政策はとても大切なことであることは理解しますが、タカ派の安倍首相は集団的自衛権、特定秘密保護法しかり、自民党の選挙公約でも「憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指す」と明文改憲の方針を打ち出しています。問われているのは「平和憲法を手放していいのですか?」ということです。
▽自民が公約発表 改憲原案提出を明記
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-11-26/2014112601_03_1.html
■広がる格差社会を放置していいのですか?
 ふたつ目が数字のマジックに騙されない―ということです。安倍政権が掲げたデフレ対策や雇用拡大政策はすべて失敗に終わっています。雇用についてもリーマンショック以降、安倍政権下の2年間で“見てくれの数字”は「雇用100万人増」と発表されていますが、実際は非正規雇用者123万人増加し、正社員は逆に22万人減っています。さらに100万人増えた内訳も65歳超のシルバー雇用がその7割を占めているのが実態です。賃上げに関しても名目上、15年ぶりの2%引き上げと報じられていますが、中小企業で働く労働者はその恩恵を受ける状況にありません。非正規雇用者は賃上げどころではないのでうす。格差がますます広がっていく社会に歯止めをかけることも問われていると思います。

 今回の解散総選挙には700億円の税金が投じられると言います。過去の報道では総選挙で生じる経済効果は2200億円だとか…。選挙ビジネスを仕掛ける側に「新聞」の影が過ぎってなりません。そして、解散直後の安倍首相へのインタビューで「軽減税率を導入する(新聞が対象となるかどうか不確定ですが」との明言を引き出す新聞社に違和感を覚えます。「解散総選挙の大義をうまく報じて自民圧勝のお膳立てをしてあげるから、2017年4月からの再増税では新聞も軽減税率の対象にしてね!」というきな臭さが拭えません(もちろん個人の感想です)。そして公明党は「軽減税率」を選挙公約に加えています。
▽軽減税率「17年4月導入」明記=中低所得者に給付措置−公明公約【14衆院選】
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2014112700330

 今回の総選挙で新聞をはじめとしたマスメディアの発信力に期待したいと思います。投票率(数)の多いシルバー世代は新聞やテレビで伝えられる情報をもとに投票に行くわけですから・・・

 個人で携わっている「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動を河北新報で紹介していただきました。
河北抄 2014.11.22付.jpg
 これまで、「ワンコイン応援メッセージ」の活動を北海道新聞、神戸新聞、朝日新聞で取り上げていただきましたが、先の「ベストチーム・オブ・ザ・イヤー2014」の受賞に伴って、河北抄という「夕刊コラム」に取り上げていただきました。
http://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyou/20141122_01.html
posted by 今だけ委員長 at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年11月22日

ドラッカー学会に参加してきた

 ドラッカー学会が主催する「第9回 ドラッカー学会 大会in仙台」が15日、仙台市内で開催されました。ふんばろう支援基金の代表理事・西條剛央さんも講演者の一人であることから、学会員ではないのですが「午後の部」(参加費4,000円)へ参加してきました。テーマは「復興とマネジメント〜マーケティングとイノベーションの実践〜」。先行きの見えない日本経済に反映してか、定員を超す参加者で満席でした。備忘録として講演内容を自分なりにまとめてみます。

ドラッカーパンフ.jpg▽企業の目的を明確にすべし
 最初の登壇者はアイリスオーヤマ株式会社・代表取締役社長の大山健太郎さん。昨年執筆された「経営教室〜ロングセラーが会社をダメにする〜」をなぞりながら、「変化に対応する経営」の実践法をドラッカーの考察に照らし合わせながら話されました。アイリスオーヤマは5つの企業理念を掲げています。@会社の目的は永遠に存続すること。いかなる時代環境に於いても利益の出せる仕組みを確立することA健全な成長を続けることにより社会貢献し、利益の還元と循環を図るB働く社員にとって良い会社を目指し、会社が良くなると社員が良くなり、社員が良くなると会社が良くなる仕組みづくりC顧客の創造なくして企業の発展はない。生活提案型企業として市場を創造するD常に高い志を持ち、常に未完成であることを認識し、革新成長する生命力に満ちた組織体をつくる―。特に「いかなる環境になっても利益をあげる会社になる」という理念を実践している同社は、昨年からお米のビジネスへと参入しています。大山さんは新たなビジネスへの参入も企業理念に照らし合わせて、「本質的、多面的、長期的」にもの事を考えて決断されているとのこと。顧客の潜在的ニーズをキャッチ(ユーザーイン)し、スピードを優先させながら需要を自らつくりあげていく(創造需要)企業の方向性にドラッカーが提唱するマネジメント力を感じました。

▽すべての人間は肯定されたいと思っている
 次に登壇したのが早稲田大学ビジネススクール客員准教授の西條剛央さん。テーマは「日本最大級の支援組織をどうマネジメントしたか?」と題し、自ら立ち上げたボランティア「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動に照らしながら自ら提唱する「構造構成主義」に基づいた方法の原理を説きました。
 ボランティアという組織は「お願い」はできても命令権がないので、頑張りすぎる人にしわ寄せが増えてくるもの。「どうすればよいか」と悩むのではなく、「どう考えればよいか」というのが構造構成主義。目的の抽象度を上げるのが理念であり、企業(組織)理念がお飾りになっているところも少なくない。理念は組織の目的であり、目的がなければただの集団と化してしまう。本質を見失わないことが大切だ(本質観取)。理念とビジョンの違いについては、ビジョンは具体的な将来像(いわゆる下書き)で従業員などが色を塗ってくれるもの。リーダーは的確なビジョンを示すことが大切である。また、「人を集め、人を動かす」には、人間の本質を知ることが重要。すべての人間は肯定されたいと思っているわけだから、否定から入ってしまえばその組織はうまくいくはずがない―「知識労働者はボランティアとして扱わなければならない」というドラッカーの名言は、人間の労働とは体力労働には限界があるものの、方法の本質を見極めながら知識を提供することはボランティアでもあるという解に膝を打ちました。
◇「チーム作り」の最初の本質とは何か?(西條剛央連載 第1回)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20141111/423901/?rt=nocnt

▽常に失敗することを人間は願っている
 最後は、作家の岩崎夏海さん。5年前にベストセラーになった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら」の著者で、作詞家の秋元康氏に師事し、AKB48のプロデュースにも携わっていらっしゃる方です。「私は講演の際、原稿を一切用意しないようにしている。その場の雰囲気を重んじるために…」と切り出した岩崎さんの講話は、虚飾しない人間の本質を見事に言い当てた内容でした。会場内が「岩崎ワールド」に引き込まれ、メモをとることも忘れて聞き入ってしまいました。なぜ「もしドラ」の続編を書かないのか?この講演を聴いた人にしかわからない(参加した人でもわからない人も多かったはず)逆説的なテーマを参加者が与えられたような気がします。
◇岩崎夏海がとある高校で2014年11月6日に講義を行った!(1/5)
https://www.youtube.com/watch?v=qdmq0oWCDo8

posted by 今だけ委員長 at 11:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年11月10日

SNS活用で「小さな力を集めて大きな力に」 ふんばろう東日本支援プロジェクトで学んだこと

(きょうは新聞休刊日ですが)あす11日は東日本大震災から3年8ヵ月の月命日を迎えます。
 今回は今だけ委員長が参加している「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下、ふんばろう)という被災者支援プロジェクトの話を紹介します。

 東日本大震災で新聞販売店というキーワード(いわゆる私の仕事的な)については、これまで何度も小ブログで発信してきましたが、個人的には叔父と叔母が津波の犠牲になり、親しかった友人も何人か亡くなりました。遺体確認に訪れた公民館には仁王立ちで御霊を守る消防団員の姿がありました。消防団の方々も被災者であるはず。その姿を見て「生かされている私も何かしなければ」と、その翌週から社会福祉協議会が募集するボランティア(被災したお宅の泥はきなど)へ休日になると通いました。春休み中だったので大学生も多く、彼らと一緒に力仕事をすると全身筋肉痛で自分の体力の無さを痛感ました。
 仕事を抱える傍ら、時間的な拘束もなく肉体労働系以外の支援活動はないかとググっていたところへ同業者のKさんからメールが届きました。小ブログを読んでいてくれた群馬県在住のKさんから「支援物資を直接被災者へ送るプロジェクトのチラシを沿岸部の新聞販売店へ(新聞折込として)お願いしたが断られた。なんとか受けてもらえないか」という依頼を受けました。新聞折込広告の規定からすると基準を満たしていない内容でしたが、そのチラシの内容を読んで「これはイイ仕組みだ」と思った私は、当該の販売店へお願いをして組み込んでもらいました。「ふんばろう」の存在をはじめて知ったきっかけは折込チラシだったのです。

チラシ.jpg これまで労働組合活動は多少やってきたものの、ボランティアという類は公園の清掃活動くらいだったので、自分にできそうなことをイメージしていた矢先に折り込みチラシが縁で出会った「ふんばろう」。当時の活動は、避難所で生活されている方々のニーズを地域のボランティア登録者が聞き取り、ふんばろうのホームページへアップする(サイトを見た支援者が直接避難所へ支援物資を送る仕組み)というものでした。メンバー登録の手続きを済ませると、すぐさま東京在住のAさんから連絡がきました。「すぐに会いたい」と。
 海外で仕事をするAさんはふんばろうの代表・西條剛央さん(当時は誰が代表なのかも知らずに登録してました)と同じ仙台出身者で、同プロジェクトの立ち上げから携わっていた方でした。メンバー登録をしてから3日後(4月10日だったと記憶しています)、仙台駅で待ち合わせて私が住む仙台市若林区内の避難所(当時11ヵ所)を二人で回りました。同区は市内で最も津波の被害が大きかったエリアです。コンビニで大量にコピーしたチラシを片手に訪問したものの、出入り口に控えた役所の担当者らに阻まれ被災者と会うことすらできない状況でした。知名度のない団体だからそのような扱いをされても仕方ないのですが、あまりにひどかった。その頃、公平・平等を重んじるお役所は「50人が暮らす避難所へ40個の支援物資が届くと、10個足りないことを理由に配らない」ということが相次いで問題となっていました。そのような配られない支援物資は宮城県や市の倉庫に山積みになって、最終的には廃棄される。「そんな馬鹿げたことをやっているのか」と思った私は、「必要な支援物資を必要な分だけ“直接”届ける」というふんばろうの仕組みを多くの被災者に活用してもらいたいという気持ちで若林区内の避難所に足繁く通いました。2〜3回と訪れるうちに避難所の代表者(町内会の会長さんとか)が一人、また一人と会ってくれるようになりました。
 はじめのうちは「ほしいものを届けてくれるって…。そんな夢のようなことあるわけないじゃないか。あとで過大な請求をされるのだろう」と疑いを持たれる方も少なくなかったのですが、仕事帰りに缶ビールを土産に何度か立ち寄ると気持ちが通じるようになりました。「うちのばぁさんが洗濯物を干すハンガーが欲しいと言っていた。お願いできるのか」。七郷市民センター避難所会長のNさんから遠慮気味に言われたはじめての依頼は忘れられません。その後、ふんばろうの知名度も徐々に広がり、私の行動範囲も仙台市ばかりではなく県内、被災三県へと広がっていきました。自家用車の走行距離は震災以降の1年間で5万キロを超えました。

 私はこのような支援活動は新聞販売店が最も適していると考えました。続きを読む
posted by 今だけ委員長 at 02:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西條剛央
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